因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

wonderlandに劇評掲載『田中さんの青空』

2008-06-30 | お知らせ
 劇評サイトwonderlandに拙稿掲載されました。演劇集団円公演『田中さんの青空』より、「青空よ、広がれ~一人芝居の功罪」。ベースになったぶろぐの記事はこちらです。5月の観劇からもうひと月以上たつのに、いまだに心から離れません。場面転換のときなどにかかっていた音楽も耳に残ります。5人の女性たちは今でもどこかに存在しているように思えてならず、まさにこれが「土屋理敬効果」なのでしょう。

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文月の予定

2008-06-29 | お知らせ
 今日はほんとうに一日中雨でした。肌寒くてもうすぐ夏!という実感がないのですが、ともかく今年も半分が終わろうとしています。流されないようにひとつひとつの舞台を大切に受けとめることができますように。未確定も含めて次の通りです。
アンティークス vintage6『見上げれば~2つのお話~』椎名泉水(studio salt)「星に願いを/かけない」と岡﨑貴宏「120億年の夜空の下で」の2本立公演。そういえばもうじき七夕。
燐光群+グッドフェローズプロデュース『ローゼ・ベルント』占部房子、西山水木、大鷹明良が客演。豪華というか、大変な顔ぶれ。ドイツ演劇とはあまり相性がよくない自分だが、あまり囚われないように。
*青年団『眠れない夜なんてない』平田オリザの新作。こちらは既に開幕しております。吉祥寺シアターはこれまでに数えるほどしか行ったことがなく、劇空間に馴染むまで、もう少し時間がかかりそうである。
劇団鹿殺しオルタナティブスvol.3『轟きのうた』 alternative:「型にはまらない」の心意気。みる自分も、相手を型にはめず、自分の心も自由に解放して型にはめないように楽しもう。
東京バラライカショー『マリリン・モンロー・ノー・クレーム』前回から2年ぶりの新作。

*岩松了作・演出 中村獅童主演『羊と兵隊』 歌舞伎以外の舞台で獅童をみるのは、おそらくこれが初めてになるだろう。戦争の話なのだそうだ。まったく予想がつかない。
*青年団国際演劇交流プロジェクト2008『ハナノミチ』 おそらく自分がもっとも苦手とする分野ではないかと想像しますが、東京デスロックの多田淳之介が気になって。
*長塚圭史作・演出『SISTERS』長塚の作品はこれまで数本しかみたことがなく、最も心に残ったのは、一昨年の『アジアの女』であった。血縁をテーマに長塚が女性を描く。どうなるのか、松たか子、鈴木杏。
劇団劇作家本公演 劇読み!vol.2(1,2,3) 紙に書かれた戯曲が、俳優の肉声と肉体を通して立ち上がる瞬間は、何と魅力的であることか。期間中は7作品が上演される。1本でも多く!

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tea for two 第15回公演『コウエンノキマリ』

2008-06-28 | 舞台
*大根健一作・演出 公式サイトはこちら 下北沢「劇」小劇場 29日まで
 チラシがおもしろい。これは「公園すごろく」だろうか。公園でできるいろいろな遊びに始まり、ゴールには「ミンナ仲良ク」と書かれているあたり、レトロな雰囲気である。このチラシにも当日リーフレットにも今回の作品の始まりについて書かれていて、ただごとではない物語が始まる予感を掻き立てる。

 ☆思いも寄らない展開が待っている話です。未見の方はこのあたりからご注意を☆

 公園で女の子が殺された。町会長を中心に人々は対策を話し合い、交代で公園を見張ったり、警備員を置いたりする。その務めを一生懸命やらない人、公園を稽古場所にしている芸人たち、夫の浮気を心配しつつ、自分も警備員に心をひかれてしまう妻、子どもを思うあまり、塾の先生(だんだんあおい輝彦にみえてくる)に入れあげてしまう母親(みるほどに大竹しのぶに似ていると思ったのですが!)などなど、登場人物の関係や心模様は複雑である。

 舞台には箱がいくつも置いてあり、公園のジャングルジムやベンチになったり、町内会の会議室になったりする。シンプルな舞台装置のなかで、みる方としては話の筋を追ったり、人物の関係性を把握するのに結構一生懸命になる。殺人という物語の発端が心に必要以上に残ってしまったのか、犯人は誰なのか、どうして殺されたのか、もしかしたら住民がからんでいるのではないかなどと、思いめぐらせた。しかしみているうちに、この作品は犯人探しが目的ではなく、猟奇的な事件が多発する現代を切り取った社会風刺劇でもなさそうである。このあたり、視点をどこにどう定めてよいのかわからず、迷いながらの観劇となった。

 町会長役の西尾早智子が印象に残る。独身で仕事熱心、いかにも生真面目で身持ちも固そうだが、実は警備員さんと恋をしている。彼には家庭があるからいわゆる不倫の関係なのだが、べたついた不潔感がなく、自分の心を押し殺して身を引いてしまいそうな脆さが感じられた。

 舞台表現には制約もあるが、思い切って自由自在なこともできる。本作でいえば、一杯道具で公園も会議室もすべての場を描いたことや、登場人物の一人が実は人間ではなかったことなどである。しかし自分はそれよりも、さばさばしたキャリアウーマン風の女性の役柄が明かされたときのほうが驚きであった。公園で女の子が殺されたという強く重たい発端をどう飛躍させ、着地させようとしているのか。前述の町会長だけでなく、登場人物皆に軽くはない背景があり、思いがある。それを「公園のきまり」を作る、守るということを通して描き出そうとしているのだろうか。

 初見の劇団は必要以上に気負ってみてしまうものだが、客席の空気が安定しており、その雰囲気に自分もいつのまにか馴染んでいたことに気づく。身内のお客さんも多いだろうが、一人客、自分のような初見客もかなり高い割合で存在したのではないだろうか。終演後もアンケートの記入を熱心にしている姿を見かけたし、あくまで自分の印象であるが、アンケート用紙の回収率が高いように感じられた。その場では思いがまとまらず白紙で提出したとしても、次の作品もみてみたい、どんな世界を作ろうとしているのかを、もっと知りたいと思う人が多いことの表われであると想像する。一度の観劇で多くを得られる舞台はもちろん嬉しいが、次の作品をみようという気持ちを強く抱かせてくれる体験も貴重であることを実感できた一夜であった。

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toi presents 3rd『あゆみ』

2008-06-22 | 舞台
*柴幸男作・演出 公式サイトはこちら こまばアゴラ劇場 24日まで
 予備知識まったくなく、今回が初見となった。
☆客席の作りがいつもと違って戸惑いました。未見の方は早くもここからご注意くださいませ☆

 劇場がいつもと違う作りになっていて、ちょっと驚く。アゴラ劇場でこういうことが以前あっただろうか?入って正面が舞台のところ、今回は右手に舞台になっていて、向き合って客席が設置されていた。舞台には白く大きな幕が下りていて、他の装置はまったくない。黒い服の女優が1人また1人と登場し、お芝居が始まったような素のままのような曖昧な空気を醸し出す。これはチェルフィッチュ風、それとも?そのうちの一人が「人間は一生に1億8000万歩歩くそうです」とつぶやくように言い、「では、はじめの一歩」(台詞は記憶によるものです)と大きく踏み出した。10人の女優たちは白い幕の前を上手から下手からひたすら行き来する。主人公は「あみ」という女の子らしい。彼女が初めて歩いたことを喜ぶ母親と父親の情景にはじまり、小学生から成長して高校生になり、やがて就職して恋をし、結婚して子どもを生む。「あみ」という女性が歩んでいく日々を描いた、まさに「あゆみ」というタイトル通りの作品なのだった。

 男性の役も(犬まで!)すべて女優が演じる。しかもひとつの場面、ひとつながりの会話を10人がどんどん歩きながら話したり、同じ人物の台詞が違う女優によって次々と語られていく。しかし混乱しない。1人の登場人物を1人の俳優が演じるものだという思い込みを『あゆみ』は軽やかに消し去り、1人の女性の生涯を100分で紡いでいく。toi版『女の一生』というか、ちょっとした「大河ドラマ」である。

 あみの人生は平凡である。お友達と些細なことで行き違い、それがずっと心に重たく残ったり、憧れの先輩がいたり、まさかの年下と恋をしたり。親は老いて世を去り、子どもは成長していき、自身も年を重ねる。自分や周囲にも「こんなことがあったな」「誰かの話に似ている」と共感できるエピソードもあって、しかしそのひとつひとつは本人にとって大切な出来事であり、その人の人生はかけがえがないものである。こんなあたりまえのことを静かに優しく丁寧に描く。最初は白い幕があがって、何か特別な仕掛けや特殊な話が起こることを期待していたが、いつのまにか考えなくなっていた。劇団のカラー、劇作家、演出家の特徴を演劇界、演劇状況ぜんたいの中で位置づけて考えることも必要ではあるが、前述のようについ「何々風」とか「どこそこ劇団と手法が似ている」などと大雑把に括ったり決めつけたりしてしまうことがある。あみちゃんの人生が彼女だけのものであるように、『あゆみ』の舞台は『あゆみ』だけの世界であった。決して声高にならないで、大切なことをきちんと伝えてくれる舞台であった。

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中野成樹+フランケンズ、の短々とした仕事3   『夜明け前後』

2008-06-14 | 舞台
*W・サローヤン原作『おーい、救けてくれ!』誤意訳・演出中野成樹 公式サイトはこちら 江古田ストアハウス 公演は16日まで

 演劇上演が最初の約55分で、10分の休憩をはさんで5分くらいの音楽コーナーがある。演劇の後半は乞局の下西啓正によるオリジナル台本部分が上演されるという少々変った構成の公演であった。

  ☆このあたりから未見の方はご注意ですね☆

 中野成樹+フランケンズの舞台に、この1年半あまり夢中で通っている。今回は自分のその気持ちが空回りしてしまったのか、いささか腑に落ちず不完全燃焼であった。原作『おーい、救けてくれ!』に対する中野の思い入れを充分に感じ取ることができなったせいだろうか。舞台半分を覆う五寸釘や、俳優の手によって色調の変る照明、前述の下西台本などが、自分の中で有機的につながっていかない。1時間足らずの上演時間なのに舞台に集中できない。2月の『よくないこと』の記事を読み直すと、舞台そのものよりも日大の教授、学生を巻き込んだ試みについて字数を割いており、やはり自分はこの作品じたいをまだ理解できず、ちゃんと見ていないのであろう。

 オリジナル曲『夜明け前後』は、中野がバイト先で知り合ったという石橋レイの作曲で、舞台上手に数台のキーボードを並べ、フランケンズの面々がそれを弾く、いわば「合奏」形式であった。中野は中央に座って指揮をとる。これは意外な趣向であった。当日リーフレットに石橋レイの文章が掲載されており、「(曲の感想は)人によって全然ちがう感想を持っているんではないでしょーか?だからこの曲のほんとうの姿は僕もわからないんです」とあって、まさにそんな曲であった(って、どんな曲だ)。ふんわりとやわらかで、ちょっととぼけた味わいがある。それを俳優さんが4人で片手ずつ弾いている。これが『夜明け前後』の舞台にとって効果的であるとか、どのような意味があるかとか考えるのは野暮であろう。原作の『おーい、救けてくれ!』のことも、今回中野成樹のしようとしたことも、ほんとうのことはまだまだ自分にはわからないことがよくわかった。続けて何本もみて、何となくわかった気になっていた自分への、「わからないことの自覚」を与えられた時間であったのかもしれない。

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