銚子・角巳之・三代目

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泥上げ?

2006年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

100_0492 最近、銚子港のドック内で写真のような風景を良く見かけます。船の航行安全上、定期的に海底の泥を上げておく必要が有るのだそうです。ドック内は構造上、泥が溜まり易いようです。構造物は作って終りではなくて、メンテナンス(維持等)が重要で....。友人に聞くと、この泥上げやテトラポットの新規投入と釣りにはどうも相関関係があるらしい。これら工事が入ると決まって魚が釣れるようになると経験則から語ってくれました。地底の攪拌(かくはん:かき混ぜる)や新しい構造物の投入で海の中に変化が起きて、魚の活性が良くなるそうです。言われてみればそんな気もします。何事もメンテナンス、時には泥上げをしないとな。そんなことを思っております。


小見川大橋

2006年09月29日 | 利根川シリーズ

100_0520 成田方面に行く時は利根川沿いの土手道を走る事が多いです。利根川土手と田園風景が広がるその風景は何とも言えない爽快感が有ります。少しでもその一端をお伝えしたいと思っているのですが、車を止めるところが少ないので、写真が撮れず残念です。写真は土手道に入って最初の橋・小見川(おみがわ)大橋です。小見川は旧城下町。城址公園の桜が有名ですが、城下町独特の風情を感じる街です。隣の佐原の町並みはさらに風情があります。これから何回もここを通る機会がありますので、順番に橋の写真を撮ってこようと思ってます。当日の天気は晴れのち曇りのち雨という変な天気で、空もご覧のような感じでしたが、やはり秋です。空が高くなってきたと感じました。天高く馬肥ゆる秋....。なるほどと思います。最近の自らの食生活を考えるに、人肥える秋にならぬよう気をつけねば。そう思っております。


視界ゼロ

2006年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム

100_0531 ここ数日、千葉県全域は凄まじいほどの暴風雨です。視界ゼロとは少々オーバーかもしれませんが、殆ど前が見えない状態です。特に銚子のような海沿いは風が非常に強く、車で走行中も揺れを感じるほどです。さてここ数日、北部太平洋(三陸沖中心)の漁場でサバが大豊漁。一昨日も北太平洋全体で5000㌧の漁獲がありました。八戸、気仙沼に分散して水揚げが行われたようですが、1隻だけ銚子に入港致しました。この暴風雨の中、10時間以上掛けて入港。何度考えてもやはり漁師さんと言うのは大変な職業です。スーパー等の売り場で何気なく見かける魚、最近は原産地表示の義務化があり、銚子産や八戸、気仙沼と言う何気ない表示を目にしますが、ラベルに書いてしまえば1行の話も、こういう海で魚を獲っているという事が分かると、より大切にと思う方が増えてくることでしょう。


魚の食べ方

2006年09月27日 | 料理に挑戦

100_0486 こういう写真はブログに掲載して良いものかと思いましたが....。昨日の赤シタの残骸です。残骸と言う表現は語弊があるかもしれませんので、私の歯では噛み砕けなかった骨、あるいは不可食部位(この表現、畜産が長かったもので...食べられない部分の意です)とします。昨日のムニエルが美味しかった証拠ですが、最近魚はここまで食べないと気が済まなくなりました。もう、ある種の職業病です。魚の食べ方に付いては、異なる見解を持つ2人の師匠がおります。①命あるものを頂くのだから残したらバチがあたる。②男のクセにそんなみみっちい食い方しやがってこのバカヤロー。因みに銚子でバカヤローと言うのは、“こんにちは”程度の感覚、接頭接尾語でありますし、特に意味は有りません。いちいち気にしていたら銚子で生活が出来ません...。両師匠とも魚のことなら何でも知っている方で深く尊敬しておりますが、私がここまで食べるのは単純に“美味しいから”であります。私、非常に大雑把な性格でありますが、写真を見るにまだ身が付いていると感じておりまして...。この骨しゃぶりながらもう2~3杯飲めるかなと思ったりしております。男のクセにバカヤローと某師匠の顔が浮かんでおります。


赤シタビラメのムニエル

2006年09月26日 | 料理に挑戦

100_0485 先日、友人宅にお招きを受け、ちょうど赤シタビラメがあったので処理をして持参したら、奥さんがムニエル作ってくれました。魚料理はちょっと苦手でとおっしゃっておりましたが、これはご謙遜で、大変美味しくビールが進みに進みました。私が作ると大量のニンニクが付いて、酒飲みの大人が食べるには丁度良いのですが、これは非常に上品な味で、小さなお子さんも喜んで食べてました。この小さなお子さんが喜んで食べると言うのがポイントです。大変勉強になりました。これは朝揚がったばかりの魚なので臭みも全く有りませんでしたが、東京など産地から1~2日遅れで店頭に並ぶ赤シタは牛乳に20~30分浸しておくと臭いは殆ど気にならないと思います。家庭でフレンチの気分です。


アカシタビラメ

2006年09月25日 | 銚子の魚

100_0484 写真はアカシタビラメ(イシモチの小型も写ってますが...)、銚子ではアカシタとか赤ヘラと呼ばれております。以前掲載しましたクロウシノシタ(黒牛の舌?)は青ヘラ。両者の味の違いは私にはそれほど感じませんが、地元では、どちらかと言うと赤ヘラの方が味が濃く美味しいと言われております。今の季節は近海小型底引き船(九十九里沿岸海域で操業)などでかなり揚がっております。干物も美味しいですが、この魚はフランス料理定番の魚。ムニエルなど最高です。皮を剥くのがちょっと面倒ですが、慣れてしまえば結構簡単に剥ける。カワハギ、メイタガレイ同様にストレス発散の一環として皮剥きしております。昔はこの魚すら蒲鉾原料になったと聞いております。今ではとんでもない事(水揚げの絶対量は減っているし、値段も高い)で、蒲鉾原料になることはまずありませんが、昔はキンキもキンメもメヒカリも原料になったそうです。要するに白身魚なら何でも蒲鉾になる訳です。いろいろありますが、銚子で揚がるすべての魚の特徴や捌き方を覚え、全部食べる。このことは最終製品に大きな影響が出ると私は思っております。この赤ヘラ、友人宅で食事したときに友人の奥さんが調理してくれました。明日掲載します。


「いただきます」が言えた日

2006年09月24日 | 日記・エッセイ・コラム

100_0495 写真は農林水産省編集の食育のテキストです。1部100円で売ってます(詳細は農水省のHPにあります)このブログでも食育という言葉を何度か使いましたが、私は偉そうな事が言えた立場ではないし、大上段から“あるべき論”を語るつもりもありません。自分が食品製造業者であることや、田舎育ちとは言え、80年代(コンビニ・ファーストフード世代:因みに銚子で高校まで過ごしていた時にコンビニはゼロ、全国的なファーストフードは1店舗しかありませんでしたが..)に学生時代を過ごした者として、こういう事に接する機会があるのは羨ましい限りと思います。子供向けの食育テキスト、実は大人こそ学ぶべきものが沢山有ります。専門書は難しすぎて途中で挫けてしまうのですが、子供向けのテキストはポイントが絞り込んであるし、イラストも多く、難しい漢字や用語には解説付き.....。興味はあるけれど、(私を含めて)対象が広すぎて何から始めたら良いのか分からないという方には最適かと思います。


お彼岸

2006年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム

100_0510 暑さ寒さも彼岸までと申します。銚子も朝晩はスッカリ秋らしく涼やかな風が吹いております。彼岸と言えば墓参りですが、盆正月に続いて彼岸でも東京に行ったガキども、墓参りにも気やしねえ。というお年寄りの嘆きが聞こえて参ります。が、それぞれ事情がある訳で....。ただし、これまた“合成の誤謬”。それぞれ事情があり、それぞれの環境下で精一杯やっている。だけれども、みんながそんな事を言っていたら、気が付くと墓参りに来る人が居なくなる。地方都市では良くあることのようです。東京にお住まいの知人で盆正月と春秋の彼岸には決まって銚子に帰り家族で墓参りをされている方がおります。毎回大変ですねと言ったら、これは嫌々しているのではなく、定期的に帰るキッカケ作りと、子供の教育だとの事でした。大人が子供の前で、世の中には人知の及ばない霊的な存在があり、それらに対する畏敬の念を見せる事。非常に大切なのだそうです。写真は昨日の朝、坂東33霊場の1つ、銚子・円福寺(えんぷくじ)の風景です。


釣り情報②外川(とかわ)港付近

2006年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム

100_0501 外川(とかわ)漁港付近を車で走っていたら、友人が家族で釣りしてました。ここは穴場で、今日は潮目も良いので絶対に釣れる。との事。釣り好きは皆同じような事を言うな...と思っていたら、間もなく良型のマコガレイ(写真)を目の前で釣り上げました。これには参りました。大きさは30㎝弱ですが、かなり肉厚でした。この友人は割烹料理店の経営者で、釣った魚は持ち帰って料理するようですが、外川周辺で揚がった魚はドック内であっても匂いは全く無く、美味しく食べられるそうです。このマコは煮たら最高だろうと言ってました。小さなお子さんを二人連れておりましたが、二人とも慣れたものです。シッカリ釣り人してました。


釣り情報①第三漁港付近

2006年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム

100_0474 先週の日曜日、銚子第三漁港前のドックで沢山の人が釣りをしておりました。何が釣れているのかと思って覗いてみると、結構良型のコノシロ、小さなカレイ、アジ、大型のボラ、スズキまで。コノシロなどはサビキ(疑似餌を使った手軽な釣り方法)で、入れ食いとまでは行きませんでしたが、みなさん小さなバケツ一杯くらい釣ってました。陸からこれくらい釣れれば面白いです。回遊性の小魚がドック内で釣れ始めるという事は、大型魚(スズキ、イナダ等)が入って来るでしょう。そろそろルアーの出番か、と楽しみにしております。第三漁港から第二、第一漁港へと続く運河では、イシモチが揚がっており、60㎝くらいのスズキ(フッコというサイズでしょうか)も釣れてました。益々楽しみです。


みりん干し

2006年09月20日 | 銚子のうまいもの

100_0458_1 本日はマルハラさんのみりん干し。これまた絶品で、バクバク食べられる。早く箸を付けないと自分の分がなくなる...、昔の大家族の食卓の風景のようであります。毎月第一火曜の夜に開催される食事会(地域の事を考える勉強会としてスタートしましたが、最近は地域や旬の美味しいものを食べる会として?定着して参りました)、参加者は大学の先生方、水産加工会社の社長さん、地元商店街の方々、生け花の先生.....、非常に多彩で、それが故に大きな刺激を受ける場でも有ります。会場は花筏(はないかだ)という生け花教室の2階をお借りしているのですが、この空間、物凄く風情が有って、秘密クラブのような雰囲気を醸し出しております。この空間は後日改めて掲載させて頂きます。生け花教室の主宰者さんは元割烹料理店の経営者。料理の腕だけでなくアレンジもまた絶妙です。さてみりん干し。そのまま食べてももちろん美味しいですが、社長さんに聞くと、このみりん干しを焼かずに、削ぎ切りしてゴボウなどと煮て卵でとじる(柳川風に)そうすると、また違った美味しさとの事。確かにこれ絶対に美味いはず。次回(10月の定例会)はみりん干しの柳川をみんなで食べてみようと思っております。固定概念を外すと、美味しいものは無限に広がって参ります。


マルハラさんの干物

2006年09月19日 | 銚子のうまいもの

100_0457 本日連載286日目、アクセス数が3万件を越えました。皆さん有難うございます。投稿はちょっと、と言う事でメールも沢山頂いております。本当に感謝しております。頂くメールでも、そろそろ寒くなってきたので、お前のところのおでん種が本当に美味いかどうか試してやる。から始まって、お前が美味いと言っている商品、俺(私)にも食わせろ....、こういうご意見増えました。参協グループの項でも申し上げましたが、一定のアクセス数を超えるまで特定の商品などをご紹介させて頂くのを控えさせて頂きました。特に意味は無かったのですが、私、体はデカいのに気が小さいので....。いろいろ考えすぎておりました.....。さてそんなこんなで本日は商品紹介を。毎月第一火曜の夜に、有志が集って地元や旬の産物を味わう会を行っております。舌が肥えた方が多く、コメントは容赦なし。故に大変勉強になります....。そこで出てきた干物です。干物と言えばしょっぱくて、1枚食べたらもういいや。というのが多いですが、この干物は“バクバク”食べられる代物。食べ物にうるさい方々が無言で2枚、3枚と食べ尽くしている姿がすべてを物語っておりました。干物の概念が変ります。こういう商品があるんです。詳しくは以下HPを。http://www.maruhara-f.com/


3つの“間”

2006年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム

100_0357 “合成の誤謬(ごびゅう)”と題して4日ほど掲載させて頂きましたが、思いの他?反響が大きく驚いております。匿名であれ、投稿は気が引けるので....、そんな前置きで頂いたメール30数通。本当に驚きました。私は生意気な事が言えた立場でもなく、何とか生き残っていかねば?と日々現場で肉体労働している一人なのですが、故に何らかの共感を得る事があるのか?と邪推したり、それだけ現代は病んでいるいるのか?と思ったりします。連絡頂ける事はただただ感謝。こういう方々がいるので、退屈な田舎の日常に張り合いのようなものを感じているのも事実です。来週は印旛の名刹(お寺)で地域の子供たちを集めて食育勉強会があるようで、これまた故あって見てこようと思っておりますが、我々の子供の頃はそういう“場”があったか?と考えております。ある新聞のコラムに、最近の子供たちには3つの“間”が無くなって、それが昨今の問題の根本であると言ったコラムが掲載されておりました。3つの“間”とは、①時“間”、②空“間”、③仲“間”だそうです。余計な事は申し上げません、これまた問題提起まで。なるほど3つの“間”か?.....。なるほど、なるほど....。私は明日も早朝より水揚げ作業です。...、これまた私の空間の1つになりつつあり、最初は何が何だか分かりませんでしたが、最近は“居場所”の1つ?と思えるようになって参りました。居場所がある意義と言うものと併せて考えると、合成の誤謬も、3つの間も、要するに“子供が”ではなくて、最近の日本人は?と言う問題なのでは?を感じている今日この頃であります。


合成の誤謬(ごびゅう)④

2006年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム

100_0470 合成の誤謬と言う現象は何も難しい経済学用語を持ち出すまでも無く、至るところで見られるし、歴史を振り返れば世界各国でこの矛盾に直面し、そこでどのように対応してきたか?のみがその後の分かれ道になっております。少々抽象的ですいません...。個人、個人が賢明な選択を重ねて行っても、それが地域とか、国内産業とか、大きく国とかそういう単位で考えると不都合を生じさせる事がある。こう書くと、お前は全体主義礼賛か?となる訳ですが、私は全体主義の礼賛云々に全く興味は無く、ここで起こっている現象が地域とか食糧とかそういう領域で起こっている諸問題の根源にあるのでは?と感じているだけであります。トロだけのマグロはいないし、カルビだけの牛はいないのですが、トロは美味い、カルビは美味いとそれだけ食べ続けているようなものです。金があるからトロだけ食べて何が悪いと言ってみた所で、マグロそのものがなくなってしまえばいくら金を払ってもトロは食べられない訳です。また美味いものには何とやら。これらは時々ごちそうとして食べるから有り難味があって美味しいのであって、毎日食べたら飽きてしまうでしょうし、何よりも金を払って成人病になるような滑稽な話であります。固定観念を外し、“モノサシ”を増やしてみると、色々な事が見えて参ります。最近、各地で盛んに行われている食育。若年層に明確で多彩な食のモノサシが出来ると、食そのものの環境が変り、食が変ると生き方や地域に変化が出てくる。各地の事例として報告されております。この4回は問題提起まで。写真は昨日の銚子港上空。秋雨の谷間、すがすがしく気持ちの良い1日でした。


合成の誤謬(ごびゅう)③

2006年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム

100_0445_1 先週の日曜日、NHK特集にて“マグロが食卓から消える日”という番組が放映されておりました。資源保護の見地から漁獲量が激減、日本以外にもマグロを食べる国が増えて、今までは日本の独断場であった水産物輸入の現場で、次々と“買い負け(日本より高く買う国が増え、日本に商品が集らない)”しているとありました。水産関係者の間では数年前から言われていた事ですが、これが一般向け、しかもNHK特集で放映される事、事態の深刻さを物語っております。安くて美味しいマグロは庶民の味方。なれどその殆どが輸入。次々と実態が明らかになっております。安い、安いと一皿100円、200円のマグロの寿司を楽しんでいたら、実はそれには構造上の無理が沢山有って、気が付いたらマグロが食卓から消えるかも。そんな状況なのだそうです。これまた合成の誤謬の一端。個人、個人の行動は安くて美味しいマグロ寿司が食べられて幸せ。これは賢明な行動でありますが、供給側は売れ筋商品になってしまうと、それが構造上無理であっても、消費の減退が怖くて無理に無理を重ねる。しわ寄せは上流へ(仲買、市場、漁師...)と向かい、水産物のように世界的な資源となると、他国の動向とか、資源保護とかそういう要因も加わってさらに複雑になって行く訳です。そもそもマグロは安い商品なんでしょうか?トロだけのマグロは居るはずもないのに...。ご馳走が無くなった弊害でもあるし、このマグロ問題は水産のみならず日本の食の構造上の象徴的事例であります。続きは明日。写真は第三漁港。突然の高波に泳ぎ上手のカモメが流されてました。