因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

因幡屋9月の課題

2009-08-31 | お知らせ

 9月はチケットの予約もこれからです。急ぎませんと。
*G-up Backup series同居人『太陽の陽』
箱庭円舞曲『極めて美しいお世辞』
サスペンデッズ『夜と森のミュンヒハウゼン』
ハイバイ『て』
 遅ればせながら今月ようやっと「文楽デヴュー」を果たせる。『天変斬止嵐后晴』(てんぺすとあらしのちはれ)。
 8月は因幡屋通信とえびす組劇場見聞録の次号準備にほぼ掛かりきりでブログの更新もあまり進まず。舞台をみて時間を置かずにそのときの気持ちを短めに記すものと、時間をかけて長い文章を書くことを並行して行うのは自分にとってはまだ難しい。特に因幡屋は2本めのお題を選ぶまでに迷いに迷った。

「書きたい」ものと、実際に「書ける」ものがなかなか一致しない。お題にどの舞台を選ぶか、どんな切り口で書くかが定まらないうちは落ち着かず、結構くよくよと悩む。さっさと書き始めればいいものを、やはり「書けなかった」ときのことを考えてしまうのである。
 
 8月みた舞台で、もっと考えたい、書きたいものがある。9月の課題は「書き始め、書き続ける」。

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シス・カンパニー『怪談 牡丹燈籠』

2009-08-30 | 舞台
*大西信行作 いのうえひでのり演出 シアターコクーン 31日まで
 観劇から2週間もたってしまったが、やっと明日が千秋楽である。本作は文学座の杉村春子主演版を衛星放送で、実際の上演は新橋耐子が引き継いだものをみたことがあるのだが、やはり2006年のハイリンドの公演(西沢栄治演出)の印象が忘れ難い。というか、「これはこういう話だったのか!」と驚き、ちくま文庫の三遊亭円朝の『怪談牡丹燈籠』をがつがつと読んで、男女のもろもろだけではない、親子の情愛や、家来があるじを慕い、あるじが家来を思う忠義の深さが何代にも渡って複雑に絡み合いながら展開するおもしろさにもっと驚いた。そして下北沢「劇」小劇場の空間で、出演俳優が複数の役柄を演じ分けながら、小道具はほとんど扇子1本だけで全力で走り抜けたハイリンドの頑張りを、いまだにわくわくと思い出す。あの夜はほんとうに楽しかった。
 今回のシス・カンパニー版は大西信行が文学座に書いたオリジナル版の上演で、伴蔵、お峰夫婦、新三郎、お露の若い2人、源次郎、お国夫婦の3組の男女が色と欲に人生を狂わせていく様子が中心になる。ベテラン、中堅、若手まで、実力派、売れっ子、新人をまんべんなく配役して多くの人が受け入れやすい作りである。皆それぞれのポジションを誠実に守り、「よい舞台にしたい」という気持ちが伝わってくる。

 だがやはり物足りなかった。新三郎、お露の出会いより前に遡った飯島平左衛門と孝助の話がないのはいかにも残念だ。特にこの物語を全身で引っ張っていく孝助が、自分にはとても魅力的に思える。シアターコクーンの空間で、いのうえひでのりの手腕をもってすれば、因果が複雑に絡み合った、「大河ドラマ」と言ってもいいこの長大な物語を作り上げることができるのではないか。
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青年団若手自主企画vol.42『昏睡』

2009-08-27 | 舞台
*永山智行(こふく劇場)作 神里雄大(岡崎藝術座)演出 公式サイトはこちら アトリエ春風舎 26日で終了  この作品は数年前、にしすがも創造舎での公演をみたことがある。7つのエピソードが連なる物語を数人の演出家が2つずつ担当する連作形式だっただろうか?天井も奥行きも客席もガランと広い劇場で、どこに焦点を合わせてよいのかわからなかった記憶がある。  今回は劇場の横幅(この言い方でよいのだろうか?)こそ狭いものの、舞台の奥行き やそのまた奥に、底知れぬ闇や空間が潜んでいるかのようなアトリエ春風舎での上演だ。  公演チラシを入手できなかったので、webサイトからプリントアウトして読んでいる。たぶん同じものだろう。劇作家、演出家、出演俳優山内健司、兵藤公美の挨拶文は、ひとつの作品を作るそれぞれの立場からの思いが伝わってきて、興味を搔きたてるが、みるうちに自分が抱いていた気持ちと、目の前で行われていることの方向性が合わないように感じた。  どういうことを伝えたいのだろうか?改めて書くと身も蓋もない表現になるが、それがよくわからなかったのである。作り手の表現方法が自由であることと同じように、みる側がどんな見方をしてもいいと思う。しかしどこをどうみればいいのか、山内健司と兵藤公美の男女はよかったと思うが、天井の照明、飛行機のアナウンスのような効果音、舞台を汚すこと、カーテンコールのあとで、女優の一言があることなど、戸惑う場面が多かった。

 作り方によって変化する振り幅が、こちらが考えるより遥かに広く、深い作品なのだろうと思う。にしすがも公演のような方法も、今回の方法もどちらもアリで、さらに違う作り方も成立すると思われる。終演後の気持ちの定まらない状態で、駅までの暗い道を歩く。不完全燃焼だったわけだが、それをくよくよと思い悩むのはやめようと思った。たぶん『昏睡』にはまた会えるだろう。『昏睡』そのものでなくても、今夜の舞台に触発され、また疑問に感じた何かをその人なりの方法で描く作品が生れ出るのではないか。そんな予感がする。
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鵺的第1回公演『暗黒地帯』

2009-08-09 | 舞台
*高木登作・演出 公式サイトはこちら 下北沢「劇」小劇場 9日で終了
 公演チラシがまず目をひく。黒を基調として左右に背を向け合った男と女がそれぞれ窓の外をみている。二人を分断するかのようなタイトル『暗黒地帯』の文字が重々しい。裏面には本作のストーリーが、登場人物の一人語りのように記されている。主宰の高木登も短い文章を寄せており、これからみようとする舞台がただならぬ話であることが予想される。
 舞台は正面、左右に排水管が張り巡らされ、中央に細長いテーブル(少し変った形のようにみえた)と椅子がいくつか。抽象的な作りである。そこが不動産開発会社の雑用部屋にもなり、埼玉のマンションの一室にもなる。

 マンションの排水管に欠陥があるらしい。明らかに施行ミスなのだが、業者は「ネズミのせいだ」と言い逃れをし、マンションの住人に法外な工事代金を要求する。結婚前に建築会社で働いていた主婦は正義感に燃え、業者を相手に一歩も引かない。この主婦に手を焼いた業者が考え出した対策というのが、何と何と。

 業者はあまりにあからさまなインチキ会社である。社員は新人のひとりを除いて上司も部下も犯罪すれすれ、あるいはもろに犯罪を犯している。何しろ冒頭から営業社員の林(荒井靖雄)が自分で薬物を注射しているのだから。彼の立ち振る舞い、言葉遣いすべてがちょっとどうかと思うほど乱暴だ。林は「イム」と読む。彼は在日韓国人である。父親は戦争中に日本軍によって強制連行され、自分も子どもの頃から大変な差別にあってきた。イムはその過去を逆手にとり、相手が顧客であっても威丈高に振る舞う。しかし対する主婦(加藤更果)も終始高飛車で感じがよくない。言い分としては明らかに主婦が正しいのだが、かといって彼女に感情移入や肩入れする気になれない。

 このように登場する人物誰にも心が向けられないままの前半は、みていて辛い。これは大変なところに来てしまったというのが正直な感覚だったが、後半、主婦が夫と別れ話をするあたりから次第に引き込まれていった。主婦は次第に精神の均衡を失い、あれほど自信たっぷりだったイムも心の奥底の脆さを見せ始める。そして敵対していた者どうしがいつのまにか同じ孤独の中に落ち込んでしまったことが示されるのである。

 世間にはこれと全く同じではないにしろ、とんでもない話はいくらでもあるだろう。しかし「いくら何でもこれはちょっと」という気持ちが終始消えなかったことは否定できない。舞台正面の壁に「場」を表わす数字や訴訟を報道する新聞記事が揺らめきながら映し出される様子は効果的であるし、俳優も隙のない熱演だ。簡単に共感でき、納得できる話を求めるわけではないが、後半引き込まれはしたものの、違和感が消えなかった。自分はキツい内容の舞台が結構好きである。救いのない結末、後味の悪い話、実は大好きだ。本作も笑えるところがほとんどなく、不愉快な空気が終始劇場を濃厚に支配する。チラシに掲載の高木登の一文を読み返す。一言で言うと「差別」の話なのだが、差別そのものよりも、「差別の構造」がどんなものであるか、差別される側にあって敢えてその構造を利用し、まったく差別など意識していなかった人がそれに巻き込まれて身動きができなくなってしまう恐ろしさや、結局どちらも傷ついて修復の可能性がほとんど感じられない絶望的な状況を示す。客席に背を向けたままだった主婦とイムが、暗闇を切り裂くようなネズミの鳴き声に反応して振り向き、暗転する終幕はまことに苦い。この何とも言えない複雑な気分を的確に表現する言葉を、自分はまだみつけることができないでいる。
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ミナモザ#10『エモーショナルレイバー』

2009-08-08 | 舞台

*瀬戸山美咲作・演出 公式サイトはこちら 新宿御苑サンモールスタジオ 9日まで
 2005年夏の自分の演劇的事件は、劇団フライングステージとミナモザの舞台に出会ったことであった。特にミナモザについては、初めてサンモールスタジオに足を踏み入れたこと、その後若い演劇人の作品との出会いが次々に与えられるきっかけとなった。今夜も客席最後列に座って居心地よく開演前の時間を過ごしている自分に驚くのである。

 さて今回は「振り込め詐欺」の仕事をする若者たちの”働く”青春を観察する作品だという。登場人物10名のうち、8名が男性である。スタッフが開演を告げてから客電が落ちないうちに、舞台には一人の女性が登場する。舞台が明るくなってもしばらくはこの人が木村キリコであることがわからなかった。前回から驚くほど美しくなった。「ふてくされて無表情な鈴木京香」とでもいおうか。

 瀬戸山美咲の作品の特徴は、こちらの予想を少しずつ、見事に裏切っていく点である。冒頭木村キリコの長い独白から一転、ほとんど男所帯の詐欺グループの事務所では、圧倒的に男性陣の出番、台詞量が多い。その内容も仕事が仕事だけに殺伐としてえげつなく、彼らの言葉使いや立ち振る舞いをみていると、これが女性の劇作家の筆から生まれたものとは俄に思えないくらいである。今回は男の話なのだろうか?

 詐欺の仕事にどっぷりの彼らの中に、多少の異物がやってくる。木村キリコ演じるケイとは正反対にみえるエンジェル(名嘉友美)、単純労働を転々とした挙げ句に詐欺グループに足を踏み入れた実直そうな徳沢(松本雄大)が、物語を大きく変えそうでなかなかそうならない。
 しゃべりっぱなしの動きっぱなしの男性たちに比べ、極端に台詞の少ないケイがエンジェルと僅かに心を通わせたかに思わせる場面が、冒頭のケイの独白を思い起こさせる手法は鮮やかとは言えないが、だからこそあざとさではなく、僅かな救いを感じさせた。

 男たちの話を前面に出しながら、その陰でひっそりと働くケイの姿をいつのまにか映し出す。男たちの前でほとんど口を利かないケイがどんな気持ちで毎日働いているか。これからどうしていくのか、知りたいと思った。
…と心も頭も混乱して言葉が出てこない。しかしこの気持ちを何とかしたいと思う。全く何の手がかりも目算もないのに。瀬戸山美咲の作品は、自分を地図もなく目的地のわからない旅に駆り立ててしまうのである。

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