銚子・角巳之・三代目

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衣替え!

2020年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

所要有りまして、ちばみどり農協さんの営農センターに行っておりました...。植込みを覗くとセミ...。
もういい加減にしてくれ...と思うほどの猛暑から一転、肌寒く感じられる9月の最終日にセミを
見付ける...。誰もいない海、鳴かないセミ...。季節は容赦なく過ぎ去っているんだなあ...と。

このセミ、何ゼミと言うのか分かりません。全く鳴いていないし、近くに寄っても全く動かない。
もしかしたら、すでに死んでしまっていたのかもしれない...。抜け殻か?とも思いましたが、
いやそんなはずはない...。見るところ完全に成虫の姿...。深い詮索はやめることにしました...。

猛暑から一気に晩秋になったかのような気候であります。あれだけ暑かったのに、衣替えの季節
になると、やはり冷え込む...。頼むから早く涼しくなってくれ...そんな心持でいたのが一転...、
肌寒くなって今度は、こんなに涼しくなくてもいいのに...。人間は勝手なものです...。

人間様の衣替えに合わせるように、地域の風景も秋・冬モードに変わって参りました。稲刈りが
終わり、キャベツの定植が行われ...。一方海の風景も、サンマは絶望的と言われていますが、サバ
はこれから本格的な漁期となります。明日から10月・衣替え...。気分一新でモード変更致します。

白い彼岸花!

2020年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

毎年、9月のお彼岸前後に掲載しております、彼岸花...。今年も少々季節を過ぎてしまいましたので、
もう見られないかもと思いながら、いつもの田んぼに行ってみましたら、まだ少々残っておりました。
そして周囲を見渡してみると、白い彼岸花を見付けました...。

これが白なのか、黄色(クリーム色)なのか、赤色が退色したものなのか、私には判別が付きません
でしたので、専門家に聞いたところ、これは間違いなく白い彼岸花。別名:白花曼殊沙華(しろばな
まんじゅしゃげ)であるとのこと。九州など温かいところに多く、関東では珍しいのだそうです。

彼岸花は元来、日本に自生していたものではなく中国大陸から渡ってきた種なのだそうですが、すっかり
日本の田園風景に溶け込んでおります。外国から入ってきた種というと、ブラックバスやらハクレンやら
日本古来の在来種を絶滅させる悪い奴ら...というイメージが付きまといます...。

生物と植物を一緒にして良いのか?という話は別にして、どこから来たか?ではなく、今どうなっている
のか?これが一番重要な事かと思います。人も動植物もみな同じであります。中国大陸から九州に渡り、
遥々関東で咲いている白い彼岸花が地域の田園風景に溶け込んでいる姿を見ながら、改めてそう思います。


あと何回...。

2020年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム

かつて、知人の稲作農家さんがポツリと...、あと何回田植え・稲刈りできるかな~と。その方、当時75歳くらい
だったかと思います。気丈に振舞っておられましたが、すでに全身ガンに侵され余命宣告まで受けていたようです。
2年前にお亡くなりになりましたが、ふとした時にあの方がポツリと言ったあの言葉が頭に浮かんで参ります。

仕事柄、農家の皆さんとの交流も多く、付き合いも5年、10年となれば、それぞれ年を取る(当たり前ですが)
そういえばあの先輩の姿、最近見ないな...と思っていたら、入院してます...。そんな状況増えました。そして必ず
出てくる言葉...あと何回(田植え、稲刈り、作付け、収穫...)出来るかな~。

最近、農産物の規格外品の商品化など行っております。それはもったいない、何かに使おうとはなるのですが、
過去にも様々な方々が挑戦しては失敗してきた領域...。思う事と実行すること、天と地ほどの開きがある...。
思うように実行できず、やがて心が折れ...、また来年、今年はやめにしておこう...となる訳であります。

そしてみんな年を重ねる...。また来年、また来年...と先延ばししてきたこと、気が付くと...あと何回出来るかな...。
この農産物(収穫物)に再び出会うためには時を待たねばならない。それでも時間は容赦なく過ぎ、人は老いる。
冒頭の先輩の言葉...、やがてそんなことを思う日が来る、時間を無駄にするな、今やれ...。そう心に刻んでおります。



台風一過

2020年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム

あの台風...。関東地方の直撃は免れましたが、銚子沖で長逗留...。その後、前線やら低気圧やらを刺激して、
風雨の強い日が続いておりました。ここ数年、台風シーズンになると必ず掲載しております銚子・一の島
灯台付近(写真上)、昨年のように頭を越える大波はないものの、やはり不気味な姿でありました...。

これからは、今までの常識というものが全く役に立たなくなるかもしれない時代なのでしょうが、この
台風にしても、今までは...と思いたくなることしばしば...。曰く、台風一過の言葉通り、台風が過ぎれば
天気は一変、カラッと晴れるのが定番だったはず...。それなのにその後数日間も御覧のような姿...。

台風一過という言葉を辞書で引くと、第一には台風が過ぎ去って晴天となること...と書かれていますが、
比喩的に、何らかの騒動が収まって落ち着いた状態になること...。そんな意味もあると...。これまた世相
に同じ、一難去ってまた...ではなく、一難去らずにまた一難ということでしょうか。

もしかすると難は永久に去らず、これからは難有って有難し...。の気概が必要なんだろうと思います。
アフター何とか、ウィズ何とかの時代です...。晴れ続けることもなければ、止まない雨もない、これは
事実...。晴れ続ければ雨を欲し、雨が続けば晴天を願う...。やはり難有って有難しだ...そう思っております。



茨城(おまけ...)

2020年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

今週は茨城詣での報告週間となりました...。そして茨城と言えば納豆...。私も納豆は大好物でありますが、
茨城県民の納豆愛には到底及ばない...。写真上・農協直売所に納豆の自動販売機ありました。写真中段・
常陸太田の道の駅に行って...。昼ご飯は納豆ラーメン...。これでもか?というくらい大量の納豆入り...。

利根川を挟んで両隣...。ちばらき...なんて呼び名あるぐらい、本当は非常に仲が良いけれど、何故かすぐ
喧嘩になる両県民...。“いばらぎ”じゃない“いばらき”だ(ぎ・と、き・の違い...)こんな些細なことで。
初秋から晩秋にかけての茨城ドライブは見どころ満載、気分最高...。お世辞抜きにそう思います...。

茨城の県庁所在地は水戸。水戸と言えば黄門様(徳川家)...。徳川の家紋は三つ葉葵。そんなの知って
るよということですが、先日水戸の方から、将軍家の葵は3枚とも表、尾張・紀州は一部が裏で、水戸は
全部裏...と聞きました。一朝事あらば水戸は本家と真逆の対応をしなさい...と。徳川を残すために...。

歴史書等からの裏付けは取っていないので、その辺はご容赦頂いて。ただ歴史ロマンを感じる話です。
幕府と朝廷が揉めたら、水戸は幕府を敵に回しても朝廷側に付く...。そういえば明治維新の胎動は、薩摩
でも長州でもなく、水戸から...。まとまりなく申し訳ありません。私も茨城愛あります。そのことを...。


正福寺にて

2020年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム

佐竹寺を後に笠間市に向かいました...。ナビに所在地を入力して1時間くらい走るとその寺院はありました。
坂東33霊場・23番札所 正福寺...。こちらも真言宗豊山派の名刹であります...。初めての訪問であり
ましたが、何故か見慣れた風景...。で、思い出しました。この場所、笠間稲荷の隣接地であります...。

水戸に所要有る時など、時間あれば笠間稲荷さんへの参詣に行っておりました。まさかこの隣接地に坂東
33霊場の一つがあるとは...。木を見て森を見ず...でありました。ご本尊は千手観音。所願円満の観音様
で有名なのですが、昨今の話題は御朱印...。この寺院の御朱印は実に多種多様...詳細はHP等にて。

正福寺から笠間稲荷に向かう徒歩10分くらいの距離の中間地点あたりに美術館があり、その隣に大石内蔵助
の銅像が建っておりました。縁起を見ると、主家・浅野家は赤穂藩の前に、栃木の真岡藩や、この笠間藩を治
めていたのだとか。ここは内蔵助の曽祖父、祖父が住んでいた場所なのだそうです。

赤穂浪士討ち入りも、半数は赤穂藩の出身者だったようですが、残りの半分は真岡藩、笠間藩の出身者である
こと初めて知りました。治める土地は変われど、主家に対する忠義は不変...。話が逸れましたが、こういう
逸話を知ることもまた、楽しいと思える33霊場巡りであります。

佐竹寺にて

2020年09月24日 | 日記・エッセイ・コラム

先週は埼玉詣での多い週でありました...。そして今週は茨城詣で...。所要のついでに地図を眺めましたら、
目的地から北に30分くらいで常陸太田市、西に1時間くらいで笠間市の表示...。前日、坂東33霊場の
御朱印帳を見ていましたら、常陸太田市に佐竹寺(22番)、笠間市に正福寺(23番)...と。

せっかく北茨城方面に来たのだからと、2ケ所の名刹...、参詣して参りました。本日は22番、佐竹寺。
正福寺は明日の掲載と致します。さて佐竹寺(さたけじ)...。創建は807年と言う非常に歴史のある
真言宗豊山派の名刹であります。かやぶき屋根の本堂は国の重要文化財(写真撮影は憚られましたので...)

水戸市から概ね車で1時間くらいの範囲、昔で言うところの常陸の国...。その常陸一帯を治めていたのが
佐竹氏で、このお寺も佐竹氏の庇護のもと大いに繁栄したようでありますが、佐竹氏の秋田移封に伴って
寺運は衰えていったと縁起に書いてありました。が、長い歴史に育まれた佇まいは荘厳であります...。

源氏の流れを汲む名門、常陸の国の大大名であった佐竹氏は、天下分け目の関ヶ原において、東西どちら
に付くか意見がまとまらず静観...。戦後、家康から咎められ秋田へ移封。佐竹氏の強大な力を削ぐことが
目的だったようですが、いつの時代も...その時どう動く?...で、運命は変わってしまうんだな...と。






マグロ延縄船の出航

2020年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム

過日、事務所前を見ておりましたら、いつもの時化回避フォーメーション...。銚子港・南側に停泊している
キンメ船団等、事務所前の近海小型底引き船の停泊地に続々と集結しておりました。ということは、犬吠埼
から向こう(南)は時化るのか...と思っておりましたら、マグロ船が出航して行きました...。

何度も掲載しておりますが、マグロ・サメ延縄船(19㌧型・5人乗り)、多くは宮崎県、高知県の所属で、
それぞれの故郷を出て、太平洋上でマグロを追い、南紀勝浦(和歌山)、千葉勝浦(千葉県)、銚子(千葉県)
塩釜(宮城県)を第二の母港として操業されております。

銚子では彼らのことを、畏怖・尊敬の念を込めて、特攻隊。特攻船...と。御覧(写真)のような独特の船型で、
乗組員の方々に聞くと、乗り心地は最悪ながら時化には滅法強い...とのこと。当日、地元船は時化のため出漁
しなかったのですが、その状況下で平然と出航...。

銚子港の出口付近、白波は立っておりませんが、強風とうねり(写真ではその臨場感が伝わらないかもしれませんが)
この出口付近が日本三大難所に数えられる最も危険な場所...。船は右に左に操船しながら大海原に出て行きました
毎度のことながら海の勇者に脱帽であります。銚子の近海生マグロの多くは、この延縄船団の水揚げによるものです。



農協食堂!

2020年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム

最近、埼玉の話題が多いですが...。埼玉とのご縁は、私自身がかつて2年ほど所沢市に住んでいた、
サイボクさんはじめ魅力的な直売、道の駅がある...等々で、銚子に戻ってからは少々疎遠になって
おりましたが、今は仕事の内容等にて埼玉詣でのタイミングになっているからであろうと...。

銚子で、キャベツ、ダイコンに代わる新たな栽培品目を探そうと、生産者の皆さん試行錯誤を続け
ております。その一つにパパイヤ(正確には野菜の青パパイヤ)栽培がありまして、埼玉県では
その先駆的取り組みの数々がありますよということでしたので見学に(あくまで一般客として)...。

何か新しい作物が出来ると、それだけに関心が向きがちですが、いきなり生産物が変わることはなく
様々な取り組みを支える、その土壌...。これが一番重要であること、改めて感じた次第です。それを
感じたのが農協食堂...。全国どこにでもあるだろうと思いますが、規模、来客数、対応力...半端ではなく。

埼玉と言えば、肉うどん...。本当に何気ない肉うどんですが、客数200隻はあろうかと思われる
店内、超満員...。隣接した直売所も大混雑。パパイヤも、苗木から観賞用から、もちろん果実も
レシピを添えて、カレー等加工品も...。新たな商品は、強い土壌から。これを改めて感じた次第です。



ボタンエビ(脱皮)

2020年09月21日 | 銚子の魚

写真はボタンエビ...。銚子沖合底引き船で漁獲されたものですが、脱皮しているものが多く、網で擦れてしまい
市場に出せない...。漁師の皆さんが、昼ご飯のおかずにしていたところ偶然?通り掛り...。食ってけば...となり
まして、それでは遠慮なく...と、貴重なボタンエビのお裾分けにあずかりました...。

一般にボタンエビと呼ばれているもの、北海道~日本海で漁獲される種は正式にはトヤマエビと呼ばれている
そうであり、ボタンと言えば本種(写真)を指すようなのですが、学術的な区分はこの際重要ではなく、総称
ボタンエビ...。甘くてとろけるような美味しいエビ...。脱皮直後のものも多く、殻ごと...。得も言われぬ味であります。

本種を漁獲する銚子沖合底引き船...。最盛期は昭和30年代で銚子には40隻存在しておりました。現在は5隻を
残すのみ。うち4隻はここ15年ほどで19トン型と呼ばれる(中小型)の新造船となり、その高い能力から、
新たな漁場開拓等を行っており、ボタンエビ、ブドウエビなどの水揚げも良く見るようになりました。

さて写真...。得も言われぬ味...では食レポ失格でありますが、私の舌力ではこれを正確に表現することは難しい...。
今後も的外れ、みんな美味しい...で終わってしまうかと思いますが、何卒ご容赦ください。水産物の美味しさの
大きな要素が鮮度であるならば、水揚げ直後が一番美味しい...。これは産地でなければ...。GO・TO..であります。


哲学!

2020年09月20日 | 日記・エッセイ・コラム

食肉産業に携わっているなら、知らない人はいないであろうと思われるサイボクさんや、その哲学を記した書...。
記事にすること甚だ畏れ多いことながら、再び読み返し、やっぱり感動した...。記事にして再び記憶に留めて
おこうと思いました。これは予言の書だったのではないか?とさえ感じたからであります...。

今から約20年前、食肉担当だった時、上京された全国の生産者さんから必ずと言って良いほど質問されたこと。
異口同音に、ここから(新宿でした)サイボクさんは遠いですか?...。せっかく上京してきたのだからサイボク
さんに行ってみたい...。すでに食肉の聖地として全国的(世界的にも)有名な存在でありました...。

当時、創業者の方がご健在で、業界の大先輩にお願いし各地の生産者と一緒に面談を申し込みました。大変お忙
しい方でしたので、相手にもしてくれないだろうと思ってましたが、30分くらいなら...と。あっという間に時間
は過ぎ、どんどん熱量が上がり、秘書の方が後のスケジュールが詰まってます...と言っても全く止まらず...。

漸く気付かれて、お昼ご飯食べて行きなさいとなりまして、敷地内のレストランで名物のとんかつご馳走になり、
さあ帰ろうと思ったら再び創業者が現れて、それでは続きやるよ...。言葉にならないくらいの感動の記憶は、20
年経っても全く色褪せず、今再びその哲学に触れる書籍に再会しました。雷に打たれたかのような気持ちであります。

慈恩寺にて

2020年09月19日 | 日記・エッセイ・コラム

時系列でいえば、サイボクさん訪問の前になりますが、坂東33観音12番札所・慈恩寺さんに参詣して
参りました。私かつて埼玉県所沢市に2年ほど住んでいたことがありますが、所沢と新宿を電車で往復して
いただけ...。入り組んだ埼玉の位置関係、いまだに良くわかっていないところがあります...。

それでもナビは非常に便利なもの...。慈恩寺...と入力すると、さいたま市岩槻区...と表示され、銚子から約
3時間ほどで到着しました。創建は824年、開祖は慈覚大師といわれる天台宗の名刹。何でも、三蔵法師
(あの西遊記の)ゆかりの寺として有名なのだそうです。詳しくはお寺のHP等にて。

神奈川県の足柄山、箱根山を越えた東の一帯は昔から坂東と呼ばれ、坂東武者は源平合戦時に各地で戦いが
絶えず...。戦いに終止符を打った源頼朝は観音信仰篤く、敵味方の区別なく弔ったのが坂東33観音巡礼の
始まりと教わりました。確かに第一番・杉本寺は幕府の開かれた鎌倉、発願時とも呼ばれている...。

三十三番目(最後)のお寺は、千葉県館山市の那古寺...。結願時とも呼ばれております...。源頼朝が挙兵に
失敗し、他日を期して落ち延びた場所(館山市)...。縁の深い場所を最初と最後とし、その間の31ケ所、
何か興味深いご縁で繋がっているようです...。ちなみに銚子・円福寺は二十七番札所であります。

(肉の)聖地!

2020年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム

埼玉方面(久喜周辺)で所要有りまして、帰り道に1)坂東33観音・12番札所、慈恩寺と、2)肉の
聖地・サイボクさん(正式名称:埼玉種畜牧場)に行って参りました。慈恩寺は初めての訪問(後日掲載予定)、
サイボクさんはもう何度目か忘れました。そのくらい訪問してましたが、ここ1年ほど行っておらず...。

全国に肉の聖地と呼ばれているところは数あれど、私が思う聖地はここであり、いつ訪問しても必ず新鮮
な驚きに溢れ、元気を貰いに行くどころか、あまりのレベルの高さに意気消沈し、やる気を無くして帰って
くる...。そんなところ。それでもまた行きたくなること...聖地と呼ばれる所以かと思います。

20年ほど前、道の駅、直売所がブームになって、全国各地にそれこそ数え切れないほどのお店が出来ました。
当時、新規開業を予定していたお店の方々の殆どは、ここを訪れたのではないでしょうか。そして現在、その
新たな直売所は何軒残っていることか...。聖地はさらに進化を続けている一方で...。

似て非なるもの....は、出来るのだろうと思います。ただし形は出来ても魂入らずば維持できず...。店内で懐か
しい本を見付けましたので購入して参りました。サイボク創業者著、生活(ライフピア)革命...。やはり聖地
には哲学があり、脈々と受け継がれている...。この話題、またいずれ。

昨年の今頃...。

2020年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム

昨年の今頃のこと、思い返しております...。この後、世界は変わります。その意味を思い知らされ、
それでも、もう少しすればラグビー・ワールドカップ...楽しみだな...。こんな思いで台風のあの嫌な
音を忘れようとしている自分がおりました。

養生テープが買えなかった、土嚢が足りない、もっと早く建物の補修をしておけばよかった...等々、
反省しきり...。今年は十分とは言えないまでも、自らが出来ることはすべて終えた...(つもりです)
覚悟と言う言葉を軽々しく使ってはいけないなと思いながら、今年も...。覚悟(台風)の季節です。

写真の場所は昨年、利根川上流から様々なモノが流れ着いてきた場所...。現在は御覧のような姿で
すが、あの時は一面土色をしておりました。銚子大橋付近は冠水し、床上浸水の被害に遭われた
方々もおりました。銚子は比較的強かったですが、旭、多古など近隣は長期に渡る停電に...。

喉元過ぎれば何とやらであります。覚悟と言いながら、今年台風は来ないだろう(そう思いたい)
自分がおりましたので、本日は自戒の念を込めて、敢えて思い出すようなことを書き連ねました。
来ないと思って来るより。来ると思って準備して来ないことを願う。自らの性格的な問題なんですが。



ロバの話②

2020年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム

敢えて写真を重複させます...。ロバの話...、その記事を読み終え、車で出掛けたら、またしても
銚子電鉄の踏切に捕まって...。本数がだいぶ少なくなっているのに、最近踏切で捕まる機会が多い...。
何か意味があるのか?...。ただそれだけのことでありますが...。

さて昨日のロバのお話、知人に結末を聞いたところ、この夫婦はあまりにも他者から意見を言われ
るので、ロバと一緒にいる意味、使い方が分からなくなり、夫婦で(ロバを)担いで橋を渡ったら、
ロバが暴れて、川に落ちて、死んでしまった...。何とも悲しい結末で...。

イソップ物語など寓話の数々...、これは大人こそ、しかも今こそ戒めとすべき教訓に満ち溢れており
ます。他者の意見に振り回され、最終的に自らの存在意義まで見失ってしまう。冗談抜きでこんな
状況、周囲を見渡せばいくらでもあるし、私自身も振り返ればそんな状況に陥ったことも...。

人の口に戸板は立てられず...と申します。その言葉は傷ついた人間にとっては刃物よりも鋭利な凶器
になり得ますが、止められない以上、自分なりの方法で防御する他ない訳であります...。また知らず
知らず自らが加害者になっている場合も...。このこと肝に銘じ...。ロバのお話でありました。