銚子・角巳之・三代目

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トンネル(出口)②

2022年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム

最近、成田市場に行く機会が増えました...。成田空港の滑走路横に農水産物の海外輸出を中心に
行う市場であり、銚子の魚も旭の農産物もここから海外に輸出されております。従来のパターン
の多くは、一度豊洲や大田のような中央市場に送られたものが成田に戻って来る...。

全国各地から集められた荷物は翌早朝にセリに掛けられ再び各地に分配される...。そうして成田
に入ってきた荷物が海外に行く場合もありますが、これだと1日分・鮮度が落ちる...。だったら
産地(例えば銚子)から直接成田市場に届ければよい。なるほど...ですが。

銚子の(魚の入札:銚子はセリでなく入札方式です)は午前7時半から。そこで購入した業者が
荷造りして、午後1時頃までに成田に運ばないと、輸出手続等の関係から夕方の便に間に合わない。
(主に東南アジア向け)1日であっても“鮮度”が良いもの...この需要が高いというのが前提ですが...。

銚子から成田、仮に高速が繋がっていたら30分ほど。現実は繋がっていないので下道1時間強の
行程を進むことになるのですが、時間に追われる配送の方々も15分の短縮は有難い...と。さて、
続きは次回に。早いもので8月も終わり明日から9月です。残暑お見舞いを申し上げます。


トンネル(出口)①

2022年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム

以前掲載しました、清滝トンネル...。前回は広域農道・旭から銚子方面を見たところ。そして
今回は銚子から旭方面を...。無意識に(出口)と書いてしまいましたが、出口であり入り口。
これまた、どちらから見るか?ということだけであります...。

関係者の方に聞くと完成までそれほど時間は掛からないだろうとのこと。具体的に1年くらい
このトンネルが完成すると、成田市街地から多古(たこ)に抜け、広域農道に入って、終点の
先のこのトンネルを抜けて、暫く走れば“利根かもめ大橋”...一気に茨城へと繋がります。

裏を返すと、銚子の水産物、旭の農産物が成田、千葉...はたまた東京を中心とする首都圏への
アクセスが良くなるということですから、地域だけでなくその受益者は地域だけに留まらない
ということであります。道路の受益者...、このこと良く考えます。

このトンネルが出来ると、従来の迂回路経由に比べ15分ほど時間短縮となるだろうと思います。
そしてコスト...。このトンネルの総事業費はいくらか分かりませんが、15分短縮するために
~億円も...。という意見もあるだろうと思います。がしかし...(続きは次回に)



実るほど...。

2022年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

所要有って鹿島方面に行って参りました。そして銚子への帰途...。逆水門を渡って東庄町から
銚子へ向かう道すがら、利根川沿いの水田が一面、黄金色になっておりました...。あまりに
見事でしたので車を停めて暫し見入っていた...と言う次第であります。

ふと、実るほど・頭を垂れる・稲穂かな...。の句が出て参りました。誰の作か分かりませんが、
非常に有名な一節。車を停めて穂先を見ると、なるほど...、一様に頭を垂れて風に吹かれており
ました...。頭を垂れて風に吹かれるまま...、何か気持ちの良い情景でありました...。

稲穂の姿に人間を重ね、人もかくありたい。そういう句であると認識しております。立場や地位
が上がるほど、人は謙虚になるものだ...そういう事だと思います。反対にどんどん尊大になると
すれば、それは自然の法則に背くこと...。重い穂先がふんぞり返ればどうなるか...と。

何度か掲載させて頂いておりますが、自然の姿(法則)は人間の生きる指針に繋がっている
ように思います。そこにあるのに見ない、感じない...ただこれだけかと。停車5分ほどのこと
でありましたが、こういうちょっとしたこと、時間...。大切にしていきたく思います。


落花生畑にて②

2022年08月28日 | SDGs

あえてSDGsとしたこと...。一つには世界人口爆発と食糧問題。そして気候変動により干ばつ・
長雨などの影響が常態化。世界のナッツ(落花生もナッツの仲間・種実類)産地で収穫が出来
ない等の情報が多々寄せられているからです。さらに種実類...連作障害も激しいようです。

ナッツ類については、昨今TV等でその健康効果が喧伝され(私もすっかりその信者です)、
大きな話題となっております。栄養価が高く(実はカロリーも高い)、長期保存が可能...。
食料問題解決と防災備蓄はじめ様々な有効性が確認されている優れもの...それが銚子で...。

ナッツの需要は世界的に高まっているようですが、食べる人増えて・生産不安定。値段が
上がり・貧しい国買えない...。落花生=乾燥したあのヤツ...。日本国内ではだんだん需要が
無くなってね...。こういう構図から離れられないと現実が見えないかもしれません。

離れると言いますか、ちょっと視線を転じてみる...。ここ数年、ご縁あってこの落花生生産
の方々との交流が続いておりますが、年々状況が変わっていることに気付いております。
国内では販売苦しいと言ってるのに、海外から引き合い強い...。そんな時代なんだろうと思います。

落花生畑にて①

2022年08月27日 | SDGs

あえてカテゴリーをSDGsと致しました...。昨日まで落花生の話題を掲載しておりましたが、
本日はその畑...にて。正確に言うと昨日の出荷写真の品種は、郷の香(さとのか)...。そして
本日の畑は、Qナッツ(キュー・ナッツ)であります。Qナッツは千葉県の推奨銘柄...。

畑に種を蒔いて水や肥料を上げれば作物が育つ...。そんな甘い訳がなく...。しかもプロ生産者。
生育の工夫、病気対策、収量の計算...本当にもうやることが沢山であります。当日は千葉県の
総合農林センターの方々はじめ、生産指導のプロも多数お越しになっておりました...。

毎日土壌の温度、PH等を計測。この作物と、この大地の相性や適性をコツコツと調べ、生産
に生かすデータを取っている方々がおります。決して表に出てくることはありませんが、必要
不可欠の存在...。改めて農産物生産はチーム対応と思う次第であります...。

農産物だけでなく、すべてのこと...だと思います。何かが成就する時、必ず裏方がいてその
方々への感謝ある時は順調に進むけれど、ちょっと勘違いが始まり調子に乗るとすぐ瓦解...。
50も過ぎれば、こういう事例今までたくさん見て参りました...(続きは次回に)


今年も落花生②

2022年08月26日 | 日記・エッセイ・コラム

1年1産の農産物は、今年が終わればまた来年...。1年の時を待たねばなりません...。当たり
前と言えば、当たり前のことですが、これが生産者の体内時計(もっというと人生の時間)
なのかもしれません。故に生産物はたんなるモノではなくて、コト...の集大成。

かつて、あと何回田植え出来るかな~と、そんなことを毎年仰っておりました生産者の大先輩
がおりました(このブログの10年以上前に何回か掲載しております)過去形で書いています
ので、すでにお亡くなりになったのですが、今でも時々、在りし日のことを思い出します。

銚子・落花生生産組合の方々はお若い方(30代~40代)が多く、こういう方が地域に
いること非常に頼もしく思っておりますが、時間は容赦なく過ぎるもの...。先輩方から薫陶
を受けたものとして、この時間のこと...、若い皆さんと肝に銘じて参ります...。

何か思い立ったら...。すぐに(小さく)始める...。致命傷を負ってしまうような準備不足、
派手な宣伝は厳に慎み、とにかく小さく始めてみる...。面倒くさいな~。そこが試されて
いる領域...。この面倒くさいな~の領域こそ、大きな分岐点...。そう思うに至ります。

今年も落花生①

2022年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、銚子ゆでピー生産組合(落花生)の出荷が開始されました...。今年も一部、参画させて
頂いております。すっかりこの季節の風物詩となりました...。銚子で?落花生?ということで
すが、(生産組合として)もう20年以上の歴史があるようです...。

農林水産省のHPを見ると、現在の国内落花生の流通のうち国産は10%程度...。90%は外国
産なのだそうです。国内生産10%のうち千葉県と茨城県を併せて90%以上...。因みに千葉県
のシェアは80%以上。今さらながら物凄いシェアと思います。その貴重品が銚子で...。

カーナビで千葉県に入りました...。というアナウンスの時、出てくる画像は落花生...。(最近は
九十九里海岸も増えてきましたが)落花生=千葉を代表する農産物。この構図は不変かと思い
ます。もちろん千葉で落花生と言えば八街...。非常に有名ですので本日は省略...。

銚子の今の季節は農産物の端境期(はざかいき)...。トウモロコシが終わり、メロンもスイカも
終わり...。さてダイコン、キャベツの準備するか...というピンポイントの2ケ月ほどの収穫です。
おコメ同様、収穫は1年に1回のみ...。あと10回と言ったら10年のこと...(続きは次回に)

出汁(ダシ)③

2022年08月24日 | SDGs

魚の“そぼろ”は、銚子港で揚がった白身魚なら何でも...。当日はヒラメやタイだと。何とも
贅沢な...。ただし使っている部位は一品料理として出すところではなく、捌く過程で出た
余剰部分(多くはアラになってしまうところ)料理人さんの腕であります...。

言葉に釣られて、ラーメンスープをそぼろご飯に掛けて...。上質な魚茶漬けであります...。
気が付いたらスープ飲み干してました...。塩分は測定した訳ではありませんが、相当少ない
だろうと思います。魚の出汁(うま味)の有効活用...。こういうことであります。

かつて都内の海鮮丼屋さんで。1杯1800円の丼食べました。少々高いな...が最初の感想。
最初はそのまま食べ、暫くしたら寿司酢のジュレが出てきました(味変)、最後に魚の出汁
が出てきてお茶漬けで。食べ終わり、これは1800円以上の価値、大満足だな...と。

食べ物はSDGsを意識して食べるのではなく、生命維持、健康...やはり美味しいから食べる
のですが、美味しく食べていたものが実は、海の豊かさを守るささやかな貢献(魚を無駄に
しない等)に繋がっているとしたら...。様々な示唆に富むラーメンでした...。

出汁(ダシ)②

2022年08月23日 | SDGs

知人に連れられて入った小さなお店(カウンター3席+小上がり2テーブル)にそれはありました。
噂には聞いておりましたが、果たして...。噂通りでありました。銚子港で揚がった小魚類(のアラ)
からふんだんに出汁を取り、地元醤油メーカーさんとのコラボで得も言われぬ味を....。

一般的なラーメンで言う、チャーシューの定位置にあるこの白い物体は何ですか?と聞いたら、
魚のチャーシューです...。魚は?...、アブラボウズです...と。アブラボウス...、本ブログ・銚子の魚
に現物掲載しております。南房総や小田原あたりでは、おしつけなどと呼ばれる美味なる魚...。

感想は、やりますね~と、ただ感心...。銚子なんだからこういうラーメン出てくると思っており
ました。以前も多くの方がチャレンジしたようですが、時代が早すぎたのか、我々食べる側に、
意識が無かったのか...。今の時代...、ど真ん中に入っているようです。

ラーメンと一緒に魚(もちろん銚子港水揚げ)の“そぼろ”が乗ったご飯が出て参りました。これは
明日掲載します。ラーメンスープをご飯に掛けても美味しいです。とのことでしたが、私少々血圧
が高く、塩分はちょと...と申し上げましたら、塩は殆ど入ってないです...(続きは次回に)


出汁(ダシ)①

2022年08月22日 | SDGs

SDGsの項目に“海の豊かさを守ろう”という項目があります。マイクロプラスチックや海洋酸性化
様々な課題が挙げられております。そして具体的な一歩は何か...ということになりますが、今回は
足元を見つめ直すということについて。具体的に海の恵みを食べるということ...。

人間は1日3回お腹が減り(諸説ありますが)、何かを食べる訳です。地球規模で...という大きな
ことは今回脇に置き、私の周囲の小さな世界の話です...。食べるということで何か貢献できないか?
その一つが写真(銚子某所・UMIラーメン...)魚の出汁がふんだんに使われております...。

かつて知人のシェフに、銚子港で揚がった小さなホウボウはどうしていますか?と聞かれ、当時私
は蒲鉾屋の端くれでしたので、すり潰してさつま揚げに混ぜていますと答えました。その時に出た
ホウボウの頭はどうしていますか?と聞かれ、頭...、アラとして捨ててます...と。

帰ってきた答えは“喝”でありました。貴方、何も分かっていませんね。ホウボウの頭は最高の出汁が
取れるのに...。それを捨てているんですか....。魚を語る資格ないですね...とまで。ある種のトラウマ
になっていましたが、今回目にしたラーメンはそれが体現されておりまして...(続きは次回に)

鯖・ラーメン!

2022年08月21日 | 銚子のうまいもの

そこに鯖・ラーメンなるものがあることは知っておりましたが...。私の出不精・喰わず嫌い
によって、数年前からあったらしのですが出逢いは今(数年後)となりました..。しかも
事務所から徒歩圏内...。敢えて教訓とすれば、これ人生そのもの...。出逢いは近くに...。

にもかかわらず。行かない。食べない。理由は全く難しくなく、面倒くさかっただけ...。
繰り返しになりますが、人生そのものではないか?と思う次第です。何時でも行けると
思っていると結局行けない...。そして言い訳、見当違いの批判が始まるのです...。

鯖・ラーメン(銚子駅から徒歩圏内です)については、HP等で様々な感想ありますので
詳細はそちらをご参照下さい。銚子港の鯖水揚はこの10年ほど、港全体の水揚げの約
半分を占めている。鯖節で出汁を取り、鯖の切り身を載せて、ラーメン...連想ゲームです。

ものごとが順調に行くときは、その思考・単純明快。反対におかしくなってくると複雑
怪奇に..。ラーメン等の出汁についても同様かもしれません。鯖節をベースに出汁を取り、
チャーシューの代わりに鯖...。それを銚子で。単純明快で非常に良いと思います...。

米百俵...②

2022年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム

この百俵は今でこそただの百俵であるが、後年には一万俵になるか、百万俵になるかはかり
しれないものがある。いや米俵などでは見つもれない尊いものになるのだ。その日ぐらしで
は長岡は立ちあがれない。あたらしい日本はうまれないぞ....。長岡市HP等から引用。

後に残るものの始末...とでも言いましょうか。長岡藩は幕府軍にも付かず、薩長軍にも付かず
中立という立場を保ちながら結局戦争に巻き込まれ、残された長岡の方々は塗炭の苦しみを
舐めた訳であります...。歴史にはタラ・レバは禁物で様々な意見があることも承知しております。

歴史の解釈は別にしても、米百俵の逸話で語られていることは、“今”を生きる我々にとって、
非常に大きなことを示唆していると思います。殊に自分が生きている範囲で答えが出ない領域
について“今”決断すること...。例えば30年後のこと...。結果がどうなるにせよ...。

後に残るものが始末をしなければならない...。このことは肝に銘じておくべきであろうと思い
ます。如何に綺麗な言葉で飾ろうとも先のことは誰も分からないし、どうせ自分は生きていない。
そんな先のこと知ったことか...。そういう感情が少なからずあるのが人間である。こういうことも...。

米百俵...①

2022年08月19日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日までの内容と被るかと思いますが...。知人と立ち話をしておりまして、出てきたお話、
米百俵...。何のことかと申しますと...(写真あえて過日、忠霊塔の写真を使いました)
長岡藩に残る故事・米百俵のことであります。食えないから学校を建てる...。

先般掲載しました、峠のこと...。この舞台が長岡藩であり長岡藩は敗れ生き残った方々は、
その日食べるものに困るくらい難儀する...。そこに近隣の三根山藩(みねやま:現在の新潟市
の一部)から米百俵が救援物資として送られる。人々は分けろ、分けろと騒ぎだす...。

このお話、各方面で引き合いに出される非常に有名なお話。私は長岡市のHPを参照させて
頂きながら、このお話を掲載させて頂いております。小林虎三郎という方(今でいう市長
かそれに準ずる肩書の方かと思います)は話し始める。もともと長岡は常在戦場の気風...。

以下、長岡市HPからの引用...。この米を1日か2日で食い潰してあとに何が残るのだ。
国が興るのも滅びるのも、まちが栄えるのも衰えるのもことごとく人にある。この百俵を
もとにして学校を建てたいのだ...(続きは次回に)

77年...③

2022年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

人は如何に時代に翻弄されようとも、前(将来、まだ見ぬ未来とでも)を向く生き物なのだと
思います。殊に自らの力ではどうしようもない事柄に遭遇すると、その傾向は顕著になるよう
です。8.15は来し方(過去)に尊崇の念を持ち、行く末(未来)を見つめる日...。

過去と未来の交差点である“今”を如何に生きるかということですが、まずは散るより枯れるま
で...。遠くよりも自分の足元をもう少し深く掘って見ようと思います。先のこと例えば30年
先のことなら、30年前のことを思い出してみる。そこから今を見つめ直す...。

先のことは何も分かりませんが、これから先もきっと時代に翻弄されるような出来事が起こる
のだろうと思います。そして、それでも...。にも関わらず...。そうやって前を向くのが逞しさ
であり、過去を振り返ることで得られる知恵...そういう領域があるのだと思います。

戦争を知る世代が一人、また一人と亡くなって参ります。私が知る戦地に行った方々(祖父世代)
が口を揃えて語っていたこと、生き残ってしまった・申し訳ない...。こういう語り部もいなく
なりました...。本日は祖父世代に聞いた自らの記憶が多々蘇って参ります。令和4年8月15日...。

77年...②

2022年08月17日 | 日記・エッセイ・コラム

ある時を起点として10年後、20年後を想起する場合...。その起点から10年前、20年前を
思い出しながら“今”を観るという感覚もあろうかと思います。”今”は10年、20年前に自らが
思い描いていた将来の姿か?...と。もちろん自らだけでなく社会情勢の変化も関係すると思います...。

終戦から77年が経過した。ということでありますが、その前(終戦・1945年の77年前)
は約700年も続いた武士社会の終焉の日。もうお殿様は要りません。お侍さんも要りません。
何もかも、人の価値感さえも大きく変わって行ったその起点であります...。

その後77年の間...。第二次大戦の終戦まで、日清・日露戦争、第一次大戦、日中戦争、太平洋
戦争...と戦争の時代が続き、反対に終戦から現在までの77年間は戦争の無い時代...。77年と
言えば人の一生分の時間とほぼ同じ。生まれる場所、時代は選べないといいますが...。

時代に翻弄される。という表現がありますが、まさに人間は時代に翻弄されるものなのだろうと
思います。大きな地震やコロナ禍...、戦争の時代に比べれば...という不埒なことを申し上げたい
のではありませんが、翻弄されながら...それでも。という領域が生きた証かと(続きは次回に)