因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

サンプル『自慢の息子』

2012-04-28 | 舞台

*松井周作・演出(1注:松井周演出担当,2)公式サイトはこちら こまばアゴラ劇場 5月6日まで
 第55回岸田國士戯曲賞受賞作品が、名古屋の七ツ寺共同スタジオを皮切りに三重県文化会館小ホール、京都のアトリエ劇研、北九州芸術劇場小劇場、現在のこまばアゴラ劇場、最後は札幌のコンカリーニョまで6都市を巡演する。昨年のままごと『わが星』のときにも感じたが、劇団の柔軟で強靭なフットワークに岸田賞受賞が箔をつけた形で、小劇場界という括りが適切かどうかはさておいて、同年代の演劇人においてはなかなか実現しない大プロジェクトに発展した。注:青年団、青年団リンク、青年団から独立したカンパニーというカテゴライズがあり、サンプルは独立カンパニーであるとのこと→青年団ウェブサイトより 
 とはいったものの、みるがわとしてはどうしても平田オリザに影響を受けてその演劇観に共鳴し、その指導を受けた演劇人、「平田チルドレン」というあまりよくないニュアンスで捉えてしまうところがある。それは同時に平田オリザやその周辺の演劇人による活動が、いまや日本の演劇界において一大勢力を持っていることに対して、ことばにしがたい違和感をもつことにもつながる。
 誰に影響を受けようと、どこに所属しようと、舞台そのものがどのようなものであるのかを見極めればいいのであって、よけいな先入観を持つのはやめよう、まして色眼鏡などもってのほか・・・と戒めるのであった。

 これだけ長い前置きや言い訳があるのは、今回の『自慢の息子』に対して困惑と疲労が多くを占めたためである。これを「怒り」に転化しないために、本稿を記すものとする。

 こちらの期待や予想をぴたりと受けとめる舞台を作ることに手腕を発揮する劇作家や演出家がいるいっぽうで、これらをことごとく裏切り、はぐらかし、場合によってはあざ笑うかのように観客を翻弄するものもある。観客は前者の予定調和的な作品を安心して楽しむことができる。それは往々にして娯楽に回収され、舞台の印象を言語化する作業につながらないことも多い。対して後者は自分の立ち位置すら危うくなり、ことばを失う。しかしそこから何かをつかみとろうと自分の心の奥底をさぐり、懸命にことばを探す行為がはじまることもある。
 断るまでもなく、自分にとって『自慢の息子』は後者なのだが、さてそこから何かを探そうという気力がわいてこないのが正直なところであり、終演後は戯曲も新発売の雑誌サンプルも買わずに早々に退出した。把握や理解を超えたところに本作の魅力があり、それは文字化されたものを読むことによって多少の補いはできたとしても、みる人の感覚そのものを変えることはむずかしいのではないか。

 選考委員による本作『自慢の息子』の選評は大変手厳しいものだ。自分の感覚は永井愛氏の評価に近い。その永井氏がこの回を限りに選考委員を辞めたのは、戯曲賞というものが現在の演劇界においてどのようなものであるかを示唆するできごとではなかろうか。

 自分の好みでなかったと片づけるのはかんたんだが、そこまで放り出すのは残念であり、かといって本気で取り組みには現状において気力体力が出てこないのである。

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猫の会番外公演『12匹の由緒ある猫たち』

2012-04-26 | 舞台

*相馬杜宇作 関根信一演出 公式サイトはこちら スペース雑遊 29日まで
 当初は受付開始が開演30分前、開場20分前だったが、混雑緩和のため開演の30分前に受付を開始して同時に開場することになった。猫の会主宰北村耕治のブログに詳細があります。これからご覧になる方は余裕をもってお出かけを。
 これまでは主宰の北村耕治が戯曲を担当して演出は外部から招く形であったが、今回北村は俳優に専念し、期待の若手劇作家相馬杜宇(あいばもりたか)の作品に、演出は劇団フライングステージ(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10) の関根信一を迎えることになった。

 ある部屋に12匹の猫が集まった。この一年間でもっとも猫社会に貢献した猫を選ぶためである。自薦他薦ふくめ、それぞれが活動履歴をプレゼンし、何度か投票しながら議論する。13匹めはこの家に飼われている猫らしく、司会進行を担当する。議論がすすむにつれて優勢と劣勢が逆転し、予想外の猫がメンバーの支持を集める。ひとりの少年の有罪か無罪かを議論する『12人の怒れる男たち』と似たつくりである。

  人間のおとなが猫を演じるというこしらえである。猫も人間と同じで個性があり背景も違う。前半はそれぞれのプレゼン場面が続く。俳優が猫らしい所作や鳴き声などはいっさいしないところは好ましかったが、「トイレにいい砂を使っているね」などの会話はどうにも気恥ずかしい。さらになぜ猫なのかという根本的なつまづきのために集中できず、お芝居前半で聞きもらしたところや、後半の流れに結びつけてみられないところがおそらくあるだろう。ようやく身を乗り出したのは、警戒区域から避難してきた猫が話題の中心になるあたりからであった。

 311を反映せざるを得ないのが創作側の実情なのだろうか。「警戒区域」「避難」「放射能」という台詞が発せられたとき、「またしても」というのが正直な気持ちであった。
 猫の視点から人間社会の矛盾や欺瞞をあぶりだし、擬人化の手法をもって人間の心の奥底を描くのが本作の狙いであろうが、のら猫と飼い猫の意識差や確執、人間に対する感覚など、動物の擬人化という形式のために作品に無理が感じられ、多彩な出演者を活かしきれなかったのではないか。また終幕で聞こえる人間の声は録音されたものと思われるが、その声質や音量に違和感があり、ときおり聞こえる猫としての声や、人が演じている猫、人が人を演じている声というものを、もっと効果的に聞かせることができるのでは?
 本作は『12人の怒れる男たち』の内容そのものに触発された作品ではないと察するが、タイトルといい形式といい、本家をまったく考えずにみることはむずかしい。とすると、皆の意見が混乱し、逆転するなかにそれぞれの過去や背景がにじみでることをどうしても期待する。
 短い芝居のなかで司会者も含めて13人という大人数の出演者すべてにみどころ演じどころを作るのは、大変なことであろう。そのうえ、登場しない避難猫のイメージまで喚起しなければならないのだから、よりいっそう研ぎ澄まされた台詞と凝縮された演技が必要になる。
 また司会者役の俳優は開演前から舞台の段ボール箱を並べ替えたりペットボトルの水やバンダナなど(これは首輪になる)を用意するという趣向が凝らされており、人→猫への緩やかな移行、投票に加わらず司会をつとめる彼の立ち位置について考えさせるし、終始落ち着いて意見を調整し、のぞましい結論に導こうとする辛抱づよい造形も目を引くだけに、あともう一歩踏み込んだ描写がみたかった。

 みなの意見が大きく揺れうごき、避難してきた猫に気持ちが傾きはじめるところ、その猫に会いたいと観客に思わせるあたり、作者の熱い思いを演出ががっちり受けとめて巧みに活かし、舞台に活力が生まれる。だからいっそう終幕が悲しく、苦くなるのでもあるが。

 自分の観劇した回は年配のお客さまが多いせいか、舞台に対する反応も控えめであったが、女子高生が多い日は雰囲気が違ったそうである。自分はあまり融通がきかないたちなので、今回のような作りを素直に受けとめることが苦手なのだが、うーん年齢的なものもあるのかしら。もっと年齢を下げて、中学生や小学校高学年であれば本作のおもしろさを素直に楽しみ、結末の苦さも受けとめることができるのではないか。そのかわり子どもの観客は大人よりも正直で手厳しい。おもしろくないもの(笑いがないものということではない)にはあからさまに反応して退屈するから、よりいっそう柔軟かつ緊張感のある舞台が求められるだろう。
 相馬杜宇の作品をみるのは非戦を選ぶ演劇人の会ピースリーディング(1,2)につづいて3作めになるが、彼の人となりや作品の魅力が主宰者や演出家、出演者、スタッフの信頼に結びついて今回の公演が行われたことが伝わってくる舞台であった。戯曲はやはり声に出して読まれ、観客の目に触れることで生きるものだ。相馬杜宇の作品が発表の場を得て、多くの人に親しまれることを願っている。

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こまつ座第九十七回公演『闇に咲く花』

2012-04-25 | 舞台

*井上ひさし作 栗山民也演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアター 29日まで (1,2,3,4,5,6,7,8)
 本作も『雪やこんこん』と同じく、初演をテレビ放送で、何度めかの再演を劇場でみたのちの3度めの観劇である。
 作る側もみる方も井上さんに新作を書いてほしい、とくに震災や原発事故に揺れる今の日本にあって、井上ひさしがどんなことを語ってくれるか、どんな作品にそれを結実させるのかを知りたい。
 本公演のパンフレットに演出の栗山民也のことばが記されていて、盛岡で講演を行ったとき、上記と同じ質問を受けて「井上さんが遺した67本の戯曲にはすべて、普遍的な言葉で人間に対するエールが書かれている。その中に必ず今の日本と日本人を映すものがあるはずです。今、残された作品を読んでください」と答えたそうだ。

 桜の季節に井上ひさしが逝ってもう2年たつ。完全な観客、読者である自分でも不在はやはり悲しく心細い。何か語ってほしい、自分たちに道を示してほしいのだ。
 しかし新作の発表はもはや望めず、これまでの作品をくりかえし再演する今、舞台には以前に増して活力と熱意がひしひしと感じられるようになった。
 井上ひさしの作品に出演できることをいっそう喜び、自分たちが井上ひさしの劇世界を受け継ぎ、そして次世代に伝えていこうという使命感であろうか。

 今回の『闇に咲く花』は2008年の上演と同じ配役での再演となった。2月に稽古をはじめて3月に静岡からはじまった全国52ヶ所94ステージの旅公演は夏まで続く。公演パンフレットを読むと、出演者は異口同音に再会を喜び、再演への決意を語っている。掲載された写真が皆さんとてもいい表情で、井上ひさし作品に関わる喜びに溢れる。
 こまつ座の公演に行くと親戚のうちに遊びにいったかのような気持ちになれる。この温かな心持ちは得がたいもので、けれどここでまったり安心していないで、いまの日本に生きる者として井上ひさしの舞台から何を読みとるか、次世代に伝えていくものは何かなのかを強く意識して観劇に臨まなければならないのだ。

 本作は戦争と神社の関係、C級戦犯の悲劇など非常に重苦しく救いを見出しにくい内容である。焼け残った神社のお面工場で働く戦争未亡人たちと神主のやりとりは楽しく、彼女たちがひいたおみくじが大吉を連発、つぎつぎに願いがかなうところは大いに盛り上がるが、戦死したはずの一人息子が帰還の喜びもつかのま、彼にはC級戦犯の容疑が降りかかる。

 それぞれの人物造形や、ぜんたいのチームワークがすばらしい。とくに神主の一人息子健太郎を演じる石母田史朗(青年座)と彼の親友で精神科医の稲垣役の浅野雅博(文学座)が魅力的で、「がんばれ」と声援を送りたい。
 2008年の公演のとき36歳だった浅野は「あと10年したら27歳の役はできない。運命だと思った」(4/12朝日新聞)とのこと。おふたりとも紅顔の美少年ふうの面ざしなので、27歳を演じるのにそれほど無理は感じられないけれども、浅野さんの実感は的確なものであろう。
 このつぎに本作が上演されるとして、石母田、浅野のコンビでもう一度練り上げられた舞台を望む気持ちがある一方で、新しい俳優さんに受け継がれていくことを願いたい。

 戦争を知らない人が戦中戦後の物語を作るわけである。そこにはおのずから先輩方から謙虚に学ぶ姿勢、戯曲にこめられた思いをつかみとる感性、風化させてはならないという義務感、いま自分たちが一生懸命やるだけでなく、つぎに演じる誰かにバトンを渡す責任感、戦争を知らない自分たちが劇世界において当時の生活を追体験するという貴重な経験を吸収する意欲が必要とされるだろう。

 正直に言うと、自分は本作に対してまだしっくりしないものがある。それがなぜか、どこにあるのかも考えながら、『闇に咲く花』が次の世代に受け継がれていくことを嬉しく思うのである。

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因幡屋の4月おわりから5月

2012-04-25 | お知らせ

 冷え込んだかと思ったら真夏日に、夜更けの雷雨に明け方の地震。えびす組劇場見聞録は校正に、因幡屋通信はレイアウト作業にはいりました。
 4月末から5月の予定をお知らせいたします。
サンプル(1注:松井周演出担当,2)『自慢の息子』2010年第55回岸田國士戯曲賞を受賞した松井周の出世作が再演の運びとなった。今月はじめに名古屋で開幕し、6都市を巡演する。
*劇団文化座『兄いもうと』(1,2) 文化座の公演が自分にとってなくてはならないものになりつつある。さまざまなものが激しく変化する世にあって、変わらないものの力強さと美しさを再認識するために。
studio salt(スタジオソルト)第17回公演『八OO中心』1,2,3,4,5,6,6`,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16) タイトルは「はちまるまるちゅうしん」と読む。会場は横浜中華街の三友総合食材の4階だそう。昨年の『ヨコハマアパートメント』に続いて、劇場いがいの場所で週末だけの公演を4週間おこなうもの。芝居そのものはもちろんだが、ビフォアやアフターの中華街歩きに早くもそわそわと。
*演劇集団円 For Kids「久保田万太郎の児童劇を読む」より『北風のくれたテーブルかけ』
「浜崎ゆう子の幻想的な影絵の世界」と題して、オスカー・ワイルドの『幸福の王子』と日本民話の『ねずみの嫁入り』が同時上映される。こちらもアフターの浅草散策で気もそぞろ。
 久保田万太郎作品は大好きだが(このさい整理をしておこう。劇団新派1 みつわ会1,2 文学座有志自主企画公演1,2 その他1,2)、数年前に『かうして豆は煮えました』という児童劇?をみて仰天した記憶がある。さて今回は?
*JACROW×elePHANTMOON『闇言』
 JACROWの中村暢明(1,2,3,4,5,6)とelePHANTMOONのマキタカズオミ(1,2,3,4,5,6,7)
が2作ずつ合計4作を連続上演する。
*新国立劇場小劇場『負傷者16人』
 2004年ニューヨーク・ブロードウェイで初演された作品が日本初演となる。今週月曜日に初日を開けた。出演者のひとり東風万智子があの「真中瞳」とは。昨年『深夜食堂2』・「肉じゃが」で結婚詐欺師を演じていた。
*文学座5・6月アトリエの会『ナシャ・クラサ』 
 こちらも整理しておきましょう。ブログに記事のあるアトリエ公演はこちら→(1,2,3,4,5,)
 ほかにシンポジウムなども。ブログに書かなかったけれども2007年12月の『かどで』は好きだったな。
*シアターコクーン『シダの群れ 純情巡礼編』
 チケットがとれないとあきらめていたが、友人の友人代理で幸運にも観劇がかなうことになった。主演の堤真一はもちろんだが、『深夜食堂2』・「煮こごり」の回に出演の清水優、大河ドラマ『江』で豊臣秀頼役が清新だった太賀が楽しみだ。

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シンクロ少女『オーラルメソッド』

2012-04-18 | 舞台

*名嘉友美作・演出 公式サイトはこちら 若山美術館 21日まで(1,2)
 若山美術館は、銀座の大通りから奥まったところにあるビルの4F。ドアから少しのぞいただけだが、秘密の宝物がぎっしり詰まっているかのような可愛らしい空間だ。今回の会場はそこから階段をあがった5Fフロアである。靴を脱いでスリッパに履きかえる。中はフローリングに白い壁、椅子が5脚ならぶだけの超シンプルなもの。正面の壁には原稿用紙が何枚も張りつけてあり、よくみると薄く乱れた文字でいろいろ書いてある・・・。
 シンクロ少女が過去に行った演目『極私的エロス』のリーディングと、短編『性的人間』2本立て上演の試みだ。10人の観客と5人の俳優が同じ空間で過ごす70分。暗転はなく、照明は最後まで明るいままで俳優からこちらがまる見えなのだが、このフロアには不思議な解放感、距離が近いのに舞台と混じらない雰囲気があって、少なくとも自分は息苦しさや居心地の悪さを感じることなく、さらりとした味わいを楽しんだ。

①『極私的エロス』・・・どちらも二また交際をして結婚したものの、すぐに別れてしまう男女の顛末。作・演出の名嘉友美の自伝風であり、どこまで事実なのかは不明である。
②『性的人間』・・・団鬼六『不貞の季節』を原案にしたエロ小説作家とその妻、運転手の三角関係。

①複数の場所の会話を同時にみせる名嘉友美の得意技がここでもみられる。しかも名嘉友美自身の裏とおもての顔を巧みに描き出しているところがおもしろい。上手の友美(名嘉本人)は結婚に迷う気持ちを女ともだち(横手慎太郎)にずけずけと指摘され、下手の友美(墨井鯨子/乞局)は結婚相手(泉政宏)を男ともだち(松原一郎)にひきあわせ、得意の絶頂だ。
 俳優は自分で椅子を持ち運びながら、複数の役柄を演じわける。台本を手に持ってはいるが、台詞はがっちり入っている様子である。
②妻(名嘉友美)がうちを出たいと言い出した。夫であるエロ小説家(横手慎太郎)は妻の浮気を疑い、雇いの運転手(泉政宏)に相談をもちかけるが、当の彼が浮気の相手であった。おとなしいと思っていた妻が、運転手の前では別人のように淫乱な女に変貌し、実直な運転手も粗暴な一面をみせる。妻に背かれた小説家が泣きぬれながら、不倫の場面を何度も聞き返し、必死で小説を書こうとする場面は何とも(苦笑)。

①は配役の一部がダブルキャスト(墨井&浅野千鶴/味わい堂々、松原&中田麦平)であることや、直前に俳優の交替があったこと、かもめマシーンの『パブリックイメージリミテッド』の公演を終えたばかりの俳優もある(横手、松原のおふたり)ことなど、短い準備期間であったと想像するがマイナス面はまったく感じられず、①はリーディング形式をとることで、名嘉友美の作風の特徴、おもしろさをより明確にみせており、②では小説の舞台化にとどまらない独自の劇空間の構築に成功している。

 夥しい紙を使うことや、俳優のからだに文字を書くことなどは、文字、ことば、書くこと、それを読むことについて、作者は何かを考えている、みせようとしていることは察せられたが、まだ試行錯誤状態か。①の『極私的エロス』の後半、さまざまな演出上の工夫が凝らされてあったが、俳優が椅子に座ったままリーディング形式に徹したとしても、作品のおもしろさはじゅうぶんに伝わったのではないか。演出を加えずに戯曲を素のままでさらすことのほうが大胆であり、作り手にとっては勇気が必要なのかもしれない。
 名嘉友美の作品を俳優の読む台詞だけで聴いてみたい。それに堪えうる力を秘めた作品であるという手ごたえを、今回の公演から得たからである。

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