因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

2007年因幡屋演劇賞

2007-12-31 | 舞台番外編
 今年もいろいろな舞台に出会うことができました。何も出ない因幡屋演劇賞ですが(笑)、感謝と喜びを込めて次の作品と方々に。先日掲載の劇評サイトwonderlandもご参照くださいませ。
*studio salt第7回公演 椎名泉水作・演出『7』(1,2
*KAKUTAと川上弘美+Friends『神様の夜』(1,2,3,4
*庭劇団ペニノ+メジャーリーグ タニノクロウ演出『野鴨』(1,2)
*中野成樹誤意訳・演出『家族でお食事夢うつつ』
*蜷川幸雄演出『オセロー』の高橋洋(イアゴー)
*鈴木勝秀演出『欲望という名の電車』の北村有起哉(スタンリー)

 猪瀬直樹著『日本凡人伝』(新潮文庫)の扉に次の言葉が記されていて、ときどき読み返します。
「どうか、わたしの言葉が、書きとめられるように。
 どうか、わたしの言葉が、書物にしるされるように。」
 旧約聖書のヨブ記第19章23節で、これは口語訳ですね。
 自分のブログや通信は、ほんとうに小さな発信地です。けれど読んでくださった方の心に何かが残るようなものを書きたいと願っています。ブログにお越しくださった方、劇場のチラシ置き場で通信を手に取ってくださった方、お顔もお名前も知らない方々に心より感謝いたします。今年1年ありがとうございました。来年もどうかよろしくお願いいたします。

コメント

アロッタファジャイナ2007年12月番外公演『クリスマス、愛の演劇祭』

2007-12-23 | インポート
公式サイトはこちら 渋谷ギャラリー・ルデコ4F 公演は16日で終了
 若い女性が悩ましげな姿態で横たわるチラシにどきっとした方は多いだろう。裏面を見てもっと驚いた。劇団の中で6つのプロジェクトを立ち上げ、6本の芝居を次々に上演していくというのである。並大抵のエネルギーではできないだろう。劇団の中には多くの俳優やスタッフがいて、そのどれにも光るものがある。それをどうにかして舞台に活かしたい。主宰の松枝佳紀はじめ劇団員が総力をあげて実現した、まさに「演劇祭」である。午後3時少し過ぎて開演し、6つの舞台が終わったのが9時15分くらいだっただろうか。この間、口にしたのはチェルシーひと粒、あとは飲まず食わずトイレにも行かず。

 もっとも見応えがあったのは、青木弟組による『地下室の労働者』であった。劇団の女優青木ナナの弟である青木康浩の作・演出による。前の組と舞台と客席の並びを変えるということで、いったん席を立ち、設置を待つ。客席前から座布団、丸椅子、最後列にパイプ椅子が並ぶが、ぎりぎりのスペースである。背もたれが欲しくて最後列に座ったら舞台がまったく見えなくなってしまい、立ち見することに。

 地下作業室に外国人労働者男女4人が寝起きし、働いている。2台の自転車を交代で漕ぐ。彼らは日本語を話せない。現場監督の男は日本人で、彼らが怠けないように目を光らせつつも、多少の優しさや配慮もみせる。4人の言葉はまったく理解できないが、必死で働きながら地下室からの脱走を計画しているらしいことがわかる。ある日雇い主が現れ、時間になっても眠りこけている労働者を叩き起こし、彼らのみならず現場監督にも罵声を浴びせ、暴力を奮って労働を強いる。罵倒された現場監督は、今度は人が変わったように労働者に牙を剥く。聞くに耐えない暴言と目を背けるような暴力に、客席の空気が凍りつく。それまでの3本の芝居がホームドラマ風、ファンタジー風、コント風だったのに比べるとクリスマスとも愛とも遠く、いささかバランスが悪いのではと思うほど重苦しい。当日チラシに作・演出の青木康浩が思いをしたためており、これも誠に硬派で誠実なものであった。日本語を使わないこと、物語ではなく人間によって感動を作りたいこと、俳優に自主性を求めていること。今回の舞台作りの過程を網羅したという「作品資料集」が販売されていたのだが、まずは目の前で起きたことから考えたいと思い、敢えて購入しなかった。

 見応えがあると感じたのは、舞台の内容があまりにへヴィーだったからではなく、作り手の気持ちが直球で投げられていたからではないかと思う。観客を楽しませたい、喜んでほしいという気持ちも大切だが、これはうっかりすると創造の志に逸れることもあるだろう。青木弟組の舞台には客席を拒絶するかのような張りつめたものがあり、ぼんやりしているとこちらが倒れてしまう。物語、台詞を越えた人間の力、演劇の力を作者は必死で探そうとしている。重みのある直球の勝負。自分は受けて立てるだろうか。「おもしろかったよ」「がんばってね」という思いやりはあっても根拠のなさそうな感想や励ましは言えない。もっともっと鋭く強く、的確な言葉が必要だ。それを探したい。

コメント

対談「この時代に戯曲を書く」

2007-12-17 | 舞台番外編
*東京工業大学世界文明センター主宰のレクチャーシリーズより、劇作家・演出家坂手洋二氏と永井愛氏の対談 司会進行は同校准教授谷岡健彦氏 公式サイトはこちら 以下敬称略
 夜の大学構内は暗くて怖い。迷って約5分遅刻した。今、第一線で活躍中の坂手洋二と永井愛の対談は、「なぜ今の時代の流れに逆らうように戯曲を書くのか?」「インターネット全盛の時代に、なぜ小さなメディアである演劇をするのか?」という問いかけから始まった(注:メモは取ったが録音はしていないので、この記事の「」の発言は因幡屋の記憶によるものです。よって正確ではありません)。

 永井愛の言葉に対する感覚の鋭さや、鋭いがゆえのさまざまな体験談に、思わず前のめりになって聞き入った。まずかつて俳優修行をしていたときのエピソードである。チェーホフ作品で役をもらい、カーテンで作ったドレスの裾をひきずって言った台詞が「ユーリャさん、あなた恋をしたことはおあり?」普段使っている言葉とはあまりにかけ離れており、リアリティがまったくなかったというのである。次に海外で自作が翻訳、上演される機会に立ち会ったときのこと、「翻訳の変なところに気づくのは大抵俳優だった」そうである。エッセイ集『中年まっさかり』(光文社)に、『こんにちは、母さん』初演時の主演の加藤治子の猛勉強ぶりを記した一文を思い出した。「台詞の無駄や矛盾も見つけ出さずにはいなかった。(中略)加藤さんが台詞の覚えにくいところには、何かしらの問題が埋まっていた」とある。海外の俳優の場合も、これに似ているのではなかろうか。「もし演劇のために無限にお金が与えられるとしたらどうしますか?」という質問に対して、「演劇教育を充実させたい。教える人が足りない」ということを切実に語っていた。プロの俳優や演出家やスタッフの養成はもちろんであるが、自分はもっと子供のうちから、演劇を公教育の中で教育のプログラムとして組み込むことはできないだろうかと思う。

 坂手さんのお話も少し書きましょうね。「確かに演劇は小さなメディアであるが、戯曲は劇作家、演出家、俳優、スタッフ、観客と実に多くの人が読んでくれる。とても恵まれた表現である」。おお、そうか!と目が覚める。劇作家が書き、演出家や俳優、スタッフの手によって上演され、それを観客がみる。多くの人がのめり込み、言葉のひとつひとつにこだわって心血を注いで舞台に立ち上げる。受け取るものにとっては今この時間と空間を共有するのは一夜限りである。目も耳も心も五感全部を動員して何かを掴み取ろうとする。紙に書かれた「戯曲」が多くの人の手を経て「演劇」に生まれ変わる。ぞくぞくするほど魅力的だ。だから劇場通いはやめられないのである。

 帰り道、小さなお店で夜食のパンを買い、閉店間際の花屋に飛び込んで黄色い薔薇を求めると、「咲きかけだけど」とピンクも一束おまけにいただいた。因幡屋通信、えびす組劇場見聞録の原稿も書きかけで、ブログの記事もいくつかたまっている。ほんとうなら全部書き終えたときにご褒美のお花のはずなのだが、今夜は何だか嬉しくて花を抱えてうちに帰りたかったのだ。「あなた恋をしたことはおあり?」の台詞を心の中で繰り返してみる。なかなか素敵な台詞ではないか。もっといろいろな戯曲を読もう。そう思った。
 

コメント

wonderlandに劇評掲載『ユダの食卓』

2007-12-15 | お知らせ
 劇評サイトwonderlandに拙稿が掲載されました。風琴工房詩森ろば主宰の長期ワークショップの受講生による期間限定劇団「おおむね、」公演より、『ユダの食卓』について書かせていただきました。舞台との出会い、執筆の機会が与えられたことに心より感謝してご報告いたします。

コメント

中野成樹+<del>フランケンズ、</del>,の短々とした仕事 その2『家族でお食事 夢うつつ』

2007-12-14 | 舞台
*原作T・ワイルダー『ロングクリスマスディナー』誤意訳・演出 中野成樹 公式サイトはこちら STスポット 16日まで

 短い稽古期間で、短い作品を作ろうという試みの第2弾。第1弾の『冬眠』がとても楽しかったので、今回の公演を心待ちにしていた。壁にはタンタンの美しい切り絵が。色も柄も細やかで目が覚めるようだ。椅子が数脚とテーブルがあるだけのシンプルな舞台だ。ある家族がクリスマスの夕食をする。その場面が四世代90年にわたって続いていく物語である。

 舞台を作るとき、さまざまな制約や障害があると想像する。外国語で書かれた作品を日本語に翻訳するときに生じる埋めがたい違い、外国人を日本人が演じる不自然さ等々に加え、稽古期間が充分に取れない、予算が少ない、稽古場の確保が難しいというハード面の困難もあるだろう。それをそのままマイナスとするか、プラスに転じるか。作り手の腕の見せどころだと思う。当日チラシ掲載の「ごあいさつ」には、今回の公演に対する中野成樹の意気込みや葛藤などが飄々とした調子で記されている。熱さと軽やかさが同居していて、こちらも肩の力を抜いて楽しむことができた。

  《ここより舞台本編について、若干詳しい記述に入ります。未見の方はご注意ください。》

 アメリカのある家族の話である。若夫婦が新居に夫の母を呼び寄せて、初めてのクリスマスを祝う食卓に始まり、夫婦に子供が生まれ、親が亡くなり、子供が成長し…という話が静かに続く。これまでみた中野成樹の舞台に比べると遊びの部分が少ないように感じたが、人が生まれやがて死んでいく営みが淡々と示されている様子には、今がまさにクリスマスシーズンであることもあって、思いもよらず厳粛な気持ちにさせられた。クリスマスはどこの国でもいつの時代でも毎年やってくる。日本はキリスト教国ではないが、これまでの日々に感謝し、新しい日々のために祈る気持ちは理解できると思う。

 中野成樹とフランケンズの作る舞台は、ある意味では一種の型がある。しかしその型を見せることじたいが前面に出るのではなく、何十年あるいは100年も以前に外国で書かれた作品から何かを掴み取り、何かを信じていることが伝わってくるので、毎回新鮮でわくわくと楽しいのである。今年の横浜の劇場通いはたぶん今夜が最後だろう。クリスマスにはもう少し早いが、小さなプレゼントを受け取ったような気持ちである。

コメント