因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

唐十郎さんを追悼する会

2024-10-15 | 舞台番外編
*公式サイトはこちら(明治大学唐十郎アーカイヴ) 10月15日(火)猿楽通り特設紅テント 劇団唐組観劇の記録(『動物園が消える日』初日含む)→(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18
 8日の特別講義「唐十郎の演劇世界 2024」に続いて、公演中の紅テントでのイベント第2弾。いつもの公演前の賑わいとは少し違う雰囲気のなか、学内外さまざまな年齢層の観客でテント内はほぼ満席となった。

 唐十郎アーカイヴ委員長の明治大学演劇学専攻・伊藤真紀教授の司会進行のもと、文学部長の田母神顯二郎教授の挨拶に続いて、同大における2012年度の唐十郎の講義「演出論A」第1回資料より抜粋の録音が披露され、懐かしい声と口調にしばし聴き入った。プログラムは以下の通り。舞台には2名の手話通訳者が登壇し、唐十郎を語ることばが生き生きと伝えられた。

☆第一部 卒業生とともに
 2012年度唐十郎ゼミ「紅団子」の元メンバーの方々(池上亮太、新出桂子、菅原風赴、山崎彩加の4氏)、司会は文学部兼任講師・村島彩香氏。
 唐十郎の講義を聴いた印象、ゼミにおける『少女仮面』の稽古の思い出の中では、卒業生方が異口同音に唐組俳優の故・辻孝彦(2018年夏急逝)の名を挙げた。怪我で倒れた唐十郎の代行として熱心な指導を受けたこと、稽古に身が入っていないことを厳しく指摘されたり、演技に躊躇していると、「やっちゃっていいからね」と助言されりなど、後進を導く辻の人柄と俳優としての実力が偲ばれる。続いて4氏が現在社会人としてさまざまな仕事をする際、当時の体験がどのような影響を及ぼしているかなどが語られた。
 かなり綿密に打ち合わせをされたのであろうか、堅実な展開であったが、もう少しリラックスして自由に語ってもよかったのでは?また「させていただく」という言い方が多いことも気になった。しかし唐十郎という希代の演劇人の影響がいかに強く深く、息長いかを改めて感じ入る時間であり、卒業生の方々のかけがえのない体験を客席から祝福したい。

☆第二部 劇団唐組の皆さんとともに
 劇団唐組・久保井研、稲荷卓央、藤井由紀の3氏。司会は同アーカイヴ運営委員・樋口良澄氏
 30年以上を唐十郎、テントとともに過ごしてきたベテラン俳優の3名の鼎談は思い出にとどまらず、明日の唐組、演劇について倦まずたゆまず走り続ける第一線の演劇人の心意気に溢れるものであった。

 心に残ったことをいくつか。

 学生時代、紅テントに惹かれて公演中何度も足を運んだ稲荷が遂に決心して唐組の俳優として入団した際、当時の劇団制作者から「いい客だったのにね」と惜しまれた話。ある公演中のクライマックスで、ゴールデン街から花園神社へ迷い込んできた酔っ払いが「つまらない芝居やって」と絡んできた。唐は当時新人だった稲荷に「きみ、放っといていいからね」と冷静に言った次の瞬間、その酔っ払いに掴みかかったという。舞台ではカーテンコールが始まっており、「作・演出 唐十郎!」と呼ばれているのに喧嘩が続いていた話。

 さらに、唐十郎は観客に「サービス」はするが「迎合」はしない。「迎合した瞬間、唐十郎作品は古典になってしまう」。そして「唐十郎戯曲の上演にアドリブはあり得ない」という言葉にはわが意を得たりの手応えがあった。

 自分は80年代の終わりに状況劇場公演へ一度訪れたきり、紅テントに近づくことがなかった。それが30年以上も経って唐十郎作品と劇団唐組を知ることとなったのは偶然、いや必然か。唐十郎の全盛期を体験していないだけに、戯曲はいっそう謎めいて奥深く魅力的であり、「もっと知りたい」と俳優の肉体と肉声を浴びるようにテントに通っている。知らなかった(知ろうとしなかった)年月を悔やまないと言えば嘘になるが、遅れてきた自分は遅れてきた分の宝をこれから受け取ろうとしている。そう思うと、これからの唐十郎との出会いがますます希望に満ちたものとして予感されるのである。
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