因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

唐組第56回公演『鯨リチャード』

2015-10-15 | 舞台

*唐十郎作 唐十郎+久保井研演出 公式サイトはこちら 猿楽通り沿い特設紅テントの公演は17日で終了 雑司ヶ谷・鬼子母神の公演は11月3日で終了
 春公演『透明人間』、日本の30代公演『ジャガーの眼2008』、いずれも大いに楽しみ、あっという間の秋公演となった。今回はいつもの新宿・花園神社ではなく、前半は神保町の公演である。明治大学のプレハブ棟と呼ばれる古い建物近くの駐車場に紅テントが建つ。花園神社や鬼子母神など、鬱蒼と茂る木々や神社の鳥居などのあいだに紅テントがある風景になじんだ観客にとっては、ビル街の真ん中で、車道のすぐ脇にあるテントはいささか奇妙に見えるかもしれない。実際昼間に見ると、テントは埃っぽく、街の風景に溶け込んでいるとは言いがたい。しかし秋の日が落ちて夕闇が迫るころから、紅テントは新しい顔を見せはじめる。とっぷりと暮れて夜が訪れ、テント回りに数珠つなぎのような照明が灯ると、紅テントがまるで生きもののように息づいているのが感じられるのだ。大学とオフィスと古本屋の街神保町で、これから唐の舞台がはじまる!花園神社とはちがう高揚感が客席を満たす。

 題名はじめ、チラシや公式サイトに記されたキャッチコピーにあるように、本作はシェイクスピアの『リチャードⅢ世』、さらに映画『恋におちたシェイクスピア』がベースになっている。醜いせむしのリチャードⅢ世が、新宿駅西口の鯨カツ屋の主人になり、駅ホームの清掃員田口は上司江戸川の妹である庵(いおり)に使いを頼まれる。以前兄にディズニーランドで買ってもらったお城に入るためのブロザックという馬が欲しいというのだ。江戸川=エドガー(エドワード)であり、庵は訓読みにしてアンであろう。ブロザックを手に入れる場面で登場する謎の女エリはエリザベスとなり、新宿駅周辺のごみごみした食堂街の片隅にある鯨カツ屋と、16世紀に書かれたシェイクスピアの物語が縦横無尽に入り乱れ、怒濤の勢いで走り抜く2時間である。

 ションベン横丁の鯨カツ屋には、『リチャードⅢ世』の人物だけでなく、馬まで登場する。あの決め台詞、「馬をくれ、馬を!馬のかわりにわが王国をくれてやる!」の馬である。それは段ボールをつぎはぎし、左右前足、左右後ろ足両しっぽに分かれており、配役表には「馬の五体」とある。さらに「馬の面の人」という人物もおり、黒い水着のような衣裳をつけた馬担当の数人の俳優は、馬の面の人の合図で合体したり、解体したりする。

 ブロザックとは抗うつ剤の一種であり、実際田口はエリの厚底靴の踵にあった目印の箒星のなかにあった錠剤を飲んで鯨カツ屋に迷い込み、最後は同じ名を持つ段ボールの馬にまたがって、夜の闇に消えていくのである。

 「熱狂唐組集成」(ジョルダンブックス)に収録の『鯨リチャード』の戯曲を読むと、台詞の意味ややりとりのつながり、場の情景がテンポよく頭に入ってくるのだが、途中から混乱し、理解がむずかしくなる。これはもう実際の舞台と戯曲を行き来する以外ないのであろうが、唐十郎の劇世界は頭で行う理詰めの理解や把握とは別のところにあり、「わかった」と思った次の瞬間、ぶっ壊されそうな気がするのである。

 今回も基本的に春公演での「久びさのアングラにびっくり」の域を出ておらず、しかし新劇、小劇場を経てのアングラの、新鮮かつ懐かしい感覚が実に嬉しく、楽しい2時間であった。唐作品の発する郷愁は、観客を陶酔させる。かつてこの空気を味わったことがある、自分は知っているという感覚を呼び覚ますのである。それは「〇年前に紅テントへ行った」という実体験だけでなく、もっと日本人のメンタリティの奥底にある何かではなかろうか。

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