因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『そこそこ黒の男』

2006-11-26 | 舞台
*猫のホテルプレゼンツ 表現・さわやか第3回公演 池田鉄洋作・演出・出演 下北沢駅前劇場 30日まで 公式サイトはこちら

 NHK朝の連続テレビドラマ『純情きらり』前半で異彩を放っていたのが池田鉄洋である。妻の井川遥を一片の愛情もなく陰湿に苛め抜く姿はほとんどサディスト。声も小さく表情も平板なのに、ほんのちょっとの目の動きや声の調子で井川遥でなくても震え上がるくらい恐ろしく、単純な悪役、いじめ役の域を越えている。朝の連ドラでここまでの造形をする役柄は珍しいのではないか。見ながら本気で不愉快にさせられる人物は久々であった。

 その池田鉄洋が作・演出し、出演もする舞台、当日チラシ掲載の本人の挨拶文によれば「ホラーチックミステリーコントオムニバス」で、「ストーリーはほとんどございません。筋を追わず頭ぽっかーんでごらんください」とのことで、いったい何が始まるのかはじめは少々怖かった。ボーイスカウトのジャンボリー、パン屋のお祭り、子役のオーディションなどコント的なやりとりがいくつか続くのだが、そのひとつひとつがなかなか完成度が高く、繰り返しのネタも多いのにそれがくどくない。もともとの台詞なのかアドリブなのか判断しにくところもあって、その塩梅が実に絶妙。後半はアドリブ的なところが多く、舞台で俳優が本気で笑ってしまう場面が長過ぎて少々だれてしまったのが残念だった。ほどほどにしましょう。いやもしかして、あの本気の笑いも演技なのでしょうか?

 オムニバスと断わっているが、最後はちゃんとつながっているのである。みているうちに頭ぽっかーんになってしまって、最初の場面を忘れていたら、そういうことだったのか。「してやられた」と思った。

 テレビドラマでは緻密な人物造形をみせる池田鉄洋と、今回の舞台で彼氏運の悪い女の子から元ヤンキーのパン屋まで実に生き生きと演じている池田鉄洋と、どちらも池田鉄洋なのだなと当たり前のことを思った。願わくはコントオムニバスと言わず、芯のしっかりした話を一度書いてみては?

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studio salt第6回公演『ピクニック』

2006-11-25 | 舞台
*椎名泉水作・演出 相鉄本多劇場 26日まで 公式サイトはこちら
 休日の昼下がり、土手のようなところでサッカーの見物とピクニックをする二組の夫婦と、友人たちのやりとり。夫婦たちは高校の同級生で、三十代なかばの設定である。阿部夫婦(両角葉、東享司)は地元で酒屋を営み、幼い娘がいる。小倉夫婦(以倉いずみ、麻生0児)には子どもがいない。前者には二人めが授かったらしいのだが、「(小倉夫婦には)黙っていよう」という会話があり、長い付き合いの友達ではあるが、微妙な気遣いがあり、子どもができないことが、小倉夫婦、特に妻にとって非常に深刻な問題であることを匂わせる。そこに若い彼氏とのできちゃった婚を切望する、少々アブナい女性(森由果)や、同じくサッカー友達で、お笑い芸人としてメジャーデビューを目指している三人組も加わって、にぎやかで、少し奇妙なピクニックとなる。

 自然に授かる夫婦もあれば、さまざまに手を尽くしても諦めざるを得ない夫婦もあり、かと思うと結婚の切り札に是が非でも産むと意気込む女性もいて、一見和やかなピクニックは、少子化をめぐる問題が掲載された新聞の家庭欄がドラマ化されているかのよう。無論この舞台は、社会的な問題劇ではなく、夫婦同士、友達同士の微妙な食い違いやすれ違いを経て、そこからまた気を取り直して生活していくだろうことを暗示させるところで終わるのだが。

 疑問点がふたつ。前作『トントコトン』(その時の記事)ではスタミナジュースだったが、今回は舞台で実際に豚汁を作る場面があった。生もの(消えものと言うのか?)を舞台に乗せることが、椎名泉水作品の特徴なのだろうか。小さな劇場なので、ごまかしがきかないことは確かだが、これは必要なのだろうか。次に繰り返しが多いこと。お笑い三人組が、「ネタをみてほしい」と披露する場面があり、これがなかなかおもしろいのだが、ネタが多すぎるのでは?見物する友人たちが、素に戻って笑っているようにも見え、ちょっとへんな気持ちに。同じくサッカーの実践経験がなく、ゲームならできるという芸人さんが、「シュミってみたんですよ」と言う。「シュミレーションをする」の略語であることはすぐわかるのだが、「シュミる」という台詞がいささか連発気味で、はじめのほうこそおかしかったが、次第に飽きてしまった。おもしろい台詞なのに、もったいない。

 studio saltの公演は今回が二度めだが、「横濱リーディングコレクション」(その時の記事1、)をみていることもあって、舞台の俳優さんの顔や名前、雰囲気もだんだんつかめてきた。所属は男優ばかりで、女優陣は客演なのだそうだが、適材適所の配役で、すぐに芝居の世界に入り込むことができた。椎名泉水の登場人物の描き分けが的確であり、配役と演出もまた絶妙であることがわかる。

 ただそれだけに少々物足りない思いがした。もっと深くもっと微妙で、もっと繊細な何かがみたい。「横濱リーディング」でみせた椎名泉水の演出の冴えを、オリジナルでも味わってみたいのである。

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『地下鉄(メトロ)に乗って』

2006-11-23 | 映画
*浅田次郎原作 篠原哲雄監督 公式サイトはこちら
 ありえない設定の話に観客を引き込むには何が必要か。引き込まれてしまったとき、観客はどんな心持ちになるのか。

 要は、過去にタイムスリップした主人公(堤真一)が、自分が生まれる前の父親(大沢たかお)と出会い、父親と自分の人生をとらえ直していく過程が描かれている作品である。現実には過去に戻ることはできないし、過去を変えて、現実を変えることもできない。それがわかっていてもなお、「ほんとうのことを知りたい」「あのときああしていれば」「あんなことを言わなければよかった」という抑えがたい気持ちが、人にはある。それが血を分けた肉親、愛情を注いだ相手であれば、尚更であろう。

 実は自分は映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』が大好きである。これは主人公が過去にタイムスリップして、ティーンエイジャーであった頃の両親に出会い、その恋の成就を助けることによって、現実も変えることができたという話である。言わばハッピーエンドのサクセスストーリーだ。何度見ても楽しくわくわくする。しかし見終わった後にはいつも、現実にはありえないという苦さを心の奥で噛みしめるような、少し寂しい気持ちになることも確かなのだった。

 本作はタイムスリップにありがちな、過去に戻った主人公がてんやわんやの大騒動を繰り広げながら現在に戻ろうと四苦八苦するパターンではない。過去に戻ったと思ったらうたた寝していたときの夢で、しかも同じ夢を恋人(岡本綾)も見ていたり、昭和39年、終戦後、戦時中と、スリップする過去がいくつもあったりする。

 主人公を演じた堤真一は、状況に振り回され、混乱し困惑する「受けの演技」に徹することで、周囲の人物を鮮明に浮かび上がらせることに成功した。父親役の大沢たかおは激動の時代を生き抜いた男を20年に渡って演じるので、演じ甲斐もあり、儲け役とも言えるだろう。堤真一が割を食ってしまうのではと心配だったが、杞憂であった。生きるエネルギーに溢れている男に圧倒されている主人公の姿を誠実にみせることで相手を際立たせ、物語がきちんと観客に伝わってくるので、この「ありえない話」にわたしは引き込まれ、主人公の気持ちに寄り添うことができたのだと思う。

 主人公は妻子のある設定なので、岡本綾は愛人、二人は不倫関係にあるということである。一回り以上も年齢が離れているが、「おじさんと若い子」という印象はほぼまったくない。堤真一は昨年公開の『ALWAYS 三丁目の夕日』で堂々たる父親を演じていたが、今回は家庭の場面でも夫らしさ、父親らしさが感じられず、それが作品にマイナスの影響を与えてはいないが、少し気になった。愛人といるほうがしっくりくる、ということなのだろうか。

 映画を見終わって地下鉄に乗り、ふと思った。乗っている人すべてにその人にしかない、人生があるということを。少し優しく、丁寧に生きていきたい。そう思った。

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『新型 開運ラジオ』

2006-11-19 | 舞台
*アル☆カンパニー第2回公演 平田俊子作 平田満演出 SPACE雑遊 公演は19日で終了 公式サイトはこちら
 2001年春に龍昇企画の『甘い傷』をみて大変おもしろく、すぐ戯曲本も購入した。これに併録されているのが『開運ラジオ』である。登場人物は女ABCの3人のみ、「この芝居には特別の装置はいらない。」と但し書きされているまことにシンプルなものである。野原にあるエレベーターに乗ろうとする女とエレベーターガールのような女のやりとりに始まり、どこかのお屋敷の老女と双子の女の子のティータイム、嫁と姑、ある女とその分身たちとの会話がつながっているようなとぎれているような微妙な調子で続いていく。とても楽しく読めたので、今回の公演を心待ちにしていた。いったいどんな舞台になるのだろうか?

 劇場に入って驚いた。ほんとうに何もない。まさに裸舞台である。3人の女(井出みな子、黒木美奈子、井上加奈子)は白地に淡い色のグラデーションに染められた色違いのワンピースを着ている。ワンピースの裾からはときどき可愛いレースのついたズロースが見える。

 冒頭のエレベーターのやりとりから何とも表現しがたい違和感を覚え、それが最後まで続いた。わずか90分の芝居なのに集中できず、何度も睡魔に襲われることに。台詞をしっかり覚えるほど戯曲を読み込んでいるわけではないし、観劇前に読み返すことができなかったので、今回の観劇は「知った話をみにいく」のではなく、新鮮な気持ちで臨めたはずである。だが舞台をみていても気持ちが弾まなかった。

 改めて戯曲を読み返してみて、自分がおもしろいと感じたのは以下のような箇所だったのである。例えば冒頭のエレベーターの場面、女Aは女Bに自分の汗をふいてほしいと言う。それも女Bのハンカチで。ト書きにはこうある。「B、いやだと思うが、断る度胸がない。そういう人は必然的にふくことになる」。このト書きから女Bがどんな表情をするか、考えただけでもおかしい。次に姑が道のアリを指でつぶすたびになぜか嫁のおなかが痛みだす場面。何匹かアリをつぶした姑が嫁に呼びかけると、嫁は答えず「(絶命している)」箇所。「絶命」という語感が、何だかすごいではないか。嫁はいったいどんな様子で倒れれば、「絶命」という響きを表現できるのだろうか。そんなことを想像しながら戯曲を読むのがおもしろくてならなかったのだ。

 もしかすると、自分は『開運ラジオ』のみかたを、いや読み方を間違ったのかもしれない。一見シンプルであっても実に手強い戯曲である。装置もいらない、何の指定もないからこそ、俳優がどんな衣装を身につけるかでさえ、必要以上に意味を持ってしまう可能性もあるからである。しかし同時に奥行きの深い、柔軟な戯曲でもある。富田靖子、深津絵里、小島聖などの若手が演じるのもおもしろいのではないか。観劇後は残念な気持ちで落ち込んだが、また少し希望がわいてきた。やはり戯曲を読むのはおもしろい。
 

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てっぽう玉公演『満ち足りた散歩者』

2006-11-15 | 舞台
*佃典彦(B級遊撃隊)作 蓬莱竜太演出 「劇」小劇場 公演は12日で終了 公式サイトはこちら
 舞台と客席の空気が交じり合わないと、客席は居心地の悪いものになる。物語は男1(塩野谷正幸)と男2(直井おさむ)の会話から始まる。男2が慢性腎不全で、これからの体調管理が大変らしいという話題が何度も繰り返され、その間男2はずっとノミで木を掘っている。男1は部屋にお稲荷さんを作っており、近所の人がときどきお参りにくる。男2は男1の命を狙っている。近くに消費者金融会社があって、そこの経理をしている女1(麻乃佳世)には外国人の彼氏がいるという。その彼は航空会社を経営し、世界中を飛び回っている実業家らしい。金融会社の若い営業マンは仕事帰りに何者かに襲われる、団子屋のおかみさんは賽銭箱から手が抜けなくなる。いなくなった愛猫の行方を調べてほしいとお稲荷さんに日参する女がいる。いくつかの筋が同時進行しつつ、どこかで収斂するのかとそうでもなく、この舞台のどこに視点をもっていけばよいのか最後までわからず、あいまいな気分のまま終演になってしまった。

 この作品には、同じ会話や動作が何度も繰り返される場面がある。冒頭の腎不全の会話、「結婚詐欺にかかりやすい女性の特徴」(だったかな?)をめぐる会話、女1とその彼氏(加地竜也)との執拗な抱擁場面など。一向に進まない会話のもどかしさや、そこから生まれるおかしみを描こうとしているようにも思えなかったし、「くどい」ことで何か効果を生んでいるとも感じられなかった。彼氏の造形にしても、外国人(前の会話で漠然と欧米人だという印象を与えている)には到底見えないし、いんちき臭い人物であることがひと目でわかる。だったらなぜ女1が会社のお金を横領してまでもこの男に貢ぐのか。「どうしてこんな男に」という印象すら伝わってこない。適切ではないかもしれないが、フジテレビ放送の『のだめカンタービレ』に竹中直人演じる外国人指揮者を例に挙げよう。どうみても竹中直人にしかみえないのに、ドラマの中では外国人として了解されている。強引、無理矢理といえばそうなのだが、ここにはドラマを作る上で何か一段突き抜けたところがあるから、いっそ清々しく楽しめるのである。


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