銚子・角巳之・三代目

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良いお年を!

2009年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム

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004 これが本年最後の更新になるかと思います。いつもお付き合い頂いている皆様方、有難うございました。心より御礼申し上げます。最後の写真を何にするか?と思いましたが、やっぱりこれでしょ....。と言うことで銚子のうまいもの沢山....。左から赤ムツ(日本海でノドグロと呼ばれているやつです)、隣が真鯛のポアレ・アーモンドソース、これは某お寿司屋さんで。その隣がアオザメの“煮こごり” これはいつも大変お世話にいなっている知人のお手製。忙しい年末に、仕事の傍らわざわざ作ってくれました。煮こごり....。東京・築地、深川あたりでは年末に欠かせないものでしょう。そして最後が毛ガニ....。上だけチョっと乗っているだけなのか?と思いましたら、取っても、取っても、取ってもカニ・カニ・カニ....。しかも一番下には大量のミソが....。すべて銚子港水揚げ、毛ガニもそうです。毛ガニに限らず、銚子では紅ズワイ、タラバ、タカアシ、キンチャク、ワタリ.....何でも来い....であります。年末にイナダの大豊漁があって、さらにカマス、サバ、セグロイワシ.....。さらにバチマグロにメカジキ.....。さて、来年もこれら地域の恵みを、心許せる仲間と食べながら、混迷の時代にそれぞれの一灯を掲げよう...と。今年は自らの境遇に劇的な変化が訪れた年....。不思議なことに、周囲を見渡すと、新しい仲間だけでなく、すっかりご無沙汰してしまい10数年と言う仲間も多数見える....。むろん去っていった方々も多いのですが、天に意思があるのか?と思わざるを得ない経験を多数して参りました。集まり散じて人は変われど、仰ぐは同じ理想の光.....。某大学・校歌の一節でありますが、まさに、集まり散じ、出会いと別れを繰り返しても、人は収まるところに収まるものなのかもしれません。まあ不惑を越えて、いまだ迷いの多い修行不足の私でありますが、来年もどうぞ宜しくお願い致します。みなさん良いお年をお迎え下さい。有難うございました。


小ダルマ....。

2009年12月28日 | インポート

006 002_2 銚子に戻ってから早くも5回目の年末....。故あって年末は近海の生マグロを数本セリで購入させて頂いております。対象はバチマグロと言われる赤身がモッチリとしたあのヤツ(詳細はバックナンバー銚子の魚参照)まあバチと言っても、私が対象としているのは、バチの子供。銚子で“小ダルマ”と言われているヤツで、重量はせいぜい15㎏くらいのもの。マグロの目利きなど全く分からない私でありますが、例年、浜の大先輩方に手取り足取り指導を受け、今年は4回目の入札で対象商品をゲット。所要時間は3時間以上掛かったでしょうか....。だいたい例年これくらいの回数と時間であります。どうしても競り落したいけれど、あまりに高額では採算が合わない。マグロ専門の方々にとって、普段来ないような私など、迷惑以外の何ものでもないでしょうが、それでもいろいろ教えを。マグロの入札5年目にして、漸く隙間の一端に居場所を得たような気分です。それにしても寒い・寒い・寒い....。入札してから開札までとにかく待つ・待つ。待つ....。1回目ダメでした....、2回目ダメでした....。3回目....だんだん焦ってきて、4回目.....。とにかく金魚の何とかのように大先輩の後にくっ付いて....。この銚子第一漁港は北側に面していて、猛烈な北風が遮るものなく容赦なく襲い掛かって参ります。とにかく寒いので、訳もなく市場内を歩き回っておりました....。冬でも半袖で作業している私....。お前は季節感がない。とよく言われているのですが、早朝の第一漁港の寒さはいつもの第三漁港(北側は塞がれ東側に面しています)比べ格別の寒さでありました。私など年に数回。しかも数時間程度のことでありますが、専門の方々は早朝から年末などはそれこそ入札終了の夕方まで....。それでも、これらを獲ってきた漁師さん(別名:特攻隊)に比べればね...と言われれば一同言葉がありませんでした。年末・年始のマグロはそれらに関わった方々へ思いを馳せ、心して食え.....、と。言うことであります。食べ物すべて、年末に限ったことではありませんが....。


ホメ殺し!

2009年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム

005 子供は天使だ....。だって思った事をズバズバ言う。でも利用してやろうとか、だましてやろうなんて全く考えていない。悪気もない。ただ見たり、聞いたり、感じたりしたことを、思った通りに....。最近良く“顔”に出る。という言葉を聞きます。あの人は顔つきが....。整っているとか、美人だとか、そういうのでは全くなく、いい顔してる....。顔に影がさしている.....。という表現で。目つき、顔つき....、そこに人間が出るのだそうです。まだまだ修行が足りない私には良く理解できないところも多いですが、ああなるほど~と思うところも多々....。ところで、先月上京の折、関西出身の先輩から面白い(恐ろしい)話を....。その先輩のおじさんは滋賀の出身、いわゆる近江商人の末裔なんだそうですが、商品の値切り方について....。曰く、商品値切るのに何でその商品けなすんやろ....と。一般的に商品値切るには、ここにキズがありますよ、ちょっとシミが....。関東人の私は、確かに不具合があるんだから値引き対象となってもしょうがないな~と思ってしまいますが、その方は値切りに際して商品に難くせつけるようなことは一切せず、とにかくホメて、ほめて、褒めまくる...のだそうです。売る側にとって大事な商品にあれこれと難くせ付けられて、あげく まけろ!...となった場合...。へそ曲げる人も多いことでしょう。それに対して“ホメ殺し”.....。光景が目に浮かぶようですが、おだてに弱い私は、そうですか、そうでしょう....となって、気前良く値引きに応じてしまうだろうと....。しかも関西の方々のあの話術....。決して関西の方々をバカにしているのではありませんので.....。むしろ尊敬の念をこめて。ただちょっと飛躍があるかもしれませんが、私の頭の中で、冒頭の天使、悪魔....が交錯しております。悪魔は天使の顔をしてホメ殺す....。で、人を操る...。人間の顔つき、目つきに気いつけや~。先輩からきつく忠告を受けた...という次第であります。親しい仲間の良かれと思っての一言にへそを曲げ、その仲間の元を去り、まだ出会って日の浅い、ニコニコして、それでいて耳障りの良い言葉を連発する方々の世界に飛び込んで行ったかつての仲間....。居心地が良いのは最初だけ、時間の経過と共に、騙されたと気付く....。そこで意地を張るだけ堕ちて行く...。戻りたいのに戻れない....。山月記にも大いに通じるところがあります。ホメ殺しには気いつけや~。と言うことでありました。


クリティカル・マス

2009年12月25日 | インポート

004 本日クリスマス....ではなくて、本日のお題は“クリティカル・マス”....。すでにオヤジギャグの領域でありましょうか...。さてこの“クリティカル・マス”....。本年は境遇の劇的変化の年でありましたが、こういう年の特徴なのでしょうか、本当に沢山の方々との出会い、再会、交流がありました。ブログのバックナンバーをパラパラ見ていると、今年の後半はマーケティングに関わる題材が多かったように思います。それだけ、それら分野の方々との交流が多かったと言うことでしょう。クリティカル・マスとは物理学用語で爆発前の臨界点などと訳されることがありますが、マーケティングの世界においてこの言葉を使った場合、商品やサービスが顧客に認知され、爆発的に売れ始めることを指すと認識しております。マーケの古典的考え方の中で、新しい商品を最初に採用する方々を、イノベーター(革新的採用者)と呼びます。これは全市場の中でほんの数%....。携帯電話を例にとると、1980年代後半、肩掛けのあの大きなやつを持っていた方々がそれでしょう。次にアーリー・アダプター(初期採用者)と呼ばれる方々が....。ちょっと小型になって、乾電池でも使えるようなあれを持っていた方々でしょう。これは全市場の10数%....。イノベーターから、アーリー・アダプターの登場によって商品の認知度は劇的に増え、アーリー・アダプターの登場によってクリティカル・マスを迎える....。要するに爆発的に売れ始める訳であります。で、これらを迎える契機は多くの場合“口コミ”....。裏を返せばこの領域を迎えるまで、派手な宣伝をせず、一つ一つの出会いを丁寧に、そして大切に。という本当に地道なことの繰り返し....。まあ商品の質・サービスが時代に合っているという前提が付くのでしょうが。そしてアーリー・マジョリティー(初期多数採用者)が市場に入ってくるとその商品は世間で認知を受けるに至り、二つ折り携帯の登場あたりでしょうか....。商品購入に慎重なレイト・マジョリティー(後期多数採用者)が普通に採用するようになると市場はほぼ飽和状態に。カメラ付き携帯が出始めた頃でしょうか...。この頃は専門店だけでなく、1坪ショップのような激安店の登場も特徴...。参入障壁は低くなりますが市場は飽和状態。やみくもな激安が市場に混乱を与えます....。そして最後にラガード(採用遅滞者)...。最も保守的な購買層をどう取り込むか?となります。この期に及んで価格は顧客獲得の最善方法たりえず、すでにうまみがない....と言うことで、ただの流行で参入した方々は退場となる訳ですが、その道のプロは“らくらくフォン”などを開発し、携帯なんか....と言っていた保守的な高齢者層を取り込んで行った訳であります。この簡約20年....。これから先はコンテンツ・中身の勝負などと言われますが、携帯電話のような社会生活を劇的に変えた商品の歴史を振り返ることは、自らが今いるところ、仕事ばかりではなく、何事にも通じるところが多々あるように思っております。


今年もあと....。

2009年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム

010 気が付けばブログの更新をまた長期間サボっておりました....。ネタは沢山あっても書こうとすると睡魔が....。という言い訳は、私のブログがあくまで私的なもの、感情の赴くまま....。にも関わらず沢山の方々にお付き合いいただき、本当に有難いと思っておりますが、新聞・出版の最前線で働いている知人からは時々、嫌味な指摘を多々受けている訳であります。私的だろうが何だろうが、読んでいただける方々がいる限り、そんな言い訳、姿勢ではいけませんよ.....と。確かにそうだと思っております。つい先日、携帯パソコン購入しました。契約すると本体は105円です。というやつです。これがなかなかの優れもの、これからは出張先、旅先その他からもブログ更新していこうと思っておりますので引き続き宜しくお願いします。2009年もあとわずか。ブログは4年間続いていることになります。そろそろ1200回を迎えます。最初の1000回は毎日でした。1000日終わって、読者の方々から温かい言葉を頂いて、それに甘えて更新したり、しなかったり。人間は弱いものです。上述の知人のように、それを生業としているプロにとってはそうは行かない話....。新聞・雑誌。出版等への分野に対する参入障壁が低くなり、誰でも容易に出版物が出せるようになったは良いものの、類似の刊行物が後から後から出てくる。まさに玉石混合....。まあこれも通る道であって、本当に存在意義のあるモノ・人しか残らない...のだそうです。何事も一緒かと思います。本文とは全く関係ありませんが、銚子第一漁港前、いつものガソリンスタンドで給油していたら、水産庁の監視船・貴丸(たかまる)を発見しました。いつ見ても格好いい船であります。クリスマスにも関わらず銚子港ではいまだサンマの水揚げがありましたし、ブリの子供・イナダが季節はずれ?の大豊漁、サバも小型ながら5000㌧を越える水揚げでありました。あと数日で漁港も休みに入り、2009年もあとわずか。今年は本当に激動期でありました。


暁の鐘

2009年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム

008 009 暁の鐘(あけのかね=“あかつき”のかね)....。“暁(あかつき)”....。漆黒の闇を切り裂いて、夜明けを告げる鐘の音....。転じて、閉塞感を打ち破り、新しい時代の到来を告げる....。再度、“山月記”を読みながら上京しました。地域内の高校生から私も山月記読みましたよ...と。何でこんなに高校生がこの本に惹かれるんだろうと思っておりました。山月記に流れる“臆病なる自尊心”......これいかに?...と。暗闇で頼りになるのは友の足音である...とコメント頂きましたが、上手く言えませんが、この辺りがヒントになるかと....。母校23階、リバティータワーに掲げられる“暁の鐘”は、解体前の歴史的建造物、あの記念館最上部に掲げられたものを移築したと聞きました(ちなみに我々が過ごした体育館は、この記念館4階に、部室は地下1階、通称モグラ横丁にありました...)。天使が協力しながら暁の鐘を鳴らし、漆黒の闇から旭日天昇(あさひが昇る).....。ある方から、子供は天使だって言うでしょ..。何故ですか?と聞くと、だって、思った事をズバズバ言う。嫌いとか、不味いとか...、でも全く腹にない...。これ言うと嫌われるかな?とか、利用してやろう....とか。全く考えていない...。ニコニコ笑いながら、とにかく思った事をズバズバ....と。それは真理なんですよ....。でも、だんだん、打算とか、ずるさが備わって、本当のことを言わなくなる。なるほど悪魔は天使の顔して近づいて来るからね~。と返すと、それは世俗の垢にまみれてる証拠ね~....。余談はさておき、暁の鐘は母校・建学の精神、権利自由・独立自治に繋がると恩師に教えられて参りましたが、象徴たる暁の鐘を改めて見ながら、天使、協力、漆黒の闇を切り裂く、旭日が登る.....というキーワード。教育かくあるべし、限られた時間の中で、切磋琢磨できる友を得て、共に時代の魁(さきがけ)たらん....と。生意気なことを書きながら、暁の鐘に再会する前に、山月記に惹かれた自分は何だったのだろうと、来し方、行く末を思いながら....。


リバティー・タワーにて

2009年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム

002 004 先週の土曜日、久しぶりに母校リバティー・タワー23階、紫紺ホールにて....。記念式典&現役諸氏の祝賀会...。卒業してからもうすぐ20年になりなんとする私ですが、自らが現役時代に同時代を過ごした方々、全国各地から結集していた訳ですが、みなそれぞれの地域、組織において中堅といわれる世代....。お前も変わらないね~、先輩も相変わらず~....と言いながら、私など東京から離れた上京組にとっては、たんなるOB会ではなく、結局仕事の話も多くなって参ります。それぞれの頑張りに触発され、また頑張ろうと....。当日は70代から10代まで、それこそ全国各地から。世代を越え、地域を越え、みなそれぞれが懸命に過ごした時代を語りながら、故に、だから今....。という気概。会場の雰囲気が、刺すようなサウナの熱気ではなく、体の芯から暖められるような岩盤浴の熱伝導のように(訳のわからない表現ですいません...ただそう感じましたので....).....。右も左も分からずに上京し、それはただ田舎町から脱出したいと言う一心であったと記憶しておりますが、何か成したい...という曖昧で、しかも確たる根拠もないのに自信だけは持っていたような....。が、しかし、そんな自信はすぐに消え、これまた右往左往しているところを某先輩に捕まり...。腰と膝に爆弾抱え、それが故に2年間を無駄に過ごし、随分と仲間に迷惑を掛けました....。逃げ出す理由はいくらでもあったはずですが、何故か4年間やりきって....。何でもそうだけれど、4年間やりきった者にしか分からないことがある....。いつも先輩方に言われ続けておりました。で、今。ああ4年間やりきって良かったな~と。しかもあのクラブで、あの仲間達、先輩、後輩と一緒に....。10代、20代の現役諸氏は当然の事ながら初対面であった訳ですが、全く違和感がない....。現役諸氏からすれば、誰だあのおっさん....と思われていたでしょうが....。白雲なびく駿河台・眉秀たる若人が・撞くや時代の暁の鐘.....。世代を越えて歌う校歌は矜持(きょうじ)....であります。


山月記③

2009年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム

006 臆病な自尊心....。切磋琢磨....。今週末は母校のOB総会に出席しますが、その校歌の一節に、刻苦研鑽(こっくけんさん)・他念なし.....とありますが....。習い事の基本に守・破・離なんて事が言われます。まず師匠についてそれを忠実に、それが出来てから少しずつ自分なりの改良を加え、最終的に独立....。新卒であれ、中途であれ、その組織や地域に入っていこうとすれば、自尊心が高ければ高いほど従前のやり方に疑問を覚えるものです。ではその従前のやり方が全くダメなのか?というと必ずしもそうではなく、それは長い時間を掛けてその業界や地域で形成された一つの方法。時代の変遷とともにそのやり方が変わっているのに、従来からいた社員にはその方法が分からない。よって業界内外からその最新知識を持っている(であろう)方に入社を乞い、改革に期待する....。が、多くの場合、すぐに衝突してダメになる...。来てくれと乞われたから行ってやったのに、従前のやり方を改めず、俺にその時代遅れの方法を強要しやがって...。これじゃ俺の専門知識が生かせない....。辞めた辞めた....。良く聞く話です。従前の方法には時代遅れの部分があるにせよ、理にかなったことも多い。時代遅れとひとくくりにしてしまっているその中に、実はその組織や地域の“魂”が宿っている場合が多い。何よりも、本当に自尊心のあるプロならば、従前の方法を完璧にこなしてみて(守)、組織の調和を考えながらすこしずつ変更し(破)、気が付いたら組織や地域に新風を吹かしていた(離)....。こういうのが理想だわな~。とは、知人の弁....。何故現在、同時代の海外に学ぶより、日本の歴史に学ぼうなのか?この議論に通じるところが大いにあります。何で中学や高校で歴史や古典を学ぶのか?試験に出るから?いえいえ....。続きは次回に。私は本日からお江戸におります。仕事の傍ら、土曜日は母校のOB総会。各地から刻苦研鑽・他念なし...のつわものが集まってくるようです....。自らの臆病な自尊心を捨て去って、新たな気持ちで参加して参ります。


山月記②

2009年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム

008 変わり果てた姿(虎)になってしまったかつての親友は話し始める。何故自分はこんな惨めな姿になってしまったのか?...と。自分は詩で名を成そうと思っていた。自分には才能がある。若くして難関試験も突破した。詩で名を成すことくらい...と思っていた。では何故、自ら進んで師に教えを請うたり、沢山の友人と交わって切磋琢磨してこなかったのか? すべて自らの“臆病な自尊心”のせいだ....。自らの才能に自尊心を持っていたが、それは臆病な自尊心であり、自らの才能を否定されるのが怖くて、逃げていた。自分が持ち得たのは“尊大な羞恥心”でしかなく、それが為に自らを損ない、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、このような醜い姿に成り果ててしまった....。彼は友人に別れを告げると再び山に帰っていった。数回の咆哮(ほうこう:泣き叫ぶ)の後、姿を消し、その後、二度と彼の姿を見ることはなかった.....と、こんなお話。自らに自尊心を持つことは悪いことではない、どころか大切なこと。なれど....。様々な業種において、その参入障壁が低くなっている昨今、安易に俺でも、俺なら....となるのかもしれません。それは一方向からのみ見れば好ましいことでもあります。動きが出てくる訳ですから。特に閉塞感の強い昨今においては....。ただその自尊心を育む過程において....。何故この文章が、高校の教科書に好まれているのか?ちょっとその一端、分かるような気がしております。続きは次回に。


山月記①

2009年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム

013 先日、ある高校(2年)生と話していたら、現代文の授業で中島敦さんの“山月記”を読んで深く考えさせられた~と。学校の先生に聞くと、この山月記は高校現代文の中で取り上げられる頻度が非常に高い文章なのだそうです。ちょっとお借りして読んでみました....、確かに深い...。かなり深い....。で、その日の深夜、何気なくTV付けたら、教育テレビで高校講座が放映されており、何とその題材が“山月記”....。こういう時は何かある...と考えてしまう私でありまして...。山月記に流れているテーマは“臆病な自尊心”と“尊大な羞恥心”...あらすじは確かこうであります....。時代は約1300年前の中国。若くして中央官庁の役人となった俊才である主人公。自分より無能な上司の指示に従うことが耐えられない。俺は何でこんな無能なヤツの指示に従わねばならないのだ....。俺には才能がある、こんな仕事さっさと辞めて、田舎に帰って詩を書きながら暮らしていける...と妻子を連れて故郷に隠棲....。が現実はそう甘くなく、蓄えも底をつき、生活の為に地方の役人として働き始める...。が、やはり俺には才能があるのに、何でこんな....。すべてに耐えかねて主人公は忽然と姿を消す...。数年後、主人公の親友が山の中で虎に遭遇する。それはかつての親友(主人公)の変わり果てた姿であった...。続きは次回に。写真はお江戸からの帰途、茨城のあの大仏様であります。最近出来た話題のアウトレットモール付近から。


アグリビジネス創造フェア③

2009年12月06日 | 日記・エッセイ・コラム

009 014 農業に対する参入障壁が低くなる....。これまた日本を代表する化学メーカーさんなども次々と農業への参入を表明。写真右のような水耕栽培やLED照射による新技術によって世界の食糧問題を解決する....。日本は少子高齢化などと言われておりますが、世界的に見れば人口爆発の様相...。FAOの発表によると、今後世界では深刻な水・食料不足が懸念され、食料に関しては悲劇的な数字が並んでいる...。よって世界最先端の技術を持つ、日本の化学メーカーさんの技術に期待...。確かに一理ある....。一つの産業が時代の要請として勃興し、やがて一つの役割を終えて次の局面に移っていく...。最近TVドラマでも昭和30~40年代の商社を舞台にしたドラマやってますが、その時代、それまでの中心であった繊維産業から重化学工業への移行について、それこそ尋常ならざる時代の熱情も含めて描かれている....。建設、重化学と言った産業の農業参入が相次いでおります。間違いなく今までの日本を牽引していた産業群....。これら産業群の農業参入は自らが立つ位置によって見解が大きく異なるようです。“世界の”食糧問題を解決する、あるいは深刻化する日本の後継者問題に活路...という主張がある一方で、農業“でも”やるか?と言うことで、資本力あるメーカーさんが無秩序に農産物供給を始めるのではないか?....。さてどうなんでしょうか? 首都圏でのサラリーマン生活を終え、定年後は夢であった農業に...。という方々、かなり増えているように思います。しかしながら一方で、農業“でも”やるか...、という安易な気持ちで農業に参入し、わずか数年で退職金を使い果たしてしまい....。こういう話、地域で最近良く耳にします。いずれにしても、農業、農業にかぎらないかもしれませんが、新分野への参入は事業の採算云々もさることながら、やはり高邁な“志”....。青臭い書生論と笑われようと何だろうと、“志” 参入に対してはこれまたやはり、動機善なりや? 私心なかりしか?.....と。


アグリビジネス創造フェア②

2009年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

002 004 日本を代表する大手量販店さんの農業参入....。数こそ力....は一方において否定できない事実。しかしながら光、殊に強い光の反対側に出来る濃い影はないものなんでしょうか?農業における諸問題はすべからく、規模の拡大によって解決できる....とされていた従来の考え方が、いやちょっと待てよ....となっている昨今であります。農業はただ食料を作る産業ではない。いわゆる農業の多面的機能に関心の輪が広がっているのは歓迎すべきことであります。が、振り子の揺れが非常に大きい昨今、そのバランスをいかに取って行くか?非常に大きな課題か...と。GAPに関する主張もかなり増えて参りました。GAP....適正農業規範などと訳されておりますが.....。農業の分野にも横文字が氾濫し、地域の農法などを諸先輩方に正確な“日本語”で聞くと、何だそんな事か?そんなの地域の農業者なら伝統的に知っていることですよ....となる訳であります。それを無機質な横文字で並べ立てると、何故か地域の農業が遠いものに聞こえてしまうのは私だけでしょうか? パラダイムシフトを迎えている昨今、同時代の海外に学ぶより、もう一度、日本の歴史に学ぼう...と。これ間違いなく時代の趨勢になっているように思います。農業への参入障壁が低くなっております。様々な分野の方々が参入することによって何らかのプラスもあるのかもしれませんが、農産物がこれ以上の破滅競争に巻き込まれないことを切に願っております.....。


アグリビジネス創造フェア①

2009年12月03日 | 日記・エッセイ・コラム

001 017 先週末、お江戸に向かう道すがら....、知人が幕張メッセにいると言うことで、通り道だし寄れば?....となって、立ち寄ってみました。アグリビジネス創造フェア....。かなり大きな展示会で、半分が産官学連携、半分が化学メーカーさん等による新技術。大手量販店さんもアグリ(農)ビジネスへ続々と参入を表明しており、ああ、なるほど~と。いくつか思うことがあります。続きは次回に。


一燈を掲げ...。

2009年12月02日 | 日記・エッセイ・コラム

023 “一燈を掲げ暗夜を行く・暗夜を憂うことなかれ・ただ一燈を頼め”.....。雑誌の特集で西郷さん(西郷隆盛)の座右であったという冒頭の言葉....、何故か心にズシン...と響きまして....。たまたま犬吠埼のホテルで会合があり、家路に着く道中、深夜にも関わらず君ヶ浜付近から沖合いを眺めると異常な明かるさ....。雷でもないし、何だろう....と思っておりましたら、これどうもサンマ船の漁火(いさりび)....。正確にはサンマの集魚ライト...でしょうか。相変わらず写真の腕が上がらず、あの臨場感をお伝えできないのが残念であります。爆弾か何かが炸裂したような明るさ....でありました。船の方々に聞くと、ちょうどその時は、犬吠埼沖付近にサンマの群れが形成されており、数十隻単位で操業していたのだそうです。で、ふと冒頭の言葉を思い出した...という次第でありまして....。“一燈”とは自分の信念とか想いなどを指し、“暗闇”は先の見えない昨今のような世相とするならば、曰く、世相に振り回されず、自らの信じる道を行きなさい....と。いたずらに暗夜を憂うことなく、とにかく自分が出来る一燈を掲げよう.....。その一燈を掲げて暗夜を行く....、幕末の志士達の息遣いが聞こえてきそうであります。