因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

国道五十八号戦線第10回公演『反重力エンピツ』

2010-07-31 | 舞台

*友寄総市浪脚本 福原冠演出 サンモールスタジオ提携公演 8月1日まで
 新作の上演予定が劇作家急病により、急遽昨年初演された作品を再演することになったものだが、急ごしらえの印象はなく、見ごたえのある舞台であった。6月のプロジェクト<あまうめ>のときも感じたが、若い演劇人のしなやかさと粘り強さに嬉しくなる。

 たぶん今回がサンモールスタジオではじめて体験する対面式の客席だ。アパートの一室らしき空間が作られ、女性(ハマカワフミエ)を椅子に座らせて、イーゼルに原稿用紙を置いて小説を書いている男(伊神忠聡)がいる。男はずいぶんわがままで身勝手なことばかり言うが、女性は逆らいながらもモデルを続けている。2人の関係は何か。そこに次々とやってくる謎の男女たち。この部屋が爆弾を作る拠点になっている。時代は現代らしいが、彼らがしようとしていることはふた昔以上も前の学生運動のようだ。この話の設定はどうなっているのだろう。

 舞台と客席がこれほど近いのに、短い暗転ののち、俳優の出入りの気配すら感じさせず次の場面にうつる手並みが鮮やかだ。冒頭のスケッチのような小説執筆の場面は、途中何度か繰り返され、ハマカワが小説を書いている場面もある。とすると男との関係は彼女の幻想なのか、そもそもアパートに出入りする男女は実在するのか・・・とさまざまに想像する。セクトのメンバーたちの力関係や騙し合いの相関図の様子からは緊張感がびんびんと伝わってくるし、俳優の演技にも安定感がある。

   しかし1時間50分の上演時間後半になるにしたがって、だんだん集中できなくなっていた。
 話の先が読めないためかと思ったが、物語がこの小さな空間から広がっていく兆しが感じられないことが大きな要因ではないだろうか。いや壮大なテーマに向かっていかねばならないことはないのだが、物語をどこへ持っていこうとしているのか、何にこだわっているのか、どんなことを伝えようとしているのかが、自分にははっきりとつかめなかったのである。かといって時間を持て余したわけでは決してなく、みっしりと充実した体験であったことは確かで、この矛盾した思いをどう表現してよいかまだわからないのである。

 国道五十八号戦線。この戦闘的な名前をもつ劇団の舞台は今回が初見である。早く次の作品がみたい。また今回の『反重力エンピツ』に出演した俳優が出演する別の舞台にも足を運びたいと思う。

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龍馬伝第30回『龍馬の秘策』

2010-07-26 | テレビドラマ

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 長崎に滞在できるのもあとわずか、自立の道を捜し求める龍馬たちのもとに、元土佐勤王党の池(桐谷健太)がやってくる。池は高杉晋作(伊勢谷友介)ら長州藩士と共に長崎に潜伏していたという。池の案内で龍馬は高杉に会いにゆき、徳川幕府を倒し、独立を目指すという長州藩の考えに心を動かされる。

 高杉晋作といえば、『花神』の中村雅俊がまっさきに思い浮かぶが、いやもう先週から伊勢谷友介の高杉に惚れ惚れ、うっかりすると福山雅治の龍馬もかすみそうな男ぶりである。今回の大河ドラマはよくも悪くも「福山のための龍馬伝」「はじめに福山ありき」という印象が強く、素直に浸れば至福を味わえるのだろうが、疑問を覚えると前のめりの姿勢もくずれ、筆も鈍る。だから高杉のように主役を食わんばかりの迫力をもった人物の登場はとても喜ばしい。

 薩摩だ長州だといがみ合っている侍たち、彼らの争いには動じず、より利益になることをしたたかに求める商人たち、争いに乗じて日本を我がものにしようとたくらむ外国人たち。この構図を龍馬が正確に理解し、よりよい道を求めて即座に行動することに驚く。と同時に元海軍操練所の仲間たちと龍馬の感覚の温度差に困惑も覚える。カステラ作りの元手を借りるために大浦慶(余貴美子)に頭を下げたかと思うと、西郷吉之助(高橋克実)へ「薩摩が生き残る方法は、長州と手を組むことだ。自分が説得する」と宣言する。龍馬の冷静な理解力や判断力、しなやかで大胆な行動力に感服するが、いかんせんこちらのアタマがついていかない。なので今回は本筋とはあまり関係ないけれど、以下の場面から感じたこと。

 その1 長次郎(大泉洋)の提案で龍馬たちはカステラ作りに挑戦する。失敗に終わったが、「かき混ぜてばかりじゃ」とぼやきながらも彼らはとても楽しそうで、こんな思いを岡田以蔵(佐藤健)にも味わわせてやりたかった。彼の無残な最期にまた胸が痛む。
 その2 売れっ子芸者のお元(蒼井優)は長崎奉行の隠密である。表向きは役人に従いながら、何を考えているのか表情から窺い知れない謎めいた人物だ。松尾貴史が演じる役人をたぶん軽蔑していると思われるが、彼が放り投げた褒美の金をひとつ残らず拾い集める必死の後ろ姿(この場面、ん?と思うほど長かった)に引き寄せられた。金のためなら何でもする卑屈な姿を、お元はわざと役人たちに見せているのではないか。この人が魂を委ねているのは御禁制のキリスト教であり、踏み絵に足をかけたことを泣きながら懺悔している様子にも、どこか冷めたものを感じるのである。たやすく心のうちを明かさない女。

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急な坂スタジオ トークセッション『さて、ワイルダーの話をしましょうか』

2010-07-25 | 舞台番外編

*急な坂スタジオ 公式サイトはこちら 7月25日
 出演は水谷八也(早稲田大学教授)、中野成樹(演出家/中野成樹+フランケンズ主宰)、柴幸男(演出家・劇作家/ままごと主宰、急な坂スタジオレジデントアーティスト)のお三方。現在開催中のWWW(ワイ!ワイ!ワイルダー! 中野と柴が発起人となって企画されたワイルダー作品の連続上演)に向けての対談である。5月に中野成樹誤意訳・演出の『寝台特急“君のいるところ”号』が上演され、柴幸男誤意訳・演出の『華麗なる招待ーThe Long Christmas Dinner』は8月1日まで上演中。翻訳、演出とそれぞれの立場でワイルダーの世界に魅せられた方々が、作品との出会い、関わり方、とらえ方を語るおよそ2時間弱。

『わが町』については、舞台監督を中村伸郎が演じたものを皮切りに、松本修演出のMODE版もみて、物語の流れや構成は一応把握しているつもりだった。しかしトークにおいて「エミリーが亡くなって、12歳にもどる第3幕がむずかしい」と語られるのを聞き、そういえばみている自分もほんとうはあの場面がよくわからなかったのに、何となく雰囲気で納得した気になっていたことを思い出した。さらに水谷氏が強調した、教会の奏楽者サイモン・スティムソンの重要性について、自分はまったく意識していなかった、どころかどの版では何という俳優さんが演じていたのかすら記憶にないことに愕然とした。あんなに何度もみたはずなのに。MODE版では三田村周三さんが演じていた嫌みなコーラスの先生が、その役だったのだろうか?

 さらに水谷氏が語っておられた「テネシー・ウィリアムズやアーサー・ミラーなど、比較する対象がないとワイルダーは読みにくい」ということも興味深く聞いた。1人の劇作家を深く知るには、その人の作品はもちろんだが、周辺の劇作家、場合によっては数百年前の劇作家(たとえばシェイクスピア)まで視野にいれる必要があるわけで、これからもっといろいろな劇作家の作品を読んで、舞台をみたいという意欲を掻きたてられながらも、どこまでできるのか,、さらに「自分はこんなにもできていないのか」を考えると道の遠さに軽く眩暈が。

 久しぶりの急な坂スタジオだった。昼間の猛暑もさすがに鎮まって、小雨まじり。なごやかな雰囲気のトークは楽しく、長い日曜のしめくくりに、よい時間を過ごせた。道は遠く遥か、自分の持ち時間や能力は限られている。それでも戯曲を読んで、舞台に足を運び続ける以外ないのだ。

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toi presents 5th『華麗なる招待-The Long Christmas Dinner-』

2010-07-23 | 舞台

*ソーントン・ワイルダー作 柴幸男誤意訳・演出 公式サイトはこちら 横浜STスポット 8月1日まで  (1,2,3)
 本作の上演で印象深いのは、2007年12月中野成樹誤意訳・演出による『家族でお食事 夢うつつ』であった。今回はチケットを申し込むと、自分の名前が書かれた「招待状」が恭しく届いた。2つ折りでデザインも可愛らしく、手間ひまのかかったものである。当日劇場に入ると、おやおやそこは・・・・。

 小さなSTスポットのほぼいっぱいに巨大なテーブルが置かれ、真っ白なテーブルクロス、グラスとお皿、席にはひとつひとつネームプレートがあって、観客は自分の名前のある席につく。なるほど「当日券の販売はありません」という注意書きの意味がよくわかった。芝居をみるというより、文字通り「クリスマスディナーに招かれる」という趣向のようだ。当然だが実際にワインやお料理は出てこない。しかしこのスペースで、どうやって演技するのだろうか。テーブルの上?まさか。何箇所かプレートのない椅子席があって、どうやらここに登場人物が座ると予想された。

 物語はシンプルである。べヤード家の新婚夫婦が、夫の母を迎えてはじめてのクリスマスを過ごそうとしている。母が逝き、子どもが生まれて成長し、その子が結婚して子どもが生まれる。次第に年老いてゆく両親たち。べヤード家三代にわたるクリスマスディナーの夜が静かに淡々と描かれていく。数十年間にわたる家族の歴史を1時間程度でみせるのだから当然さまざまな省略がある。しかし出来ごとだけが示されるのではなく、家族どうしのあいだに起こる感情の微細な行き違いや諍いも丁寧に描かれている。

 今回の趣向について、観客も舞台に引き込み、クリスマスディナーの招待客と見立てる試みは確かにおもしろい。劇場にはいった瞬間に、「こういうことだったのか!」と思わせるには充分な仕掛けである。しかし、登場人物と観客がひとつテーブルを囲むことが、原作を新鮮に、かつより深く描くことに効果をあげていたかどうかには疑問が残る。たとえばディナーが始まる前の乾杯を、登場人物といっしょに観客も行う演出がされており、最初の数回は楽しいものの何回も続くとさすがに飽きてくる。といって乾杯しないのも可愛げがなく、だんだん居心地が悪くなるのである。また皆がテーブルを囲んでいるので観客同士の顔がみえるのに、自分のすぐ隣りに座った俳優の顔は見づらいということもある。戯曲を翻訳し、構成し演出するのは、戯曲の世界をより的確に豊かに客席に伝えるためであり、どんな趣向にするかは演出の一部であると思う。だから趣向が前面に出る演出は、作り手も受け取る側も趣向に心がとらわれて戯曲じたいが持つ味わいや本質を見誤る危険があるのではないだろうか。それから願わくは、本作はやはりクリスマスシーズンにみたいものである。いつの時代、どこの国であっても人の人生は有限で儚く、家族や親しい人とともに過ごすクリスマスが大切であることを改めて思い起こすために。

 

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非戦を選ぶ演劇人の会 ピースリーディングvol.13『Re:カクカクシカジカの話』

2010-07-21 | 舞台

*渡辺えり総合プロデュース 公式サイトはこちら 20、21日 スペース・ゼロ
 スペース・ゼロに行くのはおそらく5年ぶりだ。新宿駅前の雑踏を抜けてほっとひと息ついたあたり。劇場に入るとキャンセル待ちの列が出来ており、ロビーも物販やカンパを募るスタッフで大変なにぎわいだ。客層も年配者から若者まで幅広く、「お芝居のお客さん」とは異なる雰囲気だ。今年で13回めになるピースリーディングに、ようやく足を運ぶことができた。開演前からこれほどの熱気をもつ公演は珍しいのではないか。作られたものをみるという受け身の姿勢ではなく、みずからも客席から参加するのだという積極性が漲っている。

 第1部「Re:カクカクシカジカの話」相馬杜宇作 楢原拓構成・演出
 大学4年生のマサトは「自分にとって核兵器はどんな存在か」というレポートを再提出するように教授に言い渡された。オバマ大統領のプラハ演説を単純に「すごい」と思ったままを書いたものが却下されたのだ。提出期限は8月6日。レポートが提出できなければせっかく内定をもらった就職もふいになり、彼女との旅行も中止。マサトは自分のブログで呼びかけてみた。「あなたにとって核兵器は必要ですか?」軽い呼びかけに嵐のような意見が寄せられ始めた。議論の中で右往左往しながら変化し、成長していく様子が生き生きと描かれる。

 パソコンをのぞきこむマサトが舞台中央に位置し、黒っぽい衣装の核武装派が上手に、白っぽい衣装の核廃絶派が下手に陣取る。舞台で繰り広げられるほとんどがネット上のやりとりや、「検索」して出てきた事柄が語られているのだが、リーディングという手法を活かした作りが効を発揮し、人々が直接議論しているかのような臨場感が伝わってくる。なかでも被爆体験者や被爆者の治療にあたった人が登場する中盤、廃絶派も武装派も客席もひとつになって、尊い声に耳を傾けるかのように鎮まった。中学生のときに被爆した女性(三田和代)、「内部被爆」の治療にあたった医師(高橋長英)、ピースボランティア(田根楽子)、とくに江田島から燃え上がる広島をみた男性(鈴木瑞穂)は、手にはしていたけれども一度も台本を開かず、静かに力強く語り切った。

 台本をみながらとはいえ、さまざまな意見が丁々発止と飛び交う作品だ。演じる側は相当な緊張があったのではないか。もう少し抑制した演技がほしいとも思ったが、スペース・ゼロは思ったより広く、ある程度声を張り上げるのは致し方ないのだろう。人々のさまざまな考えを聞きながら、自分があまりに何も知らないことに愕然とした。これから知るしかない。記憶があやふやっだが、「何を知るかは、自分が何をできるかを知ることです」というピースボランティアの女性のことばが心に残る。斜に構えて、「教授の気に入るようなレポートを書けよ」と言っていたマサトの友人が、机に多くの本を積み上げて必死で読んでいるマサトの様子をみて「(本を)借りてもいい?」と初めて素直な表情をみせる場面も味わい深いものがあった。自分が変われば周囲も変わるのだ。

 第2部 インタビューに続いて第3部「井上ひさし 平和への祈り」。
「井上ひさしの 子どもにつたえる日本国憲法」を朗読しながら、井上の戯曲からいくつかの場面、劇中歌で構成されている。日本国憲法の前文を、子どもにもわかりやすく「翻訳」した本書は、先日知り合いからお借りして読んだばかり。俳優の声を通してきくと、ことばのひとつひとつが粒だって、相手の掌から自分の掌に大切なものが手渡されているかのようだ。戯曲については『夢の泪』以外の作品はこれまでにみたことがあり、それがどんな作品か、語る人物はどんな背景をもち、どのような状況でこの台詞を言っているかがだいたいわかったが、構成にやや無理があり、散漫な印象があったことは否めない。特に渡辺えりが『太鼓たたいて笛ふいて』の劇中歌を熱唱する場には正直なところ、困惑した(苦笑)。

それでもやはり、作り手側の「伝えよう」という気持ちに、客席の「受け取りたい」という気持ちがわき起こり、双方向性の強く感じられる公演であった。家族や知り合いを誘えてよかった。演劇人には演劇人の闘い方があり、観客には観客の応援の仕方があるのだ。それも決して「喧嘩をしない」(ああ『龍馬伝』の影響)やり方が。
 

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