因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

龍馬伝第17回『怪物、容堂』

2010-04-25 | テレビドラマ

これまでの記事(1,2345,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16
 勝麟太郎(武田鉄矢)の弟子になった龍馬は、勝とともに海軍の人材要請に各藩邸を訪れ、遂に前土佐藩主山内容堂(近藤正臣)にまみえることになる。自分たちは容堂によって下士として散々に虐げられてきた。これまで喜怒哀楽を素直に顔に出していた龍馬だが、この場面では複雑な表情をみせる。岩崎弥太郎(香川照之)の語りがいつになく割り込むように説明的。

 近藤正臣といえばきざな二枚目の代表格だったが、今回はサブタイトルになっているだけあって、出番は短いものの動かし難い山のごとく、みるものを圧倒する。この近藤正臣といい吉田東洋を演じた田中泯といい、ベテラン俳優が不気味で得体のしれない役柄を怪演しているのが、おもしろさのひとつ。

 勝や近藤長次郎(大泉洋)と大坂に行くことになった龍馬は、千葉道場に別れを告げる。
 佐那(貫地谷しほり)と一緒になって千葉道場を継いでほしいと重太郎(渡辺いっけい)は懇願するが、龍馬は最後に佐那との立合いを願い出る。                                    

 3月末に放送された番外編「龍馬を愛した女たち」で、この立合いの場面の撮影が紹介されており、貫地谷しほりがカット割りせずにワンシーンで撮ってほしいと願い出て、その結果佐那の思いのたけを充分に演じることができたと語っていた。面をとった龍馬は、ここでもこれまでみせたことがない、泣くのを堪えている子どもような表情をみせる。ふたりの激しい剣の打ち合いは、勝ち負けや腕を競い合うものではなく、魂のぶつかり合い、龍馬と佐那でしか成立しない、一種のラブシーンではないか。

 9年も片思いを続けてきたあげくの失恋である。どれだけ年月をかけて尽くしても、龍馬の心が佐那に向くことはなかっただろう。どうしようもない。龍馬は剣士として佐那を尊敬している。「どう思うか」と問われて「尊敬している」と答えるのは、相手を恋愛の対象としてみてはいない、愛していないことの婉曲表現であることが多い。しかし剣の道を通して龍馬と佐那は、男女のあれこれを超越した交わりを得たのである。乙女も加尾も、そして妻になるおりょうにもできないことではないか。潔く筋を通した佐那は見事である。自分は佐那の恋を祝福したい。

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スタジオソルト第13回公演『パンラが野毛にやって来た GA~!GA~!GA~!』 

2010-04-24 | 舞台

 椎名泉水作・演出 公式サイトはこちら 下北沢OFF・OFFシアター 29日まで(1,2,3,4,5,6,6`,7,8,9,10,11,12)スタジオソルトが下北沢に進出。いつもの相鉄本多劇場とは大きさも町の雰囲気も違うが楽しみに初日を観劇。

 地域密着型の野毛丘動物園にひょんなことから珍獣「パンラ」がやってくることになった。新作のタイトルそのままの内容で、廃園の危機もささやかれる小さな園は、園長代理はじめ飼育係の精鋭を集めた特別チームを編成し、「パンラ」の公開に向けて大奮闘する。パンラが来ることになったきっかけや、パンラがどんな動物なのかなどのあれこれはいささか現実離れしているが、涙ぐましいまでに努力する5人の男たちの姿をみていると、客席の空気も自然に温かくなった。

 スタジオソルトの作品にはコメディとシリアスの2タイプがあって、今回はまぎれもなくコメディなのだが、劇作家の筆も俳優の演技も肩の力が抜けた感じが新鮮に感じられた。動物園の飼育についてもう少し具体的な内容が盛り込んであれば、物語の足元がもっとしっかりするように思われたし、檻の鍵をかけ忘れたエピソードが続くことも気になったといえばそうなのだが、あまり細かいことを言わず、ゆったりと楽しんだほうがいい。この印象をことばにするのはむずかしいのだが、今回の『パンラが~』は、スタジオソルトが次の作品に向かうための緩やかで、しかし確かな助走ではないだろうか。

 実は食事を取り損ね、空腹のままぎりぎりの時刻に劇場に飛び込むことになった。自分はこういう些細なアクシデントにたやすく気持ちが折れてしまうたちなのだが、パンラに取り組む男たちをみているうちに、平気になってしまっていた。劇場を出ると大粒の雨が降り始めている。傘を持っていない。これもアクシデントだ。今夜は観劇前後にアクシデントがあったが、どちらも「パンラ」が持ってきてくれたちょっと嬉しいプレゼントになった。

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劇団印象『匂衣』(におい)

2010-04-22 | 舞台

*鈴木アツト作・演出(1,2,3,4 5,6,7) 公式サイトはこちら 下北沢シアター711 25日まで
 4月後半というのに凍えるような雨風である。下北沢駅前の喧騒はいつものことだが、シアター711周辺は不思議な静けさに包まれていた。開演前の客席も、ありがちなざわめきや賑々しさがなく、静まっている。鈴木アツトの新作は「日韓国際交流公演」と銘打ってあり、主演のべク・ソヌは韓国からの客演である。さまざまな出会いや交わりがつながって、今回の舞台に結実したことがうかがえる。

 落ち着いた高級感漂う応接間(西宮紀子・舞台美術)にやってきたのは韓国人女優べク・ヨンジュ。日本に来てまだ日が浅いが、彼女の活躍ぶりをみたこの家のあるじ後藤田鈴蘭(高田百合絵)が、べクに仕事を依頼する。犬の演技をしてほしいというのだ。目の見えない娘の彩香(龍田知美)が可愛がっていた犬の「よそべえ」が交通事故で亡くなった。娘を傷つけることを恐れた母親はよそべえの死を告げられない。最初は拒絶するべクだが、前足としっぽをつけ、犬の匂いのスプレーをし、鳴き声を真似たり芸をしたり、次第に犬役にのめり込んでいく。

 相当に無理のある嘘をつき通すために登場人物がもっと無理な嘘をどんどん重ね、予想外のアクシデントやどんでん返しが続いて舞台は大混乱ののち、ハッピーエンド・・・というコメディだろうかと想像した。しかし80分の舞台はこちらの安易な思い込みを静かに裏切り、そして予想をはるかに上回るものであった。

 見えること、見えないこと。聞こえること、聞こえないこと。わかること、わからないこと。日常のさまざまな場面で、人はこれらを意識的に、ときには無意識に繰り返している。目のみえない人と外国人が登場することが単なる設定ではなく、ごく身近なところから次第に深いところへ、みる者の心をいざなう。互いの違いを認め合って、尊重すれば理解しあえると説くのでもなく、相互理解は難しいと結論づけるものでもない。笑える箇所もあったけれども、小ネタや時事ネタをまぶして歌やダンスで盛り上げることもなく、べクと彩香を中心に、母親、彩香の心にさざなみを起こす化粧品のセールスマン(深尾尚男)、心優しいべクの恋人(泉正太郎)の会話が細やかに紡がれていく舞台に心はますます静まり、惹きつけられていく。

 主演のべク・ソヌが素晴らしい。共演者も鈴木アツトがしようとしていることに誠実に向き合って、よい舞台を作ろうとしている姿勢が伝わる。

 終演後も客席は静かであった。劇場を出ると傘をささなくてもだいじょうぶなほどに、雨は微かになっていた。自分はたぶん穏やかな顔つきになっていたと思う。一人の劇作家の作品に続けて足を運ぶと、いつのまにか自分のなかに「この作家さんはこんな感じ」というイメージやパターンが出来てしまうことがある。今回の『匂衣』は、自分が無意識に持っていたいた鈴木アツトのイメージを明らかに作り変えるものであった。今夜の観劇によって、安直な思い込みや賢しらな予想を抱いていたことを自戒するとともに、劇作家の新しい一歩に立ち会えたことを喜びたい。その喜びをじゅうぶんに表現する言葉をまだ持たないことはもどかしく歯がゆいが、そこから何かをつかみとりたいと強く願う。

 

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龍馬伝第16回『勝麟太郎』

2010-04-18 | テレビドラマ

 これまでの記事(1,2345,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15
 龍馬が江戸の千葉道場にやってきた。彼を思い続けていた佐那(貫地谷しほり)と兄の重太郎(渡辺いっけい)は喜ぶが、龍馬は勝麟太郎(武田鉄矢)に会いたい一心で、ほかのことが頭に入らない。会えるわけがないとあきれる重太郎に、龍馬は重太郎が越前藩の剣術指南をしていることから、元越前藩主松平春嶽(夏八木勲)に会い、勝への紹介状をもらうことに成功し、赤坂の勝の屋敷を訪れる。

・・・とプロセスを書いてみて、改めて思う。武市半平太(大森南朋)は土佐藩の中心的人物で、飛ぶ鳥を落とす勢い、かたや龍馬は橋の下で野宿する脱藩浪人である。そんな龍馬が松平春嶽や勝麟太郎などの錚々たる人物にどうやって会うことができ、その後もさまざまな人々と交わりをもち、幕末の激流を泳ぎ抜いていったのか。自分が今回の『龍馬伝』にのめり込むのは、そんな単純な疑問の答をみつけたいからだ。

 龍馬と武市と岩崎弥太郎(香川照之)。3人の向上心の持ち方、方向性がそれぞれ違うことがわかる。武市は人一倍自尊心やプライドが高く、それを傷つける者に対して激しい敵意を持つ。弥太郎も「我こそは」という気持ちが強いが、何より金持ちになりたい!と実に強烈で素朴な欲望を持っている。さて龍馬はというと、他者からの評価をほしがっているようには見えないし、物欲も感じさせない。人を利用してのし上がろうともせず、ただただ会いたい人に会って話を聞きたい、日本を守りたいというまっすぐな意志が伝わってくる。

 にしても松平春嶽が「おもしろい男だ」と感心したり、勝麟太郎が龍馬に2度めにあったときのやりとりで、「気に入ったぜ」と合格を言い渡す場面は出来過ぎたエピソードのように感じられ、自分の疑問に納得できるものではなかったし、勝に咸臨丸へ案内されて、「黒船じゃ、日本人じゃ」と狂喜する龍馬のテンションに自分はついていけないのだった。迷路のようだった龍馬の人生に光が差し込んできたのはとても喜ばしいのだけれども。

『龍馬伝』は劇中の音楽も楽しみのひとつになった。第2部になって新しいメロディがいくつか流れていて、前回の終盤、武市たちが江戸にのぼる場面、今回龍馬が佐那に仕立ててもらった紋付袴に着替え、堂々と現れる場面で使われていた弦楽器の曲(テーマ曲の変奏だと思う)は、聴いていると背筋が伸びてくるようでとても好きである。

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演劇集団円『ホームカミング』

2010-04-18 | 舞台

*ハロルド・ピンター作 小田島雄志訳『帰郷』より 大橋也寸演出・脚色 公式サイトはこちら
 ステージ円 25日まで
 田原町のステージ円に来るのはほぼ半年ぶり。偶然だが前回と同じ友人と観劇した。
 ロンドンの下町の男所帯が舞台である。リビングの上手には2階への階段が見え、下手は玄関口に通じる。ソファやサイドボード、ステレオなど雑多な家財道具が置いてあるが、中央に瓦礫に埋もれかけた扉が描かれた絵があって、この一家を象徴するものなのか、生活臭を強烈に漂わせながらも、どこか別世界のような不思議な空気を醸し出している。

 かつて精肉業をしていた父親は、ソーホーの顔役でもあったらしい。次男はそれを継ぎ、三男は解体屋をしながらボクサー修行をしており、ハイヤー運転手の叔父(父の弟)が同居している。そこへ大学の哲学教授をしている長男が妻を連れて6年ぶりに帰ってくる。
 幕あき直前や、場面転換の暗転でライオンの咆哮が聞こえる。いかがわしい男たちの家に謎めいて色香たっぷりの美女がやってくる。「猛獣の檻に投げ込まれた餌だ」とチラシにあるが、そのことを示したものだろうか。

 今回の公演の特色は、登場人物が大阪弁を話すところである。新聞記事によれば、演出の大橋也寸は大阪出身で、「下町なまりの強い地域という設定なので、標準語では行儀がよすぎる。うそやののしりなど汚く荒っぽい言葉を生き生きと話せる大阪弁でやろうと考えた」とのことである。結論から言うと、この試みの意図はわかるものの、自分はその効果と手ごたえを得ることができなかった。設定を日本の大阪に変えるのであれば「翻案」ということになるだろうが、チラシや当日リーフレットには本公演の大橋也寸は「脚色・演出」と記されているが、前述の新聞記事には「潤色・演出」となっている。客席側からみると、「大阪弁を話すイギリス人を演じている日本の俳優さん」である。どうにも中途半端だ。逆に大阪弁にすることによって、戯曲の本来の意味や微妙なニュアンス、もしかしたら本質的なものが変容したり、こぼれ落ちて、充分に伝わらないところがあったのではないか。本作には唯一の女性をめぐるいさかいの中に階級や資本主義の問題が織り込まれているそうなのだが、や、申しわけない、自分には到底そこまで感じ取ることはできず、突然地金を出して大阪弁で啖呵をきる妻に呆然とするばかり。この男どもは何?どうして急にこんなことを言うの、するの?女は何者?夫はなぜ止めないの?あまりにわからない。これがピンターの不条理劇というものなのか、いやそれにしても。

 終幕、同じようにライオンの咆哮が聞こえ、そこに鞭の音が鋭く響く。猛獣使いがライオンを威嚇しているのだ。檻に投げ込まれた肉塊と思われた女が、実は男どもを支配する図と自分は捉えた。劇場をでて、前回と同じく友人と浅草寺まで歩き、この前と同じ店でしたたかに飲む。明るいうちから飲む酒は何と贅沢なことか。それにしてもどうして大阪弁にしてしまったのだろう。あまりな言い方になるが、そう思えてしかたがないのである。

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