因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝『喜劇 ファッションショー』

2011-01-30 | 舞台

*木庭久美子作 渾大防一枝演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアター 2月2日まで (1)
 老後を安心して生きるために必要なのは何か。お金、住まい、家族や友人知人はじめとする人の縁などが思い浮かぶ。主人公の大空てる(箕浦康子)は75歳、夫も子どももなく、定年まで必死で働いてマンションを買い、少なからぬ貯蓄をこさえた。銀行はあぶないと全財産を引き出して箪笥預金にし、毎日お札を数えては安心している。てるの部屋に間借りしている自称昔のお姫様女優明日待子(仙北谷和子)は素寒貧のくせに浪費家である。てるの幼馴染吉本伸枝(塩屋洋子)は夫を亡くし、50にもなって母親に起業資金を無心する息子に心を痛めている。

 すべてに恵まれた人はおらず、かといって何もない人もいない。何かしらは持っているのである。しかしすでにあるものではなく、ないもの(それは往々にしてどうしても手に入らない、ないものねだりだ)を欲しがって心を乱す。

『ファッションショー』とはずいぶん古めかしく、そのままといった感じの題名と思ったが、物語が進むうち、また公演パンフレットに掲載された、題名をめぐる作者の思いを読むと、題名にこめられた意味がおもしろいような悲しいような、何かの象徴のように感じられてくる。

 先月曽野綾子の『老いの才覚』を読んだ。登場する3人の女性は老いていること、愚かであること、未ださまざまなことに諦めがつかずに右往左往していることに付け込まれ、詐欺の被害にあう。その様相は曽野綾子先生からは叱りとばされそうなほど哀れで無残。終幕はまさかの展開でハッピーエンドとなり、多くのものは失うが、彼女たちなりの老いの才覚を発揮し、みるものをスカッとさせる。

 ここ数年続いた小劇場通いに、昨年から本数は少ないが手ごたえずっしりの新劇が加わった。台詞のひとことひとことが粒立ち、間然するところがない舞台にからだじゅうの細胞が生き生きするようであった。しかし今回のような新作の、それも喜劇調のものになると、若干の違和感が伴うのも確かなのであった。演劇は制約はあるけれども、いろいろなことができる。細かいこと、具体的なこと、現実味があるかどうかなどを斟酌せずに、彼女たちが自力で切り開いたファッションショーという名の人生を大らかに受けとめ、楽しむべきであろう。

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因幡屋通信37号完成

2011-01-29 | お知らせ

 おかげさまで因幡屋通信37号が完成し、各設置先へ発送いたしました。劇場ロビーのチラシラックでお見かけになりましたら是非ぜひお手にとってくださいませ。今回のお題は以下の通り、カラーはグリーンです。ブログ掲載時の記事をリンクいたしますので、ご参考までに。

*友だちになろう・・・テネシー・ウィリアムズ『やけたトタン屋根の上の猫』より
*社会人の定義・・・クリニックシアター2010『ザ・ピンタ―・ツアー』より

 えびす組劇場見聞録36号はこちらです。
*三鷹へ行くのだ・・・国道五十八号戦線解散公演『国道五十八号戦線異状アリ』『国道五十八号戦線異状ナシ』より

 今回から神奈川芸術劇場さん、Bank ARTさん、バサラブックスさん、水天宮ピットさんに設置がかないました。ご理解ご協力まことにありがとうございます。バサラブックスさんは、吉祥寺駅公園口から徒歩1分のところにあり、映画、音楽、思想、哲学、モダン古書、サブカルコミック等を扱っていらっしゃいます。お店の作りはポップで可愛いけれど、品ぞろえは曲者キワモノぞろい。年末年始に読んだ芥川比呂志のエッセイ選『ハムレット役者』、年明けは三島由紀夫の『熱帯樹』を買い求めました。店頭にチラシラックがあり、そこに設置していただいております。

 通信の2本の文章は、まったく違う展開によるものでした。1本めは「まさかこの舞台で何か書くなんてことは」だったのが、戯曲や回想録を読むうちにどんどんはまっていき、テネシー・ウィリアムズと友だちになりたいと思った瞬間気持ちが決まりました。対して2本めは本番をみる前から書くことだけでなく、タイトルも決まっていたという大変珍しいパターンでした。予想外と予想通りが同時多発したことになり、自分でも困惑しています。舞台をみるのは楽しくても、ちゃんと劇評を書こうと決められない日々の不安と焦燥、最初の1行を書きだすまでの筆の重さは相変わらずです。
 先日油絵を勉強している女性とお話する機会があって、「描いているのに、どうしてこんなに不安なんだろう」と思うのだそうです。絵心のまったくない自分ですが、どんな絵が描けるのか、思うように描けなかったらどうしようと不安はわかるような気がします。自分が文章をなかなか書き始められないのは、「ちゃんと完成できなかったらどうしよう」という不安があるためです。もっと勇気を出そうと思います。「これだけのことしか書けないのか」と自分の言葉の貧しさに情けなくなってもいたずらに心を乱さず、何とかやってみること。この舞台のことを書き記したいという思いに正直になることを忘れず、これからも書いていきたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。

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『チェーホフ?! 哀しいテーマに関する滑稽な論考』

2011-01-27 | 舞台

*タニノクロウ作・演出 鴻英良ドラマトゥルク 公式サイトはこちら 東京芸術劇場小ホール1 2月13日まで
「絵心」というのは重要な適性であり、一種の才能であると思う。本作はチェーホフの未完の博士論文『ロシアにおける医事の歴史』のための草稿に揺り動かされたタニノクロウが、心に浮かんだイメージを、舞台をキャンバスにして自在に描きだした世界であり、『かもめ』や『三人姉妹』など、戯曲の要素を求めると大変困惑する。自分は典型的に演劇を戯曲から、ことばから捉えようとするタイプであり、つまり絵心が非常に乏しいのである。

 ドラマトゥルクの鴻英良はじめ、出演俳優の手塚とおるは創作にあたり、タニノに多大な協力をしたとのこと。また舞台装置、美術には多くのスタッフが、ほとんど「人力」のごとくステージごとに甚大な労力で関わっているとのこと。チェーホフを題材にタニノクロウが新作を創造することを、総力をあげて支え、実現した企画と言えよう。

 しかしやはり自分は前述のように困惑が濃厚に残る観劇となった。いや観劇というより、自分の感覚としては実験的な場に居合わせたといったほうが近い。タニノクロウの脳内のイメージはことばに縛られたものには想像が及ばず、これが完成形ではなく、もっとこの先があるのではないかと思う。実験や冒険や試みはどんどん実行してよい。創造活動に紆余曲折、試行錯誤はつきものだ。ただどうしても実験の、それも中途の過程をみている違和感を拭えなかった。
 自分には2007年上演の『野鴨』の印象がいまだに鮮やかだ。それを超えるものを期待するのは(特に本作のような実験的な舞台に対して)、見当違いなのだろうか。

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因幡屋1月の覚え書き

2011-01-26 | お知らせ

 読書や映画など観劇以外の覚え書きです。
【本】
*曽野綾子 『老いの才覚』 ベスト新書
*宝泉薫 『泣ける太宰 笑える太宰』 彩流社
*芥川比呂志 『ハムレット役者』 講談社文芸文庫
*北村薫 宮部みゆき編 『名短篇、さらにあり』 ちくま文庫
 林芙美子の『骨』、島村藤村の『ある女の生涯』に背筋が寒くなる。これが舞台や映像になったらと想像してみた。いろいろな女優の顔が浮かんでは消え、ますます怖くなった。
☆群像2月号掲載の岡田利規『距離、必需品』をおもしろく読みました。岡田利規の舞台をなかなか楽しめないのですが、小説の文体には違和感を覚えず、主人公の女性の感覚にすっと寄り添えました。人がことばにして相手に話しているのは、心のなかのほんの一部にすぎず、大半はことばにできずに泡のように消えたり、マグマのように滾りながら、澱のようにたまってゆく。その泡やマグマや澱の様相が、微に入り際に穿つごとく、隙なく繊細に記されています。何気ないひとことをここまで突き詰めて受け取られたら相手の男はたまらないでしょうが、でも彼女の気持ちはわかります。岡田利規が舞台で何を描こうとしているのか、小説を読むことによって少しは歩み寄れるかもしれません。

【映画】
*加藤直輝監督 『アブラクサスの祭り』
*クラウス・ハロ脚本・監督 『ヤコブへの手紙』

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アル☆カンパニー『冬の旅』公開読み合わせ

2011-01-23 | 舞台番外編

 平田満率いるアル☆カンパニー第8回公演『冬の旅』(松田正隆作 高瀬久男演出)が3月に行われるのに先立ち、川崎市アートセンター×アル☆カンパニーコラボレーション企画第5弾として、本作の公開読み合わせが行われた。川崎市アートセンター アルテリオ小劇場 23日のみ 抽選で150名を無料招待。

 案内のDMには「読み合わせ」とは、俳優が芝居を台本をはじめて一堂に会して声に出して読むものであること、それを観客に公開することで、客席の反応や意見を参考にして、より台本を練り上げ、本公演に活かすための試みであることが明記されている。

 芝居をまったくみない人に「リーディング公演」について、「本式の上演ではなくて、俳優が台本を持って読む形式。ある意舞台を作る過程を見せるもの」と説明したところ、「作りかけのものに金を取るのか」と驚かれたことがあり、「朗読劇だ」と単純に言い直したが、通じていたかどうか疑わしい。あまり上演の機会のない古典的な戯曲や海外の戯曲に対して、若手演出家と俳優がどのように取り組むかをみるのが、たとえば横濱リーディングやシアタートラムの「日本語を読む」シリーズの楽しみである。今回の試みは、リーディング、戯曲読みの形式をとって戯曲の新しい面を探るのではなく、文字通り台本読み合わせという本来なら観客に見せないものを公開するわけである。

 『冬の旅』は俳優夫婦の物語で、出演は平田満、井上加奈子のふたりだけである。舞台には椅子が4脚ならび、中央に平田と井上、上手に演出の高瀬久男、下手に劇作家の松田正隆が座る。平田満によれば、俳優はどちらも台本を一度さっと読んだだけで、声に出して読むのはこれがはじめてであるそうで、まさに稽古開始の「ファーストリハーサル」、しかも上演台本は未完だという。始まって約40分後、ほんとうにぷっつりと「ここまでです」と終わってしまった。

 作品の内容を書くのは憚られる。それはいわゆるネタばれを避けるためではなく、今日の読み合わせを聞いた限りでは、どういう物語になるのか、どんな雰囲気のものなのか、何を描こうとしているのかがほとんどわからなかったためである。読み合わせ後のフリートークで作者の松田正隆が作品の意図を語っていたが、いまひとつ具体的なイメージがつかめない。今日読んだ箇所はぜんたいの「5分の1くらい」と松田が話すのを聞いて、平田が驚いていた。40分×5倍なら、本番の舞台はゆうに3時間は超えてしまう。単純に上演時間を指すのか、物語の世界観というのか、そのぜんたいを描くのにまだ5分の1くらいしか言葉になっていないということなのか、劇作家のなかで劇世界がまだまだ構築されていない印象をもった。演出家も演出プランを語ることもできず、、「お客様の質問にも我々がまだ答えられる状態にないので」と平田が話すとおり、質疑応答の段階には至らず、何とも歯切れの悪いものであった。

 前回蓬莱竜太の『罪』の際にも公開読み合わせを行い、それが大変好評だったとのこと。そのときは敢えて未完の台本を読んだそうだ。自分の想像であるが、これは台本が間に合わなかったための未完ではなく、本公演まで結末を示さずに観客の興味を保たせるためのものではないだろうか。今回の『冬の旅』の公開読み合わせは台本の未完であることが未完という意味そのままに示されてしまった。芝居作りの現場には興味があるが、稽古場見学ならまだしも、ちゃんと劇場に観客を入れて行うのであれば、いくら入場無料のファーストリハーサルとはいっても、「みせる」「聞かせる」ことを意識したものでなければ、と思うのである。さらに「観客の反応や意見を参考にして台本を練り上げる」という意図にも、実は疑問を感じる。客席から何らかの反応、意見があったとして、プロの劇作家、演出家、俳優がそう簡単に取り入れてよいものだろうか。むろん演劇は観客の存在あって成立するもので、観客を置いてけぼりにして作り手側のひとりよがりでは困るのだが、本番までは観客がいることを想像して、その上でどうすれば伝わるか、客席も一体になる劇世界が構築できるかをギリギリまで考えて作り上げてほしいと思うのだ。

 終演後おもてに出ると道路が濡れている。久しぶりに雨が降ったらしい。雨の湿った温かな匂いに少し気持ちが和らいで帰路についた。

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