因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

句会覚書/2015年4月

2015-04-19 | 俳句

 ひと月に参加する句会が3つになって、3か月が経ちました。俳句をはじめたころは、月1度の句会の5句が精いっぱいだったのがひとつ増え、だんだん欲が出てきて遂に月3つになったわけであります。句会が月に3つですと、毎月提出の締切がつぎつぎにやってくる。自分から俳句を追い求めるというより、「句会の締切に追われている」のが実情です。
 句会の場数を踏めばそれだけ上達しているかというと、それがどうもよくわからないという・・・。
 「この句ならいけそう」という予想はほとんどはずれ、あまり考えずに何となく浮かんだことばを五七五にした(この過程ではそれなりに努力している)ものに選をいただいたり、句会本番まで自分の出来がまったくわからないというのも不思議でありますが、そういうものなのでしょう。

 金星句会と演劇人句会については過去記事こちら、今年1月から参加している本部句会のことはこちらへお運びくださいませ。

 先週、4月の本部句会が行われました。出席者は54名、ひとり5句、合計270句から選び、考える数時間です。
 句会の大きなポイントのひとつは、「自分の句が選ばれるかどうか」だと思ってきましたし、たぶんまちがいではないでしょう。しかしこれほどの大人数で、句歴の長いベテラン、主宰も幹部方も出句される句会においては、「自分の句」にこだわっていては肝心なことを見のがし、この句会ならではの恩恵をじゅうぶんに受け取れないことに気づきます。
 幸いなことに、これまで参加した本部句会ではいずれもどなたかの選をいただきました。中には望外の評価を賜った句もあり、とても励みになっています。しかしこれはもう奇跡というか、めったにないことであり、それだけを気にしていると、披講で自作に選がはいった時点で句会が完結してしまいます。
 大切なのはほかの方々の句に心を注ぐことではないでしょうか?

 たとえば4月の兼題は、「春筍」(はるたけのこ、しゅんじゅん)、「若鮎」、「駒鳥」、「葭切」(よしきり)でした。たけのこと鮎はともかく、鳥の季語についてはイメージすら浮かばず、句を作ることを早々にあきらめました。ならば参加した方々の句をしっかりと味わって、その季語の個性を知り、使い方や活かし方を吸収しなければなりません。自分の5句を提出したあとは、清記作成や披講による点盛などの「作業」だけやっていればよいのではない。そこからが句会の旨みであり、重要なところ。
 270もの句をどんどんみていくとき、どうすればよいか。いまのところ、先輩方の様子をチラ見しつつ、知らない季語や言い回しをみつけたらノートに書きだして、あとで調べるのがせいいっぱい状態です。あとは自分がどの句を選ばせていただいたのかをちゃんと記録しておくことですね。結構忘れているのです。どなたの句か、そのかたはほかにどんな句を作っていらっしゃるか。どんな句を選んでいらっしゃるかを覚えようとすること。
 大人数の句会は、自分のような初学者にはとかく流れ作業をこなすことに終始しがちな面があり、自戒しつつ試行錯誤しながら、たくさんの句に出会える時間をもっと大切にしたいと思います。

 と書いているうちに、明日の夜は演劇人句会です。「御影供」、「鳥帰る」に加え、「変ロ長調」という冗談のような課題(兼題ではない!)もあって、さてどうしたものでしょう?

コメント

因幡屋久びさ俳句日記

2014-07-31 | 俳句

 新しい月の観劇予定と句会をいっしょに記事にしておりましたが、このたびは因幡屋の俳句日記単独でお届けいたします。
 これまでの句会関連の記事はこちら→1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11
 8月の句会の兼題は、金星句会が「初秋」と「カンナ」、演劇人句会が「終戦記念日」と「相撲」。 立秋の8月7日ごろから暦の上では秋でありますから、「もう夏の季語の句は出さないように」とのこと。これは初学者にはむずかしいことなのです。気持ちの切り替えができない。こんなに暑いのですから(苦笑)。いまのうちに「浴衣」、「氷水」、「お化け屋敷」などで作っておきますか。
 今年の夏は3年ぶりに故郷でお盆を迎えますので、「帰省」でも詠んでみましょう・・・というより、もう締切まであまり日にちありませんよ。

 先日の演劇人句会の兼題のひとつは「夏芝居」でありました。夏の芝居といえば、因幡屋にはすぐに若手がおおぜい出演する八月納涼歌舞伎の熱気が思い浮かびます。歌舞伎座公演がいつもの昼夜の二部制から、時間も料金も少し緩んだ三部制になり、人間国宝級のベテランがひとやすみするかわりに、若手役者が大役に挑みます。 怪談ものが多いのは、背筋の寒くなるような話で観客を涼しくするというより、若手のがんばりで暑さをぶっとばせ!の勢いがあって、大好きです。
  しかし季語の「夏芝居」は、昔のことでエアコンもなく、暑さために客足は落ちる、本興行は休みで売れっ子は出演せず、未熟な若手やパッとしない役者が打つ 芝居・・・といった何と言いますか「イケてないない感じ」がベースにあります。作句のときは自分の感覚や意識ではなく、まずは本来の意味を踏まえることが 大切と教わりました。

 金星句会では、このたび世話役の方がご著書を上梓され、それをお祝いしての「贈答句」を詠む企画がありました。通常の句会では兼題に添って作句するのですが、贈答句の場合はお祝いの内容、贈る相手のことを句の中心にします。
 これがとても楽しかった。勢ぞろいしたお祝い句をみると、自分の句はさておき、皆さん素敵な句ばかり。「いつもの句会より出来がいいのでは?」という声が出るほどでした。

 これは句を贈る(読んでもらう)相手の存在、お祝いの気持ちを届けるという目的、このりょうほうが確実にあるためではないでしょうか?金星句会指南役の方が繰りかえしおっしゃるのは、「俳句は読む人にわかってもらわないといけない」ことでして、自分だけの体験、気持ちだけではとうてい句会で選句していただけない。読んでくださる人の存在あっての俳句であり、句会であるわけです。

 6月の鍛練合宿句会ではじめて「一字詠み込み」俳句というのを体験しました。本郷の「鳳明館」に宿をとりましたので「明」の一字を、また坂の多い本郷周辺にちなんで「坂」の一字を俳句のなかに入れるわけです。俳句ならではの遊び心ですが、これがなかなか大変。つまり「明」も「坂」もそれじたいは季語ではありませんから、一字を入れつつ季語も入れなければ俳句にならないと。
 前述の贈答句でも、相手のお名前の一字詠み込みをいたしました。たとえば「松重豊」なら(笑、いや笑ってことないか)、句のなかに「松」 「重」、「豊」のいずれか一 字を入れて、「松の木の~」、「~重なる何とかの」、「何とか何とかの豊かなる」という句をつくるのです。たとえの句が下手ですみません。お上手な方ならこうしたときもささっと見事にお詠みになるのですが・・・。
 どうしても詠み込みの一字を活かしたいと思いますから季語がなおざりになったり、無理が生じたりします。
 与えられる兼題にひたすら向き合うのはもちろん大切ですが、ときにはみずからに課題を与えるのもいいかも。まず夏休みの課題は家族の名前から一字詠み込みの四句です。句会のお仲間を控えめにお誘いしつつ、猛暑の日々に「初秋」や「新涼」の句をがんばってみます。

コメント

因幡屋の俳句日記/ご報告を兼ねて

2013-12-24 | 俳句

 しばらくおやすみしていた俳句日記(1,2,3)ですが、ひとつご報告があります。
 当方12月16日付にて、俳句結社「銀漢」に入会いたしました。3月に「銀漢」の初学者向け勉強会の金星句会を見学させていただき、それから月1回の句会に参加するようになりました。金星句会ははじまった当初こそ初学者向けだったそうなのですが、それから数年のあいだに参加される皆さんがめきめき上達され、自分が伺ったときには初学者の域をとうに脱していたという・・・つまり非常にレベルの高い句会に素人同然で飛びこんだことになり、いまとなっては冷や汗ものであります。
 しかし指南役、世話役の方はじめ皆さんに快く受け入れていただき、結社に入会することを決めました。このような日が訪れるとは夢にも思わず、それも自分の努力ではなく、手を引いて連れてきてくださった方、背中を押してくださった方の存在があることに気づきます。
 このところすっかりご無沙汰してしまっておりますが、木挽町句会の皆さまにも感謝しております。ほんとうにありがとうございます。

 作家の向田邦子が直木賞受賞式でのスピーチで、「五十を過ぎて新しい分野のスタートラインに立てるとは、、何と心弾むことでしょうか」と語っています。数年まえに大病を患ったとき、もうこれから先、面白いことは起きない、このへんで止まりだと思っていたところに「わが人生で一番面白いことが起こった。それが小説の道であり、直木賞であったということです。
 この記事を読んだとき、自分はまだ二十歳まえで、「そんなものかしらん」と思っていましたが、当時の向田さんと同じくらいの年まわりになったいま、俳句をはじめられることがほんとうに嬉しく、心弾む思いです。予想もしませんでした。まさかこんなことがわが身に起こるとは。
 むろん同じなのは年齢だけ。自分はまさに俳句の初学者ですから、銀漢の伊藤伊那男主宰から「3年は雑巾がけですよ」と言われたとおり、いちばんの下働きからはじめることになります。あきっぽい自分がどこまで続けらるか、みなさんの足を引っ張ることはないか(いや、すでにそうとう引っ張っている)等々心配はありますが、それでもよい俳句を詠みたい、いろいろなことをもっと知りたいという気持ちのほうが強いのです。

 さあ来年1月の金星句会用に5句、11月に発足した「俳句をつくる演劇人の会」に5句、そして俳誌「銀漢」提出用に7句の投句が控えています。そろそろ準備を、というより日々作句を意識していないと追いつきません。
 「さあつくるぞ」と意気込んでも無理なわけでして、肩の力を抜いて俳句の世界に素直に心を委ね、それが観劇と批評にもよい効果を生むことを願うものであります。おっとこれは欲張りすぎですね(苦笑)。

コメント