因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

クレネリ・ZERO FACTORY『春と爪』

2006-04-23 | 舞台

*大岩真理作 森さゆ里演出 下北沢駅前劇場
 どこかの地方都市のさびれたスナック「つくしんぼう」が舞台である。カウンタと椅子、テーブル席にソファ。閉店後、ママ(山本郁子/文学座)とホステスの紗代(高橋理恵子/演劇集団円)がおしゃべりをしている。カウンターにつっぷしている客がいて、一度帰ったのにまたやってくる客もいる。フォークギターをもった流し(浅野雅博/文学座)がやってきたり、店の近くのお地蔵さんにケータイを置いてきた女(本多真弓)が居座ったり、小さな店は千客万来である。が、そのひとつひとつに小さな無理があり、ぜんたいとしてちぐはぐな印象なのである。

 やや無理のある設定や、一見突拍子もない出来事であっても見ている方が自然に了解できる舞台もある。たとえば昨年末のグリング公演、青木豪作・演出の『海賊』の幕開けを思い出す。小さな美容室からいきなりほら貝の音が聞こえてくるし、女装した男性はいるしで最初は何かと思うが、それらを決して説明するのではない話の流れと、的確な演出によって、客席に無理なく理解されるのである。

 今回の『春と爪』はスナックに集まってくる人々のささやかな悲喜こもごもと思っていたら、火曜サスペンス劇場ばりのミステリーであった。が、せっかくそれほどの大事件を用意していながら、あまり衝撃を受けないのは戯曲と演出の目指すところが噛み合ってないせいではないだろうか?俳優はいずれも実力のある方々で、これまでの舞台ではみられなかった新しい一面もみることができて、その点では楽しかった。それだけに残念である。 女どうしの友情と思わせて、エロティックな交わりを仄めかすママとホステスの妖しい関係や、自分探し中の若者や常連客と神経を病むその妻など、さまざまな要素がもっと有機的に絡み合い、凄みのある舞台にもなり得たのではないか?

  舞台の雰囲気になじめるかどうか、その世界にすっと入っていけるかどうかは、開演してすぐに感じ取れる。どうがどうだから、逆にどうでなかったからと具体的に言えない。瞬間的な直感だからだ。今回の『春と爪』は、残念ながら最後まで舞台に馴染めなかった。単純につまらなかったからということではない。このぎくしゃくした感覚は何だろう?それをしばらくのあいだ考えてみたい。

コメント (1)

『ライフ・イン・ザ・シアター』一回め

2006-04-08 | 舞台
*デヴィッド・マメット作 小田島恒志訳 ポール・ミラー演出  シアター1010
「何だかものすごく違う」。これが観劇後の正直な気持ちだった。同道した友人のコメントが実に的を得ていたので紹介する。「1+1=2では足らない。この顔合わせなら2×2=4を期待するのに」。市村正親と藤原竜也。全身これ舞台俳優のような二人が舞台俳優の役を演じるのである。想像しただけでぞくぞくするではないか。しかしこの違和感は?2週間後、幸運にも2度めの観劇の機会が与えられている。それまでの大きな宿題である。

コメント

文学座3月アトリエの会『エスペラント』~教師たちの修学旅行の夜~

2006-04-08 | 舞台
*青木豪作 坂口芳貞演出 信濃町 文学座アトリエ
日常生活の裏側を切り取ったかのような、青木豪の新作書き下ろし。
 東京の私立高校の修学旅行の最後の夜、東北の鄙びた旅館のロビーを行き来する教師たちの物語。
 
この物語の重要なモチーフはエスペラント語と将棋である。

エスペラント語は世界中の人々が等しく話せることを夢見て作られた国際共通語である。人間が意志の疎通を充分にできないのは、話す言葉が違うことだけが理由ではない。同じ言葉を使っていても誤解やすれ違いがあり、悲しい思いもするし、場合によっては取り返しのつかないことも起こりうる。

もしかすると将棋は人生の縮図かもしれない。始まりがあり、終わりがある。教師たちはひまつぶしに将棋をさす。指し方にはその人の性格が色濃く反映されるし、向かい合って対局するのは、ときに言葉による会話以上のコミュニケーションになる。得意な人はどんどん先が読めるそうだが、それでも勝負はわからないし、「待った」もできるし、駒をもとの状態に戻して勝負をやり直すこともできる。しかし人生はそうはいかない。

 一生懸命話しても伝わらない気持ち、やりなおしのできない人生。
 エスペラント語と将棋が、この舞台を導いていく。
 登場人物とエピソードがやや盛り込まれ過ぎの印象があるが、幅広い年齢層の観客がともにこの舞台をみたことが何やら嬉しい。

コメント

ミナモザ公演『夜の花嫁』

2006-04-05 | 舞台

*瀬戸山美咲作・演出 サンモールスタジオ
 昨夏以来二度めのミナモザである。ミナモザ=実際の事件+自分の心さがしという図式がアタマにあって、チラシにあったウェディングドレス姿で椅子に縛られている花嫁と「しゃべり続けなければ殺される」というコピーに、一夫多妻制の新興宗教か、若い女性を次々に誘拐監禁していた事件や、少し前になるが小学生の女の子を拉致して自宅に監禁していた事件などを思い浮かべたが、すべて違っていた。
 幕開けから予想を裏切り、このあたりでまとめにはいったかと思わせて、考えもつかなかった終幕にしばし茫然。
 この舞台のことは次号の因幡屋通信で詳しく書きたいため、今夜はここまで。
 
 この日は夕方から激しい雨が降り続いたが、終演後そとに出ると雨はやんでおり、夜の新宿御苑近くの町はいっそう静かであった。心の中を言い表せないもどかしさを、むしろ心地よく感じながら駅に向かった。
 
 

コメント

タテヨコ企画『春のズボンと秋のブラシ』

2006-04-05 | 舞台
*横田修作・演出 下北沢駅前劇場
 タテヨコ企画初体験。とはいっても明らかな目的や理由(劇作家に関心がある、この俳優がみたい等)がわからないまま、早割のチケットを申し込んだのだ。ときどきこんなことをしてしまう。理由のあとづけをすれば、風琴工房公演に客演していた好宮温太郎がホームグラウンドでどんな演技をするのかをみたい。あるいは今回は劇団グリングの鈴木歩巳が客演していること。もっと個人的なことになると、タテヨコ企画が何度か地方公演をおこなった山口県の「みどり会館」はわが故郷にあることも。
 
 ある地方の民宿のロビーが舞台である。雨の降りしきる夜更けのできごとだ。民宿の主人誠一(好宮)とその妻(舘智子)は再婚である。先妻は事故で亡くなった。今夜は先妻の兄と妹が民宿に泊まりにきている。妹が彼氏をここで兄に引き合わせるというのである。かと思うと、誠一の妹が夫婦喧嘩をしてころがりこんでいたり、やや複雑な人物配置である。

 客席がカギカッコ型に組まれており、舞台正面がフロントで、上手に民宿の入り口があり、下手奥が客室につながる通路で、正面奥が浴場に続く。長雨の影響か、民宿が停電し、湯あたりしたお客がロビーにかつぎこまれたり、妹の亭主が妻を連れ戻しにやってきたり、人々はわさわさと出入りする。

 二つのグループが同時に会話をするところは平田オリザ風であるし、一杯道具のセットの中を大勢の人々が動く様子は青木豪のようでもある。先妻の事故死に、誠一は罪悪感を持っており、新しい妻は先妻を忘れきっていない夫にもどかしい思いを抱いている。それを象徴するのが題名の「春のズボンと秋のブラシ」なのである。

 開演前と終演後、主宰の横田修が実に誠実で丁寧な挨拶をした。前者は携帯電話の電源を切って欲しいことと、開演を少し遅らせること、後者は来場の御礼やアンケートのお願いであるが、主宰みずからこんなにきちんと観客に向き合って挨拶してもらったのは初めてではないか。こういうことは大切だと思う。劇場というハコの中で芝居をするのは三年ぶりだというタテヨコ企画、今度は違う場所で味わってみたい。
 

コメント