銚子・角巳之・三代目

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行蔵は我に

2007年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム

100_1252_2 行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。勝海舟の言葉です。行蔵とは自らの行動や出処進退。毀誉とは褒められたり、けなされたりする事。冒頭の言葉、福沢諭吉に、(勝は)旧幕臣でありながら明治新政府においても厚遇を得ていると皮肉られた事に対して発せられたそうです。大物同士の喧嘩、かなり深いです。要するに自分の信念で行動。他人がどう言おうと関係ねえや。という江戸っ子、勝海舟の痛快さが察せられます。その勝海舟、幕末にあっては幕府の要職にありながら、その体制維持に奔走するのではなく、坂本竜馬はじめ、その体制を壊そうとする勢力を庇護している。体制側の要人が、反体制勢力に力を貸したのは何故なんだろう。という事ですが、勝海舟は時代の変わり目をハッキリ見据えていたということでしょう。“一大共有の海局”という言葉を掲げ、いつまでも幕府だ薩摩だ長州だと言っていたら、欲望剥き出しで植民地支配を続ける欧米列強の餌食になってしまうと解きますが、理解されずに謹慎処分。ただ黙っていられる方では無く、この謹慎期間中に猛烈な勢いで国のあり方を模索したそうです。高杉晋作28歳、坂本竜馬33歳...、維新の立役者が若くして次々にこの世を去っていく中、71歳まで“生き”続け、古い時代の整理を行い、新しい時代の扉を開けました。痛快な語録を多く残した方で、私も大ファンの一人であります。特に“生き”続けて、時代と時代の橋渡し役をした。という事に深い共鳴を覚えます。彼の最後の言葉は“これでおしまい”だったそうです。