銚子・角巳之・三代目

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良いお年を!

2023年12月31日 | ブログ

今年もあと6時間余り...。これをもって2023年(令和5年)の最終投稿と致します。日頃
お付き合い頂いている方々(知人、友人だけでなく、まだお目に掛ったことが無い方も含めて)
有難うございました。来年も懲りずに毎日更新して参りますので、引き続き宜しくお願い致します。

今朝の銚子は雨でした。大晦日に雨が降る...、ここ数年の記憶には無く、雨のち快晴になって、
夕方からずっと曇り...。これ則ち“無常”ということを表しているのかと勝手に解釈しております。
そりゃ雨も降るでしょうが、”ここ数年”とか、”例年”とか...、そういう尺度に縛られがちで...。

同じ風景も、春夏秋冬、晴れ、雨、曇りで捉え方が変わってくるようです。またそれを見る人の
心の持ちようによっても、各人各様に見えるものであります。来年の干支は辰。十二支中で唯一
の空想上の存在であり、この年は物事が非常に早いスピードで進んでいくのだそうです...。

誰も見たことがないのに、龍という存在は太古の昔から信じられていて、それは恐らく人間の
心の姿...。来年の今頃、2024年(令和6年)どんな龍に逢ったのか?振り返るのを楽しみに...。
それでは皆さん、良いお年をお迎え下さい(本年最後の写真は・銚子円福寺五重塔です)。

2023年...③

2023年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム

世界的にも、国内を見ても旧来から続く様々な制度に“疲労感”が漂っております。前例を踏襲
しさえすればよい...これが通用しなくなっていることは多くの方がが感じておられるでしょう。
“挑戦”と言う言葉も良く聞こえて参ります(心の底からそう思っているかどうかは別にして)

Because its there(意訳すれば、そこにあるからだ)には続きがあって、これまた解釈様々
なのですが、エベレストという世界最高峰の山(しかもまだ誰も登ったことが無い)それに
挑戦しようとするのは人間が持つ本能である...と。制度疲労感が漂う昨今、身に染みます...。

先日、厚労省(国立社会保障・人口問題研究所)が千葉県の2050年人口推計を発表しました。
同年、千葉県全体では59万人減少。私の住んでいる銚子市は現在の5万8,000人から
2万8,000人と半減予想。Because its there ...人口半減時代に向かう時代の挑戦とは如何に!

挑戦する...には、心地良い現状からの脱却、恐怖を振り払う等の意が含まれているようです。
そして伝説的な登山家のお言葉を借りれば、本能を呼び覚ませ...とでも。さて明日は大晦日。
空には一朶(いちだ)の雲...。何故か来年の干支、龍神様が通り過ぎたような気がしました...。

2023年...②

2023年12月29日 | 日記・エッセイ・コラム

何故山に登るのですか?という問いに対し、そこに山があるからだ...という名言があります。
英国の高名な登山家の言葉として知られていますが、専門家に言わせると彼は何故エベレスト
に登ろうとするのですか?と言う問いに、Because its thereと答えたに過ぎないのだと...。

ここでいうitsは、エベレストのことを指しており、山の総称ではなくいわんや哲学、人生訓
でもなく、ただそこにエベレストがあって登りたいと思った...。こういう解釈になるらしい。
ご本人の意図がどこにあり、後年の脚色も多分にあったろうと思いながらあえて...。

Because its there...。この言葉に出会い、2023年を少々振り返ってみようと思う自らの
心境が非常に近いことを感じております。20代、30代の頃の荒唐無稽な夢(少々失礼な
表現かもしれませんが)ではなく、こんなもんですよ.....などでもなく心の底から湧き出る何か。

それは一定の経験を積み、何よりも生きていることが条件。冒頭の登山家は登頂前に滑落して
死亡(近年、そのご遺体が発見されたとニュースになってました)。生きていて、これがやりたい
と思える何かがあって、それに没頭できる自分がいること。これを幸せと言うのかもしれません。



2023年...①

2023年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム

さて今年も(本日を含めて)あと4日...。今年も様々なことがありました。先ず以て言える
のは、全ての経験は生きていればこそ...。今年もたくさんの知人、友人が亡くなりました。
心より冥福を...と思いますと同時に、“生かされて”いるということを胆に銘じて参ります。

先日も掲載しましたが、生かされている...と聞くと、20代~30代の頃は何か胡散臭さを
感じていたこと事実です。精神的に未熟であったこと、また肉体的に大きな病気等には無縁
であったがことなどがその理由かと思います。ただしこのことすら奇跡に近い...。

若い時から病気に悩まされ、あるいは不慮の事故で亡くなった友人はいたし、自分自身も
何かのキッカケで病気や事故に巻き込まれた可能性はある訳です。今日、あそこが痛い、
この数値が高い、仕事上手くいかない、人間関係が....の悩みは生きているから...であります。

自らの辛い境遇に他者から、命を獲られる訳でナシ...なんて励ましを受けたことがあります
が、この言葉にも少々違和感を感じてました。最近、自らが精神的に成長した訳では決して
ありませんが、この言葉もスーッと入って参ります。少し2023年を振り返ります...。

川崎大師にて

2023年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム

創業以来(14年間)...、年末から年始に掛けて熊手は成田山、ダルマは川崎大師と決めて
おります。特に理由なかったのですが、創業時に成田山・川崎大師に詣で、その場でピン!
ときたお店(参道)で小さなものを購入したのがキッカケ...。以来、毎年ちょっと大きくして...。

気が付くと毎年同じお店で、前年より“ちょっと”大きなサイズにして...。この“ちょっと”大きく
というところがポイントではないかと思っております。創業時、知人水産会社に大きな金色の
ダルマがありまして、あやかりたいと(同じ大きさ)思いましたが、お店の方から最初は小さく...と。

拳(こぶし)くらいの小さなダルマから始まって、現在は結構どっしりと...。それを眺めながら
来し方、行く末を...(完全に自己満足の世界ですが)一気に大きくは、一気に倒れるだろうし
どんな状況でも、前年より“ちょっと”良くなって、それを継続していくようにと願いを込めて。

かつて、大木は一撃で倒れない。と言う格言を教わりました。見掛け倒しではなく一年ごとに
年輪を刻め!ということでした。成田、川崎ともに真言宗の寺院。川崎のお不動様は成田から
来たそうです。お寺にある格言は今年の反省、来年の抱負に。今年もあと僅かです...。

東郷神社にて②

2023年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム

Z旗を上げる...ということそのものが、命運を分ける決戦に臨む...と同意になっているようです。
もちろん船舶の国際信号旗としての役割あり、投網中などの行為を示す旗信号であるらしいの
ですが、前者(命運分ける決戦に臨む)が陸の上ではもはや慣用句のように用いられています。

この戦いに敗れるようなことがあれば国が亡ぶ。そんな状況下で掲げられるZ旗...、私個人が
いくら辛い、厳しい選択を迫られたとしても、それが失敗し命まで取られることはほぼない...。
現代風に言えば、そのくらいの覚悟を持って事に当たれ!ということだと理解しております。

維新の頃、何かの会議で守旧派の抵抗に遭い、万策尽きて困ってしまった大久保利通は西郷さん
に使いを出してアドバイスを求める。西郷さん曰く一蔵どん(大久保の幼名)に伝えてたもんせ、
おはんの刀は切れもすか?...と。命懸けで事に当たれ!...理解した大久保は会議をまとめる。

昨今、西郷隆盛の大器量ばかりでなく、大久保の政治能力をもっと高く評価すべしと言う声が
大きいのですが本日は省略。そう言えば東郷平八郎も薩摩。しかも西郷さん達と同じ地域の出身
だったと記憶しております。師走にZ旗を見ました。すでに来年は激動の予感がしております...。

東郷神社にて①

2023年12月25日 | 日記・エッセイ・コラム

今年もあと一週間になりました...。本日25日、クリスマスでありますが心なしか静かな...と
言うより、現実の厳しさから浮かれた気分になど到底なれない...そんな世相も感じます。過日
所要有りまして表参道付近へ...。用事を済ませちょっと空を見上げたらそこに....Z旗が。

ここは表参道、そこにZ旗がはためいているとすれば、そこは...東郷神社。これも何かのご縁
参拝して行かねばと思い境内へ...。Z旗とは船舶の国際信号旗に定められたアルファベット
最後の文字。ここから転じ、もはや後がない負けられない戦いを前に乗組員を鼓舞する旗として。

古くはトラファルガーの戦いにて、英国は各員がその義務を果たすことを期待している...。
そして日本海海戦、“皇国の興廃この一戦にあり”“各員一層奮励努力せよ”...。Z旗が上がるという
ことはそんなギリギリのところまで追いつめられてなお、更に励め...ということかと。

表現が妥当であるか否か分かりませんが昨今の世相。既存事業が行き詰まり、どうしようかと
思案している。ただしまだ目の前に差し迫った危機ではなく、具体的な行動が出来ない、でも
大波が来ることは容易に想像できる...。Z旗を見ました...。(続きは次回に)

農家レストラン

2023年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、古民家カフェ。本日、農家レストラン...。さて、都内でレストランなど飲食の世界で
成功を収めた方々...、次はどこに?と聞き、海外展開という答えが返ってくると思いきや、
多くの方が“素材の近くに”...と。私の知人達で年齢層が少々高いことも要因かと思いますが。

都会はチャンスに溢れているけれどライバルも多い。ライバルとの競争もまた料理の腕を
向上させる要因らしいのですが、最終的に行き着くところ素材の良し悪しだそうです。
最後は素材の近くで、獲れたての魚、収穫したばかりの野菜、果物を使って料理してみたい...。

知人に誘われ、農家レストラン(銚子市内です)に行ってきました。先日セルリーを掲載
しましたが、私をセルリー好きにした農家さんが経営してました。なるほど他の野菜もみな
美味しい...。オーナーさんは農業の傍ら、このお店を運営されているそうです。

野菜ソムリエの資格を有し、力のある野菜(有機等々)、素材の力を引き出し化学調味料等
を殆ど使わない料理...。まさにこういう食べ物を食べていれば間違いないな~と思しき逸品
でありました。食後の豆腐のティラミスも絶品で...。素材の近く、なるほど贅沢...と。

徒花(あだはな)ということ

2023年12月23日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、徒花(あだはな)...と。一般的な解釈は、咲いても実を付けないとか、季節外れに咲く
とか、儚る散る...などから転じて、見掛け倒し、徒労、水疱、虚栄...あまり宜しくないイメージ
の言葉でありますが、元来のへそ曲がり(私)は、災い転じて福と為す応援の言葉と感じます。

見掛け倒しで中身が伴わない。うわべだけ飾り虚勢を張っているだけ...。時代は刻々と変化して
いる。一時の栄華にうつつを抜かすと、やがて時代の徒花になるぞ...。すべて反語にして、悪い
例を出しながら何らかの戒めにしなさいというメッセージが背後に隠されているようです。

そもそも、徒花であっても花は花。土壌を整え、タネを蒔き、見守り育てねば花は咲かないもの。
それが徒花で終わるということは、どこかで間違いがあったのだろう...。時代背景やタイミング
様々な問題もあったことでしょう...。この分析はコンサル?の領域...でしょうか?

季節を違えて咲くことを“狂い咲き”などと申します。昨年、私の事務所にあるシクラメンが盛夏
に咲きました...。おかしいと言っても現実、咲いている...。水戸の黄門様の辞世、花は散りそろ、
人は死にそろ、この世は夢よ、ただ狂え...。本日、徒花ということ少し考えております...。

からあげ、コンサル...③

2023年12月22日 | 日記・エッセイ・コラム

混乱させて去る...とは言い得て妙であります。これを私なりに意訳すれば、既存事業が行き
詰まり、内部からは打開策・アイデアの一つも出て来ず、社員(職員)に危機感も無い...。
内部情報は秘匿、既得権者が公私混同まがいを始め、現場は意見が言えず退職者が増える。

以上のこと、先日(これは私が本物と敬服しているプロのコンサル)と雑談していた時に
出てきた崩壊する組織の前兆現象...。すでに内部改革は不可能で、外部からその組織を
大混乱に陥れるような荒療治を行う他無く...。然れどもコンサルはあくまでコンサル...。

シェーン!カンバック...。という西部劇ありました。今回詳述は避けますが、その時の問題
を解決して去っていく...。決してそこに留まったりしない。また話が脱線しました。コンサル
の廃業の記事にはそれが本物?偽物?と...。その前に受け入れ側の問題と思うのですが...。

コンサルはあくまでコンサル。キッカケを与えてくれるかもしれないけれど行動は自ら自身...。
からあげ屋さん、コンサルの記事は時代の徒花(あだはな)ということが書かれていたのかも
しれません.。似て非なるもの...にご注意あれ。そう解釈しております...。

からあげ、コンサル...②

2023年12月21日 | 日記・エッセイ・コラム

かつてスーパーマーケットってどんな意味ですか?と聞かれて、スーッと出て、パーっと
消える...の意ですよと宣う方がおりました。私は流通業の出身者ゆえ、何だこの非礼な表現
は?と思ったものです。最近そういう憤りはほぼ無くなりました...歳のせいかもしれません。

いや、歳だけではない...。相手が侮蔑的な表現をしたのではなく、その産業の特質を端的に
表しているな~と思えているからです。スーッと出てパーっと消えるは参入障壁が低く、
お客さんがいるところを目掛けてA地点からパーっと消えて、今度はスーッとB地点に...。

まさに変化対応では無いですか...。先日、コンサルをコン(混乱させて)、サル(去る)と。
これも同じ文脈で、その産業を貶める、侮辱した表現ではなく、ある意味その産業の特徴を
これまた端的に表しているな...と思っております。それにしても混乱させて去る...とは。

長らく惰性で続いた悪習慣を内部から改めよう...。これなかなかできません。活性化の議論
も同じですが、こういう時は“かき回す”...。ある種のカオス(混乱の意で使ってます)を
生じさせ、そこから新たなまとまりを再構築する..なるほどよく分かります(続きは次回に)

からあげ、コンサル...①

2023年12月20日 | 日記・エッセイ・コラム

新聞紙上等にて、唐揚げ専門店、コンサルタント業の廃業が相次いでいる...そんな記事を読み
ました...。唐揚げ店については前年の7倍ペースで閉店、コンサルは本物・偽物(?)の差が
鮮明になっている...と。前者は何となく...、コロナ禍にて一気に増えましたから...。

倒産、廃業...、清算方法の如何によらず、その事業が事業として成り立たなくなっているという
ことを考えております。一気に増えれば一気に減る。何事も需要と供給でありますし、時流や
タイミングという要素も大きいと思います。そしてコンサルタント業のこと...。

先日知人が、コンサルとはコン(混乱させて)、サル(去る)...と喝破致しました。ある意味
慧眼と思います。むろん本物、立派な会社も多々存じ上げておりますが、どうも似て非なるもの
玉石混交といいますか、そういうところ結構あったな~。あくまでも個人の感想ですが...。

第三者から客観的に、一切の感情を排して自らの事業を診断頂くことには賛同しております。
自ら持ち得ていなかった視点など、ハッとすることも多いです。但しいくら良い意見を頂いても
実際に行動するか否かは(コンサルを依頼した)本人(事業所)次第...(続きは次回に)

セルリー②

2023年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム

さて、セルリーとセロリ...、同じ野菜を指しているようです。英語表記でCelery...知人に聞いた
ところ、この英単語をフランス訛りで発音するとセルリー..だそうです。国内最大の生産地で
国内で最初に商用生産が開始された長野県(国内シェア断トツで1位)でもセルリー。

また時々掲載しております、野菜生産出荷安定法(銚子のキャベツ等が指定産地になっている
根拠)という法律でもセルリーという表記がありました。総合すると正式名称はセルリー...。
慣れ親しんだ通称はセロリ。和名ではオランダミツバと言うそうですがこれは混乱のもと...。

好き嫌いが両極端の野菜である所以はあの匂いかと(私もかつてはそうでした)。それが地元
セロリ(今後はセロリで統一)を食べたらハマってしまった...。恐らく鮮度の問題だったのかも
しれません。野菜の鮮度の見分け方、切り株部の色...。茶褐色ではなく綺麗な瑞々しい色してます。

この野菜、生で食べるだけでなく、香味野菜として肉や魚の匂い消し。スープ等にコクを出したり
スムージーにしたり...。栄養豊富で健康効果の高い野菜として近年その価値が高まっているようです。
個人的にはかつて大嫌いだったものが大好きになった...。何故かこのことが嬉しいです。

セルリー①

2023年12月18日 | 日記・エッセイ・コラム

セルリー...って何だ!ということですが...。まずは“セロリ”だということにして稿を進めます。
先日このセルリーを頂きまして(正確には販売頼まれて有償サンプルで購入)、量販店の店舗
さんにサンプルでお渡しし、残った一株を自分で食べて残りを仲間にお裾分け...。

キャベツ、ダイコン、ブロッコリー、お裾分けすると皆喜ぶのに、このセルリーの反応は微妙。
見ただけ、匂いを嗅いだだけで拒否反応を起こす方もいれば、大好物だと言って喜んで持ち帰る
方も...。かなりクセが強く、大好きと大嫌いが真っ二つ。人の相性(好き・嫌い)と同じだな...と。

私と同年代なら憶えているかもしれません。ヨーグルトのCMでワイルドな俳優さんがセルリー
にヨーグルトを付けてガブリ...と。当時私は10代。大変失礼な話で今となってはお恥かしいの
ですが、このセルリーなる野菜のどこが美味しいのだろうと思ってました(要するに大嫌い)

この感覚はつい最近まで続いていたのですが、この千葉セルリー(銚子で生産しております)に
出会ってから評価一変!(何も宣伝用の提灯記事ではありません)、全く別の野菜を食べている
ような感覚で、この私が好んで農協直販店で購入している...(続きは次回に)

古民家...②

2023年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム

古民家はスポーツにおけるエースと同じ...。ただそこに立ち続け居住者や地域、はたまたチーム
にとっての心の拠り所になり続ける...。やがて家も選手も寿命を迎えるがその精神は残り、そこ
に人や選手がいる限り、その精神は受け継がれやがて再生され、あるいは新たな価値を見出される。

何も精神論一辺倒ではないのですが、受け継いでいくという感覚が責任感であったり、邪を払う
抑止力であったり、目に見えないものへの敬意(ある種の“畏れ”)に繋がったり...。この総称が
“伝統”ということではないか?という気がしております(また例え複雑で申し訳ありません)

古民家カフェというものも増えました。個人的に大好きで、各地訪問し見付けたらすぐに入らず
にはいられない...。笠間にて有名な古民家カフェに入りました。もはや予約しないと入れないお店。
雰囲気だけでも最高なのですが、提供する商品、対応するスタッフ...、すべてが心地よい...。

やはり商売ですので競争原理が作用し、雰囲気OK...だけでは事業が成り立たない時代のようです。
写真、有名なモンブラン。有名店で修業された方が作る絶品スイーツ。お店の方々の対応どれを
とっても感心しきり。まさに古くて新しく、伝統であり革新..。.恐れ入りました...。