因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

11月の予定

2006-10-31 | 舞台番外編
数ヶ月前から入っているものと、直前になって決めるものと。どれもしっかり心に刻むことができますように。
*ミュージカル『チック、チック…ブーン!』 @世田谷パブリックシアター。
*劇団桟敷童子『海猫街』 @ベニサンピット 初体験劇団。さきほどチケット予約をしたばかり。
*花形歌舞伎 @新橋演舞場 海老蔵の武蔵坊弁慶、菊之助の弁天小僧。目と魂の保養に。
燐光群『チェックポイント黒点島 』 @下北沢 ザ・スズナリ 竹下景子と燐光群の組み合わせに半信半疑。
*現代能楽集Ⅲ『鵺/NUE』 @シアタートラム 2月のリーディング公演が今回どう変化しているか。
てっぽう玉公演『満ち足りた散歩者』 @「劇」小劇場 直井おさむさんが気になります。
*帝劇ミュージカル『マリー・アントワネット』 ともかくも井上芳雄くん。
*『タンゴ 冬の終わりに』 @シアターコクーン ともかくも堤真一さん。
『新型開運ラジオ』 @space雑遊 実は平田俊子さんが好きなのです。
*猫のホテル 表現さわやか『そこそこ黒の男』 @駅前劇場 NHK朝の連ドラ『純情きらり』に出演していた池田鉄洋をみたくて。

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野鳩第11回公演『アイム・ノット・イン・ラブ』

2006-10-30 | 舞台
*水谷圭一作・演出 中野ウエストエンドスタジオ 公式サイトはこちら。公演は29日で終了。
 野鳩初体験。JR中野駅からアーケード街の賑わいを抜け、新井薬師の商店街に入ると急に静かになる。先週の高円寺、阿佐ヶ谷とも違う不思議な雰囲気の町だ。

 学生服姿の少年3人が登場、彼らは兄弟で母親を探す旅を続けている。その途中でこれもなぜか学生服の老人に出会い、老人の住む村を訪れることになる。3兄弟の末っ子欠(かける)が老人の孫娘ひばりに恋をする。ひばりは兄弟の探す母親にそっくりだが、別人だという。ひばりは恋をするとどんどん年をとっていくという病いに冒されており、しかも恋する相手の寿命を吸い取ってしまうのだそう。ひばりを外に出すまいとする彼女の姉妹たち、身を引こうとするひばり。それでも構わないという欠と共に、ひばりは村を出る。雨上がりの空には美しい虹が。

 予備知識はユリイカ掲載(2005年7月号)の小劇場特集記事のみ。アンケート項目にある「純粋な一般客」として舞台をみた。登場人物はどこの地方かわからないが、方言でしゃべる。その口調も動作も独特で、登場人物の誰かに感情移入や話の展開に身を乗り出したりすることもなく、まったりした気分になってしまう。客席は8割の入りだったろうか、妙に静かで、これも独特。舞台装置は一見チープだが、牛の花子には人間二人が入るかなりの大きさであるし、道に生えている草や木々の緑もよくよく見ると、素材は何かと思うほどしっかりした作りである。ラストの虹の仕掛けにもちょっと驚いた。あれはどうやって作るのだろうか。手を取り合って橋を渡るひばりと欠に少し心が揺すぶられる。ほんの少しだが、それがなかなか心地よかった。この「ほんの少し感覚」が野鳩の魅力なのだろうか。帰りは新井薬師駅まで歩く。定休日や早じまいの多い日曜夜の静かな商店街は、さきほどの気分をそのまま抱えて家路に着かせてくれた。
(気になったことがひとつ。開演前も終演後も受付付近でスタッフが喫煙しているのは、あまり感じのいいものではありませんね。灰皿は観客のためのものだと思います)
 

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Pal's Sharer公演『許しつづける女たち』

2006-10-25 | 舞台
*関根信一作・演出 阿佐ヶ谷アルシェ 公式サイトはこちら。公演は22日で終了 
 劇団フライングステージ主宰の関根信一がはじめて劇団以外に書き下ろした作品で、ゲイが登場しないという点でもはじめてだそう。
 
 恵比寿ガーデンパレスに近い、あるゲストハウスのリビングが舞台である。通常のマンションではなく、仕事の都合などで数ヶ月間借りることもできるし、一部屋を誰かとシェアもできるシステム。中心人物は商社のキャリアウーマン(死語か?)高島春菜(白井美香)と派遣OL澤村美咲(佐藤里真)の二人である。ふたりは偶然同い年で30歳目前だが仕事もプライベートも性格も正反対だ。春菜は上司の嫌がらせに悩みながらもバリバリと働き、美咲は複数の男性とどっちつかずの付き合いを続けている。二人を取り巻く男性陣が入れ替わり立ち替わりゲストハウスを訪れ、住人と来訪者が巻き起こす騒動が二人の女性の生き方を少しずつ変えていく。彼らはとにかくひっきりなしにしゃべる。ひとつの出会いに新しい関わりが次々と増えていく様子、人物が自分の考えをその人なりにきちんと話すところは、ちょっと山田太一のドラマ風でもある。

 男女合わせて12人(うち1人は声の出演)も出てくる。主だった役は前述の二人だが、捨て役、脇役がなく、どの人物にもきちんとした人格と主張と背景が書き込まれている。ひとりひとり考え方も違うし、職場のつきあい、男女の恋愛それぞれの場面で衝突があり、どうしても相容れないことも起こり、それは血のつながった肉親とのあいだでも同じなのである。 
 当日パンフレットに「言葉を信じ、人を信じて話しつづける人を描くことをこれからも続けていく」ということが記されていて、劇作家関根信一の、自分とは違う生き方をする人への豊かな想像力、相手に歩み寄り、理解しようとする優しさ、信念を感じる。

 贅沢を言えば、皆いい人ばかりの大団円になったことが物足りなくもあり、演技も若干オーバーアクション風。この次はもう少し暗いお話をじっくりみたいと思うのだった。
 

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東京バラライカショー『ジョン・レノンを信じるなという奴を信じるな』

2006-10-24 | 舞台
*亀岩ヒロシ作・演出 明石スタジオ
 今回が初体験の東京バラライカショー第11回公演。幕のない舞台の上手に樹木らしきもの、下手には自転車。ジョン・レノンと呼ばれる男性(亀岩タロウ)と、セイウチの着ぐるみ姿でウォルラスと呼ばれる女性(國柄えり子)の会話から始まる。ジョンとエルビス・プレスリーとのエピソードに始まり、さまざまな戯曲の登場人物や台詞を盛り込みつつ、話は進行する。記憶にあるだけでもチェーホフの『かもめ』、別役実の『マッチ売りの少女』(「これから夜のお茶なんです」という台詞から連想したのだが)、テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』、オルビーの『動物園物語』、イプセンの『人形の家』、終盤には9.11のテロまで登場する。ただ自分がジョン・レノンというアーティストへの知識や思い入れが非常に少ないせいもあって、多くの戯曲とジョンがどう連動しているのか、作者がどういう意図をもっているのか、最後までよくわからなかった。
 
 初めての劇団の舞台をみるときは期待もあるが不安だし緊張もする。何かを掴み取ろうという思いが一層強くなる。今回のいくつかの戯曲の台詞を手がかりにこの舞台への足がかりを作ろうと試みたのだが、難しかった。いつも新鮮な気持ちで新しいものを貪欲に吸収するというより、これまでの観劇の積み重ねをもとにするタイプの人間なので、足がかりを失うと集中して舞台をみることが困難になる。
 
 気になったのは、千秋楽の、しかも日曜昼間の公演にも関わらず、空席が目立っていた点である。劇団によっては客席のほとんどが友人知人などの「身内客」で占められていたり、あからさまに「身内受け」を狙った舞台もある。それは自分の好みではないのだが、客席の熱気が舞台に活力を与えることもあるし、身内客の中から口コミで新しい観客への広がりが生まれる可能性もある。今回の舞台に「身内受け」の雰囲気がまったく感じられないことには好感がもてたし、出演俳優は皆しっかりと稽古が練り上げられたことが伝わる演技だっただけに残念だ。寂しい客席は演じる俳優も辛いだろうが、観客もまた居心地悪く、寒々とした思いになるのである。高円寺での観劇は久しぶりで、新宿や下北沢とも違う不思議な活力の感じられる街だ。街の活気に負けない、熱い舞台を期待する。
 

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演劇集団円『ロンサム・ウェスト』

2006-10-15 | 舞台
*マーティン・マクドナー作 芦沢みどり訳 森新太郎演出 ステージ円 公式サイトはこちら 公演は18日まで。

 ━「絶望」ということを考えた。

 アイルランド系英国人劇作家マクドナーが97年に発表した作品。この夏、長塚圭史演出の『ウィー・トーマス』をみたあとなので、今回もさぞかし暴力と憎悪に溢れた血まみれの物語と想像したが、少し違った。

 登場人物はコールマン(石住昭彦)、ヴァレン(吉見一豊)の兄弟に神父(上杉陽一)、ガーリーンという少女(冠野智美)の4人である。兄弟の父の葬儀を終えてうちに戻った兄弟と神父のやりとりから物語が始まるのだが、この兄弟、とにかく仲が悪く、それもポテトチップや酒をめぐる些細なことで壮絶な喧嘩を繰り広げるのである。あいだに立つ神父はおろおろするばかりで仲裁も救済もできない。しかも父の死はコールマンによる殺害かもしれず、この村にはほかにも親殺しの噂を立てられた者がおり、神父は村のありさまと自分の無力を嘆いてメソメソと酒浸りになってしまった。ガーリーンは酒の密売で稼ぐしっかり者だが、あばずれ風の娘である。

 仲の悪いきょうだいというのは現実にあるし、普通の仲であっても子どもの頃に喧嘩をした、苛められたことをずっと許せず恨みに思っているということも珍しくはないだろう。いっそ他人同士なら離れて無関係になれるのに、血のつながりのあるきょうだいはそうはいかない。ここまで不仲な二人が兄弟という縁で出会ってしまったこと、これほど相性が悪いのにずっと同居していることの不思議、というか不気味。教会や聖職者の努力や信仰の力もここでは無意味で無力であり、人間関係の最小単位である家族ですら愛し合えないのに、世界平和の達成など「なに寝ぼけたことを」(ヴァレンの台詞)とぶっとばされてしまうのである。(以下の記事にはネタばれがあります。これからご覧になる方はご注意くださいませ)

 絶望した神父は自殺を決意し、湖のほとりに佇む。そこにガーリーンがやってきて二人はそこで少し話をする。ガーリーンは前述の通り少々あばずれな17歳だがなかなか可愛らしい少女で、どうも神父に恋をしているらしいのだ。悲劇喜劇11月号掲載の戯曲では神父の年齢は35歳となっており、随分イケてないオジさんを好きになったものだと思うが、二人が話す場面、静かで優しいピアノの曲が流れ(音響:藤田赤目)、望みのない恋をした少女の悲しみと、それでも明るくふるまうけなげさが感じられる大変美しいものであった。まだ何かを信じることができるかもしれない、そんな気持ちにされられるのである(この神父役は非常に難しいと思う。今回の上杉氏の配役と神父が遺書を読み上げる場面の演出については実は少々疑問あり)。

 神父の葬儀が終わって、兄弟はうちに戻る。神父が「きみたち兄弟が愛し合うことに魂を賭ける」などと遺書を残したものだから、さすがの彼らもしゅんとしている。互いに子ども時代からの喧嘩の恨みつらみを言い合いながら、謝罪を受け入れ合うというゲームをして、これで兄弟仲直りかと思わせたが、やはりいけなかった。それだけは言わなければいいのにということを言ってしまった二人はまたしても壮絶な喧嘩(ほとんど死闘)を始めてしまう。しかしこの場面で、絶望していない自分の心に気づく。うっかり希望を抱いたりするから、それが叶わないと絶望して悲しい思いもするので、そう簡単に憎しみが消えないほうが、むしろ良心的ではないかとすら思えるのである。魂を賭けた神父の死もガーリーンの悲しみも、兄弟を和解させるには至らなかった。いいところまでいったのだが。しかしそれでもこのふたりは生きていく。

 カーテンコールの拍手はとても温かく、なかなか鳴り止まなかった。俳優の熱演とこれが本公演初演出となった森新太郎氏の健闘を讃えたい。兄弟の関係はやはり絶望的かもしれないが、こういうものを描くことができる演劇への希望はしっかりと受け止められたと思う。
 
 「失う」ことを考えた『アジアの女』と「絶望」について考えた『ロンサム・ウェスト』。どちらも重たい内容だったが、それが演劇によって描かれることに希望を感じられた充実の2日間だった。

 

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