因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ミズキ事務所『トップガールズ』

2010-11-30 | 舞台

*キャリル・チャーチル作 安達紫帆翻訳 高橋正徳演出 公式サイトはこちら アイピット目白
12月5日まで
 8月に観劇した劇団フライングステージの『トップ・ボーイズ』は本作をベースにしているが、戯曲『トップガールズ』から実際の舞台を想像するのに難儀していた。思いがけず公演があることを知り、すぐにみにいくことを決めた。演出は文学座若手の高橋正徳、出演者も文学座や演劇集団円はじめ手堅い布陣である。

 戯曲の指定では、主人公のマーリーン以外の女優は1人数役を演じる。劇書房発行の戯曲『トップガールズ』の翻訳者あとがきによれば、1992年の上演はその指定に忠実であるが、今回は微妙に異なっており、それが演出の効果を狙ったもうのなのか、今回の座組みの事情によるものかはわからない。これもあとがきに記されていることだが、1人が何人もの役を兼ねる意味については、「初演時の予算の関係で、たくさんの女優を使うことができなかったから」とのことで、今回の配役についてもあまり深く考えなくていいのかしら。

 戯曲を何度か読み返して流れが頭に入っていることもあり、舞台の空気はわりあいすんなりと受け入れることができた。戯曲には「台詞についての注」というページで、2人の人物の台詞が重なりあったり、複数の人物が同時に話していたりする場合の注意書きがあり、自分の戯曲読みが正しいのかどうか半信半疑で読んでいたが、これは実際に演じるほうも相当な困難があると思われる。この指定はどういう意図で行われたのだろうか。あまり注意しなくてもいいときもあるが、両者が丁々発止の大議論をしている場面ではどちらも重量な発言をしているにも関わらずどうしても聞き取れないこともあって、もどかしかった。現実の日常会話では双方が怒鳴り合うこともあるし、相手のことなどお構いなしにとにかく自分の言うべきことを今言っておかねばということもある。しかし芝居でそれが行われてしまうと、みている自分は彼女たちの言いたいことを聞き取れない、理解できないことを申しわけなく、残念に思うのだ。

 身も蓋もない言い方になるが、昇進を控えた現代の女性マーリーンを囲んで古今東西のトップガールズが集ってパーティを催す第一幕。この場面は必要なのだろうか。虚実入り混じって展開する様子には遊び心があるし、俳優の達者な演技も楽しめる。しかしそれらが第二幕に有機的なつながりを持っているのかどうか、自分は確かな手ごたえを得ることができなかった。たとえば法王ジョーンを演じる女優が、少女アンジーを兼ねること。ここに意味や意図を探すべきなのか。

 疑問の多い観劇であったが、楽しめなかったということではない。戯曲読みではさっと流していた場面に意外なおもしろさを感じたところがいくつもあった。たとえば第二幕で主筋の人物の話のなかに、人材派遣会社での面接場面がいくつか挿入されている。仕事を求めてやってくる女性たちはどこかピントはずれで勘違いしている。ホンの紙面からは愚かさを感じたが、実際の女性たちをみていると何とかして自分を認めてほしい、いまの状態から抜け出したいと必死にもがいている様子が感じられ、痛ましく思った。「トップガールズ」になれるのは昔も今もほんのひとにぎりだ。しかしひとにぎりの人たちだけでは社会は動いてゆかない。トップガールズになれない女性たちの力も絶対に必要なのだから。

 あらためて『トップガールズ』はおもしろい作品だと思う。今回は若手、中堅、ベテランとバランスの取れた座組みであったが、たとえば若手のみで行ってみても何かしらの成果が得られるのではないか。また今回はベテランの2女優が少女役を兼ねており、これは好みの問題でもあるが、もっとさらりとした造形を(つまり女優の実年齢と役とのギャップを強調しない)みたい。本作のおもしろさは自分が想像するよりもっと深く、痛いところにありそうだ。これからまた戯曲読みに戻って、このつぎにめぐり会える『トップガールズ』に備えたい。

 

 

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龍馬伝最終回『龍の魂』

2010-11-28 | テレビドラマ

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 最終回は75分の拡大版。いつものオープニング音楽は流れず、画面には静かに「平成22年度芸術祭参加作品」の文字、土佐の桂浜に武市半平太はじめ、大勢の仲間たちが現れたので驚いたが、彼らが弾けるような笑顔で龍馬を祝福する様子を見て、「ああ、そういうことか」と納得。武市のあんな笑顔をみたのはこれがはじめてだ。みんな懐かしいなぁ。

 龍馬が暗殺される一日がじっくりと、しかし過剰に煽り立てるような作りではない。その後の日々や人々についても思ったより淡々と地味に描かれる。いったいどんな最終回になるのか、そわそわと落ち着かなかった心が画面に引き込まれ、鎮まっていく。幕末を駆け抜けた坂本龍馬がこの世の生を断たれた日も、長い歴史のなかの一日なのだ。大河ドラマの最終回はこれまでの登場人物オンパレードの回想場面続々のものが少なからずあるが、これほど静かで抑制された作りの最終回は珍しいのではないか。

 連続ドラマについて通しで記事を書くことを一度やってみたかったのが単純な理由であり、はじめてみるとおもしろい半面、常に追い立てられるように慌ただしい日々になってしまった。好意的に読んでくださった方があるのは大変ありがたいことだ。しかし一方で、テレビドラマ批評についてしっかりと勉強しているわけでもなく、その回のあらすじと多少の感想を思い浮かぶままひとりよがりに書いており、文章としてクォリティが低いことをやんわりとご指摘いただくこともあり、それは謙虚に受けとめたい。ブログは自分の記録であるが、ネット上に公開している以上ひとさまの目に触れるわけだから、読んでくださる方にきちんと手ごたえが伝わるものを書かなければならない。自分は演劇だけでなくテレビも映画も好きであるし、みたからには何か書いてみたい欲が出てしまうし、映像をみることから舞台に対して触発されることも多々あって、それはもっと慎重に行いたいと思う。因幡屋の龍馬伝は今夜で終わりです。お目よごしの記事におつきあいくださいまして、ありがとうございました。今年もあとひと月、心を引き締めて観劇と執筆に励みます!

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シアターノーチラス#7『その王国の夜は明けない』

2010-11-27 | 舞台

*今村幸市作・演出 公式サイトはこちら 参宮橋トランスミッション 28日まで
 小田急線の参宮橋駅で降りるのは、もしかすると今日がはじめてかもしれない。駅から徒歩3分、赤い螺旋階段の下に劇場がある。空間の印象は下北沢のOFFOFFシアターと似ているだろうか。今回は街中のカフェが舞台である。劇中の台詞によれば、駅から近く、周りには会社や大学や専門学校(予備校だったか)もあるし、人通りも多い。訪れた人が静かに落ち着いてコーヒーが飲めるような店。参宮橋駅周辺の様子と劇場の空気もそれに似ている。

 

 店長と厨房、フロアあわせて10名のスタッフの開店前の90分間が描かれる。ひとりまたひとりとスタッフが店に現れる。店長を除いては正社員というものはおらず、皆パート、アルバイトらしい。それまでの経歴や事情や背景も当然のことながらさまざまだ。一筋縄でいきそうにない面々ばかりで、店長はその上をいく変わり者である。アクの強い人物が登場するのはいいとして、その表情や台詞の言い方など、俳優の演技全般に冒頭から強い違和感を覚えた。なぜここまで大きな声で大仰なしぐさや表情で話すのだろう。

 中盤以降、物語は予想外の展開をみせる。この構造のために敢えて俳優に前述のような演技をさせたのかとも思ったが、現実に進行している部分と実はそうではない部分、さらにその区別がつかず混沌とした部分を、映像ではない舞台ならではの表現としてもっと活写することができるのではないか。作者が描こうとしていることと、俳優が実際に舞台で立体化していることと、それが客席からどうみえているかということの距離感を、作者自身が客観的にとらえる必要があるのではないか。人物の抱える個々の事情や設定には細やかな工夫が感じられ、作者がひとりひとりの人物を大切に描こうとしていることがわかる。物語の設定や構造や俳優の演技など、さまざまな要素が有機的に結びつけば、もっと変化する可能性を秘めた作品であると思う。

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マームとジプシー『ハロースクール、バイバイ』

2010-11-26 | 舞台

*藤田貴大作・演出 公式サイトはこちら シアターグリーンBASE THEATER 28日まで
 前売りはみるみるうちに売り切れ、熱い注目を集める劇団の舞台をはじめてみる。開演前から舞台には中学の女子バレー部員がウォーミングアップをしている。やがて試合がはじまり、練習や合宿や放課後など、14歳の日々が描かれてゆく。
 

 正直に書く。今回の舞台は自分にはほとんどわからなかった。埋め尽くされた客席の後方から覗き見る少女たちは、台詞がよく聞き取れない上に、シーンがめまぐるしく変わり、ひとつのシーンが別の角度から何度も繰り返されたりして落ち着かない。点描する形式や、ある場面を違う人物の視点から繰り返し描きながらジグザグに進行する芝居はみたことがあるけれども、今回は登場人物の名前や性格、背景やそれぞれのつながりなどもなかなか頭に入らず、よって心にも響かず、およそ90分を大変な困惑のなかで呆然と過ごすことになってしまった。もっと前の席にすれば表情など細かいところがよくみえて、もしかするともう少し何か感じ取れたかもしれないが、「ついていけない感じ」は最後までぬぐいきれず、ネットに掲載されたレヴューを懸命に読んでみたものの、いよいよ困惑するばかり。どうしたらこんなふうに感じ取り、それを言葉にできるのか。どこがどんなふうにわからなかったか、何に問題があるのか(もちろん自分側にも)、こうであったらという展望が筋道を立てて具体的に書けなければ感想文にすらならない。完敗とはこのことだ。

 ともかく今夜はここで筆をおいたほうが賢明であろう。歯が立たなかったことをぐずぐずと引きずらず、しかし残った課題として覚えておく。今夜の舞台は今夜かぎりのものではなく、いつかどこかでまったく別の、思いもよらない舞台を考えるときのきっかけとして活かされることもあるのだから。

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声を出すと気持ちいいの会番外公演『覗絡繰-ノゾキカラクリ-』

2010-11-26 | 舞台

*山本タカ脚本・演出 公式サイトはこちら 明治大学駿河台校舎14号館プレハブ棟演劇スタジオB 29日まで
 これまでにいわゆる「学生演劇」をみたのは記憶にある限り2本である。1本は某女子大のシェイクスピア研究会による『夏の夜の夢』、もう1本は明治大学の実験劇場の公演であった。もう昔むかしのことだ。それから長い年月、保守系の新劇系と自己規定した演劇歴が続き、数年前から小劇場通いに夢中になって、いま久しぶりに訪れた御茶ノ水の町を歩き、非常にわかりにくい場所にある演劇スタジオBに向かう。数年前までの自分には想像もできなかったことである。

 演劇集団・声を出すと気持ちいいの会、通称コエキモは2008年に明治大学の学生が中心になって立ち上げた劇団で、これまで5回の公演を行っているが、今回全てをゼロに戻してもっと素直に芝居を作ろうと番外公演を企画したとのこと。

 舞台は純和風の部屋で、襖や座布団、布などの調度類は古風な作りだ。上演前の音楽も三味線を伴奏にした女声コーラスで、不思議な時空間へと観客をいざなう。

 ひとりの男が、引きこもりの兄の話をはじめる。社会に出る準備をするべくパソコンを買い与えられた兄は、ネットで小説の江戸川乱歩の小説『芋虫』、『押絵と旅する男』に夢中になり、小説の世界に登場する女に恋をした。ふたつの小説はエロティックを通り越してグロテスクな部分もあるが、山本タカは強烈な小説に対してどうすれば自分が描きたい舞台になるかを冷静に考察して周到な準備をし、その上で大胆に腕をふるったと思われる。生身の女を知らない兄のほうが、社会に対しても女性に対しても如才なく振舞う弟に優って、わが身を滅ぼしてまで恋を貫く。どちらがほんとうの恋なのか、いま目にしているもの、手で触れているものはほんものなのか。夢と幻想と幻覚と妄想の虜になった兄と現実世界にいる弟とが、ひとりの女をめぐって複雑に絡み合いながら火花を散らす。

 舞台上にほんものの食べものを出すことで、それとは違うものを観客に喚起させようとしているところに、まだ試行錯誤が感じられたり、弟と恋人との様子があまりそれらしく見えないところ(敢えてそういう造形にしているのだろうか)など、若干違和感を覚える場面もあるが、それでも小さな劇場の空気を静寂から狂気、そして寒々と悲しげな終幕まで自在に作り上げた手腕は、学外の劇場に進出しても遜色ない。いろいろな演劇人と交わって刺激をうけ、みずからの腕を磨いてまた新しい舞台をみせてほしいと願っている。

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