銚子・角巳之・三代目

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神保町~九段界隈①

2023年10月31日 | 日記・エッセイ・コラム


神田駿河台へは車で行きました。大学地下の駐車場は満車だったので、さあどこに停めよう
かと迷いまして、目の前を見たら“山の上ホテル”...。非常に由緒あるホテルで最近TV等で
建て直しの話題も出てました。これまたご縁...。ここの名物は天丼...。時間はお昼時...。

名物ですが、値段も...。だけど...。結局食べました。が、駐車無料券を頂けて駐車場代金
は実質ゼロ。この界隈の駐車料金はとても高いので、ある意味非常に合理的な選択だった
かもしれません。学生時代に何度も前を通りながら敷居が高くて入れなかった場所...。

日曜日の駿河台~神保町~九段界隈は車も少なく、丁度良い散策日和でしたので靖国神社
方面まで歩いてみました。人や建物は変わっても“雰囲気”だけは往時のまま....。やがて、
”大きな玉ねぎ”が見えました(これで分かれば同年代)九段下、日本武道館です。

歌の歌詞ではありませんが、九段下の駅を降りて坂道を、人の流れ追い越して行けば...。
大きな玉ねぎの反対側に靖国神社が見えて参りました。いつ来ても周囲の環境と併せ、
非常に荘厳な雰囲気です。明日から11月。今年もあと2ケ月です(続きは次回に)


アルムナイ!

2023年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

この話題(アルムナイということ)、もう何度目の掲載か分かりませんが、それだけ目にする
機会が増え、実際にその意義を感じているからだと思います。同窓会とかOB・OGとの交流
に留まらず、昨今は会社を退職した方々が、かつて在籍していた会社と再び関りを持つ等..の意。

先般のホームカミング~にて、会場内では全国物産展が開催されておりました...。OB・OGが
それぞれの故郷に帰り、家を継いだり、新規創業したり、そのPRや販路開拓にこういう場を
利用する...。自然なことですし、こういう場はもっと増やして盛り上げていくべきと感じてます。

大学とは学ぶ場である。これに異議を唱える人はいないと思いますが、この学ぶということ...、
お勉強するとはちょっと違う...。お勉強とは、まず始めに正解があって、それに早く・正確に
辿り着く技術。学びとはもっと広義の意だと認識しております。教養...に近いかもしれない。

教養とは人が地位・財産・名誉すべて失ってもその人に残るもの。或いはそれを総括して、
“生きる力”であると先輩から...(この考え方、賛同しております)。せっかく...の環境も具体的
行動あってのもの...。アルムナイ...その活動、これから益々盛んになって行くことと思います。

ホームカミングデー②

2023年10月29日 | 日記・エッセイ・コラム

久しぶりに最上階へ上がって見ました。そこにあるもの“暁の鐘”...。校歌の一節にもなって
おります。眉秀たる若人が・衝くや時代の暁の鐘...、この一節だけでその“世界観”が伝わって
参ります。建物全体に旧・記念館への敬意が垣間見え、移築やその名残があります...。

今回、何か目的があって訪れた訳ではありません。ただ“行った”だけ。しかしながらただ行く
だけの場があること改めて有難く感じております。全く接点ない現役の学生さん達との交流も
また活力源であるし、“顔が見える”という安心感はまさしく”心の故郷”とでも...。

全国各地で大学経営は厳しく、定員割れが起ったり、コロナ禍の余波で留学生が減ったりして
いるようです。殊に私学はなおのこと。学校“経営”ですから...。卒業生や地域を巻き込んでいく
ことも自然の流れですし、それが出来ない場合は容赦なく淘汰される時代のようです...。

市役所は誰の為に?という問いに市民。漁協は?漁師。農協は?農家。しからば学校は?と、
(銚子に戻ってから仲間との他愛ない話の中で)学生に決まっているでしょ...と。時代は変わって
もこの考えは普遍です。最後に名物(トイレの)前へ!でこの話題締め括りと致します。



ホームカミングデー①

2023年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム

もう一週間が経過してしまいましたが...。先週の日曜日、母校にてホームカミングデーなる
催しがありました...。ホーム~という催しがあるとは知っていましたが、卒業から30年...、
初めて参加しました。このリバティータワー、いささかご縁ありまして...。

在学中、本校は同じ場所にありましたが建物はあの記念館...。明治・大正建築の味のある建物
で、立て看板が並び、地下にはモグラ横丁なる一帯まで...。あの場で学徒出陣の壮行会、学生
運動の名残も各所に...歴史の舞台であったと先輩方からお聞きしておりました(98年に解体)

現在のリバティータワーは2,000年頃に出来上がったと記憶しております。ちょうどその頃、
東京の会社員でありましたが、ご縁ありまして学内(団体)のスタッフを4年ほど務めており毎週末
この場に来ておりました。あれからもう20年以上ですか、この場に立つと様々な想い去来します。

このホーム~、ほぼすべての学校で(何らかの形で)開催されているようです。学園祭や文化祭
との違いは主催者や対象者の違いで、原型は米国の学校におけるOB/OGとその家族、在校生の
交流会であるとお聞きしました。半年ぶりの御茶ノ水界隈でした(続きは次回に)

千葉県調理師大会!

2023年10月27日 | 日記・エッセイ・コラム

過日、千葉市場にて開催されました、千葉県調理師大会に参加して参りました。コロナ禍にて
何度か中止ありましたが、私は18年前から参加させて頂き、協力商社会なる組織の端っこにて
千葉県内の“食”に関わるプロの方々との交流を持たせて頂いていること有難く思っております。

この18年、会場はほぼ千葉市内の“青葉の森”でありましたが、地方開催も何度か...。身近な例
ですと2019年・大型台風被害の直後の市原市(倒れたゴルフ練習場・鉄塔の傍でした)や、
暴風雨の中の南房総市、香取市でナマズ(駆除・商品化)、次々と思い出されて参ります...。

もともと調理“師”さん相互の親睦組織で、会員の技術向上や取引業者さん(調味料、資材等)
とのコミュニケーション、はたまたお店で働く社員の皆さんの慰安等々、様々な目的で開催
される調理師大会。今年は18年で初、千葉市にあります千葉地方卸売市場で開催されました。

毎回テーマに沿ったプロの“作品展示”があり、今年もそれを楽しみにしておりましたが今年は
会場が非常~に広く、展示会場と商社会の展示場所が遠く離れており拝見すること叶いません
でした...。とにもかくにも...すっかり年中行事となりました千葉県調理師大会に行って参りました。

訂正力!

2023年10月26日 | 日記・エッセイ・コラム

訂正力という言葉があるかどうか分かりませんが...。最近感じたこと“訂正”するということ
について。訂正します。訂正します。と何度も言いますと芯が無い。ブレている...こうなる
のですが、反対にブレないも度が過ぎると頑固、ただの意固地、これも困りもの...。

岸壁にアオサギがおりました。これは銚子では珍しくない光景ですが...。この写真2枚...、
同じ個体を連写(数秒違い)であります。同じ個体なのに、違う個体のように見える。但し
アオサギの足は同じところに接地している(ブレていない)曖昧ですが訂正を考える一助。

長らく続いた鎖国政策から国が開かれる。新たな時代に戸惑うも、やはりストレスが溜まる。
攘夷、攘夷と騒ぎ始める。やがて皆の眼も開かれ様々なことが明白になって来る。攘夷じゃ
ない倒幕だ...。勝手に国を開き不平等条約を結んだ幕府を倒さぬ限り次の時代はない...。

相変わらずの分かりにくい例えご容赦を。同じ被写体なのに違う表情(表情が変わっただけ
でブレてません)、攘夷から倒幕(行動の結果目的が鮮明に)...。過ちては則ち改むるに憚る
ことなかれ...。誤っているのに、メンツがどうのと宣う貴兄に。訂正力を...。

“師”と“士”

2023年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム

このこと、以前掲載したかと思います(重複ご容赦下さい)、仮に重複していてもかつて感じた
同事案、今考えるとちょっと違う視点で眺めているのかもしれないと感じること多々ありまして...。
昨日、恒例の千葉県調理“師”大会に行って参りました(詳細後日)そして先日漁“師”さんのこと。

先日、弁護“士”、公認会計“士”、税理“士”、社会保険労務“士”の方々と打合せを行いました。所謂
士業の方々です。士(さむらい)とも読みます。こういう方々はみんな“士”、冒頭の“師”は、教“師”
美容“師”、牧“師”、仏“師”...、そして漁“師”。お医者さんも医“師”...と。

士には、成年男子、役人という意味があり、武士という言葉あるように殿様に使える有能な方々
から転じて、学問や教養ある人、事務処理能力の高い人...国家資格等によって一定以上の水準を
満たしたプロのことと言えそうです。他方、師...。もともと戦いとか多くのとかの意あるようです。

軍隊の単位を示す“師団”、出師(すいし)とは軍隊を送り出すこと(出師の表:諸葛亮の有名な一節
あります・余談ながら)師には“教え導く”...というニュアンスが含まれているようです。師と士...、
師には明快な領域(漁師、能楽師等)、士には勇士、闘士、そして紳士も。この違い、何となく...。

小底の出港を見ながら④

2023年10月24日 | 日記・エッセイ・コラム

いつもの如く、同じ話題を引っ張り過ぎてしまいますのでこの話題この辺でと致します。話題が
続くということは(私自身に)関心があり、感じるものが多いということです...。さて漁業者の
こと。寡黙で、論理的、勇気はあるが蛮勇でなく、乗組員とその家族に対する深い愛情、そして覚悟。

最近感じている“漁師象”こんな感じです。昭和の運動部と、今の運動部の違いと近いかもしれません。
かつては...(ご想像の通りです)。私は昔の“漁師”さんに囲まれて育ちましたので、罵声を浴びせられる
こと、愛情とすら感じておりました...が、昨今の漁業者は気風は残しながらだいぶ変化している...。

これだけ厳しい漁業環境で、変わらざるを得なかったということもあると思います。現在私の周囲
にいる(若い)漁業者は上記のような感じです。同年代は昭和の名残...。それはそれで心地良いのですが。
このことスポーツ少年団のコーチ同様、選手(乗組員)はコーチ(船主)の駒か?という問いに続く。

漁船と言う物理的・精神的な閉鎖空間でのこと。同様に陸上にあっても会社や何らかの組織...物理的
には閉鎖されておりませんが、精神的な閉塞感ある場でのリーダーの振る舞い方...。地位による恐怖等
で動きますよ(表面的には)...。本質は違うな~...、久しぶりに小底の出港見ながら感じたこと..。

小底の出港を見ながら③

2023年10月23日 | 日記・エッセイ・コラム


洋上での様子は、それを経験した者でなければわからない...とすると、私が出来るのは漁業者
の方々から聞いたり、慮(おもんばか)ったりする他、ありません。幸い、私の周囲に漁業者は
非常に多く、洋上の様子を生々しく、時に面白おかしく聞くことが出来るが故に......。

洋上の仕事、ある種残酷なプロ中のプロの世界。出港したら引き返すことは出来ない。もちろん
引き返す...可能ですが、出漁しなければ稼ぎはゼロ。また出漁したからと言って獲れる保証は無く
漁獲有無に関わらず、燃料代・人件費は出て行く。大漁となっても相場が崩れれば...であります。

様々な意見を総合すると、漁業というもの、漁業者“だけ”で成り立っている訳でなく、水揚げ後の
漁協(市場)、仲買人、資材(氷・箱等)、運送等...究極的にそれを食べるお客様まで続く“一連の行為”...。
昨今の漁業を取り巻く諸問題、部分ではなく全体を見渡せないと本質を理解することは出来ません。

さて洋上の世界、信頼関係が成り立っていなければ成立しませんが、お話を聞いていると船内のチーム
ワークの良いところと、そうでないところ如実に(成績に)表れる...。“漁師”聞くと、豪快な性格の
方々を想起しがちですが.(続きは次回に)小底は運河を出て利根川へ、この先が太平洋です...。


小底の出港見ながら②

2023年10月22日 | 日記・エッセイ・コラム

何故私の言ったことが出来ないんだ...と怒鳴り散らす。昭和のスポ根であればお馴染みの風景、
理解できると言ってしまうと昨今は問題ですが(私はそういう世代なので)...。今の時代に
それが昂じて体罰となると、熱心なあまり指導が行き過ぎてしまいました(通用しない時代です)

“熱心な”指導者の方々は、内側にストレスを溜めながら、最終的に気付くのだそうです。私は
選手の為に...と言ってきたが、実は自らの虚栄心(名コーチと呼ばれたい等)ではないか?
それがために選手を自らの“駒”扱いして来たのではないか...と。

知人のコーチは言ってました。そもそも教えるなどおこがましい...。教えているつもりが実は
教わっていたことに気付いた。気付きを得て、選手達自らが考え行動するような環境を整えて
いったところ、私は今まで何をやっていたんだ...と。選手の眼は輝き、楽しそうに...。

恐怖や立場で選手を動かすことは出来るかもしれない。ただし強制力で動くのは表層だけ...。
小底の出港を見ながら、船も同じ(船長・乗組員)だろうし、会社も(上司・部下)はたまた
社会全体もそうなのかもしれないと思った次第です(続きは次回に)

小底の出港見ながら①

2023年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム

(銚子)小型底引き船が出港して行きました...。知人の船でしたのでしばし見送りながらふと
頭を過ることがありました。小底(銚子での別名:エビシキ、チャンキ)最盛期60隻、現在
6隻...。いわゆる銚子の“地魚”を獲っている船で、この6隻がいなければ地魚は....であります。

ふと頭を過ったのは小底そのもののことではなく、出港・後戻り出来ない・運命共同体(一蓮托生)
船長と乗組員の関係...そんなイメージがポンポン浮かんで参りました。伏線は先日お会いした
スポーツ少年団のコーチ陣との会話。コーチと選手の関係ということについてであります。

優秀な...と呼ばれるコーチは、そう呼ばれるまでにほぼ似通った道を通られるようです。まず
気負う。私がコーチとなったからには絶対に勝たせて見せます...から始まる。負けてもいいや
なんて最初から考えるコーチはいなはずですし、いたとしても就任当初は気負っているはず。

表現が適切かどうかわかりませんが...、気負う。意気込みとでも言い直しましょうか。この時、
コーチの気持ちはほぼ独りよがりです。主語は“私(コーチ)”であります。選手ではない...。
独りよがりはどんどん進み、何故私が行ったことが出来ないのか...と(続きは次回に)

記憶と“思い出”の境界③

2023年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム

この話題、この辺でと致します...。モノより思い出...というTVCMありましたが、まさにその
通りと感じる昨今です。おカネで買える“思い出”というものがあるかどうかわかりませんが、
思い出とは買えるものでなく、感情ある人間が具体的な行動を通して得るもの...だと思います。

おカネで買えないものなので、いくらお金があっても思い出は増えず、反対におカネが無く
とも思い出は増えるかも。ここ数日の文脈で言えば、人生最後の相棒はおカネで買えない。何事
もおカネと言うモノサシに換算して考える...では、良い相棒が得られないということかと。

先日銚子の有る場所(海岸)にて釣りをしていた80代と。釣り三昧羨ましいですねと言ったら、
こういう趣味は定年してからじゃなくて(それがしたいなら)あなた達現役時代こそやるべきだ。
定年してから、〇〇が済んでからと言ってちゃ何もできないまま人生終わるよ...と。

忙しい最中に時間を見付け、自分がしたいことをする。時には気の置けない仲間や家族と一緒に
釣りに行って、釣れた!釣れなくて魚屋さんで魚買った...。こういう他愛ない事が思い出になる
のよ..。この80代、仙人のように見えました。記憶と思い出の境界かくの如し...と。

記憶と“思い出”の境界②

2023年10月19日 | 日記・エッセイ・コラム

ある会合にて、失敗が無かったという人生は“失敗の人生ですよ”と禅問答のようなお言葉を...。
何をして成功・失敗を論ずるか?極めて曖昧でありますし、各人の“モノサシ”は様々であろう
と思います。しかしながら冒頭の言葉が深く胸に突き刺さっております...。

昨日同様、平易にすれば...。ああすれば良かった。こうすれば良かった。と後になって後悔
するのなら、今(生きている今)動きなさい...と。本当に仰々しい事でなく、他人から見れば
他愛ないとことと言われようと(そもそも比較すること自体おかしいですが)...。

記憶と“思い出”の境界が、感情の有無とするならば、感情ある人間が自らのモノサシに従って
行動し、例えそれが失敗に終わったとしてもそれは“思い出”人生最後まで付き合ってくれる
かけがいの無い相棒となるだろう。故に失敗が無かったなんて...(失敗、むしろ当たり前)

冒頭の会合の続き、失敗が無いと思うのは、自分を偽って生きてきたか、他者との比較、
(或いは迎合)、他者への責任転嫁に終始して来たからではないか?自らの人生なのに...。
耳の痛い話が続きましたが、こういうお話が“記憶”に残るようになって参りました(続きは次回に)


記憶と“思い出”の境界①

2023年10月18日 | 日記・エッセイ・コラム

人生を重ねると増えて行くもの...葬儀。友人、知人、取引先...様々な形で参列させて頂く機会
が増え、殊に親しい間柄であればその晩年、時にお亡くなりになる直前に立ち会う場面も...。
すでに意識が朦朧とされている中で、恐らく“思い出”に浸っておられるだろうと感じること度々。

ある方から、人間が地位、名誉、財産すべてを失って残るもの...教養と言われました。そして
人生最後の局面で、その方の人生を締めくくる時、その相棒は“思い出”...と。教養とは記憶力
のことではなく、ある種の生きる力。知っていたって行動しなければね...という事であります。

知っている...から行動に移したとして、成功するとは限らない...。しかしながら生きている間に
何かに挑んだこと...、成功、失敗によらずそこに介在するもの...感情。感情を伴う記憶が良くも
悪くも“思い出”となって、人の人生に寄り添い続け最後まで人生の相棒となるのかもしれません。

挑戦という言葉が仰々しければ、思い立って行動したか否か?(行動できるのは生きているうち
だけですから)行動すれば失敗もするでしょうが、失敗を恐れ行動しない、長いものに巻かれ
続けると最後まで残るのは“後悔”だそうです。この話題少し続けます。

マグロ丼!

2023年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム

写真の通りマグロ丼...。どこにでもあるようなマグロ丼でありますが、これ銚子のお蕎麦屋
さんで食べました。特別...ではなくて、通常のメニューで。むろん銚子港水揚げで販売出来
そうなモノが入手できた場合限定...。写真のマグロはバチマグロであります...。

お蕎麦屋さんで? マグロ丼?...と思われるかもしれませんが、お蕎麦屋さんがマグロ丼
出したらダメ...ということはありませんし、“漬け”にした場合、お蕎麦屋さんのタレ調合は
絶妙であります。また別のお蕎麦屋さんでは豚角煮を。これは“かえし”を使っております...。

このバチマグロ、銚子港に入港されるマグロ延縄船団が水揚げしてくれたもの。この季節
東北・塩釜では有名な“ひがしもの”ブランドとして販売されるのもバチマグロ。三陸沖で、
延縄船団が、一度も冷凍しない生であり、40kg以上、そして仲買人の目利きによって...。

私個人的にバチマグロの赤身が大好きでして、あの吸いつくような、色艶良く、鮮度抜群
のバチの赤身...。塩釜の方々が長年に渡って築き上げてこられたブランドに対して敬意を。
そして銚子港でもバチマグロ(現在ブランド無しですが)の季節が来ていることをお伝えしたく...。