因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

神無月の予定

2008-09-28 | お知らせ
 このあいだまで猛暑だったのに10月になってしまうのですね。今のところ前半に集中しております。
パラドックス定数『三億円事件』
ラ・マレア横浜 横浜市吉田町の街頭で9つのショートストーリーが繰り広げられるとのこと。
東京乾電池公演 加藤一浩作・演出『愛とその他』劇作家というのは時を得ると、次々に作品を生み出す力が与えられるのかもしれません。
劇団掘出者『ハート』(1
開幕ペナントレース第5回パフォーマンス本公演『振り返れば俺がいる』
*JAM SESSION『東海道四谷怪談』鶴屋南北に演出家西沢栄治が挑む。小林恭二の『新釈 四谷怪談』(集英社新書)も読み始めました。
演劇集団円公演『孤独から一番遠い場所』鄭義伸作 森新太郎演出 今年の春、新国立劇場小劇場で上演された『焼き肉ドラゴン』を見逃した。今回は家族を誘おうと思う。

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アル☆カンパニー『ゆすり』

2008-09-23 | 舞台
*青木豪作・演出 公式サイトはこちら スペース雑遊 28日まで 川崎市アートセンターでも公演あり
 このところ脚色を含め、青木豪はぶっとばすような勢いで劇作を続けている。今回も平田満、井上加奈子夫妻が主宰するアル☆カンパニーに新作を書き下ろし、演出も手がけている。これから先も上演が目白押し、次々と新作に出会えるのはほんとうに楽しみなのだが、あまりの働きぶりにちょっと心配な気も。

 東京のどこか。家賃収入で暮らす兄(大谷亮介)と妹(井上加奈子)の家に、昔アパートの住人だったという男(平田満)がやってくる。兄妹がほとんど覚えていないのに、男は思い出を饒舌に語り続ける。舞台を客席がL字型に近い形で挟んでおり、俳優も観客も逃げ場のない小さな空間である。台詞のひとつひとつ、登場人物のちょっとした仕草や表情の変化などに目が離せない。ベテラン俳優3人は危なげなく、手堅い作りである。一杯道具の舞台に何人もの人物がわさわさと出入りするグリングの作品とは異なる雰囲気だ。初日の固さは感じられず、既に完成度の高い舞台になっていると思われた。が、このもやもやした感覚は何だろう?

☆ここから先はご注意を。謎解き、サスペンスの要素がたくさんある舞台です☆

 まずタイトルの『ゆすり』であるが、すべてではないにしろ、なぜタイトルで話の種明かしをしたのだろうか?
 大谷、井上兄妹を平田満がゆすりに来る話。芝居が始まる前からわかってしまう。なぜ年賀状のやりとりだけだったのに突然訪問し、遠慮しつつも堂々と居座り、妙な馴れ馴れしさで一方的に思い出話をするのか。そこに至る話や、次第に明かされる過去はもちろん想像の及ばないものもあったが、男が何をしようとしているのかをあらかじめ観客に知らせることに(しかもタイトルで)、どのような意図があったのだろうか?また今回改めて思ったのは、夫婦役よりも兄妹役のほうが、演じるのがむずかしいのではないかということである。夫婦はもともと他人だが、兄妹には血縁がある。自分には大谷と井上がなかなか兄妹にみえず、そのため中盤からどんどん混乱してくる話にいまひとつ入り込めなかった。

 記憶についての話でもある。思い込み、願望が混乱してほんとうは何が起こったのかがわからなくなる。兄妹の静かな生活に闖入してきた男も、もしかすると兄妹の幻想の産物かもしれず、言い換えると平田が演じた人物の存在がいささか中途半端な印象なのだ。いつもの青木豪作品に比べると「え?」「は?」という問いかけの台詞が多く、少し際どい別役実戯曲のようでもあった。もっと先まで、もっと深く書ける人ではないか。自分と同じく青木豪の作品を続けてみている(ただし本作は未見)友人曰く「青木さん、最近足踏みしちゃってるかなぁ」。言い得て妙であると思う。躊躇なのか準備なのか、どこかで何かで、次の一歩があることを楽しみにしている。

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中野成樹+オオカミ男の短々とした仕事      その4『ちょっとした夢の話』

2008-09-22 | 舞台
*ソーントン・ワイルダー原作『楽しき旅路』より 中野成樹誤意訳・演出 公式サイトはこちら 横浜STスポット 21日で終了(1,2,3,4,5) 
 オオカミ男とは、今回中野と共に舞台を作った大学生4人のこと。一家4人が病気の長姉(石橋志保)の住む町へ車を走らせる。その道中を描いたものである。8月に行われた急な坂スタジオのマンスリーアートカフェで、今回の舞台のことが話題になった。興味深かったのは、誤意訳の試みについて、「ただ言葉の置き換えをしたいのではない」「自分の舞台について『原作を読んでいないのでよくわかりませんが』という感想もあって、きちんと検証されてないように思う」という中野の発言である。メモもほとんど取らなかったので、言葉は正確ではない。実際これまでいくつかみた中野の舞台は、生真面目なほど原作に忠実である一方で、ほかではみることのできない自由な描写もあって目が離せない。

 母親役の斉藤淳子が目をひいた。劇団掘出者『チカクニイテトオク』や、toi presents 3rd『あゆみ』でみせた、うぶな雰囲気とはうってかわり、信仰心の強い堂々たる母親である。終始穏やかで、少しおとぼけなところもあるのだが、息子が神を揶揄するような冗談を言うのに本気で怒り、「車から降りなさい」「この子の隣に座りたくない」とまで拒絶する。しかし息子が心から反省して謝ると、雪が解けるように優しい母に戻るのである。神を信じている、息子を愛しているから。同世代の大学生同士が親子を演じているのに、まったく不自然に見えなかった。さらに彼らより(おそらく)ひとまわり年上の石橋志保がいちばん上の娘役なのだが、ここでも違和感は感じられず、具体的なあれこれは語らないが、辛いことも嬉しいことも丸ごと受け止めようとする家族の慎ましさが伝わってくる。

 続けて上映された映画(紺谷昌充監督)のほうは、舞台よりも遊び心があって、舞台と映画を合わせてみせることにどんな意図があったのかはよくわからなかったが、これはこれで楽しかった。中野成樹+フランケンズの舞台には、一度味を覚えると病みつきになるおもしろさがあって、これからもせっせと足を運ぶことになりそうである。ワイルダー、もっとちゃんと読みませんとね。

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因幡屋通信30号完成

2008-09-21 | お知らせ
 因幡屋通信30号が完成し、各劇場宛に発送いたしました。今回は薄いブルーです。印字も薄くてかすれ気味、お読みづらいと存じますが、次回から改善の努力をいたします。お許しくださいませ。お題は以下の通り。
*「再会」shel公演『Little Eyolf ちいさなエイヨルフ』より(1,2,3)
*「殺すなかれ」グリング公演『ピース-短編集のような…』より(1,2)
 演劇批評には大きく分けて2つのタイプがあるそうです。
 ①ある舞台をみて、そのリアクションから書こうとするもの
 ②もともと自分の中に何か書きたいものがあって、ある舞台を動機にして、それを表わそうとするもの
 自分は典型的な①タイプでしょう。今回もいろいろな作品に助けられました。それぞれブログ記事をリンクいたしますので、合わせてお楽しみくださいますよう。
 同じくえびす組劇場見聞録29号も完成です。
*「友達にはなれないが」モナカ興業公演『点滅する秋』より
 今回えびす組のマーガレット・伊万里嬢がグリングの『ピース』を取り上げておりまして、因幡屋のお題と重なりました。以前にもこんなことがあったのですが、や、ほんとうに偶然です。

 ベニサン・ピットが来年1月に閉館の由、新聞報道で知りました。93年初夏の『テレーズ・ラカン』(デヴィッド・ルヴォー演出)以来、自分にとってなくてはならない大切な劇場になりました。どれだけ刺激を受け、充実した演劇体験ができたか、言葉にはし尽くせません。因幡屋通信、えびす組劇場見聞録も創刊当初から設置していただいたこと、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。豊かな時間をありがとうございました。劇場はなくなっても、そこでみた舞台のことはいつまでも心に残るでしょう。

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4×1h project「Play#0」

2008-09-20 | 舞台
 脚本をリーディング形式で上演する「Reading」に始まり、全作品を観劇した観客の投票によって決定した演目が今回の「Play#0」となった。公演チラシにプロデューサーの菊地奈緒(elePHANTMoon)の挨拶文が掲載されており、「短編小説のように楽しめる短編演劇を」が本公演のテーマであるという。柿喰う客の中屋敷法仁の『ひとさまにみせるもんじゃない』と、快快(小指値改め)の篠田千明の『いそうろう』の2本立てで、演出はいずれも時間堂の黒澤世莉。渋谷ギャラリールデコ、公式サイトはこちら 28日まで。

☆本日開幕したばかりの公演です。このあたりからご注意くださいませ☆

 2本めの『いそうろう』がおもしろかった。2人の女性がルームシェアをして暮らす部屋で起こった諍いが描かれる。正面に大きな板があり、そこに貼られた白い紙に2人は部屋の様子をマジックで描きながら、お互いの行動やそのときの気持ちを検証するかのように会話が進む。

 ももか(大川翔子)の部屋に、いちこ(百花亜希)が一緒に住むようになる。からだは小柄で華奢だが、大川翔子の声は大変響きのよい低音で、ストレートのボブヘアに切れ長の目が印象的。対する百花亜希はくしゅくしゅのパーマヘアにくるくるした瞳が可愛らしい。見た目も性格も対照的。何でもきちんとしていたいももかと、口では「やるやる」と言いながらだらしのないいちこでは、揉めるのも致し方ないと思われる。2人はこぼしたアイスコーヒーをそのままにしたとか、「自分でドラフトでも買って飲めよ」などと些細なことで大喧嘩をする。お互いの言動の揚げ足を取り、済んだことをよくもまあそこまで恨みがましく覚えているものだ。笑うのも悪いようで呆気にとられてみつめながら、それでも醜悪に見えないのは、2人の女優の若さと瑞々しさゆえだろうか。


 ルデコが小さな空間であることにはだいぶ慣れたつもりではあったが、今日はことさらに舞台と客席が近く感じられて最初は大いに戸惑った。しかし表の光も入り、車道や電車の騒音も聞こえる空間(敢えて遮らない作りにしたのだろうか)に身を置いてももかといちこを見ていると、だんだん不思議な心持ちになってくる。この2人がどうなったのか、ほんとうのところはわからない。目の前で繰り広げられている激しいやりとりは現実ではなく、「もしあのときこうだったら」「あのとき自分はこんな気持ちだったんだ」という想像や願望かもしれない。時間を元に戻して過去の出来事を再現することはできない。激情にかられて書きなぐった紙を白紙には戻せず、破れた紙は元通りにはならない。言わなきゃよかった、逆にもっと言ってやるんだったということもある。人は1人では生きていけない。誰かと交わることなしには人生は成り立たない。日々は後悔と過ちの繰り返しである。

 それぞれ所属、主宰する劇団をもつ演劇人がお互いの作品をリーディングで競い合いながら上演する、意欲的な試みだと思う。衝突や混乱や挫折もあるだろうが、手応えもきっとあるはず。初日を見た限りではまだ試行錯誤の印象があったが、千秋楽までにさまざまな変化が起こることを予感させる。願わくは短編小説から骨太で濃厚な長編が生み出されることを。
 

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