銚子・角巳之・三代目

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

会津坂下町にて①

2022年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム

会津坂下町...。HPなど拝見すると人口約1万5,000人...、会津盆地にある穀倉地帯であり、
主産業は農業。四方を山々に囲まれ、冬場の積雪が深いところでは1~2m積もることもある
ようです。お米などの農産物の生産、冬場は除雪やその他副業を行われている方が多いようです。

銚子から鉾田(茨城)に向かい、鉾田で高速に乗り、常磐道でいわき方面に参りまして、そこ
から磐越道に入り、郡山、阿武隈と通り過ぎて会津方面へ...。進行方向・右前方に大きな山が
見えました。これ会津の方々の心のふるさと、磐梯山(ばんだいさん)でありました。

あいにくの雨で磐梯山の頂きを見ることは出来ませんでしたが、その“すそ野”から、その雄大
さがよく分かります。何事も全てを見ずとも、その一部を見ただけで全体の大きさ、偉大さが
分かるものです。むしろ見えなかったので磐梯山の偉大さが頭の中で増幅して参ります...。

今回の主目的の一つ。現地(会津坂下町)の若い農業生産法人の方々との交流...。高齢化で
農地を維持する方が減り、やる気ある若者がその分を穴埋めしようと奮起しているが、かつて
の若者も中年に差し掛かり...。続きは次回に。さて...、明日から師走です。

赤べこ

2022年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム

先日(11/23・祝)、福島県会津坂下町(ばんげまち)に行って参りました...。銚子から350km
時間にして約4時間半の行程...。早朝出発、深夜帰宅の日帰り、あいにくの大雨の中いつものよう
に強行軍でありましたが、それでも行く価値が大いに“あった”...。

私は車に乗っていただけ...。往復とも仲間が運転してくれたので恐縮しきりなのですが、常磐・磐越
など、私にとっては慣れない道でしかも雨...。たいへん助かりました。今回の主目的は二つ。一つは
会津坂下町の若い生産者集団にお会いすること...。もう一つは赤べこを購入すること...。

赤べこ...。言わずと知れた福島の民芸品であります。昨年の丑年にどうしても“赤べこ”が欲しくなり
各地探しましたがすべて売り切れ。寅年も終わりを迎えるこの時期に、漸く“赤べこ様”をお迎えする
ことが出来ました...。(赤)色、模様、形...すべてに意味が込められております(本日は省略)

約1年遅れでありましたが、赤べこ様をお迎えしたこと、これまたご縁であります。今まで福島の
方々との交流はありましたが、これが機会となりより深い交流に繋がって行きそうな“予感”がして
おります...。この“予感”が重要なのであります...。これから数日、福島・会津坂下町のこと...。

清水小学校・階段(跡)

2022年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

銚子以外の方にとってこの場は何なのか?よく分からないと思いますが、ここ清水小学校と
いう(私も40年以上前に通いました)小学校、裏手の階段(跡)であります。高い塀で
囲われており、その中に階段があって清水小学校・裏門へ...。かつての通学路でした。

何か工事しているな~と思っていたら、最近すっかりこのような形に。かつては銚子市内
でも1.2を争う大規模校でしたが、現在は1学年1クラス。1クラスは20人前後なのだ
そうです。ちなみに学校はそのままです。解体されていたのは裏門に続く階段(の周囲)

この場所、鬱蒼とした森のようになっていて、解体されて見たらこんなに広かったのか~
と今さらながら思っております。ここから歩いて5分くらいで、銚子電鉄の本銚子(もと
ちょうし)駅があります。無人駅ですが6月頃、紫陽花が見事な味のある駅舎です...。

私(や一緒に通った仲間)にとっては懐かしい場所でありますが、解体されまた新たな
使命を果たすことが一番良いことだとも思います。放置され、朽ち果てる前に新たな息吹を。
ここを通るたび、最初は寂しい...から最近は、新たな息吹を...。心からそう思います。

佐原の街並み③

2022年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム

この石碑は何であるかよく分からなかったのですが、街歩きすると至るところにこんな石碑が
立っております。文人・墨客の訪問も多かったようで、そんな名残なのかもしれません...。
しかし不思議なことながら、100年前のことなど知らぬのに何故か懐かしい...。

時代劇の見過ぎなのかもしれないと思いましたが、恐らく日本人のDNA...。そういうことに
しておきます。風情を感じる際に詮索は野暮と言うもの...。これまた時代劇の見過ぎかもしれ
ませんが...。レンガ作りの三菱銀行旧佐原支店など、明治、大正の建造物も多いです...。

古民家を改築して農家レストランなど、各地に話題のお店多いですが、この佐原のように
街並み全体...というのはなかなか無いと思います。外側は古い旅館であるけれど、中に入ると
そこは有名なとんかつ屋さん、イタリアン、フレンチレストラン....。

非常に大きな違和感ですが、街中を数分歩いただけで何か“亜空間”に突入したかのような錯覚
に陥り、違和感は全く消えております。むしろこの街並みを出て、一般道を車で走っている時
に違和感を感じさえする...。佐原の街並み...、また行ってみようと思っております。




佐原の街並み②

2022年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム

銚子から佐原まで、今の感覚で言うと車で1時間くらい...。特別な用事がなければ東関東道の
佐原・香取インターに行くために、あるいは成田方面に行くために“通過”するところ...。もち
ろん見どころ沢山あるのですが、ある意味...車社会の弊害かと思います...。

車は本当に便利です...。が、便利過ぎて通り過ぎてしまう...。感覚的になのですが、30年前
なら懐かしいと思う。しかしながら100年前のことは知らない。知らないけれどそこに街が
あり、人が住んでいた...。街並みの保存は懐古ではなく、先人達への敬意と思います。

佐原という街は、水運業で栄え、銚子から水産物や醬油などを運ぶ際の重要拠点であった
そうです。成田山や鹿島神宮にもそう遠くない場所で、当時はこの小野川沿いから利根川に
出て、船による移動...。天候悪ければ旅館で一泊...これまた風情です。

利根川には様々な支流があり、さらには北浦、霞ケ浦(ともに茨城県)にも通じております。
まさに交通の要衝であったことが分かります。佐原から銚子までの一帯は“北総(ほくそう)”
地区と呼ばれております。歴史的な繋がりが非常に深い地域です...。




佐原の街並み①

2022年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム

久しぶりに佐原(千葉県香取市)に行って参りました...。今回は用事があって訪問し終わっ
たら帰る...ではなく、車を停めて小野川沿いの風情あるところを歩いてみた...という次第です。
数年ぶりでしたが、どんどん進化している...。お店の数も相当増えておりまして...。

巷に、小京都、小江戸と呼ばれる場所は数多ありますが、ここ佐原もそうであります。有名な
ところでは伊能忠敬の生誕地...。確か忠敬は、この佐原の商家に婿入りし、懸命にご商売に
励み、店を譲って隠居後にあの歴史的な偉業(測量・日本地図)を成し遂げた...。

当日はあいにくの曇り空ながら、その場(小野川沿い)に立つと、何故かタイムスリップした
かのような錯覚に陥るくらい、その場所は独特の雰囲気を醸し出しておりました...。歴史的な
建造物も多く、それらを生かして飲食店等が立ち並ぶ...。外国人観光客の方も多かったです。

一軒の歴史的建造物ではなく、“街並み”そのものがもはや文化遺産であると思います。そこに
立つと、江戸時代の息吹が聞こえて来そうな...。江戸時代の賑わい...本やTV等で見ただけで
ありますが、あたかもその場、その時代に行ったかのように思える...(続きは次回に)



冠大会!

2022年11月24日 | 日記・エッセイ・コラム

先日のミニバス大会...。地元・JAちばみどり農協さんの冠大会でした。冠...大会スポンサー
とでも申しましょうか...。一般的なスポンサーと違うのは、ここが地元であること...。地域貢献
が第一で、あとは地元農協さんって、こんなことしてるんだ...。その理解の一助として...。

一般的なスポンサーなら、運営経費を支払うなどして宣伝効果を...となるのでしょうが、今回の
参加賞はトマト...。確かに農協さんの経費で買い上げたトマトを配布しているのでお金は掛かって
おりますが、何とも微笑ましいです。選手達にとっても貴重な試合の場(さらに社会科実習とでも)

もちろん体育館の使用料なども掛かりますが、何よりも地元の主産業である農業、その団体が地元
の生徒さん方に貴重な機会を提供してくれて...。本当に有難いことであります。自ら振り返っても
ライオンズクラブさんはじめ冠大会の記憶は残っており、時に今を生きる原動力になったりします。

JAちばみどり農協さんは地域内最大のJAで、組合員数は2万人超(正・准合算)。しかしながら
農業人口減少、高齢化の波は容赦なく進んでおります。この冠大会に出た選手が10年後、20年後
地域の主力選手となる訳です。健康な心と体を地元野菜で育む...。継続は力なり...であります。




サザンカ

2022年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム

写真、サザンカ...(間違っていたら申し訳ありません)、地元農協さんの営農センターで咲い
ていたこと(職員さんに聞いたらサザンカじゃないですか?と)、図鑑等で形が似ていたこと、
銚子市の木が、サザンカであること...。総合してさざんかと推定致しました...。

山茶花(さざんか)...と書くそうです。知人に聞くと、同じ系列に属する椿(ツバキ)と非常に
よく似ているのだそうですが、見分け方の代表的な確認方法として散った花の形を見よ。との
ことでした。椿は花が付け根のところから落ちるのに対して、さざんかは一枚づつ散る...。

さらに聞くと、サザンカの花は平面的で、葉っぱの淵はギザギザで、後ろの葉脈に沿って毛が
生えている。一方、ツバキの花は立体的、葉っぱの淵にギザギザ無く、葉脈に沿って毛が生えて
いない...。区別が目的では無かったのですが...。どちらも綺麗な花を咲かせる冬の木であります。

銚子市のHPを見たら、確かにサザンカは銚子市の木に選定されている。因みに花はオオマツヨイグサ
これは竹久夢二の宵町草に因んでいるそうです。ともに昭和58年選定とありました。さらに、
銚子市の魚というものがありまして、これはイワシ...でした。これは納得...であります。


ミニバス③

2022年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム

2日ほど、懐かしい話を書き連ねて参りました...。同じ体育館に40年後に立ち、“今の”小学生
の試合を観戦している...。昔はこうだったと思いながら...。けれども“今の”小学生にとっては、
今見えるこの姿がすべて...。その記憶が40年後...どうなって行くのでしょうか?

小学校対抗がクラブチーム対抗になった。銚子とか旭とかいう行政区分ではなく、“地域”と
いう大きな括りで。チームに属する選手たちの構成見ても、まだ近所の学校どうしが多いですが、
やがて行政区分の垣根は全くなくなるだろうと思います(実際、そうなっているようです)

統計資料等によると銚子市の人口は1960年代後半(我々が生まれた頃)約9万人をピーク
に減少を続け、現在は5万人代後半...。年間1,000人超という物凄いペースで人口が減少
しております。その現実を直視することなく、昔は良かった、昔の賑わいを取り戻す...???

人口推計によれば、今ミニバスで活躍している小学生が成人を迎える頃に人口は5万人を割り
込み、30歳になる頃には4万人を割る...。これからを生きて行く次世代を前に昔は良かった...。
今とこれからしかありません...。選手達の躍動を見ながらそう言われているようでありました。

ミニバス②

2022年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム

この会場(銚子市体育館)は、外観そのまま...私の時代にもありました。前回も掲載しましたが
ここでプロレスの興業があったり、そして自らもミニバスなるもの...やっておりました。もともと
ポートボールという競技(台の上に人が乗って...50代ならお分かりかと)がありました。

ポートボールからミニバスに移行したのが我々世代(40年以上前です)...。銚子地区は千葉県内
でもミニバスに移行したのが早かったように記憶しております。銚子と言えば野球ですが、野球
だけでなく広くスポーツに親しむよう、特に小学生は特定のスポーツ禁止...。

野球なら野球だけ、バスケットならバスケットだけではなくて、当時の小学生は季節ごとに例えば
春は陸上、夏は水泳、野球、秋冬はバスケット、駅伝...等々、様々な競技に参加するそんな仕組みが
ありました。当時の先生方の配慮だったと思います。広くスポーツに親しむこと...。

様々なスポーツを通じて適性を知ったり、野球では勝てなかったけれど、バスケットでは勝った等、
チャンスと言いますか、子供なりに心を満たす選択肢が多々あったように思います。自分の通う学校
が決勝進出したりすると全校応援など、校長先生の裁量で...。古き良き時代の懐かしさです...。

ミニバス①

2022年11月20日 | 日記・エッセイ・コラム

ミニバス...。小学校で行うミニバスケットの事であります。一般のリングが3m5cmなのに
対して、ミニバスは2m60cm...。リングは低く、ボールは小さいですが、試合内容は...、
大人顔負けの白熱したものでありました。昨日、久しぶりに観戦して参りました...。

今回は地元・JAちばみどり農協さんの協賛による“ちばみーカップ”...。ちばみーとは、写真
壇上におります、ぬいぐるみ...JAちばみどりのマスコットキャラクターであります。いわゆる
地元企業による冠大会...。参加賞は選手全員に“トマト”だったそうです。微笑ましいです...。

さて、ミニバスと言うとかつては学校対応でありました。今回はクラブチーム対抗...。学校の
部活も時代と共にその運営方法が大きく変わっております。要するに生徒が少なくなったのが
一つの要因。1学年1クラス...。1クラスに20~30人だそうです。チームが組めない事態も...。

私の年代(昭和44年生まれ)前後は人数が多く、私の頃は少ないと言われてましたが、それでも
1学年6~7クラス。1クラスに40人前後いたかと思います。昔はこうだった...、という懐かしい
話ではなく、少々感じるものがありました。この話題少し続けます...。

結構!

2022年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、億劫...。今さらながら言葉の意味を考えた次第ですが、言葉の意味ついでに本日は“結構”
ということ...。お歳暮の時期となり御礼状などで、この度は大変結構なお品を...等。それでは、
結構とはどういうことだ...と。結構な数...、結構なお品、もう結構です...等々。

寅さんのセリフの中にも、結構毛だらけ・猫灰だらけ...なんて口上があります。ユーモアを
含んだ言葉遊びなのでしょうが...。この結構は、もうたくさんだ。或いは、かなり...どちらなの
でしょうか? いずれにせよ“結構”という言葉、何気なく使っております。

辞書を引くと、結構(構を結ぶ):全体の構造や組み立てを考えることと書かれております。
さらに計画とか用意、優れていること、それでよい、それ以上必要としません等々、実に多く
の意味があります。こういう多くの意味のある言葉...日本語の奥深さです。

余談ながら、結構毛だらけの後、猫灰だらけ...。これは何だと調べたら、竈猫(かまどねこ)
という表現が出て参りました。昔は寒くなると猫が竈の近くに来て、火が消えた後少しでも
暖を取ろうと竈の中に入ってしまう...。翌朝出てきた猫は灰だらけ...。なるほど...と。


億劫!

2022年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム

再び、銚子界隈でも流行り病の感染者数が増えており、私の周囲でも自宅待機の方がちらほら。
症状は発熱の他、“倦怠感”が酷く、何をするにも億劫(おっくう)...そう感じるようで、たんなる
なまけ病かと思いきや、検査したら陽性であった...。そういう方多いです...。

自分では一生懸命に動いているつもりなのに、周囲から見ると怠けているように見えてしまう。
そういう方を良く観察してみると、何をするにも億劫だ...と。周囲で億劫...と言う言葉が多々
見受けられるようになりまして、億劫ってどんな意味と改めて見直しているところです。

もともと仏教用語のようです。元来、億劫(おっこう)だったものが転じて、億劫(おっくう)
と...。劫とは未来永劫の劫であり、仏教でいう途方もない長い時間を指し、それの億倍という
ことですから、想像もできないくらい長い時間を表しているのだそうです。

道のりが遠く、考えるだけでも嫌になる(だからやらない)...、こんな感じでしょうか?ただ、
そこは仏教用語...、背後に隠された意味があるようです。何か億劫に感じたら人生の時間は短い
と知れ。流行り病に遭遇したとしても、億劫の意味を考える契機とせよ。こんな感じですか...。

あいさつ...③

2022年11月17日 | 日記・エッセイ・コラム

世の中を生きて行くには小中学校で習ったことで十分ということから、その基本は“あいさつ”と
いうことに辿り着き、それが翻って組織運営、権力....と飛躍しているのですが、飛躍ではなく
根底で繋がっており、最も重要であること日頃の生活でひしひしと感じております。

先日、“何が正しいかではない”、“誰が言っているのかだ”...。ある会合でこんな一幕を見ました。
なるほど...と思いました。肩書マニアのような方が、一般論をペラペラと...。実は何も響かない。
(内容はいかにも...と一瞬感じますが軽い)、そこに現場を熟知した方の一言....重い。

船の船頭(一言が重い方々)との対比で考えたら、答えは単純明瞭でした。逃げられるか?
逃げられないか? 船と言う絶対に逃げられない環境の中で発する言葉は重い。軽重の差は、
そのまま人柄の差になり、それが心からの“あいさつ”に繋がるのだろう...と。

たかが“あいさつ”と侮るなかれ....。私も50を過ぎて、そんな根本的なことを今さら考える
とは思ってもみませんでした。しかしながらそういう話題が出てくるということは、何かの
警鐘...。周囲との“あいさつ”に軽さを感じたら要注意...。そう感じた次第です。






あいさつ...②

2022年11月16日 | 日記・エッセイ・コラム

漁業は究極のチームプレーであります。人間関係が悪ければ連携が悪くなり、漁の結果を左右する
ばかりか、時に身の危険すら伴うことになります。あいさつが気持ち良い船団は相互の尊重、信頼
が高い船であり、おのずと結果が良い...。反対は...想像通りです。

屈強な漁師さん方をまとめるのは腕力か?と思いきや、全くそんなことも無く(昔は知りませんが)
やはりベースは人間の信頼関係。そしてその船に乗っていると稼げるか否か...。結果がすべてのプロ
の世界です...。その根本を為す第一歩が気持ちの良い“あいさつ”...とすれば...。

他方、偉い人のこと...。偉い...こう書くと馬鹿にしているような印象を持たれるかもしれませんが、
(実際そういう部分もあるかと思います)肩書は立派ながら周囲の誰も“あいさつ”をしない...。これ
残酷ですが、これまた真理です。強要されているかどうかは“雰囲気”見るとよく分かります...。

地位による権力や恐怖感で一時的に人を屈服させることは可能です。が、チームにはならない。
チームにならなければ何かを為すことは不可能で、やがて綻びが生じ瓦解する...。船の場合は究極的
な環境(逃げられない)にあり、そのことが鮮明になるようです(続きは次回に)