因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

創立30周年記念第1弾 新宿梁山泊第59回公演『風のほこり』『紙芝居 アメ横のドロップ売り』

2017-04-29 | 舞台

*唐十郎作 金守珍演出 公式サイトはこちら 芝居砦満点星 5月7日まで(1,2
  創立30周年第1弾として、2006年に唐十郎が書き下ろした「われわれにとっては宝物のような作品」(開演前の金守珍の挨拶)である『風のほこり』と『紙芝居』が連続上演された。梁山泊の本拠地、というより「根城」と言った方がふさわしい芝居砦満点星は大入り満員の盛況である。いずれも唐十郎が実母をモデルに、梁山泊の看板女優である渡会久美子に当てて書き下ろした。
『紙芝居』は敗戦後の下谷を舞台に、紙芝居屋を手伝う女・艶(わたらい)と復員兵・牧村(広島光)の出会い、「おおかみ王女」物語のなかで、無くなった1枚の絵と土地の買収や利権争いが絡む1時間の物語だ。
『風のほこり』は昭和5年、浅草の芝居小屋の奈落の文芸部屋で台本書きに難儀している水守(広島)と、作家を夢見て脚本の持ち込みをしている義眼を持つ女・加代(渡会)を軸に、舞台上と劇場外の世界が交錯する2時間の物語である。

 劇団員はもちろんのこと、『紙芝居』の百池先生役に黒テントの根本和史、『風のほこり』の義眼の細工師湖斑(こむら)役に東京ヴォードヴィルショーの石井愃一など、迫力と貫禄を備えた客演陣が舞台を支え、牽引する。

 『紙芝居』→『風のほこり』の順に観劇したが、前者は劇のリズムにうまく乗れず、これは故意なのかアクシデントなのか、俳優が小道具を扱うのにやや手間取っているように見えたり、舞台に誰もいない時間が(ほんの少しの時間なのだが)長く感じられ、それまでの熱が失われたりなど、集中を欠く観劇となった。一方で『風のほこり』は惜しげもなく大量の水を使う演出や、石井愃一の濃厚な演技が相まって、舞台空間や物語の運びにもにメリハリが生まれ、客席の空気も熱く盛り上がった。

 カーテンコールで劇団の主宰である金守珍から、今後の梁山泊のラインナップが発表された。大鶴義丹を迎えた『腰巻おぼろ 妖鯨編』、さらに大鶴美仁音を迎えた『少女都市からの呼び声』(であったと記憶する)が上演予定とのこと。挨拶のなかで金は「継承」という言葉を使った。状況劇場で培ったアングラ演劇の思想と方式を継承し、発展させたいという強い意志の表れである。
 伝統芸能でも新劇でもない、アングラ演劇の継承と発展。ここ数年でようやく唐組の舞台に足を運び始めた自分にはなかなか実感を抱きにくく、実は若干の違和感もあるのだが、これだけ情熱にあふれた舞台を見ると、客席に身を置く者とても「うかうかしていられないのでは?」という危機感と、「これからどんな舞台を体験できるのだろう」という夢と期待に、早くも胸が高鳴るのであった。

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2017年5月の観劇と俳句関連

2017-04-27 | お知らせ

 取り急ぎ、5月の観劇予定を書き出しておきます。
劇団チョコレートケーキ『60`S エレジー』(1,2,3,4,5,6,7,8,9
*新国立劇場「かさなる視点ー日本戯曲の力ーV0l.3」より『マリアのー幻に長崎を想う曲ー』
*文学座5月アトリエの会 文学座創立80周年記念『青べか物語』
 山本周五郎の原作を、戌井昭人が脚色、演出は所奏。
東京バビロン演劇祭2017参加作品 7度「ビジテリアン大祭」(1,2,3
 年明けから7度の舞台づいている。宮沢賢治の原作を、伊藤全記がどのような舞台に形作るのか。今回も鍛えられてきます。
唐組第59回公演『ビンローの封印』(1,2,3,4) 
 1992年、台北公演の成果を引っ下げて日本で幕を開けた作品が、四半世紀ぶりに封印を解く。

 俳句関連も取り急ぎ句会の予定と兼題まで。俳句の季節はもう夏です。
*かさゝぎ俳句勉強会 今度の季語三題は、「卯の花」「牡丹」「更衣」(ころもがへ)
*本部句会 「郭公」(かっこう)「風薫る」
*金星句会 「神田祭」「翡翠」(かわせみ)
*演劇人句会 「砂日傘」「虎が雨」…この句会の開催は5月15日。15日と言えば、毎月の俳誌「銀漢」用の10句、さらに金星句会の締切なのだ。ゴールデンウイークの帰省から戻ってくると、よりによって翌週に観劇数本、そしてそして因幡屋通信最新号の原稿が、もう冗談でない状態なのだが、果たして乗り切ることができるのでしょうか?!

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劇団朋友アトリエvol.16 「久保田万太郎を読むⅡ」ドラマリーディング『釣堀にて』『蛍』

2017-04-21 | 舞台

*久保田万太郎作 西川信廣(文学座)演出 公式サイトはこちら 西荻窪/朋友芸術センター 25日まで
 文学座の会報「文学座通信」には、劇団の俳優や演出家が劇団外で行う活動についても記載されている。西川信廣が演出し、劇団の女優筆頭である本山可久子が客演するこの公演を知り、迷わず観劇を決めた。公演リーフレットには本公演企画の西海真理(『蛍』のとき役で出演も)の【ご挨拶】には、昨年4月に「久保田万太郎を読む」のドラマリーディングが実現し、好評裡に終わったこと。そして今回も演出・美術・照明・音響・演奏(ピアノ演奏・松波匠太郎)を同じメンバーで上演の運びとなったことが記されている。昨年の演目は『冬ざれ』と『十三夜』の2本立てで、もし知っていたならぜったいに見たのに!と残念でならない。  

 本山可久子は今回『釣堀にて』の芸者春次役だ。夏には朋友において、久保田作品のワークショップの講師を務めたとのこと。出演者のなかで、というより今の演劇界のなかで、久保田万太郎から直接の指導を受けた体験を持つ貴重な存在である。昨年暮れの文学座アトリエ公演『かどで・舵』の関連イベントでは、「久保田先生のことは、ほとんどが悪口になっちゃいそう」と言いつつ、突然の死のいきさつを語るときに涙ぐみ、言葉に詰まる場面もあって、久保田万太郎という人、その作品の魅力について、もっと知りたいという気持ちを掻き立てられた。

 こぢんまりとした劇場で、客席は40席ほどであろうか。ステージには窓のようにも障子のようにも見える大きな円柱、上に大きな実の成った樹木がある。上手奥にピアノがあり、前回に続いて音楽を担当する松波匠太郎が生演奏を行う。出演者は時には立ち上がったり歩いたりもするが、基本的に箱状の椅子に腰かけて台本を読む。オーソドックスなリーディングである。

 改めて考えてみると、久保田万太郎作品のリーディング公演は、これが初めてではないだろうか。戯曲はいくつか読んだことはあるが、ト書きまではあまり意識していなかった。
 衝撃を受けたのは、1本めの『釣堀にて』である。冬の昼下がり、釣堀で青年と老人が並んで釣糸を垂れている。青年が非常に複雑な自身の家庭事情についての話したあと、老人が席を外す。そのとき「信夫(青年の名)は涙を拭く」というト書きが読まれたのである。これまで本式の上演で3回は見ているにも関わらず、自分には、涙を拭く信夫はまったく記憶にない。「涙を拭く」ということは、信夫は涙を流していたか、溢れそうになっていた、にじませていた等々、涙を拭く動作に至るまでの心の動き、声の調子、表情の変化がそれなりにあったはずで、そういった「涙周辺の状況」についても一切認識がない。信夫が泣いていたとは初めて知ったぞ。いったい自分は何を見てきたのか。

 2本めの『蛍』については昨年9月、文学座の自主企画公演を観劇しており(1)、この複雑な因果関係にある二組の夫婦の物語は一応頭に入っているつもりであった。しかし今回改めて台詞に集中して聴いてみると、どうしようもない人間の心の悲しさ、営みの切なさがいっそうしみじみと伝わってくる。

 2本通して、若手、中堅、ベテランともにしっかりと稽古が入り、心のこもった舞台であった。劇団朋友の名は知っていたが、公演に足を運ぶのはようやくこれがはじめてで、嬉しいデヴューの夜となった。

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劇団民藝公演『送り火』

2017-04-14 | 舞台

*ナガイヒデミ作 兒玉庸策演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA 24日まで1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26,27
 
今回民藝初登場のナガイヒデミは京都在住の劇作家で、幼少から青春時代を愛媛県今治市郊外の農村で過ごした。演出の兒玉も同じ愛媛県の中島の出身とのこと。郷里を同じくする作り手の思いの込った舞台である。休憩なしの1時間45分だが、ゆったりとした劇空間に身を浸すことができたせいであろう、いい意味で長く感じられた。

 公演パンフレットには、ナガイヒデミのインタヴューや、ナガイが劇作家を目指して研鑽を積んだ伊丹想流私塾で講師をつとめた劇団太陽族の劇作家・演出家の岩崎正裕から、ナガイの作品が民藝で上演されることを心から祝福する寄稿もあり、劇作家がひとつの作品を生み出すことと同時に、それをかたちにする劇団との出会いがいかに貴重であるかがわかる。

 家族が皆亡くなり、ひとりになった老女吉沢照(よしざわてる/日色ともゑ)が、家を仕舞い、ケアハウスへの入居を明日に控えた夕刻から夜半にかけて、家を訪れる本家の嫁、幼なじみ、かつて照と心を寄せあったその夫がつぎつぎに訪れ、語り合う。その会話のなかで、召集令状が来たのに出奔した照の兄のために、家族がどれだけ不遇をかこつことになったか、親戚も迷惑を被ったと照たちに冷たく、照は結婚を諦め、独り身で家を守り通したことなどが明かされてゆく。

 なぜ兄は失踪したのか。これが本作の核であり、観客を物語に引き込み、進めていく。

 幽霊を登場させることについて少し考えてみる。『ハムレット』の父の亡霊の登場は、ハムレットに仇討ちを決意させ、その後の行動に多大な影響を与える役割があり、その存在は必然である。現実には起こらないことでも、舞台(あるいは映像)ならできることはいろいろあって、幽霊を登場させるのもそのひとつであろう。しかしながら、劇中に幽霊を出していろいろ語らせるのは奥の手、というより、一種の禁じ手ではないだろうか。たとえ幽霊でも構わない、夢の中でもいいから、亡くなった家族に会いたいと願うのは、自然な気持ちだろう。ただそれを映像や舞台などでで表現する場合、現実の部分とどうつなげるか、どのように収めるかは難しい。

 思い出すのはNHK朝の連続テレビ小説『とと姉ちゃん』と『べっぴんさん』だ。ドラマ終盤に早世した父、もしくは両親が主人公の夢に現れ、それまでの娘の労をねぎらい、悩める彼女に適切な助言を与える。大変美しく、視聴者の涙をそそる場面で、主人公が救われることは喜ばしい。しかしながら、「それができれば簡単ではないか」と思うのである。

 『送り火』の兄(塩田泰久)は照の手料理を喜び、さまざまなことを語る。塩田の口調はややゆっくりだが、とても丁寧で慈愛に満ちており、妹への愛情、後ろめたさや悲しみが伝わってくる。照は若いときのままの兄を前にして、子ども時代に戻ったかのようにはしゃいだり甘えたりする。その様子がとても可愛らしい。とくに日色の声の魅力。子どもの声を出しても「作っている」感じがなく、自然に聞かせるのである。その一方で、手厳しい本家の嫁にひたすら低姿勢で従うとき、幼なじみと宮沢賢治の「風の又三郎」の劇の台詞を諳んじるとき、認知症を患っていることの恐怖をつぶやくとき、単に声の強弱、高低、大小ではない微妙な色合いの変化が素晴らしいのである。

 それだけに、物語の終わり方にはもの足りない思いが残った。兄との語らいが、照のなかでどう結実したのか。長年の謎が解けたとは言え、そのために照が味わった苦労や悲しみは計り知れない。結論を示してほしいわけではなく、ナガイヒデミの書く物語をもっと知りたいのである。

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東京芸術座アトリエ公演 NO.40 『おんやりょう』

2017-04-10 | 舞台

東京芸術座アトリエ公演NO.40 内藤裕子作・演出 演劇集団円、演劇ユニットgreen flowers(グリフラ)の劇作家・演出家である内藤裕子 (1,2,3,4,5,6,7)が、今回はじめて東京芸術座に新作を書き下ろし、演出する。ある地方都市の消防署の一夜を描く95分だ。地元消防署にも取材を行った由。

 登場するのは消防の「指令」である第一中隊長と、救命の「指令」である救命士・隊長を中心とした消防士、救命士が男女合わせて9名。加えて「消防団員」であるやや高齢の女性に、元消防団員で、軽い認知症で徘徊していたところを旧知の救命士に保護された男性の総勢11名である。
 パンフレットには、消防士の消防総監を頂点とする消防士の階級が、それぞれの「階級章」とともに掲載されていたり、消防署の交替制勤務の一日の流れや、救急救命士になるために必要な学校、試験、劇中の用語説明なども記されているので、これからご覧になる方は、上演前にざっと目を通しておかれるとよいだろう。

 非常に情報量の多い芝居であり、しかも聞きなれない専門、業界用語が次々に発語されるので、人物の背景や相関関係、何について話しているのかなどをじゅうぶん理解できていない面があるかもしれない。だが一口に消防士といっても空き時間は常にトレーニングを怠らない体育会系もいれば、報告書の作成や講習会の段取りなどの事務系に燃えるものもある。少ないとはいえ、若い女性もともに働く現場であるから、そこには恋模様もあり、職種のちがいはあれ、管理職と部下、事務方の地味なプライド、結婚後も仕事を続けるかどうかなど、見る人それぞれに共感できるところがあるだろう。

 後半、交通事故による怪我人の救出をめぐって、消防士と救命士が大激論を交わす場面は、この舞台の白眉である。ひとつの事故、ひとりの怪我人について、何を重要と意識するか。基本的に消防士と救命士は連携して救命を行うのであるが、ときに互いの認識が食い違い、衝突し、場合によっては人命救助に支障をもたらすこともある。どちらも仕事にプライドを持ちながら、苦悩も抱えている。日ごろの不満が爆発したり、かつて父親を救命士に助けてもらえなかった過去に苦しむ者もあり、今夜一晩の議論では到底結論まで達しない重苦しい内容でもあるのだが、それでもつぎつぎに救命の指令は入り、おなかも空けば、休日の田植えや梨の花の受粉作業も大切だ。待ったなしの仕事に待ったなしの日常はつらいが、それゆえに救われるところもある。

 登場人物の描き分けに、東京芸術座の俳優諸氏が老若男女、いずれもぴたりの配役で、皆生き生きして気持ちの良い舞台である。消防署の業務について、相当細かい点まで取材を行ったことが想像され、俳優は自分のことばとして発するために大変な苦労があったのではなかろうか。内藤裕子は今回がはじめての外部劇団への書き下ろしとのことだが、よいコミュニケーションをとり、しっかりと稽古が行われたことが伝わる。劇団、内藤ともに、とてもよい仕事をされた。

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