銚子・角巳之・三代目

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中央突破!

2009年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_4053 中国古典・呉子に曰く、死を必(ほっ)すれば則(すなわち)生き、生を幸(こいねが)えば則ち死す....。さて、篤姫、直江兼継....、10年位前なら、歴史好きの方であっても、かなりマニアックな部類の方しか知らなかったであろう歴史の登場人物....。やはり世相でしょうか? そこからは“義”とか“愛”とか、“忠節”とか“節目”とか、現在ではもしかしたら死語になってしまったかもしれないキーワードが浮かび上がって参ります。逆説的に現代が渇望する姿がそこにある....。今月号の“歴史街道”は、薩摩の英雄・島津(惟新斎:いしんさい)義弘の特集でありました。島津義弘、戦国最強とも呼ばれる薩摩の総大将....。サブタイトルに、つねに寡兵(少ない兵力)をもって、大軍に勝ち続けた男....と。生い立ちから、歴史に名高い、関が原の中央突破まで、史実を克明に追ったその内容、たいへん興味深く読みました。お家事情、また時の権力者に翻弄されるも、何の恨み言も言わず、ただ与えられた領域でベストを尽くす。絶望的な状況の中、彼の部下達はむしろそんな状況を喜ぶかの如く....。島津の必殺戦法“捨てがまり”.....。大将を逃がすため、最後尾の兵達は死ぬまで戦い時を稼ぐ....。それを可能にした島津軍団・絆の強さ。関が原の中央突破。時に惟新斎義弘66歳。当時としてはかなりの老齢。なれど、次代のお家安寧を願い、東軍にも西軍にも味方せず、ただ島津の戦いをする....と。“惟新”斎義弘のDNAが幕末の薩摩において、西郷、大久保など“維新”回天の志士達に受け継がれていく.....。かくの如き負け戦の時は、死ぬと思えば必ず死ぬ。敵の猛勢の中に駆けよ!薩摩武士の意地を見せい....。生を幸えば則ち死す。物理的な生死ではなく、その姿勢。先が見えないと言われている昨今の世相に一石を投じるものか....と。写真は利根川沿いに放牧されている丑(牛)さん達であります。


なよ竹の....。

2009年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_4256 先週、会津出身の方にお世話になりまして....。会津で有名な教育方針・“ならぬものは、ならぬ”....。から始まって、会津に残る士魂とでも申しましょうか?早朝の銚子港で感じるような、ピーンとした緊張感を感じました。それでいて、深いところで暖かさを感じる.....。ご縁とは不思議なもので、会津の方々にお会いした後、ある先生から会津について、お話をうかがう機会を得ました。会津と言えば、戊辰戦争での悲劇的な“白虎隊”、滅びの美学などという話ばかりが語られますが、今回は会津の女性論。義に殉じて行く男達の足手まといになるまいと、女性も後世に語り継がれるような会津の誇りを示していく。会津藩・家老、西郷頼母の妻、西郷千恵子の辞世:なよ竹の・風にまかする身ながらも・たわまぬ節は・ありとこそきけ.....。風は時代の風を表し、節は忠節とか節目をさすのだそうです。女の私はか弱い竹で、時代に翻弄されてしまったけれど、忠節を守る気概は持っていますよ.....と。2歳から16歳までの娘5人とともに壮絶に自刃。享年34....。会津では今でも先達を讃え、小中学生が早朝の寺院にて論語や会津の誇りを学ぶ時間があるとか....。最後に細川ガラシャの辞世を....。散りぬべき・時知りてこそ・世の中の・花も花なれ・人も人なれ.....。キリシタン(キリスト教徒)ゆえ、自刃は叶わず、近習に自らを刺すように命じた際に織り成された珠玉の言葉....。これから寒さが和らぎ、桜梅桃李(おうばいとうり)が咲き乱れる季節を迎えます。花を愛でながら、100年に一度と言われる経済危機の昨今、時代に翻弄されながらも強く生きた女性に思いを馳せてみては....。


香取へ②

2009年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_4291 Img_4290 せっかく香取まで来たので、有名な佐原の街並みと、仮称・川の駅予定地を視察....。小京都とも呼ばれるほど美しい街並み、人情味のある店主の方々、名物料理....。老舗の蕎麦屋さんで遅い昼ご飯となりましたが、タイムスリップしたかのような空間で食べる蕎麦....。なかなかいい雰囲気であります。しょうゆジェラード、昔のたい焼きって何だ?と思いながら、食べてみれば雰囲気とも相俟って、すべてが美味しく感じられる....。食べ物はただエネルギーを補給するためにあるのではなく、いつ、何処で、誰と...が非常に重要かと再認識....。さらに雰囲気を含めてその食を提供する場、人...も。街の方々と話していても何故かみな明るい....。少なくとも自らが住む“わが街”に対して、自虐的とも思える会話は皆無でありました。まあ当然の事ながら....。ないものねだりではなく、自らの街に誇りを持って、あるものを探し、それに磨きをかける....。具体的に動き出すと、何かが変わる....。その典型例かと思います。


香取へ①

2009年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_4288 私、昭和44年生まれの酉歳。今年数え41歳、前厄であります。以前申し上げました、波・佐・木の会、同級生3人で厄払いに....と思いましたが、木・君は都合が付かず、波・佐...の2名で香取神宮へと厄払いに参りました。先輩から、正・五・九(正月と五月、九月)参りといって、一年に少なくとも3回。出来れば浮気せず、一つの神社にお参りしたほうがいいよ。とアドバイスを受け、そうですね。と相変わらず返事だけは良かったのですが、すでに浮気のしっぱなし...(すでに数ヶ所)....。気持ちの問題と勝手に言い訳しながら、それでもやはり目に見えない力に畏怖する心は、40歳を目前に益々強くなって参ります....。さて、香取に向かった大きな理由は“厄払い”でありますが、他にいくつか目的がありました。その一つが写真...。“とうがらし”であります。銚子で間違いなく一番美味しいだろうと思っている同級生が営む蕎麦店において、その“とうがらし”に付いて聞き、実際に食してみました。今まで薬味にそんなに気を遣っていた訳ではありません。とりあえず、テーブルの上においてあるので、甚だ失礼な言い方ながら惰性で使ってました...。で、その“とうがらし”を使ってみたら.....。一撃ノックアウト....という“風味” 何でも、香取の生産者さんが、100%地元産の原料で生産し、七味(むろん七種類すべて地元産)などは自らブレンドしている...。店構えもないし、入り口は本当に分かりづらいからね~。と言われてました、近くは何度も通っていたのですが、方向音痴ゆえいつも到達出来ず....。ただ今回は道路事情に精通した同級生・波君の運転....。念願かなって訪問となりました。ちょっとおもしろいのがあるから....、という事で、これまた地元産の珍皮(ちんぴ・ミカンの皮を乾燥し粉末にしたもの)も分けて頂きました。鍋焼きうどん等に最高だ...とのこと。週末は印旛...。って事は、あの栄町の名店・鈴やさん・超極太うどんの鍋焼きにこの珍皮....。どんな味になるんだろうと、いまからヨダレが出ております。


150人の法則②

2009年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_4283 “150人の法則”.....。端的に言えば、人間相互のコミュニケーションが円滑に行われる物理的な限界の人数とでも申しましょうか....。一人では何もすることは出来ません。相手がいなければコミュニケーションを取ることも出来ません。少なくとも2人以上.....。それが組織で、組織には1+1=2以上の相乗効果が期待されています。数は多いほど多様性に富み、相乗効果もまた大きくなる。が、しかし、ある一定以上の人数を越えると、相乗効果を打ち消してむしろマイナスを多く生じさせる事がしばしばあります。ここにA君、B君の二人が居たとします。双方向・1通りのコミュニケーションが成立します。C君が加わって3人になると3通り、さらにD君が加わると今度は6通り.....、100人だと4950通りになります。これは、n(n-1)/2という公式(nに数値を代入)で示され、150人だと1万通り以上になります。人間の脳の処理能力から見ても、この150という数字は理にかなっているようですし、企業や軍隊、地域コミュニティーの統計資料などを見ても、何らかの組織は150人を物理的限界として、様々な形に分裂しているようです。さて、昨日のマンガ本....。新人を化かす仕組みから、これからの有望産業を農業として、でも150人の法則が....、で終わってました。さてどういう展開になるのか?楽しみであります。昨日、一昨日の写真は、茨城県・つくばにあります某有名直売所。水車が回り、その動力で蕎麦粉を挽く....。100年ほど前の農家のお宅を移築し、その蕎麦粉を使った絶品蕎麦....。久しぶりに訪れましたが、相変わらずいい雰囲気でした。本日は某百貨店のチョコレート....。こんな目で見つめられたら....食べる事が出来ません....。4匹いるので、4(4-1)/2=6....。6通りのコミュニケーションか...と思いながら、豚と犬、コアラと象でコミュニケーションが成立するのか?...と。恐らく動物の本能でコミュニケ可能であろうと思われますが、動物の本能としてではなく、理性ある人間としてのコミュニケーションが失われないことを願わずにはいられません。人間関係の終りを携帯など無機質なデジタル機器で済ませてしまう人が増えているようです。心があればあるほど、このような行為を受けると心を鋭利な刃物でえぐられたように傷付く....。昨今の世相とコミュニケーション不足には因果関係があるようです。いわゆるハイテク産業と呼ばれるデジタル家電業界などが不振にあえいでいる中、これからは農業だという論法....。いろいろご意見もあろうかとは思いますが、時代は振り子の揺れ状態。デジタルの対極にあるアナログが求められている。これだけは確実に言える事かと思います。


150人の法則①

2009年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_4244 科学と化学。同じ読み方なので後者(化学)をバケガクね。なんて言ったりします。バケる(化ける)....。酸化・還元反応が云々と難しい事はさておいて、化学の技術進歩によって人間生活が快適になってきたことは紛れもない事実。昨今はパラダイムシフトの波が容赦なく襲い掛かり、快適さの裏側にあった不都合が強調されたりしますが、何かが化けて、新しいものが生まれる..。そしてそれはすべて地球上にあった物質と物質の融合によって生まれた。無いものからは生まれていない。これ事実。さて、人間にも“化ける”という表現が使われることがあります。あまり期待していなかったのに彼(彼女)は化けたね~。良い意味で使われることが殆ど....。何故急にこんな話になったかと言えば、同級生から薦められた一冊のマンガ本がその原因....。企業人事部を描いた物語で、新人を化けさせるための仕組みが必要と説く。そしてその仕組みは“失敗させる事”....。失敗してもその責任を感じず、相手が悪い、環境が悪い、果ては世の中が悪い...と責任転嫁する人、これは絶対に化けず、会社や周りに悪影響を....。化けるタイプは責任を一身に感じ、そこから這い上がってくる人...。上司は、“失敗しました”...“ああそうですか”...“しょうがないよね”....なんてのは最悪で、心を鬼にして失敗した部下を谷底に突き落とす....。のだそうです。で、這い上がってきた奴は讃えてやらねば....と。そんな前段の中で、昨今の経済情勢を鑑みるに、これからの有望産業は、みんなが嫌がるが社会全体として絶対に必要な仕事、端的に“農業だ”...と。そして最後に、でも150人の法則が....。で終わってました。150人の法則?と何故か気になり、過去に読んだ本を引っ張り出していた訳です。ああ、あの事か!となったのですが、続きは明日にでも。そういえば、時が化ける(時化)と書いてシケ....。時が化けるか....と、昔の人は上手い表現をするものです。


賢者の贈り物

2009年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_4241 故あって、オー・ヘンリーの傑作“賢者の贈り物”を10数年ぶりで読み返しました。若くて貧しい恋人どうし、彼は鎖の無い懐中時計を大切にしており、彼女はその長い髪を大切にしていた....。恋人同士は互いに大切にしているものを知っており、彼女は彼の為に懐中時計の鎖を、彼は彼女の為にクシを買う....。ところが互いの“贈り物”....、彼はクシを買うために懐中時計を売り、彼女は鎖を買うために長い髪を売った....。でも、その“行為そのもの”が、かけがえのない“賢者の贈り物”......。というお話。確か、中学か高校の英語だったか国語で習ったような....。中学、高校時代は感受性が一生涯で最も高い時。先生方から、意味なんか分からなくてもいいから、とにかく本を読め!と。成功か失敗か、すべての価値基準を単一の歪曲されて誘導された世論に委ねるのではなく、若さの特権だ!抗(あらが)え!反抗しろ!....と。反抗したら、自らの非力さに気付くはずだ。早く気付け、そしてそれを補うための具体的な行動をしてみろ....。だから本を読め、体を鍛えろ....。すでにお亡くなりになってしまった中高の恩師の先生方もおられますが、往時を想い、現実を直視するに、40歳目前のオッサンが、オー・ヘンリーの小説を再び開き、何故か分かりませんが、心が清々しく、また新たな活力が湧くような気になるのは何故だろうか?....と。大切な人の為には、自分の一番大切にしているものを犠牲にする....。諸先輩方から、これこそ愛の力であり、閉塞感を打ち破る唯一にして不可欠の感覚である。なんてお話を頂きました。そういえば天地人・直江兼継の兜には“愛”の一文字。マザー・テレサ曰く、愛の反語は憎悪ではなく無関心であると。読者の皆さんの中には高校生の方がかなりいること、確認済みであります。今の教科書に“賢者の贈り物”はありますか? 私と同世代のオッサン方は、昔の教科書引っ張り出して(もうないですね、だったら書店で)、再び噛み締めてみたら如何でしょうか?中学、高校の時に読んだ本を今読み返す....。何か心に期すものがあるかと思います。


日本酒・梅酒

2009年02月13日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_4279 銚子から車で利根川沿いを約40分、成田に近い神崎町(こうざきまち)にある老舗蔵元・鍋店(なべだな)さんの梅酒であります。ブランド名は仁勇....。銚子周辺の酒屋さん、飲食店さんを見ると、仁勇という看板良く見かけます。写真はそこで作られた梅酒。通常、梅酒は焼酎で造られるそうですが、これは日本酒で仕込んだもの。後味は非常にスッキリしており、食後の一杯は最高であります。例年参加させて頂いている鍋店さんの蔵出し祭り。今年は3月だそうです。


ジンギスカン・うどん

2009年02月12日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_4278 Img_4276 先週末、約2ケ月ぶりでバックス君に再会....。相変わらず、人間様の疲れた心は彼の一挙手一投足に癒され続け....。私はすっかり彼の子分になってしまったようです。彼なら....なんでも許します...。さて、ここにお邪魔すると。北海道ご出身のご夫妻なので、本場のジンギスカンを堪能する事が出来ます。しかも、ご主人は食肉のスペシャリスト.....。ラム肉が美味しい、タレが美味しい、何もかも美味しいのですが、最後の締めに、あの栄町の名店・“鈴や”さんの超極太うどん(ゆで時間15分以上)を投入してみました。この極太うどん、焼きうどんにすると絶品である事は分かっておりましたが....、結果は明らか。ジンギスカンうどん、もう言葉が無いくらい美味い。美味い。本当に美味い.....。日本を代表する重化学工業が底の見えない不況にあえぎ苦しむ中、名門酒蔵メーカーの30年赤字を出してきたビール部門が黒字転換したり、こだわり食品群が二桁増、軒並み食品各社の決算は良い....。せめて食い物くらい。そんな世相なのでしょうか? 如何に食べるかは、如何に生きるかと同義語。それをどこで、誰と、どのように、何を食べるのか....。不況になって、人間が心の底からああ“美味い”と何気ない、それでいて本当は最も大切な事に気付くようになっているのだとすれば、これは喜ばしい事なのでしょう。美味いの先にある、調理する人、素材を生産する人が見えて、そこに感じるものが少しでもあるのなら、更に良し。何よりも、生きているうちしか食べられない訳ですから....。仲間と楽しく美味しい食べ物を食べる。何物にも代えがたい至福の時間であります。ちなみに、こういう仲間と食卓を囲む時、殆どのものは持ち寄りか、労働の対価として物々交換したもの。いつも申し上げている労働の対価。某総合商社の会長さん(食糧出身)が、都会の30万円と、田舎の20万円、食を切り口に労働の対価を理解できるのであれば、田舎の20万円の方が遥かに豊かだね...と。同感です。これ非常に深いです。


愛ベリー

2009年02月11日 | 銚子のうまいもの

Img_4280 Img_4282 写真は銚子のお隣、東庄(とうのしょう)町のイチゴ(アイベリー種)。大粒で甘い品種で“愛ベリー”などとネーミングされ全国各地から引っ張りだこのようです。とにかくデカイ(写真右参照)そして、値段の事で恐縮ですが、一粒300円~500円。イチゴ一粒の値段ですよ....。不況だとか、消費不振だと言われている昨今、近隣の観光農園さんは、イチゴ狩の予約が殺到しているようです。アイベリーに限らず、イチゴは先端が一番甘く、ヘタに近づくにつれて甘みが落ちるんだそうです。知人の生産者さんから、イチゴはヘタを剥いて、最初にヘタの方から食べる、そうすると一番最後に甘みが....。最後に甘みのある人生を。というシャレなんだけどね....と。20代、30代のうちに一番甘いところから食べるクセつけるんじゃねえ。反対から食べて40過ぎから甘みに気付き、人生最後に一番甘いところを....。何か含蓄がある言葉のような.....。


天知る!地知る...②

2009年02月09日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_4253 写真の風景に出逢うなら、今の季節、朝6時半頃に魚市場へ...。何気ない一枚の写真には、撮った人間の時間はじめ実に様々なものが内包されております。転載をお断りする理由は何にもありません。ただ、全く知らないところで、写真が転載されており、お前のブログのあの写真、~で見たぞ。と言われ、実際目にしてしまうと、非常に嫌な気分になります。という事で、お使いになる際はご一報下さい。あるいは現場に赴いて自身のお時間と労力で....。この件に関して、仲間と話しておりましたら、ここに昨今の社会現象の端緒が見えると....。この記事書きながら、ふとTVを見ると、農業後継者・20代女性の奮戦記やってました。嫌な気分が吹き飛ぶほど、清々しい内容....。本日はこの辺で。


天知る!地知る!.....。

2009年02月06日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_4255 天知る!地知る!子知る!我知る!....、誰も見ていないからと言って悪事を働く。しかしながら、天は知っている(見ている)、地(神という場合も)も、子(あなた)だって、そして私自身もその行為を知っている....。そのことが悪事とは知らずに手を染めている場合も....。理由の如何を問わず、悪事は何らかの形で制裁を受ける...。中国のことわざでありました.....。さて、拙ブログの写真ストックが2万枚を突破しました。銚子に戻ってから大きな環境変化になかなか適応できず、何か出来る事を!と、カメラ片手に歩け歩けを続けながら、またペーパードライバーを返上するべく、教習所に通い直しながら、気が付けば車の走行距離6万㌔....。想いが深いからでしょうか?、どの写真を見ても、その時の精神状態まで鮮明に思い出すことが出来ます....。最近、お前のブログ写真使わせてくれ。レポートや記事に使うから.....。こんなお申し出もかなり増えました。お断りする理由は何もなく、はいどうぞ。となっている訳であります。第三者を経由した場合も、私が撮影したものと分かっている方々は、ご丁寧にも私までご一報頂き、ああこの方々は“写真を撮る”という行為の意味が分かっているんだな~。と清々しい気分になります。反対に、無断転載も時々見かけます。私が撮影したものと知りながら、或いは知らないふりをして、私が渡した第三者から許可を取っているから....と居直る始末....。非常に悲しい気分になります。別に私の写真に版権が有る訳ではありませんが、“写真を撮る”という行為は、その風景の時間・場所・感情までが内包されております。プロの報道カメラマンは、真実に迫るため、それこそ世界中、危険地帯を厭わずに時代の生き証人としてシャッターを切る。私はプロではありませんが、一枚一枚にささやかな気持ちが入っております。少なくとも、ご一報は頂きたいものであります。甚だ生意気な事を申し上げるようでございますが....。むろん殆どの方々からはご丁寧な連絡を賜っております。ごく一部の非常識な方のために、不快な記事を掲載してしまい誠に申し訳ありません...。某全国紙の記者さんにこのことを話したら、もしうちの記者が写真の無断転載などしたら、理由の如何を問わず解雇処分だろうな~と。プロとしてメシ喰っている限り当然の帰結。新聞そのものの信用問題。下手すりゃ訴訟だ。プロが素人の写真をパクッたりしたら....、そりゃ世も末だわな....。天知る、地知る、子知る、我知る....。清々しさの裏側にある汚物....。その分水嶺が、許可を取る。というほんの少しの配慮だとすれば、まさにパラダイムシフトを迎えた現代の振り子の揺れ現象かと....。最後は難解かもしれませんが、すでに毎回ご覧頂いている多くの読者の皆様方にとっては、ご賢察の通りかと存じます。天知る、地知る....、自らが感じている不快な感情、これを反面教師にせねば....と。私本日からお江戸へ行って参ります。日曜日は従軍記者であります。


カモ&モツ

2009年02月05日 | 銚子のうまいもの

Img_4137 Img_4189 昨日の日経新聞において、“銚子”のブランド力は首都圏で10位、全国で88位であるとの記事を読みました。調査方法その他詳細は日経をご覧下さい....。で、やはり銚子と言うと、海、魚....。私も水産業者の端くれゆえ、これは喜ばしい事ではありますが、そこに暮らす一市民としては、是非補足をしておかねばならないと思っております。沢山あるのですが、本日は“食”の一端を。当然の事ながら、銚子の人間は毎日刺身や焼魚、煮魚だけを食べている訳ではありません....。確かに魚は豊富、農産物も....。以外に知られていませんが、銚子(周辺)は畜産の大産地でもあります。パナマックス(世界最大5万㌧級・穀物運搬船)接岸可能な鹿島港を後背地に、お隣の旭市には、全国最大規模の千葉県食肉公社(食肉処理場)、豚肉、牛肉、ブロイラーのみならず、鶏卵等の生産量もかなり多くなっております。すべて銚子から車で30分~40分以内の距離...。近隣に食肉処理場があるという事は、新鮮な内臓が手に入るという事であり、写真左は、横芝光町の某有名店のモツ鍋。東京・芝浦、横浜、大宮といった関東三市場と呼ばれる食肉市場周辺の有名モツ鍋店に全く引けをとらないかと。しかも1人前500円.....。最近は1~2ケ月に一回程度、岩盤浴&モツ鍋が楽しみの一つ....。右は私が銚子で一番美味しいと思っているお蕎麦の名店で供されるカモ鍋。このカモは北海道、青森産のようですが、ダシに使う醤油は銚子の老舗のものなど、地元向けにアレンジされております。銚子のお隣、東庄あたりでは、野性の野カモを食べさせてくれるお店もあります.....。海、魚ばかりではなく、農畜産物、川魚...その他盛りだくさん。知られざる逸品が多数存在しております.....。私を含め、食い道楽にとってはまさに天国...。このモツ鍋とカモ鍋は間違いなく絶品であります。


去るもの....。

2009年02月04日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_4214 昨日は節分でした。“節目”の日であります.....。私ごときが由来云々を申し上げるまでもありません。さて、去るもの日々に疎(うと)し、なることわざがあります。英語でもOut of sight, Out of mind....と。直訳すれば、目に見えなくなれば記憶から消し去られるとでもなりましょうか? で、去るもの.....。確かに、いくらそれまでに長い時間を重ねていたとしても、その中身が空疎で、虚偽に満ち溢れたものであれば、人間の記憶など残酷なもの....。あれ、誰だっけ....と、なる訳です。大人の狡さでタヌキを決め込む方もおられるのでしょうが、まあ一般的に言って、会わなくなれば忘れ去られていく....。節分という節目に年明けを鑑みるに、これでもか?これでもか?というくらいに懐かしい方々との再会がありました。で、その懐かしいと感じる方々、一緒にいて会わなかった10数年のブランクを全く感じない。あれ、昨日一緒にいなかったっけ....。何でだろう...。大先輩からお前ら相変わらずバカだね~とのお言葉のあと、すべからく、節目を大切にするヤツらだからだよ....。確かに...。節のない竹が上に伸びられないように、嫌でも、辛くても節目をキチッとする。相手がそうしなくても、自分だけはそうしておけ。自己満足と言われようと何と言われようと、後になったら分かるから....と。で、何となく、その意味がちょっと分かったような気がする2009年の節分でありました。何で“節分”という日があるのか?マメ撒き、イワシの頭、ヒイラギの魔除け....何で?という事であります。節目をキチンとしていないと、魔物が入り込む.....。せっかく築いてきたものも節目をないがしろにして魔物に取り付かれ、すべてを台無しにする....。怖い、怖いです。殊に人間関係においては、いくら携帯、メール(デジタル)が発達しようと、相手は生身の人間であるが故に、間口が空いているうちに面と向かって(アナログ)が涵養(かんよう)かと....。閉まってしまってからでは後の祭り....。Out of mindであります。写真は機上から、恐らく紀伊半島上空かと思います。


宮崎へ!(最終)

2009年02月03日 | 諸国漫遊紀

Img_4236 Img_4239 宮崎での出来事などを掲載しておりましたが、日々の慌しさにかまけて、気が付けばもう2月....。節分を過ぎれば我々の年代、前厄を迎えるに至ります....。宮崎では懐かしい方々に再会する。ただそれだけで良かったのです。見たり、聞いたり、感じたり....、相変わらず好奇心だけは旺盛ですので、写真左のような“肉巻き”(宮崎の新?名物)を見れば食べたくなり、すっかり田舎者ゆえ、羽田に付けば夜景に心を奪われる....。しかしながら、宮崎の感想は?と問われると、う~ん、人間関係は互いに重ねた時間の長さではなくて、“濃さ”ですね~....と。どういう関係が濃くて、どういう関係がそうじゃないの?と聞かれても答えられない....。ようするにそう感じるだけ。少なくとも、いちべつ以来、10数年ぶりという方にも多数お会いしましたが、全く違和感を感じない。昨日も一緒に会っていたかのような錯覚すら覚える....。一緒にいる、その空間の居心地が最高に良い....。宮崎訪問の一週間前、これまた久しぶりに大学時代の友人に会い、痛飲し...。10数年ぶりの再会、あれも話そう、これも話そうと思っていたのに、結局一言、二言、言葉を交わしただけ...。時間の経過を全く忘れ、もうそろそろ朝日が昇るぞ、という頃合にお開きとなり、その場に居合わせた大親友からメール....夢のような時間だったな...と。世の中、合理的なもの、非人間的なもの、100年に一度の経済危機とか何とかで、そんな雰囲気が満ち溢れているように思いますが、やはり振り子の揺れ....。そんな雰囲気が強くなればなるほど、合理的ではないけれど、人間臭い関係が、人間を人間たらしめる大きな要素になっていくものと、頭ではなく心で感じている次第であります。お世話になった方々、本当に有り難うございました。また、引き続き宜しくお願い致します。いつもの如く、連載モノの終わり方.....。中途半端ですいません....。