因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

因幡屋10月の観劇と俳句の予定

2018-09-30 | お知らせ

 いつにも増して10月は魅力的な公演が目白押し、日にちを間違えぬよう、ダブルブッキングにならないよう注意しつつ、まだ確定していないものも含めて以下の通りです。
*ナショナル・シアター・ライブ2018『イェルマ』 7月の同プロジェクト5周年記念のシンポジウムが嬉しいきっかけになった。
新宿梁山泊第64回公演『恭しき娼婦』1,2,3,4,5,6
 唐十郎が1963年、状況劇場の前身である劇団シチュエーションの会旗揚げ公演で上演した作品である。演出は金守珍、演出協力に劇団温泉ドラゴンのシライケイタの名があるのも興味を掻き立てる。
sortie vol.01『セイラム』
 sortie(そるてぃえ)は、雁瀬有子、つついきえによる演劇ユニットである。お二人ともそれぞれ、脚本、演出、主宰、俳優と何役も兼ねての活動だが、俳優に専念するために外部に作・演出を依頼して公演を行うことを目的に立ち上げたとのこと。その第一作が屋代秀樹(日本のラジオ 1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11)作・演出の本作だ。セイラムと聞いて即座に連想するのは、アーサー・ミラーの『るつぼ』である。公演チラシには炎が…と思ったら、しゃれこうべに留まった鴉の絵だ。それがオレンジに彩られていて炎のように見えたのかしら。それを取り囲む女優8人。
 すでに危ない。
芸術祭十学大歌舞伎-十八世中村勘三郎七回忌追善-
 まったく不意打ちに十八代目勘三郎が旅立ってしまってから、もう七回忌を迎えるのか。ほんとうにあのときは悲しかった。いや悲しいというより、「これからどうしよう?」と途方に暮れた。それくらい復帰を信じて疑わず、待っていたのだ。しかし、勘九郎、七之助きょうだいが次々に新しい役に挑戦し、中村屋一門を挙げて奮闘する舞台を見られるのは、何と幸せなことか。今回は中村七之助が昼は『佐倉義民伝』で、木内宗吾の妻おさん、夜は片岡仁左衛門の助六で、揚巻に大抜擢!
唐組第62回公演【唐組30周年記念公演第2弾】1,2,3,4,5,6,7
『黄金バット~幻想教師出現~』唐十郎が小学校時代、「黄金バット」というあだ名のたいへんユニークな女性の先生がおられたそうだ。黄金バット先生は、大鶴少年だった唐十郎に、クラスで上演するお芝居の台本を書くことを勧めたというから、ひとりの少年が演劇とともに生きる人生の最初の火を灯してくれた人なのである。舞台は下町の夜間中学「風鈴学級」。幼なじみの小夜ちゃんを腹のなかで育てるヤゴという青年、アルキメデスの原理でクラスに割り込んでくる女ブドリと、ああ、もう唐の世界に…。
*文学座公演『女の一生』
 文学座の大いなる財産演目であり、多くの俳優そして観客の夢を掻き立ててやまない作品だ。関連のイベント・講座もあり、観客もまた「継承」の責任と義務を負う者であると思う。2016年から主人公布引けいを受け継いだ山本郁子はじめ、新たな配役が加わったのも楽しみ。

 あとは検討中の公演として、『わたし、と戦争』(瀬戸山美咲作・演出 流山児祥啓述監督)、オフィスコットーネ『山の声』(大竹野正典作 綿貫凛演出)、新国立劇場演劇研修所第12期生試演会『トミイのスカートからミシンがとびだした話』(三好十郎作 田中麻衣子演出)など。ああっサブテレニアンで「板橋ビューネ2018」も始まるのだ!

 俳句勉強会、句会の兼題は以下の通りです。
*かさゝぎ俳句勉強会・・・木の実(このみと読む)、蜩(ひぐらし)、朝顔(意外や秋の季語)
*十六夜句会・・・素十忌(高野素十の忌日10月4日)、コスモス 先月次の兼題を決める際、「素十忌がむずかしいから、もうひとつは簡単なのにしよう」とコスモスに。いや、どちらも簡単ではないですわ。
*金星句会・・・夜寒(実は好きな季語なのです)、照葉(てりは 照紅葉とも。秋の日を受けて鮮やかに照り輝いている紅葉の様子)
*演劇人句会・・・濁り酒、秋の暮(暮の秋とは違います)

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因幡屋通信まあ60号!完成のお知らせ

2018-09-30 | お知らせ

 ふざけたタイトルで申しわけありませんが、その通りです。1998年晩秋に創刊いたしました劇評かわら版「因幡屋通信-宮本起代子芝居噂-」が、60号と相成りました。手に取ってお読みくださっているお一人おひとりに、改めて深く厚く御礼申し上げます。
 メインの劇評は、劇「六月に降る雪」と題しまして、えうれか公演『海と日傘』について考えてみました。続いて「春から夏のトピック~心に残った舞台、気になる人~」としまして、数本の舞台について短く記しております(『アナグラム ユルスナールの恋』『ふたつの小部屋』『The Collection』『フラウ シュミッツ』『Nf3 Nf6』)番外編はNT.ライヴのシンポジウムのことを少々。
 昨日設置先各劇場、ギャラリーに向けて発送いたしました。カラーはピンク、劇場ロビーのチラシラックなどでお見かけになりましたら、ぜひお手に取ってくださいませ。リンクは観劇直後のものです。ご参考までに。

 えびす組劇場見聞録は59号を重ね、歌舞伎界から劇団新派に参入したTEAM KAWAI『楽屋~流れ去るものはやがて懐かしき~』をめぐって、自分の新派歴を振り返っています。

 なお今回より、福島県の「いわき芸術文化交流館アリオス」(通称いわきアリオス)さまと、岩手県の「西和賀町文化創造館銀河ホール」さまに、因幡屋通信、えびす組劇場見聞録を設置していただけることになりました。ご理解とご協力に感謝し、訪れる方に楽しんでいただけるようなものになるよう、いっそう励みます。

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劇団民藝『時を接ぐ』

2018-09-25 | 舞台

*黒川陽子作 丹野郁弓演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアターTAKASIMAYA 10月7日まで1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26,27,28,29,30,31,32,33
,34,35岸富美子・石井妙子の原作『満映とわたし』は、東洋一と謳われた映画撮影所・満州映画協会「満映」と、関わった多くの日本人が体験した過酷な運命を、若き女性編集者の視点で記した渾身の一作だ。「あのときのことを言い残さなければ」という誠実な使命感が紙面からびしびしと伝わる。これを気鋭の新進劇作家・黒川陽子(1 もっと見ているはず。探してみます→あった!2)がどのように劇化し、民藝の俳優陣がどう演じるのか。

 原作は、まず富美子とその家族の物語がひとつの軸である。父親を亡くし、母親が働き通しで子どもたちを養い、富美子の兄たちも早々に実社会へ出る。そこが映画の撮影所であったというのはまことに特殊であり、映画界というもの、映画人との交流がもうひとつの軸となる。そこに日中戦争から第二次世界大戦へと続いた長い戦争が襲いかかり、人々の人生を揺さぶり、傷つける。

 今回の上演のみどころのひとつは、舞台ぜんたいを映画の撮影所に見立てた点だ。中心に演技エリアを置き、その両脇に機材や衣裳に大道具類、撮影スタッフたちを配置する。場面転換は、撮影のセットのごとくスピーディに行われ、年老いた富美子が過去を振り返り、娘に語るという構造を示す。

 もうひとつは主人公の富美子を演じる日色ともゑである。先日盟友の樫山文枝とともに「徹子の部屋」に出演され、御年77歳と聞いて驚いた。舞台ではたくましい母とやんちゃな兄たちとのつつましい暮らしの場面もあり、そこでの富美子はほんの子どもである。つまり十代の少女から、結婚して娘を生み、戦後を生き抜いて老境に至るまでをメイクも服装も変えないまま演じ通すのである。『女の一生』顔負けの大河ドラマだ。日色は技巧的な面を見せず、子どもも老人も無理なく自然に演じているように見える。これは小柄であることや、若々しい声(とても可愛らしくもある)など、もともとの資質に加え、劇作家の工藤千夏がパンフレットに寄稿した日色ともゑ論「『普通』をまっすぐに」という芸風の現れであろうか。

 自分は原作を読んでおり、そこで得た情報を補いながらの観劇であったので、物語の流れや状況はわりあい理解できたのではないかと思う。しかしながら「予習」なしで観劇に臨んでいたら、果たしてどうであっただろうか。富美子一家、撮影所、満州国の様相などが、つぎつぎ断片的に流れていく前半の展開はいささか苦しい。

 終盤近く、ベテラン編集者となった富美子が、中国人の弟子たち、監督を前に、その知識や技術を具体的に語り、編集者の手腕によって映画の様子が鮮やかに変容する描写、また自分自身への怒り、後悔を語る場面は、演劇ならではの趣向が凝らされており、見ごたえがある。前半も同様に、撮影所という趣向を活かし、もっと大胆で自在な描写が可能なのではないだろうか。

 富美子はフィルムを接ぎ、その仕事は人と人を接ぎ、過去と現在を接ぐ。「個人的な話だから」と控えめに語る富美子のことばが一冊の本になり、劇作家黒川陽子と出会い、舞台に結実した。初日の今夜、舞台が観客に接がれたことになる。作り手と観客それぞれの未来につながる何かになることを願いつつ…。

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【ご紹介】文学座公演『女の一生』関連イベント・講座

2018-09-24 | お知らせ

 因幡屋ぶろぐでは、基本的に自分が観劇した舞台のことを記事にしております。観劇前の記事は、月はじめの「今月の観劇予定」のみでした。これとてあくまでも自分が見る予定のもの、興味のあるものに限っておりました。しかし、ぶろぐにお越しくださる方々にとって、観劇前の情報としておもしろく、有益なものがあればご紹介したく、今回のお知らせとなりました。

*早稲田大学・エクステンションセンター主催 文学座連携講座 全2回
「『女の一生』名舞台の歴史に込められたもの」
 第1回(10/4)は、演劇評論家・大笹吉雄氏、主人公布引けいを演じる俳優・山本郁子氏が語り、第2回(10/25)は『女の一生』を観劇し、交流会を持つというもの。この作品の歴史を紐解き、現代に向けたメッセージを受け取らんとする試みです。

*新潮社・文学座連携講座 「名作『女の一生』を演じて、観る!」 全1回(10/7)
 まさにタイトルの通り、受講生が実際の上演台本を読んで役を演じ、同作・伸太郎役の大滝寛、ふみ役の松山愛佳の両氏が講師となって指導するという画期的なもの。こちらも講座と観劇がセットですが、講座のみの申し込みもアリのようです。観客それぞれに、好きな場面、好きな人物、言ってみたい台詞があるはず。わたくしならやはりあのシーンですわ…。本気で俳優になりたい、演劇作りの場に行きたいとまではいかずとも、実際に演じてみたいという人は少なくないと思います。

 たとえば、知己が行っていたクリニックシアターの『ザ・ピンター・ツアー』シリーズ(1,2,3)のことを思い出すと、舞台を観客にも解放する(解放しすぎてもだめですが)、作品に触れる機会を作ることによって観客側が充実すれば、その実りは作り手側にも伝わり、演劇というものがより豊かになると思うのです。

 森本薫の『女の一生』と言えば、文学座屈指の財産演目であり、多くの女優が憧れる作品でもあります。いろいろ問題のある作品であるのに、どうしてこんなに心惹かれ、見るたびに新鮮な気づきがあるのでしょうか。観劇のたびに、自分の心に「問い」と「答」が生まれる稀有な舞台であり、魅力は尽きません。
 観客は上演される舞台を見る、受け身の存在です。しかし研究者の視点から作品の歴史や意味を知り、舞台作りの現場に関わる俳優方の声を聞き、なおかつ自分の声で台詞を読む(そのあとは、きっと動いてみたくなるでしょう)ことによって、より多角的に舞台を味わい、豊かな演劇歴をもたらすのでは?

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急な坂スタジオ連続トーク「おしゃべりな食堂vol.2 福原冠の場合」

2018-09-21 | 舞台

*公式サイトはこちら 急な坂スタジオ 21日のみ
 急な坂スタジオへ足を運ぶのは久しぶり(これまで→1,2)。中央図書館からこんなに歩いたか、これほど坂がきつかったのか、それだけの年月が自分の心身に加わったのであろう。さて今夜のメニューは、森本薫『薔薇』リーディングにはじまり、飲みものとビュッフェ形式の軽食でひと息いれたのち、当スタジオディレクターの加藤弓奈を進行役に、ホストの福原冠範宙遊泳さんぴん 当ぶろぐ福原関連過去記事→1,2)のトークまでのおよそ70分だ。

 森本薫と言えば、『女の一生』(1,2)、『華々しき一族』、『みごとな女』等々、舞台作品のイメージが圧倒的であるが、「森本薫戯曲全集」(1968年牧洋社刊)巻末の堀江史朗の解説によれば、今夜の『薔薇』は、森本が放送劇作家として最初に書いた作品とのこと。東京放送局で放送劇をすることになり、名優・友田恭助の依頼により執筆された。1936年(昭和11年)のことである。
 登場人物は菅と夏子、神村と杉江の夫婦二組の会話劇であるが、不意に時間が現在から過去へ、空間も家のなかから横浜港、軽井沢へと飛躍するという、なかなか画期的な作品である。いまは二組の夫婦におさまっているが、かつて菅は杉江と、夏子は神村と交際しており、その確執が不信と妄想を生んだ末に悲劇が起こる…ブログの過去記事を検索してみると、2014年3月、「森本薫と読む!日本の近代戯曲セミナーin東京」において、放送劇『薔薇』、『記念』、『生れた土地』3本をちゃんと観劇しておりました。今の今まで、思い出せなかった不覚にしばし呆然。

 考えてみると、放送劇のリーディングというのは案外とむずかしいものではないだろうか。通常のストレートプレイであれば、たいていの場合、ト書きが読まれることによって場の設定や人物の様子など、劇中の情報が提供されると同時に、演出面でも「見せどころ」を作ることができる。しかしこれまでに放送劇(ラジオドラマ)において、ト書きが読まれる作品を聴いた記憶がない。その代わりに主人公なり、人物の誰かの独白によって、状況説明がされる。
 ラジオドラマを聴く場合、聞き手は俳優の声によってさまざまに想像を膨らませることができる。しかし「リーディング」は、台詞を読む俳優が目の前にいることにより、ある面で「想像が限定されてしまう」のである。戯曲のリーディングとラジオドラマのリーディングは、似て非なるものなのだ。これが今夜得た収穫の第一である。

 収穫の第二は、福原冠が語った俳優にとっての稽古の重要性である。これは、単に「上達のためには稽古が大切だ」に留まるものではない。本番に向けての稽古に限定せず、常に稽古を継続することの重要性を指す。俳優は受け身の仕事であるとはよく言われることだ。自分を用いてくれる演出家やプロデューサー、劇作家がなければ活動できないのだと。確かにそうであろう。しかし福原は、俳優としてもっと能動的、貪欲に挑戦し、冒険することを自らに課した。彼に賛同し、ともに格闘する仲間も増えつつあるようである。俳優自らがたくさんの戯曲を読み、自分の個性や持ち味とは違っていても、演じたい役を演じ、言いたい台詞を言ってみる。そこに俳優としての、いや人生の活路が見出せるのではないかと模索している、とお見受けした。

 演劇を続けることは、こちらが想像する以上にむずかしい。正解のない仕事であり、運不運に左右され、努力が報われる保証はない。自分がどれほどハムレットを演じたいと願っていても、プロデューサーや演出家が配役してくれなければ舞台に立つことができない。福原はそれに異議を唱えているのではないか。与えられるのを待つのではなく、役に向いていようといまいと、自分から戯曲に、役に食らいついていく。

 自分は演劇に携わる人に「がんばれ」と言うことにためらいがある。その代わり、福原冠のように演劇という宝に巡り合ってしまった人が、敢然と闘うすがたを、客席に身を置く者としてしっかりと見、考え、書き続ける者でありたい。わたしも演劇を人生の宝、志、夢として与えられた。それに対する感謝の応答なのである。

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