因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

弥生の予定

2008-02-27 | インポート
 あと数日で弥生3月です。今週中に開幕する舞台もありますので、未確定のものも含めて少し早めにお知らせいたしますね。
ハイリンドvol.5『もやしの唄』 次々と新しい作品に挑戦するハイリンドの舞台をみると、「こんなに頑張り屋の友達がいるんだ」と周囲に自慢したくなる。実際知り合いはいないのだけれど、それほど舞台と客席が親密に解け合うのである。またハイリンドに会える!
*『静物たちの遊泳』劇作家山岡徳貴子の評価を高めた作品のリーディング公演が緊急決定した。先週みた『着座するコブ』の記事がまだ書けていないこともあって、行こうかどうしようか、激しく悩む。どうしようか、時間や体力の問題もさることながら、正直に告白すると「わからなかったらどうしよう」という不安が大きいのである。悩む暇があったら、とにかく行ってみましょう!
危婦人『江波戸さんちのにぎやかなひなまつり』
*世田谷パブリックシアター+コンプリシテ共同制作『春琴』
チェルフィッチュ『フリータイム』 苦手科目への挑戦は続くのでした。
劇団フライングステージ『新・こころ』
時間堂『三人姉妹』
らくだ工務店『だるまさん、ころんだ』 一瞬燐光群の『だるまさんがころんだ』かと思った。昨年秋の『戦争へは行きたくない』は楽しかった。またあの空間に遊びに行きたくて。

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『ゲアリーズ・ハウス』

2008-02-24 | 舞台
*演劇企画集団 楽天団プロデュース公演 デボラ・オズワルド作 須藤鈴翻訳 和田喜夫演出 公式サイトはこちら 中野 スタジオあくとれ 26日まで
 昨年秋のリーディング公演『アメリカン・パイロット』を興味深くみたので、今回の公演もまったく予備知識はなかったがみに行くことを即決した。タイトルの『ゲアリーズ・ハウス』が何を指すのか、チラシを見ただけではわからなかったのだが、開幕してすぐに納得した。当日リーフレットによれば、「都会のシドニーから遠く離れた小さな町と、そこから更に車で数時間の丘陵地帯」が舞台になっており、ゲアリー(吉田テツタ)という男が家を建てようとしている場面から始まる。ゲアリーの家、『ゲアリーズ・ハウス』。そのものズバリである。

《ここから少し詳しい記述になります。未見の方はご注意くださいませ》

 ゲアリーは年の頃三十代半ばから後半だろうか。彼には年若い妻スー・アン(前薗幸子)がおり、もうじき初めての子供が生まれようとしている。彼は家族のための家をたった一人で建てようとしているのだ。そこを偶然訪れたデイブ(池田ヒトシ)は、愚直なまでに妻を愛するゲアリーと、子供っぽく粗野で心身の不安定なスー・アンの姿に驚きつつも、何か惹かれるところがあるのだろう、次第に親しくなる。しかしゲアリーが家を建てようとしている土地は、実は姉のクリスティン(明樹由佳)と共同名義であり、長年音信不通だった彼女が血相を変えて乗り込んでくる。

 小さな劇場にまさに作り始めたばかりの家があり、物語が進むにつれて窓枠がつき、壁ができ、次第に家らしくなっていく様子がおもしろい。大工仕事の演技が実に自然である。ゲアリーとクリスティンきょうだいは、幼いころ幾人もの里親に育てられた辛い経験があり、スー・アンもまた幸せとはいいかねる子供時代だったらしい。それだけに「家」は単に建物ではなく、安住の地、幸せの象徴なのだろう。

 開幕直後、「ぜんぜん翻訳劇らしくないな」と感じたのだが、みているうちにこれがオーストラリアの話であるとか、その国民性、日本との違いなどなどということがまったく気にならなくなった。血のつながった肉親が諍うことの悲しさ。赤の他人がどうした縁か、出会って共に暮らし始め、家族になることの不思議。水と油のようなもの同士が互いに激しく対立しながらも、どこかで繋がっていく。絶望したゲアリーが衝動的にとった行動は、前半の空気を重く沈ませる。いったいこの人たちはどうなるのか。どんなことがきっかけで相手を好きになるのかは、本人にも予想がつかないし、もしかするときっかけも理由もないのかもしれない。しかしこの物語の終幕は、「ああ、よかった!」と客席で安堵のためいきが出そうになるくらい幸福感に満ちたものとなった。人が繋がるのは、繋がりを取り戻すには時間がかかるのだ。ゲアリーズ・ハウス。ゲアリーの家に彼自身が暮らすことはないが、ゲアリーが願ったことは、彼が思いもよらないいくつもの実を結んだのだ。

 作品に関わった方々のたくさんの愛情が注がれていることが伝わってくる舞台だった。昨日からの強風が少し収まった夕刻、駅までの下り坂をゆったりと歩く。さっきまで過ごした空間が、心身に温かく確かな手応えを残していることを感じながら。

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劇読み!番外公演『戯曲はまだ眠っている』

2008-02-19 | インポート
*新宿シアター・ミラクル 公式サイトはこちら 17日で終了
 劇団劇作家主宰によるドラマ・リーディングの実践と考察の試みである。16日と17日の両日、「戯曲のリーディングをしてみよう」というワークショップが行われ、17日の夕刻からその発表会(別役実『赤い鳥の居る風景』より 演出は長谷基弘/劇団桃唄309)に始まり、劇作家による『白狐』のリーディング(山本健翔演出)、劇作家による「本読み」(篠原久美子『ケプラー あこがれの星海航路』、劇団フライングステージ/関根信一『陽気な幽霊 GAY SPIRIT』)、最後は篠原、関根、山本、長谷によるシンポジウム「リーディングの可能性を探る」で締めくくる。小さな劇場の客席は満員。前回(1,2)と同じく、戯曲に対して関心を持つ人、戯曲をもっと読みたい、知りたいと願う人々の熱気に溢れた公演となった。

 前日の夜、『前と後』で感じた違和感はなぜなのか?今夜の『白狐』に意識がどんどん覚醒して引き込まれていったのはなぜなのかが、シンポジウムの山本の発言で霧が晴れたように納得できた。そして極めつけは関根信一の「リーディングって胡散臭いんですよね」の一言であった。自分はリーディング公演が好きで、できるだけ足を運ぶものの、はじめ頃(おそらく90年代後半にシアタートラムでみた『堰』ではなかったか)の新鮮さがだんだんなくなり、横濱リーディングの刺激的な舞台はむしろ例外的で、何だか違うなというもどかしさが募っていたのだった。関根氏は、音声として戯曲を立ち上げるのか、演出も入って俳優も演技を作り込むものなのか、どこまですればいいのかはっきりしないところに葛藤があったという。「胡散臭い」とはまさに言い得て妙、自分は作り手ではなく受け取る方だが、我が意を得たり!という気持ちになった。

 これまでみた数々のリーディング公演だけでなく、数年前にみたテレビドキュメンタリーで、渡辺えりが語った十七代目中村勘三郎のエピソード、二十年以上前に渋谷ジャンジャンで行われた『メリーさんの羊』をめぐる別役実、中村伸郎、三谷昇の対談など、いろいろなことが記憶の底から甦ってくる。リーディングについてもっと考えたい、もっともっと戯曲を読み、聴きたい!

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国際ドラマリーディング『インタビュー』

2008-02-18 | 舞台
*ロザナ・スタッファ作 吉田恭子翻訳 松田正隆演出(マレビトの会)公式サイトはこちら 川崎市アートセンター 17日で終了

 舞台中央に椅子がふたつ、上手奥にもうひとつ。下手には小さなテーブルがある。イラクで拉致されたのちに解放されたアメリカ人女性ジャーナリスト(占部房子)に、イラク人医師(平田満)が質問をする。ときどき下手の椅子から男(戊井昭人/鉄割アルバトロスケット)がやってきて、その場を掻き乱す。

 公演直前の朝日新聞(川崎版)に平田満の大変興味深いインタビューが掲載されており、観劇前の自分の関心と期待を高め、観劇後は発言の意味をより深く考えることができた。舞台にいるのはどうみても日本人で、上演中「そうか、平田さんがイラク人で占部さんはアメリカ人だったんだ」と確認しなから見る必要があった。よって本作のひとつのテーマである異文化の人間同士の食い違いや距離感の変化を感じ取るのに少々手間がかかった。前述の「確認作業」がここでも必要だったのである。これを本式に上演する場合、日本人が複数の国籍の人物を演じていることを客席に自然に伝えるにはどういう方法が取れるのだろうか。インタビューをそのままこの記事に引用するのは憚られ、どうも歯切れの悪い記述になってしまうのだが、昨今いささか乱発気味の「リーディング公演」「ドラマリーディング」についての平田満さんの率直な疑問であり、ご本人はそこまで意識なさってないかもしれないが、ある面で痛烈な批判でもあると思う。
 
 暗く密閉されたような部屋での緊迫した会話は、そこが戦乱のさなかにある場所であることを感じさせるとともに、なぜか夢幻的な広がり、底知れぬ闇を含んだ得体のしれない雰囲気を生む。戦争を題材にした作品にありがちな「今ここにいる自分とは距離のある世界の出来事」とは違う何かがある。それは話される内容が強烈だからではなく、拉致されたのちに解放されたアメリカ人女性記者が、解放されたとはいえ今いるのがどこなのか、これからどこへ連れていかれるのかわからない不安と恐怖がひたひたと押し寄せてくるからなのだ。

 舞台に椅子が置かれているので、俳優はそこに座った状態で読むと思ったが、立ち上がったり歩き回ったり、予想より動きの多い演出であった。この動きが多いことを「もったいない」と感じる自分に気づく。せっかくリーディング公演なのだから、ここは辛抱強く椅子に座ったままでホンと向き合う俳優の姿がみたい。自分がリーディング公演に何を求めているのか、また考えるきっかけになった。
 
 1公演500円という驚異的なお値段。2公演セットでも800円である。このあとも井上ひさしの『リトル・ボーイ、ビッグ・タイフーン』、アメリカ、フランス、ドイツの作品とリーディング公演が続く。少々苦痛だったり困惑もしたが、戯曲との出会いはやはり刺激的で嬉しい。明るい冬の昼下がり。もう少し劇場にいたかったし、アフタートークも聞きたかったのだが次の予定があって今回は退出した。まだ2回通っただけなのに、親しみが感じられる劇場だ。新百合ケ丘は今回はじめて降り立った町である。劇場が好きになると、その町も好きになる。できれば今度はもう少し時間にゆとりをもって訪れたい。

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国際ドラマリディーング『前と後』

2008-02-17 | 舞台
*ローラント・シンメルプフィニ作 大塚直翻訳 タニノクロウ演出(庭劇団ペニノ) 公式サイトはこちら 川崎市アートセンター 2月16日のみ

 下手に明かりがつくと、洋式トイレに女性が腰かけており、ぶつぶつと独り言を言いはじめる。やがて舞台にベッドが3つ並び、その中のひとつに下着姿の女性が座っている。当日リーフレットによれば、「登場人物は総勢39名。同じホテルと思われる場所を舞台に、断片的な場面転換の中、日常と幻想が描かれ、シュールなイメージ世界が繰り広げられる」作品であり、今回演出のタニノクロウは短い51のエピソードの中から40くらいを紹介するという。

 俳優は男女各3名、合計6名が出演する。同じ部屋にベッドが3つ置かれているのではなく、同じホテルの違う部屋であるらしいことはすぐにわかる。一緒に暮らし始めて11年目の男女がいる。女性の方が仕事で知り合った男性とホテルで密会する。女性の伴侶(こういう言い方をしていた)はそれに薄々気づきながら、自分も他の相手を探そうとする…という話がひとつの軸になっていると思っていいのだろうか。俳優はベッドを出たり入ったり、現在と過去が入り交じったり、前にみた場面がまた出て来たりとめまぐるしい。

 特異なのはト書きの文体である。単なる状況説明だけではなく、ある人物が何を考えているか、そこに至るまでにどんなことがあったか、これから何をしようとしているかが、まるで小説の地の文のようなのだ。もしかするとこれはいわゆる「ト書き」ではなく、実際の上演でも読まれるようなものかもしれない。逆に言うとこれが読まれないとしたら、この話を理解するのはますます困難になるだろう。こういう作品に出会うのは初めてかもしれない。緊張感を持続できず、途中何度も意識が遠のく。俳優は手に台本を持っているが、前述のようにベッドの出入りはじめ、性行為らしきことも相当際どく行うのである。これが本式の上演だったらどうなるのか。みてみたいような、そうなったらとてもついていけないような。しかしながら3つのベッドやランプなど、舞台美術もなかなかに凝っており、16日の夜1回限りの上演をみる機会を与えられたことは大変な幸運で、贅沢な体験であった。

 当日リーフレットでタニノクロウは「この戯曲は非常に奇怪で個性的で、私は苦手です。特別な戯曲ですから、大変だと思います。どうか気を抜かず、挑んでみてください」とあって、ああ、よかった、自分だけではないのだと安心する一方で、今回自分がほぼ完敗に近いことを認めざるを得ないのであった。次の機会が与えられるだろうか?与えられるとして、その時に備えて自分をどう鍛えていけばいいのだろう?

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