因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団肋骨蜜柑同好会 第15回公演『ジャバウォック』 

2022-04-21 | 舞台番外編
*フジタタイセイ脚本・演出 公式サイトはこちら1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12)+こちらも 下北沢/楽園 3月6日終了
 関係者にコロナ陽性反応が出て公演初日から前半の回が上演中止を余儀なくされる事態に。しかし代替スタッフを手配し、公演は再開された。何と速やかで力強いフットワーク!リアル観劇はできなかったが、期日ぎりぎりに配信映像を視聴することができた(映像監督は倉垣吉宏/舞台芸術創造機関SAI)。

 おなじみの田瓶市に、異臭を放つ正体不明の巨大害獣が出没するようになって2年あまり。その獣に近づいた者には異臭が移るという。命に別状はなく、時間が経つと臭いは消えるのだが、最初の目撃者である赤羽美鳴(嶋谷佳恵)だけは症状が無くならず、入院療養している。市役所農林整備課有害鳥獣対策室の森末(吉田覚)、郷田(小島望)、若瀬(水口昴之)、何でも屋の態で駆除を申し出る反社の隼田(室田渓人)、社長にされてしまう組長の娘真弓(永田佑衣)、生物学の学者の神宮寺(安東信助)がそれぞれの立場と事情と思惑が目まぐるしく交錯する。そこに第一感染者の女性が大家をしていた部屋の住人だった平田(フジタ)が絡む。

 コロナウィルスを害獣に置き換え、マスクの取れない日常が3年目に入った今を反映した物語だ。しかし相手が目に見える生物であることから、目に見えないウィルスよりも具体的で、映画『シン・ゴジラ』なども想起させる。コロナ禍とカルト宗教をリンクさせた2020年12月の『2020』からおよそ1年半、フジタタイセイと劇団肋骨蜜柑同好会は、謎の生物に翻弄される、さまざまな立ち位置の人々を目まぐるしく描きながら、近未来のSFにとどまらず、予想外に壮大な物語を作り上げた。

 コロナ禍はSFではない。どうしようもない現実であり、精神的、心理的まして宗教的行為で解決はできない。これが厳然たる事実である。わたしたちはあるときは立ち向かい、あるときは折り合いをつけ、何とかして生きていくほかはない。逃げ出せないのである。満開の桜を見ても、陽気な音楽を聴いても、芯から心が晴れることはない。そのようなコロナ禍を否が応でも想起させる話だ。

 巨大害獣の正体が暴かれていく様相、事情も思惑もことなる人々が図らずも協力して大きな賭けにでる終盤は冒険譚、活劇風の勢いがある。ある人物の孤独な魂が肥大して害獣にすがたを変えたという設定は、コロナ禍で炙り出される人間の心の奥底のようで居心地が悪い。だがそこにこそ本作の魅力がある。終息の出口の見えないまま、コロナ禍は3年目に入った。そればかりかロシアによるウクライナ侵攻で、この世界はどうなってしまうのか。暗澹たる心持になる。

『ジャバウォック』はコロナ禍や戦争を解決する手段を提示するものではない。しかしほかの何かに置き換えの出来ない創造であり、この得も言われぬ爽快感は何なのだろうか。

 劇場での観劇が叶わなかったことは非常に残念であるが、下から頭上から等々アングルに工夫が凝らされた映像は見応えがあり、複数の時空間が、一杯道具の中で交錯する様相を堪能した。気になったのは俳優の台詞の発語が自分には速過ぎたり、大き過ぎたりするところがあり、後半の森末と若瀬の語らいのテンションで十分ではないかと思うのだが。

 コロナ禍は文字通り「禍」であり、演劇界には逆風が吹き荒れていると言ってよい。しかしフジタタイセイと劇団肋骨蜜柑同好会は、困難な現状を否応なく突きつけ、その先にある何かを提示しようとしている。「こんなご時世だからこそ、劇場にいるあいだは楽しく笑ってほしい」というエンタテイメントとは異なる創作の方向性は天晴であり、「どうかその意気で」と願うのである。
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