因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

パラドックス定数『D-51-651』

2012-11-29 | 舞台

*野木萌葱作・演出 公式サイトはこちら 上野ストアハウス 12月2日まで(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16
 小劇場特有の狭苦しさ。それはそれで魅力的なのだが、上野駅周辺の喧騒から少しはなれて位置するストアハウスは、地下の劇場へ向かう階段やロビー、客席もゆったりしており、落ち着いて開演を待つことができる。劇場に入ってから心をしずめる時間は大切だ。

 舞台には銀色のパイプを組んだ装置がふたつ並べられ、そこが蒸気機関車が出発を待つ操車場や運転台、轢断現場、警察署の一室などになる。相変わらず旺盛に新作を発表し続ける野木萌葱の新作は、詳しい方ならタイトルをみた瞬間におわかりだろう、下山事件をベースにしたものだ。GHQ占領下において、生きる人は程度のちがいはあれ、戦争の影を負う。国鉄総裁の下山貞則は自殺か他殺か。自殺だとしたらほんとうの原因は何か。他殺だとしたら誰が、何のために。真実はなお謎であり、戦後の日本における重苦しい闇の象徴ともいえる事件である。

 登場人物は機関士、機関助士、車掌、弁護士、警官、役人の6名だ。劇中ではそれぞれ人物の名前を名のったり呼びかけたりする台詞があるが、当日リーフレット記載の配役表には人物の職業だけ記されている。最後に登場する「役人」、これが曲者なのである。

 現実に起こった事件を取り上げるとき、その多くは真相が不明のまま迷宮入りしたものである。それに対して社会的な切り口で真相を究明する方向ではなく、劇作家が想像力を働かせてたどりついたひとつの「仮説」によって劇世界を構築する。ときにそれは「妄想」の域にも達するが、それがパラドックス定数、野木萌葱作品の醍醐味である。

 今回も下山事件の闇にどのように光をあてるのかに注目した。事件の謎解きがひとつの軸であることはたしかだが、国鉄職員、警官、弁護人と立場はそれぞれ違っても、戦争の影や傷を負って懸命に働く者たちの人生がしだいにあぶりだされてゆくさまに引き込まれていった。
 植村宏司演じる「役人」の存在が、劇世界を複雑にすると同時に、油にまみれて働く機関士たちの作業服の匂いまで想像させる。彼が劇中でどのような役割を果たすかは、上演中の舞台ゆえ詳しくは書けない。虚実入り混じる作風はお手のものの劇作家にとっても、今回の設定は冒険であろうし、演じる俳優も苦労したのではないか。

 実は観劇中盤あたりから緩い眠気に襲われて観劇の集中がとぎれてしまったのだ。なので『怪人21面相』や『三億円事件』ほどの手ごたえには至らなかったのだが、上演台本を読むと、台詞を聞き逃してしまったためにじゅうぶんに味わえなかった場面があることに気づき、残念な気持ちに。
 これは宿題だな。

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因幡屋の12月は

2012-11-27 | お知らせ

パラドックス定数『D-51-651』(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16
 11月末にいく。久しぶりの上野ストアハウスだ。
極東退屈道場『タイムズ』
 まだ予約していない。決めないと。
*金子左千夫ソングコンサート・イン・ムジカ(1
 オペラシアターこんにゃく座の歌役者金子左千夫による林光・歌の本Ⅰ~Ⅵ全曲を歌うシリーズの第一回め。早くも予約でいっぱいの由、桟敷席覚悟で。
*シス・カンパニー公演『トップドッグ/アンダードッグ』
 アフリカ系アメリカ人女性として初のピューリッツァー賞を受賞したスーザン・ロリ・パークスの戯曲、小川絵梨子の翻訳・演出に、堤真一、千葉哲也が挑む。まさに最強のふたり。
劇団民藝公演『満天の桜』(1,2,3
 昨年の『カミサマの恋』に続く畑澤聖悟作、丹野郁弓演出、奈良岡朋子主演の新作だ。
リーディング・フェスタ2012 戯曲に乾杯!新人戯曲賞最終候補作プレヴュー・リーディング
 日本劇作家協会主宰の第18回劇作家協会新人戯曲賞の最終候補に残った6作品、広田淳一『うれしい悲鳴』、石原燃『人の香り』、鈴木アツト『Global Baby Factory』、長谷川彩『メガネとマスク』、原田ゆう『見上げると魚と目が合うか?』、宮園瑠衣子『偽りのない町』のリーディング。夜は公開審査会が行われる。
*こまつ座&ホリプロ公演『組曲虐殺』1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13
 井上ひさし生誕77フェスティバル2012第八弾ファイナルを飾る1本。初演からもう3年も経ったのか。台詞、歌のひとつひとつを大切に受けとりたい。
*世田谷パブリックシアター『ハーベスト』
 イギリスで注目されている劇作家リチャード・ビーンの話題作、演出は森新太郎(1,1',2,3,3',4,5,5',6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16)。養豚業に魅せられた男の19歳から110歳までの人生が描かれるという。その男ウィリアムを演じるのは渡辺徹、病いから復帰して第一作になる。
紛争地域から生まれた演劇4  
 クロディーヌ・ガレア作 深寅芥演出『ほとりで』、プラディット・プラサートーン作 鈴木アツト(劇団印象)演出『Destination』の2本立てリーディング&レクチャー

 観劇を迷っているものもあり、ぎりぎり年末には林光追悼コンサートもあって、何が今年の芝居おさめになるかは決まっていない。観劇仲間のひとりが「毎年の芝居おさめは意識しています」と話していた。
 同感です。大切にしたい。

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燐光群『星の息子』

2012-11-25 | 舞台

*坂手洋二作・演出 公式サイトはこちら 座・高円寺1 28日まで 12月より愛知県芸術劇場小ホール、岡山市立市民文化ホール、伊丹市AI HALLを巡演 燐光群の過去記事はこちら→(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11 そのほかえびす組劇場見聞録1,2
 沖縄のいま、日本のいまを見据えた坂手洋二の最新作である。坂手は公演チラシに井上ひさしの幻の次回作が、終戦直後の沖縄を舞台にした『木の上の軍隊』であることを引きながら、自分もまた沖縄の自然の力、神秘に魅了されてきたことを綴り、「機は熟した。これは、『書きたい劇』であると同時に、『書かなければならない劇』である」と本作への並々ならぬ意気込みを語っている。

 舞台は沖縄本島北部の高江地区、緑の山と川に囲まれた美しい村だ。しかしそこは米軍訓練基地と隣りあわせであり、設置されたヘリパッドのために爆音が絶えず、つねに墜落の危険にさらされている。さらに多くのヘリパッドの建設が始まろうとしており、村民は鉄骨のやぐらを作って抗議運動をはじめた。本土からも応援の人々がかけつけ、機動隊を迎えうつ(高江の活動については、悲戦を選ぶ演劇人の会ピースリーディング『私(わん)の村から戦争がはじまる』をご参照ください)。
 東京で看護師やヘルパーの仕事をしている佐和子(渡辺美佐子)には、長いあいだ音信不通の息子・星児がいる。星児はツイッターを駆使してさまざまな活動を支援しているらしいのだが・・・。

 たたみかけるように、あるいはぶつけるように次々と発せられる台詞には多くの情報が含まれており、社会問題に対する強い意識、知識がなければ即座に理解し、咀嚼することはできないだろう。沖縄の戦後史だけでなく、沖縄返還デモと裁判闘争、過激派の内部抗争、ベトナム戦争や東日本大震災と原発事故など、事件ひとつひとつは点であっても、連綿と続く人々の生活のなかでは決して済んだことにはならない、過去だと片づけられないことがわかる。
 重苦しい事実、やりきれない、絶望的かとさえ思われる現実であっても 観客に対して手かげんせずに問題をぶつける。いやほとんどからだをひっつかんで、「逃げるな、考えろ、行動せよ」と迫ってくるのだ。

 佐和子を演じる渡辺美佐子がすばらしい。しなやかであると同時に、骨太で力強い。燐光群の俳優たちとまったく違和感なくぶつかりあい、混じりあう。ともすれば社会思想のぶ厚い本や難解な講義、逃げ場のない議論のごとき坂手作品において、渡辺美佐子は舞台と客席をつなぐ水路であり、おじけづく足元を支えて手をとってくれる助け手である。これは同じく客演の円城寺あやの質実な存在、大西孝洋や猪熊恒和、川中健次郎、鴨川てんし・・・ひとりひとり名前をあげなくてはすまないほどだが、燐光群の俳優陣の誠実な姿勢あって、より光るものである。

 硬質で隙やゆるみがなく、いつも気迫が漲っているのが坂手洋二と燐光群の劇世界であると認識していたが、今回は抒情性、あふれるような詩情が心に残った。とくに終幕で、機動隊に抵抗して必死で鉄塔にしがみつきながら、佐和子と息子星児、かくまっていた男性(つまり夫?)の3人がふとことばをかわす場面である。天井が高く、横幅も奥行きもじゅうぶんにある劇場が活かされて、胸がつまるほど美しいシーンとなった。

 通常のカーテンコールのあと、拍手が鳴りやまない。どうしてももう一度、『星の息子』の人々に会いたくて自分も拍手を続けた。ややとまどい気味に舞台へ戻ってくる出演者の皆さんになお熱い拍手。そのあとも劇場を立ち去りがたく、少しのあいだ空っぽになった舞台をみつめていた。

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『4 four』

2012-11-23 | 舞台

*川村毅作 白井晃演出 公式サイトはこちら シアタートラム 25日まで
 本作は2011年に「劇作家の作業場」というプロジェクトにおいて、「モノローグの可能性」をテーマに最初は非公開の発表会、つぎに公開リーディングを経て今回の上演になった。非常に稀有で豊かな創作過程をもって登場した作品なのである。 

 シアタートラムは客席の椅子がすべて取り払われ、舞台と客席が同じ高さの平面状態になっている。中央に演技エリアらしき空間があり、その周囲に木箱(世田谷パブリックシアターのロゴがついている。「劇場の付帯設備」というのですか?)が置かれていて、観客はチケットに記載された番号のところに置かれた箱の上に座布団を敷いて座るのである。 

 大学の演劇史の先生から「あなたは芝居をみていて、どれくらい集中が続くか」と不意に質問されたことがある。自分は「芝居によります」と答えたところ、先生は執拗に、「それは何分くらいか」と具体的な数字を求めた。しかし自分は頑なに「芝居によりますから」と言いつづけた。先生は少し黙って、「そのとおりですね」と言われた。「ひどいのになると始まった瞬間にだめだと思うから」。それなら最初に答えたときにそう言ってくださればいいのに、この先生はちょっと意地悪なのである。いや、大好きでしたが。

 この問答を不意に思いだした。それもいいほうに。『4 four』は、劇場に入って通常の作りとはまったく違う形状になっているのをみたとき、俳優がひとりふたり観客の座った箱のあいだを歩きながら登場し、照明が変わって、黒い箱から紙を取って役柄を確認して池田鉄洋が一声を発したそのときに、「これはすごいぞ」と身を乗り出した。努力や意識したのではない、自分のからだや頭や心、すべてが劇場の空間の一部になったかのようにがっしりと捉えられたのである。背もたれのない箱に座っての観劇には身体的につらいであろうし、それによって集中が削がれることが想像されたが、まったくの杞憂であった。たとえば対面式の客席の場合、向かい側の観客の様子が気になって集中できないことはよくあるのだが、それもない。この場に居あわせてしまった者たちが、互いにことばを交わすわけではないのに不思議な連帯感らしきものが生まれていて、ともかくいっしょにこの場を体験しよう。そんな気持ちになるのである。
 こんな感覚はめったに味わえるものではない。

 川村毅は第三エロチカ、白井晃は遊◎機械/全自動シアターを主宰し、80年代の小劇場ブームを牽引した。自分はそのさなかに身を置いていたはずなのだが熱心な観客ではなかった。このブログをはじめて川村毅に関しては文学座アトリエでのシンポジウムと、『フクロウの賭け』、白井晃さんに感じては記事が出てこないという・・・。従って劇作家川村毅、演出家白井晃に対して明確な見解をもつにはほど遠いのが実情であったのだ。

 『4 four』は観劇前の懸念をすべてふきとばした。劇作家が自己のテーマに向かってじっくりと時間をかけて戯曲を書きあげ、演出家はそれを大胆かつ繊細に立体化し、俳優は作品との出会いを心から喜び、誠実にみずからの声と肉体で表現したのだ。パンフレット記載の俳優のインタヴューを読むと、その気持ちがびしびしと伝わってきて、出演俳優さんの喜んでいる気持ち、懸命になっている様子がまるでわがことのように喜ばしく思われてくるのである。
 池田鉄洋、田山涼成、高橋一生、須賀貴匡、野間田徹。いずれも映像でみる機会のほうが圧倒的に多いが、舞台で、それもほかでもない『4 four』においてその姿を見守ることができたのはたいへんな幸運、幸福であった。

 死刑制度に関わる立場の人が登場する。裁判員、法務大臣、刑務官、未決囚、そして進行役のような男がひとり。くじを引いて役柄を決め、ひとりひとりのモノローグが断続的に連なる形で進行する。しかし進むにつれて役柄を変えることもあり、彼らはほんとうは犯罪被害者の遺族であり、想像力を振り絞って他者を演じることによって、みずからの苦悩をみつめなおそうとしているのではないかと思われてくる。絶対的な解答、救いの道が示されるわけではなく、役柄を変えて物語はずっと続いてゆくのである。

 お金のことを持ちだすのはあまり品のよいことではないのかもしれないが、記しておく。
 自分は舞台つくりの経済事情をまったく知らないものであるが、シアタートラムにおいて今回のチケット代5,700円は何やら微妙に高く感じられ、パンフレットの1,000円には正直驚いた。前述のような舞台形状ゆえ、観客ひとりひとり劇場スタッフに導いてもらう。いつもなら座席に置かれる当日リーフレットや折り込みチラシも、終演後にスタッフから手渡されることになり、ここでも人の手を取る。通常よりも少ない客席数(たぶん)のわりに、人件費がよけいにかかるのかとも想像する(スタッフの対応はみごとであった)。パンフレットは上質の紙を使った立派なものだが、ページ数が少なく「読みで」という点でものたりない。いや、芝居の内容や雰囲気からして寡黙であるところは好ましいが、ならばもう少し紙質を下げても構わない、お値段をもうひといき勉強していただけないものか。

 発表会、リーディングのステップを経て完成形の舞台となったわけだが、本作にはまだまだ先があると思う。未完成の完成品とでもいうような余韻や余白を湛えている。ちがう劇場において、また別の配役で上演することも可能ではないだろうか。
 自分は演劇をみせるための手法を前面に押し出した演出に対して反射的に引いてしまうたちである。今回の演出にあざとさは感じられなかった。この戯曲に対して、この演出は必然であった。みのがしていたら後悔するところだった。足を運んでほんとうによかった。

 

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ブラジル『行方不明』

2012-11-20 | 舞台

*ブラジリィー・アン・山田脚本・演出(1,2,3,4,5,6) 公式サイトはこちら 赤坂RED/THEATER 25日で終了
 ほとんど裸舞台で繰り広げられるホラー風サスペンスドラマである。ずっと音信のなかった旧友から連絡が入る。「たまには会いたいな」。気のない返事をした。やがて男性は会社を首になり、妊娠中の妻が浮気していることを知った。おなかの子どもは恋人の子だという。最悪の状況に追いつめられて、今度は自分から彼に電話をしてみる。彼の携帯は通じなかった。気になって会いに行ったら、彼は行方不明になっていた・・・。

 ただでさえ強力な劇団員に、客演陣はおなじみも初顔も含めてブラジルワールドにぴったりとはまっており、まさに小劇場界の精鋭ぞろいである。
 しかし何だろう、このどこかしっくりしない不完全燃焼感は。

 たぶんブラジルが目指しているものの方向が、自分がブラジルに求めるものに対して変容しているためであろう。出会いは2006年12月の『恋人たち』、それから夢中になり一時は欠かさず通った。どこまでも現実にからめとられ、そこで悪あがきする人々のおかしくて悲しくて恐ろしい様相に前のめりになっていたのだ。あり得ない方向、一種のSF風に話が運ぶと、ものたりなくなるのである。

 前述のように配役は絶妙なまでに適材適所、二役のうまみもあって俳優陣は実に魅力的だ。小ネタの笑いをまぶしながら次第に深みにはまっていく様子も目が離せない。だがどこへ持ってゆこうとしているのか、何が肝になるのかがいまひとつつかめなかった。

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