因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

iaku『流れんな』

2014-10-31 | 舞台

*横山拓也作 (1,2,3,4,5,6) 上田一軒演出 公式サイトはこちら 三鷹市芸術文化センター星のホール 11日2日で終了 その後11月8,9日三重県文化会館小ホールで上演
 今回で15回めになるMITAKA“Next”Selectionに、関西の劇団から選ばれた。
 横山拓也が代表をつとめ、作・演出を行うiakuは、大阪を中心に活動するユニットだ。
 漢字で書くと「帷幄」で、戦国時代陣営を囲んだ帷(垂れ幕)と幄(ひきぬの)を指し、転じて作戦をめぐらす場所の意味があることを、今回のシリーズのHPに横山拓也がコメントを寄せている。
 ユニット名の意味を知ってこれまでみた横山作品の雰囲気を思い出すと、なるほど作戦をさまざまにめぐらせ、軽妙にみせて非常に緻密で慎重な台詞の応酬や、一筋縄ではいかない物語構造に、「帷幄」に込めた意図を感じとることができる。

 タイラギ漁で繁盛した港町の食堂「とまりぎ」は、母親が26年前に脳梗塞で亡くなったあと、姉の睦美(峯素子)が父親を手伝い、年の離れた妹のサツキ(橋爪未萌里)の面倒をみてきた。40歳を目前にしていまだ独身である。父親は肝硬変をわずらい、回復の見込みはない。折から名物のタイラギに貝毒が発生し、漁業関係者はもちろん、食堂も経営危機に陥っている。タイラギ料理による町のPRを企画する食品会社の社員駒田(北村守)、地元の漁師で睦美の幼なじみ司(緒方晋)、サツキとその夫(酒井善史)が登場する。

 母親の突然の死は自分のせいだと悩み、さまざまな思いを封じ込めて家族のため、店のために働きつづけて四十の坂を越えてしまった女性の、「流したい過去」と「流れてほしくない希望」もろもろの心模様が描かれる。なかなかに痛い物語だ。

 睦美は日ごろ司とは言いたいことをぽんぽん言い合うツーカーの仲だが、肌が触れたとたんに病的なほどの激しさで彼を拒否する。その理由が過去の無理やりな行為にあるという種明かしは、横山拓也にしてはありきたりであるし、そのわりにいまひとつ説得力を欠く印象だ。

 司役の緒方晋は横山作品にはなくてはならない存在だ。これまで緒方が出演を自分がみた舞台すべてにおいて、役柄の職業や設定に関わりなく長髪のヘアスタイルで登場し、人物の語り口や身に纏う雰囲気も変わらない。それでいて「また同じキャラか」というマンネリはまったくなく、抜群の安定感がありながら、毎回新鮮であるという実に稀有な存在なのだ。
 今回の「ツーくん」も同様で、いかにもこの役者さんらしいキャラであり、絶妙なテンポと間合いで細かいところで笑いを取り、大事な会話を邪魔しながら支えながら運んでいく役どころをみごとに演じている。

 そこに男女の生ぐさいあれこれが持ち込まれたとき、「そうだったのか」という驚きや、「やっぱりそうか」という納得ではなく、いささか強引な印象があったのだ。いかにも過去にわけありな人物を配するのではなく、劇作家に何らかの意図があってこのような設定になったのではあろうが、極めて感覚的な言い方をすれば、「ピンとこない」のであった。

 またサツキの夫が持ち込む脳内の記憶を映像化するビジネスも、その話じたいはおもしろいのだが、この作品のなかではいささかSF近未来的であり、ぜんたいのバランスとしてどうであろうか。

 など気になる箇所や引っかかりはあるが、観客の気をまったく逸らすことなく舞台に引きつける吸引力はすばらしく、見逃したら後悔するところであった。
 本作と『人の気も知らないで』戯曲が掲載された別冊BOLLARDの「TUNNEL@」を購入、帰りの電車で『流れんな』を一気読みする。
 舞台設定は少々特殊であっても、その特殊性に寄りかからない堅固な構築と地に足のついた人物を配し、その役を過不足なく演じる俳優がいて、戯曲を深く理解し、俳優を信頼する演出によって表出する横山拓也の劇世界にまたしても魅了された。

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Pカンパニー第14回公演『沈黙』

2014-10-30 | 舞台

*石原燃作(1,2,3,4,5,6) 小笠原響演出 公式サイトはこちら BOX in BOX THEATER(池袋 シアターグリーン5F) 11月4日まで Pカンパニー公演の過去記事(1
 「シリーズ罪と罰」と銘打って、複数の劇作家による作品を上演する試みがスタートした。
 死刑、司法制度、冤罪、贖罪などの視点から、命の価値を問いかける第1弾である。
 2011年秋にPカンパニー番外公演上演された『はっさく』は、原発事故によって放射能汚染された町に住む別れた夫婦のことを描いた作品で、演出にあたった小笠原響が今回再び石原燃作品に取り組む。

 非常に重苦しい題材であり、賛成反対のどちらがぜったいに正しいという答が出ないものだけに、生半可な気持ちや小手先のテクニックでは歯が立たないであろう。これほどのテーマに正面から取り組んだ劇作家の志と、それを受けとめた演出家はじめ、Pカンパニー、関わった方々に敬意を表したい。

 中部地方であろうか、あまり大きくはない町の寂れたスナックが舞台である。かつてここで働いていたホステスの「ナオミ」は、詐欺、窃盗、強盗殺人で逮捕され、裁判で死刑が確定した。 物語はその死刑が執行された翌日にはじまる。

 スナックのママ、朋輩のホステスたち、ナオミの元夫や元恋人、その兄弟、ナオミに息子を殺された元ホステス、そして記者を名のる女性などが登場するなかで、死んだ人間であるナオミは終始彼らの会話のなかだけにイメージされる存在である。
 スナックの客の男たちをつぎつぎに誘惑し、金を巻き上げたあげく死に至らしめたナオミはまさに毒婦だ。洋服のサイズが3Lであるとか容姿容貌の点でも、首都圏連続不審死事件(Wikipedia)の容疑者木嶋佳苗を想起させる。ちがうのは、ナオミに5人の子どもがあることだろうか。

 事件の概要を聞けば、誰もがナオミの極刑を当然と思うだろう。しかしナオミの公判の裁判員をつとめた女性が店にやってきたことから、事件の真相だけでなく、ナオミがほんとうはどんな人間だったのかなど、さまざまなことがわかってくる、あるいはいよいよわからなくなる。物語は「もしかするとナオミは冤罪だったのでは?」というひとつの仮定に導かれていくが、結論は提示しない。

 場面転換がなく、ひとつの場にすべての人物が集まるためには、その人物がなぜここにやってくるのかという「登場の理由」と、ほかの人物との関係性がなけれ ばならない。このふたつを聞きとり、頭のなかで人物相関図を描き、それぞれの人物の過去や背景や思惑、そして真実は何だったのかを考えることになる。
 本作にはサスペンス、ミステリー的な要素もあって、そこに入り込めれば前のめりのぞくぞくするような感覚があるかもしれないが、人物がそれぞれに語る内容をつなぎあわせたり、前述の登場の理由や、ほかの人物との関係性を把握、整理することに思いのほかエネルギーを要した。

 戯曲に書かれた台詞と、演じる俳優の声や動作など演技の強度の関係というものを考えた。スナックのママ役の福井裕子(演劇集団円)は淡々飄々とした雰囲気を纏っているが、ほかの俳優はそうとうに力の入った演技をみせる。その強度がみるほうにとっては少々辛いところが多々あり、またどこがどのようにと具体的な例をあげられないのだが、こちらの耳と心に落ちてこない、腑に落ちなかったり、引っかかりを感じる台詞ややりとりが散見する。

 耳当たりのよい台詞が聞きたいわけではなく、話の内容が内容だけにきついことばや生々しやりとりがあるのは当然なのだが、舞台のことばとして発せられるときに、台詞の意味、劇作家の意図を客席へ確実に伝えるには、あともう一歩、試行錯誤や吟味が必要なのではないだろうか。ナオミの人となりがもう少し明確にイメージできれば、またナオミと彼女が関わった男たちの生活や、裁判の様子などがもっと具体的に伝わってくれば、この作品はぐっと精度を高めると想像する。

 それは劇作家ひとりの手で行えるのか、演出家や俳優、制作者含めた作り手ぜんたいが行うほうがよいのかはケースバイケースであろう。いろいろなポジションの意見を戦わせてよい方向に導かれることもあれば、かえって迷走する可能性もある。

 当日パンフレットには、「途方に暮れているけれど」と題した石原燃の挨拶文が掲載されている。劇作家は死刑制度について迷い悩み、文字通り途方に暮れながらも、書くことを諦めなかった。そしてそこには「役者たち、そして演出家をはじめとしたスタッフたちが、その重みを共に背負おうと必死になってくれている」と、ひとりではないことの希望と感謝で締めくくられている。
 客席にいる自分もまた、石原燃の『沈黙』には、もっと別の地点へみるものをいざなう力があり、それによって死刑制度に対する新しい展望に導かれる可能性があると信じている。

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第39回名作劇場『母の死・大臣候補』

2014-10-29 | 舞台

*川和孝企画・演出 オフィス樹制作 公式サイトはこちら 両国 シアターχ 11月1日まで  これで39回を数える名作劇場には、当ブログ開設前の97年の第4回公演に一度足を運んだきりだったが、12年の34回公演がようやく初記事となった(1)。あまりあいだをおかず、今回の観劇となったのは幸いである。

 能島武文『母の死』
 ひとりの母が死の床に瀕している。医師や息子、姪。父はそとに女がいて、何度も連絡しているが顔をださない。病人が亡くなってからやっと現れた父を息子はなじるが、父もまた息子に辛辣なことばを浴びせる。亡骸を前に諍う父と息子の悲哀。

 長谷川如是閑『大臣候補』
 大臣候補とされる官僚出身の男が、大臣確定の知らせを待っている。家族、愛人、娘の縁談が絡んでいる子爵、女ペンキ屋などの思惑が絡む。

 公演パンフレットによれば、『母の死』は大正14年の「演劇新潮」新年脚本号に掲載されたが上演の形跡がなく、「初演なのかも知れない」(演出の川和孝)とのことである。
 題名通り母の死によって、複雑な家庭の様相や家族ひとりひとりの思惑、深い断絶が容赦なくあぶりだされる。なぜ父は二十数年も家庭を顧みなかったのか、娘同様の姪の存在をどうとらえればよいのか、死に瀕した母が繰りかえし口にした「玉にして」のことばの意味は?

 などなど不明な点はいくつもあり、それが必ずしも解き明かされないまま幕を閉じる。そのことは芝居をみる妨げにはならない。ただ芝居ぜんたいが作りだす空気というのか、俳優の演技の方向性というのか、どこかこちらの心にしっくりしない箇所が散見し、終幕の「どうして夜が明けないのか」という息子の悲痛なことばに、しっかりとつながっていない印象をもった。
 たとえば往診の医師である。この家とは長いつきあいがあって、複雑な事情も知っており、一家のあるじがなかなかすがたをあらわさないことを医師の立場から案じてもいる。脇筋の人物とはいえ、重要な役である。
 その医師が治療にあたるときの所作がぎくしゃくして妙な間があったり、病人がいよいよ今わの際のごとき声をあげているのに、背を向けたままでいたりする。医師としての冷静な態度ではなく、「聞こえていない」背にみえるのである。医師のありようは物語の進行に直接影響を及ぼすものではないにしても、脇の人物が、からだの向きひとつ、所作のひとつひとつに綿密な造形をすることで、舞台に奥行きが生まれ、物語の構造がより明確になるのではないか。

 『大臣候補』は、国政はもちろん、国のありようや国民の幸せなどには関心がなく、ひたすら権力の座に着くことに執着する官僚出身の実業家を中心に、あわよくば甘い汁を吸おうとする 周囲の人々、気弱で足元のしゃんとしない息子が、かつての恋人がペンキ屋として自立したすがたに奮起したり、幼いながらも大人たちのすがたを的確にとらえ、自分の意見をはっきりと主張する娘など、人物の立場、性格、背景は多岐に及んでおり、決して単純なドタバタ劇ではない。

 しかし一部の人物が過度に喜劇的で大仰な演技をしているために、こちらは笑うよりさきに引いてしまい、本作がもつ痛烈な社会風刺の面が薄まっていると思われる。

 名作劇場の公演に何度も出演している人、今回がはじめての人など、それぞれ経験値がちがい、実力にも差がある老若男女の俳優陣が、おそらく短い稽古期間でひとつの舞台をつくるのは非常に困難を伴うことと想像する。俳優たちをどのように導くかは、演出家はじめ制作側の重要な役割であり、俳優にしても今回の舞台だけを首尾よくつとめればよいわけではなく、これから先どのような俳優になりたいのか、そのために必要なことは何かなど、将来を考えなくてはならない。
 所属劇団の公演ならいざ知らず、あちこちのプロデュース公演に出演する場合、本人がよほどしっかりと将来のビジョンを持たなければ、次につながっていかないのではないか。

 上演の機会が少ない作品を取り上げ、年2回の公演を行っている名作劇場の試みはとてもすばらしいものだ。作り手の方々には大変な苦労があると察せられ、頭が下がる思いである。
 緻密で的確な俳優の造形があれば、それを引き出す演出があれば、戯曲の魅力、おもしろさをより明確に示せるのではないかと期待するのである。

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劇団印象第20回公演『匂衣~The blind and the dog~』

2014-10-22 | 舞台

*鈴木アツト作・演出 公式サイトはこちら 下北沢 シアター711 26日まで 23日(木)14時の回は「ベイビー・パパママシアター」 ゼロ歳児から入場可。小さい人たちがお父さんお母さんといっしょに観劇できる。24日(金)14時の回はアフタートークがあり、劇作家の松田正隆が登壇する。東京公演のあとは11月1日~2日バンコクシアターフェスティバル2014に参加を控える。(1,2,3,4 5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19
 本作が4年前に初演されたときの高揚感は、いまでもはっきり覚えている。冷たい春の雨が降っていた。今夜は季節は秋だが、あのときと同じ冷たい雨が降りつづく。韓国でも上演されて高い評価を得た作品が、タイ俳優との共同制作でどのように生まれ変わるのか。

 物語の流れや、登場人物の関係にはほとんど手が加わっていないと思われるが、出演俳優は大幅に変わった。
 なかでも来日して3年めの売れない外国人舞台女優が、韓国のベク・ソヌからタイのナルモン・タマブルックサーになったこと、盲目の少女彩香が龍田知美から山村茉梨乃に替わったことが大きい。初演にも出演した唯一の俳優は泉正太郎であるが、前回は女優の恋人役で、今回は化粧品のセールスマンを演じている。

 初演のべク・ソヌにくらべると、今回のナルモンは少々年上であろう。褐色の肌にしなやかなからだつき、深く柔らかい声はたどたどしい日本語であってもこちらの耳に優しく響く。
 また彩香役の山村茉梨乃はふっくらとした可愛らしい顔立ちで、痛々しいほど懸命の演技を見せる。こちらも初演の龍田知美の知的でシャープな雰囲気を思うと、大胆な配役変更だ。

 タイ人女優ホムの恋人・広一郎役も鈴木穣に替わった。ホムに年齢を合わせたのか、中年といってもよい年まわりである。
 必死で犬を演じるホムと彩香の攻防?のあいまに、ホムが広一郎と過ごす場面が挿入される。一生懸命なホムを広一郎は大人の余裕か、実に優しく受けとめる。しかし恋人たちは最後に別れてしまうのである。
 何が原因かは明確にされない。ふたりは多少ぎくしゃくするものの、決定的な諍いや決裂が示される場面もないのである。舞台がはじまる前からふたりは何らかのわだかまりを抱えていて、その終わりのときが来ただけにすぎないとも、またふたりはとうの昔に別れており、舞台のやりとりはホムの幻想であるとも考えられる。

 彩香とホムのやりとりが作品の軸であるが、ホムの恋人との別れはどう位置づけられるのか。前回につづいてここがよくわからなかった。しかしはっきりと理解することが本作を味わう目的ではなく、作者の筆の運びにも、今回広一郎を演じた鈴木穣は、より自然な話し方、素に近い表情や生の声で演じており、少し方向性のことなる演技をしており、作品ぜんたいの方向性に適切かどうかは判断ができなかった。

 目の見えない彩香が、見えないゆえに抱える悲しみはたしかにある。しかし娘を傷つけまいと人間の女優に犬をさせたり、すぐに新しい犬を買ったりする母親もまた、何かがほんとうには見えていないのではないか。彩香はそんな母親の気質やふるまいを受けとめ、母を信じたふりをしつづけるのだ。

 本作は、これからもタイプのちがう新しい俳優を大胆に配して上演を重ね、劇団印象のレパートリー演目になることが可能ではないだろうか。初日の今夜はなぜか年配のお客さまが多かったが、明日はゼロ歳児と親御さんがいっしょに観劇できる「ベイビー・パパママシアター」であり、客席の雰囲気の変化にともなって、舞台も変容すると想像される。

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スタジオソルト第18回公演『柚木朋子の結婚』10月バージョン

2014-10-18 | 舞台

*椎名泉水作・演出 公式サイトはこちら 鎌倉/古民家スタジオイシワタリ 10月は19日で終わり、11月は1~3日、8,9日、15,16日に上演される。1,2,3,4,5,6,6`,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17
 スタジオソルト1年5ヶ月ぶりの新作だ。10月と11月の土日祝日に秋の深まる鎌倉は由比ヶ浜の古民家イシワタリで上演される。築87年になるイシワタリは、もとは木材店であったものをギャラリーやイベントスペースとして開放しているものだ。写真展や陶芸展、結婚式の披露宴や料理教室まで、さまざまな催しが行われている。
 JR横須賀線鎌倉駅から徒歩15分、江ノ島電鉄由比ヶ浜駅から徒歩4分と、都内の劇場に行くよりは若干時間がかかるが、周囲に刀剣・美術店があったり、「危険渡るな」の看板のある線路を歩いたりなど、ほかでは味わえない風情があって、とても魅力的だ。
 ましてずっと待っていたスタジオソルトの新作である。行きますとも!

 今回の特徴はもうひとつ、10月と11月で客演の女優の顔ぶれが替わることだ。10月は松岡洋子(燐光群)、萩原美智子(東京タンバリン)、勝碕若子(劇団よこはま壱座)、つづく11月は佐々木なふみ、恩田和恵、内藤通子(プラチナネクスト)が出演する。まずは10月バージョンを観劇した。

 なかに入ると、イシワタリの座敷をそのまま柚木家の居間にし、すでにふたりの人物が「板付き」になっている。のんびりした風情で新聞の広告を折ってもの入れを作っているのは、今回でソルト客演3度めになる勝碕若子だ。ずっとこの家に住んでいる人の安定感があって、早くも柚木家の物語に引き込まれてしまう。客席に背を向けてお弁当を食べているのは、麻生〇児改め、浅生礼司である。顔は見えないが、何となく奇妙な感じが。
 当日リーフレットの配役名に「坊城豊」とあって、はっとした。2007年春に上演された『7』(1,2)に登場した、あの「ぼう」ではないのか?

 主人公はタイトルの「柚木朋子」(松岡洋子)であり、物語の内容はタイトルずばり、彼女の結婚をめぐる家族や友人、結婚相手とのあれこれ、心の移ろいである。

 人物の設定に若干特殊なところはあるが、老親を抱える子どもたち、周囲が賛成しかねる結婚など、どこの家庭にもありそうな話である。イシワタリの雰囲気も相まって、ゆるめのホームドラマのような展開になるか、とも思わせた。

 公演期間中なので具体的なことが書けないのがつらいところなのだが、『柚木朋子の結婚』はわりあい予想できる設定や流れのなかに、素直にうなづけない小さなひっかかりや、長いこと胸に抱えてきた疼くような痛み、ちょっと触れたはずみに折れそうな心などが、控えめに顔を出す。ここが物語の転機だと大仰に示されるのではなく、しかしこの家族をみつめる観客の心に、人々の過去やそれぞれの背景などを確実に刻みつけるのである。

 朋子役の松岡洋子が、おっとりと優しい長女を演じて魅力的である。11月は佐々木なふみがどのように演じるのか。佐々木はちょうど1年前の鵺的公演『この世の楽園』でみせた硬質な知性と美しさの印象が強烈で、どんな朋子さんになるのか想像できない。よけいにぞくぞくする。

 2006年あたりからスタジオソルトの舞台を見つづけてきて、作・演出の椎名泉水の作風はじめ、舞台の空気というものを自分なりに捉えていると思っていたが、久々の新作は、より温かみが増して優しくなり、同時に人々の心の奥底に湛えられた悲しみがにじみだすものであった。嬉しい再会である。
 11月はJR鎌倉駅から歩いてみよう。いいお天気になりますように。

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