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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

スタジオ演劇版 劇団民藝『想い出のチェーホフ』

2025-04-08 | 舞台番外編
*レオニード・A・マリューギン作 牧原純訳 丹野郁弓演出
 本作は、チェーホフとその家族、友人が交わした数多くの往復書簡を、劇作家が「一篇の抒情詩のように」(公演チラシ)構成した作品で、劇団民藝は1968年に初演、1971年に再演している(上演年表より/演出はいずれも宇野重吉)。2020年6月~7月、劇団創立70周年を記念して、初演、再演に出演の奈良岡朋子に、樫山文枝、日色ともゑ、伊藤孝雄、小杉勇二、篠田三郎が加わった座組で上演の予定がコロナ禍でとりやめとなった。その後、2023年3月23日、奈良岡が逝去する。それから1年、新たに収録した映像に、奈良岡の舞台音声(1971年3月12日 紀伊國屋ホールでの録音)を加えて再構築されたのが、スタジオ演劇版『想い出のチェーホフ』である。昨年初版限定で発売されたDVDをようやく聴いた。

 外国ロケかと見まごう立派な洋館は、和敬塾本館(旧細川侯爵邸)である。古いが手入れが行き届いて重厚、布張りの椅子やピアノなどの家具調度に至るまで息づくような雰囲気があり、俳優はそこにずっと暮らしているかのように自然に佇んでいる。暮らしのために小説を書き始めた医学生アントン・チェーホフ(篠田三郎)が、俗物で不器用な兄アレクサンドル(西川明)をユーモアを込めて叱咤激励する様子、やがて戯曲を発表するも酷評の憂き目に遭ったり、一転高評価を得たりなどの浮き沈みのさま、兄アントンを親身に案じながらも辛辣な妹マリヤ(日色)とのやりとり、その友達のリーカ(樫山)との激しい恋、文豪ゴーリキー(佐々木梅治)との喜ばしい交わり等々、手紙が人間の心をこれほど生き生きと描くことに驚く。

 後半に登場するのが女優であり、のちにチェーホフの妻になるオリガを演じる奈良岡朋子である。オリガの手紙の場面は奈良岡のさまざまな舞台のモノクロ写真をポートレイトのように見せながら、当時の舞台音声が流れる。高く明晰で、情感がこもる声は若々しく、篠田はじめ実演の俳優のそれとは明らかに音質が異なるものである。まるでそこに存在しているかのような生々しさではなく、「そこに居ない人」であることがはっきりと伝わる。年月と空間の隔たりがあり、それがむしろ温かく感じられるのはなぜだろう。激しく恋い焦がれながら夫とともに暮らせない女優の修羅を泣き叫ばんばかりに吐露する奈良岡のオリガ。その声を聴く篠田の夫チェーホフのまなざし、妻のすべてを包み込む佇まいの、何と慈愛に満ちて優しいこと!

 書簡を読み合う形式の朗読劇であること、映像と過去の音声を構築し、映像、照明、衣裳、音楽などすべての要素が素晴らしい効果を挙げた。映像演出ならびに編集/藤岡ツグト、撮影/夏海光造、川口慎一郎はじめ、創作を担ったスタッフはこれまで数多くの作品を手掛けてきた方々だ。願わくばスタッフ全員の名前を記したブックレットが欲しい。奈良岡朋子への追悼であり、演劇賛歌である。 

「手紙」を声に出して読むこと、聴くことによって、離れた場所で自分を思って手紙をしたためる人の息づかいや温もりが伝わる。繰り返し見て聴くたびに心が慰められる。公演中止の不運、俳優の逝去の悲しみから尚、新しい作品を生み出す作り手の力、深い思いを知る体験となった。

見出し画像は、今回視聴したDVDとネットで購入した1971年再演のパンフレット、上演台本。
2020年予定されていた公演のチラシ
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