因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

2018年7月観劇と俳句の予定

2018-06-30 | お知らせ

 関東甲信越が6月中に梅雨明けとなるのは、1951年からの観測史上初とのこと。例年にも増して暑さが厳しく感じられます。 心身保たれますよう。
 まずは観劇予定から。チケット予約に出遅れて挫けそうなもの、お悩み中のものなどもございます。ご参考までに。

山本さくらパントマイム公演『ハーモニー』
 昨年、阿佐ヶ谷児童館で開催されたクリスマスライブがとても楽しく、まったく門外漢ながら、本公演に参ります。久しぶりにラピュタ阿佐ヶ谷へ行くのも嬉しい。因幡屋通信最新号、まだ設置されているでしょうか?

*二兎社公演42 永井愛作・演出『ザ・空気ver.2 誰も書いてはならぬ』1,2,3,4,5,6,7,8
 昨年冬上演の『ザ・空気』に続く「メディアをめぐるシリーズ」第2弾。志と信念をもって報道番組を制作していた人々が、政界からの圧力に苦悩し、挫折する様相を描いた『ザ・空気』終演後の寒々とした感覚は忘れがたい。反響も大きく、全国11か所で上演され、今回の続編に結実した。国会記者会館の屋上で、ジャーナリスト、リベラル系全国紙、公共放送など、さまざまな立場の「書き手」たちが登場する。

劇団普通『城』(1,2
 『変身』に続くカフカの長編小説への挑戦だ。5月の『害虫』公演を終えたばかりで、早くも次の舞台に取り組む活力! 

TEAMKAWAI~Attract vol.1~『楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~』
 歌舞伎俳優から劇団新派へ転身した河合雪之丞はじめ4人の俳優による新しいプロジェクトの公演。男優ばかりの座組で、もはやバックステージものの古典といってもよい『楽屋』が上演される。『楽屋』はほんとうに見る機会が多く(1,2,3,4)、今回どんなページが加わることになるのか。 

ナショナル・シアター・ライブ5周年シンポジウム
 ナショナル・シアター・ライブ(NTLive)とは、英国ナショナル・シアターが厳選した数々の傑作舞台を「こだわりのカメラワーク」(公式サイトより)で収録し、世界各国の映画館で上映する試みである。2009年6月、ヘレン・ミレン主演の『フェードル』にはじまったシリーズは、日本には2014年の『フランケンシュタイン』でスタートし、5年目に入ったことを記念してシンポジウムが行われる。自分は2015年の『スカイライト』を見たのみであるが、今回のシンポジウムは映像の放映、裏話を聞く、回顧と展望の三部構で、登壇者も多士済々。6月1日先着順400名募集に、応募続々とのこと @青山学院大学本多記念国際会議場。8月18日は、神戸アートビレッジセンターでも開催される。

*劇団民藝稽古場公演『葉桜 岸田國士一幕劇3本立~結婚にまつわる風景』
 お見合いの席にちょっとどうかという男性が現れ、しかし何だかいい感じになる『頼母しき求縁』、お見合いの首尾に気をもむ母と、煮え切らない娘の会話『葉桜』、結婚したものの、互いが顔を突き合わせる倦怠に悩む若夫婦の日曜『紙風船』。いずれもこれまで何度か観劇したことがあって、確認できる範囲で過去記事をリンクしておきますね→2011年夏の演劇集団円のドラマリーディングは、今回とまったく同じ3本の組み合わせ!ほかに『葉桜』(1,2,3 *2の公演は『葉桜』と『紙風船』の2本立)、『紙風船』(オクムラ宅旗揚げ公演)。もっとあるような気がするのですがさておき、民藝の岸田國士作品の観劇は、これが初めてになります。

 俳句関連の予定は以下の通りです。今月は本部句会に出席できるか?!
*かさゝぎ俳句勉強会・・・「虫干」「納涼」「花火」
*十六夜句会・・・「瓜」「門涼み」
*演劇人句会・・・「鵜飼」「打水」
*金星句会・・・・「天神祭」「蓮の花」

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えうれか第四回公演『海と日傘』

2018-06-26 | 舞台

*松田正隆作 南慎介演出 公式サイトはこちら 28日まで 御徒町・ギャラリーしあん1,2,3
 本作の初演は1994年。1996年に岸田國士戯曲賞を受賞した。これまで木山事務所公演、テアトル・エコーなど、違う座組で数回観劇しているが、今回のえうれか公演『海と日傘』にもっとも強い感銘を受けた。

  ギャラリーしあんは築六十年の古民家である。演劇の上演に使う場合、長短あるだろう。縁側の広いガラス戸を締め切って暗幕でも設置しない限り、昼公演と夜公演では光の当たり方や雰囲気が大きく異なる。外の音や道路を歩く人のすがたなども完全に遮断できないので、照明や音響効果について、通常の劇場とは別の工夫や技術が必要になる。また俳優が玄関や縁側から出入りすることの利点や面白みは大きいが、前後の段取りに十分な配慮をしなくてはならないことなど、観客側から察せられるだけでも少なくない。

 演目も十分な吟味が必要だ。利点をより活かし、なおかつ使い勝手のよくないところを補ってなお余りある演劇的効果を出せるか。箱ものの劇場では得られない舞台成果を上げることが可能か。

『海と日傘』は、屋内だけで進行する芝居である。ならばギャラリーしあんは最適かと言うと、却って難しい面もあるのではないか。たとえば昼公演の場合、日光のなかで夜の場面をどう見せるか、逆もまた然り。雨天の場合、運動会の秋晴れや、雨上がりの終幕の台詞を無理なく発することができるのだろうか。

  夜公演を観劇した結果、これらの懸念はすべて杞憂であった。昼間の猛暑が静まり、まだ明るさの残る夕刻に開場し、物語が進むにつれて夜の闇が深まっていく。残暑のけだるい夕方や秋晴れの場面も不自然ではなく、夕食の場面の静けさにしんみりとした味わいがある。いちばん気になっていた終幕の雨上がりは、劇場公演の場合、やや情緒過多に美しくしてしまいがちだが、無理は感じられなかった。

 さらに的確な配役と、それに応える俳優の丁寧で誠実な演技が、舞台成果に結びついた。もっとも難しいのは、夫の佐伯洋次(吉村公佑/劇団B級遊撃隊)であろう。場面を追うごとに彼がいかに中途半端で頼りない男性かがわかってくる。教師としても小説家としても半端であり、家賃を何か月も払えない。そして何といっても女性関係において隙が多い。ならば色白の優男、いかにも文学青年くずれで、太宰治ばりの美男かといえば、戯曲から想像してもどちらかと言うと風采の上がらないタイプではないか。間違っても目から鼻に抜けるような美男子ではない。病弱な妻(花村雅子)を心から大切に思っていることは間違いない。けれど彼はどうも「よそ見」をしてしまうらしいのである。これはいわゆる「モテる」ことではなく、彼は決して「女好き」ではないのだ。

 後半、薬を持ってきた看護婦(森衣里)を妻はひきとめ、しきりに夕飯に誘う。そこでいきなり「たびたび寄ってやって。この人(夫)も寂しくなるだろうから」とどきりとするようなことを言う。

 ここで重要なのが看護師の配役だ。一目見て地味な女性であり、あくまで医師に従って、間違いのない堅実な仕事ぶりがうかがえる。それはおそらく男性に対しても同様で、身持ちの堅い女性であることが察せられる。この場で観客に、「なるほどこの看護師さんならいずれこの旦那さんと…」などと下世話な想像をさせるような女性であってはならないのだ。

 そして編集者の多田久子が幕切れ近くになってようやく登場する。それまで人々の台詞のなかでさんざん思わせぶりな前振りをされており、夫が過去にもやもやしていた相手であり(浮気、愛人といった言葉は使いたくない)、妻も彼女に対して相当な感情を抱いていることが観客の意識にしっかりと植え付けられてからの登場である。

 いわば妻と愛人の直接対決だ。表面的には当り障りのない会話ではあっても、ほんとうの気持ちを曝け出す寸前の危うさがマグマのように底流している。この家の夫婦とその周辺の心優しき人々の交わりのなかに、明らかな異物として飛び込むのが多田久子である。妻よりはずっと若い。しかし男を色香で惑わせるタイプではない。むしろ地味なほうがよい。病弱な妻との生活に倦んだ夫がついふらふらと若い女の色香に迷ったという話ではないと思う。

 演じる松葉祥子は大きな目が生き生きと光り、抑制したふるまいながら、強い生命力を感じさせる。衰え病んだ妻とのちがいは気の毒なほど歴然としており、しかしきっぱりとこの恋は終わったものと決意した潔さを持っている。大事なのはここで、ぜったいに嫌な女に見えてしまってはならないのだ。

 これまで観劇したことのある松葉祥子の出演作(1,2,3)の役柄とは大きく違うタイプの人物であり、辛抱の必要な難しい役どころであると想像する。

 本作は晩夏のころから秋を過ぎ、年が明けた冬までの物語である。ひとり残された夫が慎ましい夕飯をとりながら、ふと表を見て、思わず「雪が降ってきたぞ」と妻に呼びかける。普通の劇場ならここで問題なく雪を舞い散らすことが可能であるが、さすがにしあんではできない。カーテンの閉まった外に少し明るい照明が当たる様子は、リアルな冬景色というより、夫もまた別の世界の人になってしまったかのような夢幻的な空間を作り上げ、雪を降らせる以上の寒々とした寂寥感を醸し出すことに成功したのである。

 何度も観劇して、よくわかっている作品と思っていたが、これは大変な思い上がりであった。古びることのない瑞々しさに触れて、良き夜となった。

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劇団民藝『ペーパームーン』

2018-06-24 | 舞台

終盤の記述につきまして、加筆いたしました(6月24日)

佐藤五月作 中島裕一郎演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA 7月1日まで 1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26,27,28,29,30,31,32,33 ) 長年の夢である自宅カフェの開業準備に勤しんでいた熟年夫婦。夫が急逝し呆然自失の妻のもとに、夫の弟、さらに3年前に家出した娘も帰ってきた。残された妻と周辺の人々が賑やかに出入りする舞台前方部分の話が本作の縦糸。
 横糸は瀬戸内海の小さな島にある「漂流郵便局」だ。これは四国の粟島に実際にある郵便局で、アートプロジェクトのひとつであり、届け先のわからない手紙を受け付け、もって行き場のない心を慰める場所でもある。亡くなった人、もう会えない人に話したいこと、伝えたいことをしたためた手紙は、2018年現在2万通を超えるという。本作の熟年夫婦は冒頭は家出した娘に宛てて、後半は妻が亡くなった夫へ葉書を書く。

『ペーパームーン』の特徴は、漂流郵便局を借景として捉えたところにある。「借景に」という表現は、先日観劇した劇団日本のラジオ公演『ツヤマジケン』(屋代秀樹作・演出)で覚えた表現だ。何かをモチーフにすることから、もう少し距離を置くこと、そして「借景」でありながら、いつのまにか身近に迫ってくるもの。劇作家のほんとうのたくらみが見えてくる瞬間は、ぞくぞくするほど刺激的だ。漂流郵便局という豊かなドラマ性を感じさせるものを「モチーフにする」のであれば、郵便局に、それこそ漂流してくるかのようにやってくるさまざまな事情と背景を抱えた人々の悲喜こもごもを描いた芝居になるだろう。

 冒頭こそ、主人公夫婦が行方知れずの娘宛の手紙を書きにやってくる場面があるが、本作のメインはあくまで夫が急逝したあとの妻が住む家であり、そこに集う人々である。郵便局はそのうしろに位置し、手紙をしたためる人は二人しか登場せず、メイン場面の人々と交わることもない。しかしまことに悲しく辛い事情を抱えてやってくる二人と、柔らかく受け止める局長さんの短いやりとりでじゅうぶん温かい。

 とても温かで、作り手の良心と品格が感じられる舞台であり、かといって良い人ばかりが出てくるご都合主義のドラマではなく、それぞれ辛い過去や重苦しい事情を抱えているなかで、悩みつつ歩んでいることが伝わる気持ちのよい作品だ。

 しかしながら、一つひとつは決定的な妨げにならないにしても、いくつも積み重なると劇世界全体の緊張感が緩み、感興を削ぐことになる。たとえば、両親が旅行中の家に家出娘が入って、また出て行く。まことにあっさりした高額の金の受け渡し、貸した金を返してほしい理由が振り込め詐欺の手口に酷似。それぞれフォローする台詞がないわけではないが、無理や不自然は否めない。

 作者が漂流郵便局というものに心を向け、描こうとした世界はとても優しく温かい。登場人物も誠実で感じが良く、カフェが無事に開業できること、娘が幸せになれるようにと、見る側が自然に願えるような雰囲気がある。ならば、カフェ改装工事の左官職人は、3時の飲み物を出されたなら、弟子はまず親方にグラスを手渡し、親方が一口飲んでから自分が口をつけてくれないだろうか。男勝りでポンポン物を言い、親方のいちばん弟子だとみずから名乗るほどやる気がある。きっと見込みもあるに違いない。きちんと礼儀を弁え、気づかいのできる娘であると安心させてほしいのである。
→後日わかったことですが、この場面についてはそのように戯曲に書かれており、演出もあって、上記の演技になったとのことです。このあとに彼女と親方の短いやりとりがありますが、それを含めて、親方に対する彼女の屈託などの現れのひとつ…だったようです。

 何かにつまづいたときは、「こんなことをして!」と思う前に、「なぜこうするのか」と考えるよう、自分の心を諫め、頭を働かせるよう心がけます。

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劇団7度『アンティゴネ』

2018-06-22 | 舞台

*ソポクレス作 呉茂一翻訳 伊藤全記演出・構成 公式サイトはこちら 東京駒込妙義神社 24日まで1,2,3,4,5,6
 演劇は、上演される場所によって印象が大きく変わる。同じ新宿梁山泊の唐十郎作品であっても、芝居砦満天星では地下の闇に取り込まれるような閉塞感があり、花園神社の紫テントでは、まったく知らない時空間へ放り出されたように爆発的な解放感を味わえる。また唐組紅テントの『吸血姫』をシアターコクーンで上演したなら?逆にこの冬東京芸術劇場シアターイーストで上演された『秘密の花園』をテントに持ってきたとしたら?…これくらいにしておきますが、いずれもほとんど想像ができないだけでなく、おそらく迫力や旨みは消えてしまうと思う。

 古今東西さまざまな作品に挑戦してきた劇団7度は、今回ギリシャ悲劇『アンティゴネ』を取り上げた。およそ2500年前に書かれた物語を上演するのは、「豊島区最古の戦勝の宮」である東京駒込妙義神社だ。それも境内での野外公演ではなく、何と御神体のおわす神殿のなかとは。社務所で受付を済ませると、手水を使って一礼して拝殿に入るよう促される。さまざまな儀式が行われるであろう神殿に、座布団、小さな椅子を並べておよそ客席は30席くらいであろうか。両隣とからだが触れ合うほどぎっしりの盛況だ。女優3人は客席の中央を通って演技スペースに向かい、御神体に深々と一礼して開演である。

 およそ50分の『アンティゴネ』がどのような上演であったか。女優の台詞の言い方、動作、全体の構成、照明や音響のことを具体的に書きながら、自分がそれらについてどう感じたかを考えるのがいつもの劇評の書き方なのだが、今回は同じプロセスを取ることにためらいがある。

 それは7度の舞台が、『アンティゴネ』の戯曲の形式だけでなく、物語そのものを解体し、いつ書かれたどこの国の話であるか、登場人物のキャラクタや背景など、わたしたちが作品に対して持っている既成概念すべて打ち砕くかのようなものだったからである。結果、時代や民族に特化されず、権力によって個人の幸せが踏みにじられること、権力に対して素手で闘うしか術がなく、希望が見出しにくいことは、今世界中で起こっている紛争や戦乱の様相を想起させる舞台成果につながる予感を抱くことができたのである。

 自分が非常に好ましく感じたのは、神殿という特別な空間を会場に選びながら、その場の特殊性や雰囲気に依存していない点である。作り手の意図が十分に反映され、それが観客に受けとめられていたかは、正直なところいまだ途上の印象であったが、この『アンティゴネ』は、11月の板橋ビューネ2018参加作品として、サブテレニアンで再演の予定らしい。どんな舞台になるのか、その日を心して待ちたい。 

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劇団朋友アトリエvol.17「久保田万太郎を読むⅢ」ドラマリーディング『一周忌』『雪』

2018-06-17 | 舞台

*久保田万太郎作 西川信廣(文学座)監修 公式サイトはこちら 西荻窪・朋友芸術センター 17日で終了 
 当日リーフレットに掲載された企画・出演の西海真理の挨拶文には、今年で3年め、第3弾となるこのシリーズが、前回まで演出した西川信廣が監修となり、新たにピアノ演奏に上田亨を迎えたこと、美術の菱山裕子、照明の岡本謙治、音響の中嶋直勝は第1弾から続く参加であることなどが、喜びと感謝溢れる筆致で記されている。自分は昨年春に第2弾を観劇し、耳で聴く久保田万太郎作品の滋味を堪能した。あれから1年余、2度めの西荻窪である。

 『一周忌』これまで違う座組で数回観劇している演目で1,2,3、つい、「ああ、あれねえ」と思ってしまうのは、冒頭からはじまる保険屋の饒舌ぶりがどうしても鼻についてしまうからである。そういうキャラクタであり、そのような台詞であるから、観客に軽い嫌悪感や倦怠感を与えるのは、むしろ正しい造形であると言える。しかしながら見ているうちに、その役を誠実に演じている俳優さんに対してさえ、「ああ、もう」という気持ちになってしまうのは、申し訳ない気がする。そういう面で厄介な作品だ。

 今回はリーディング公演ならではの抑制が効いていたことと、保険屋の男性を演じていた年配の俳優さんの上品な持ち味のためであろうか、いつのまにか話に引き込まれてしまった。鶉と言って病人に食べさせたのが実は雀であったこと、夫を亡くして寄る辺ないおきくの密やかな屈託などが、本式の芝居より素直に感じられた。
 もうひとつの理由は、もしかすると冒頭に読まれた「ト書き」のせいかもしれない。仮住まいの様子からおきくの心象を慮るように丁寧に記された文章なのだ。今度『一周忌』を見る機会が訪れたら、これまでとはちがう気持ちで臨めそうである。

 『雪』複雑な事情を抱え、大変な苦労を重ねている「およし」と髪結いの会話にはじまり、亭主やその母親、養女に出した娘など、人の出入りも少なくないが、例によって背景やいきさつすべてが明かされることはない。観客は何となく察し、想像するのである。文学座女優筆頭・本山可久子の出演作を見るのは、何と今年になってからもう3本めである(1,2)。しっとりとした美しい台詞の発語と、端正な和服で舞台に登場する、その足の運びですら全く無駄がない。梅雨のさなかでありながら、1月末の初不動の雪の日の物語が違和感なく心に沁みとおってくる。

  ひとつ気になったのは音楽の使い方である。上手奥にアップライトピアノが設置され、音楽担当の上田亨が生演奏で作品を支える。物語の要所要所で優しく、ときに悲しく語りかけるような控えめなメロディはとても美しく、舞台にメリハリを生んでいる。しかしながら、メロディのあまりの優しさ、というより甘さのゆえに、戯曲そのものの深さや余韻が伝わらないのではないかと思われるのである。

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