因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

文学座有志による久保田万太郎作品『夜長』『あしかび』

2018-01-31 | 舞台

*第8回したまち演劇祭in台東参加作品 公式サイトはこちら 浅草見番(詳しい解説のサイトはこちら)29日で終了 前回(2013年夏)浅草見番で同じく久保田万太郎作品を観劇したときの記事はこちら
 浅草に生まれた久保田万太郎が描く大正、昭和の下町の風情と人々の心模様を描いた短編2本立て公演。菅野菜保之を客演に迎え、アフターイベントには幇間の桜川八好、浅草奉賛会会長・鈴木秋雄氏(今回の出演者の鈴木亜希子のおじいさま。御年102歳!)、菅野菜保之、鵜澤秀行、坂口芳貞の朗読など盛りだくさんである。当日券ですべりこんだ日も、1階のお稽古場から三味線の音が聞こえており、いい風情。

『夜長』鵜澤秀行演出 
 病ですっかり油っけが抜け、食べられるのは「お豆腐とほうれん草」だけよと安心していた亭主が浮気をしていた。女房の混乱と怒り。母より先に父の不貞を知って傷つき、死のうとする息子…と書くとまことに深刻な物語であるが、第三者はここまで客観的な冷めた目で見ていることを示して、軽みのある短編となった。その重大な役割とさらりと自然に担ったのが、女中おきよ役の本山可久子である。つい5日前までシアターX『この道はいつか来た道』に出演しておられたばかりの、あの本山さんだ。舞台に出てきたとき、一瞬嘘かと思った。台詞も決して少なくなく、それも観客が思わず身を乗り出しそうになるほど興味津々の内容である。女中はあるじの浮気をとうに知っており、まことに下世話で品のない話ながら、本山の口から出ると下品に聞こえないのはなぜであろうか。声は艶っぽく、しかし決してべたついた芝居にならない。さらりとしているのである。「(旦那さまは)お豆腐とほうれん草だけじゃありませんよ」。失礼ながら八十路を過ぎた俳優さんが、この連続出演は快挙ではなかろうか。弱輩はただただ驚嘆するばかりである。
 女中役が山本道子だったらと想像すると、これはまたうんと面白くなりそうで、このように配役の幅が案外広いのも、久保田万太郎作品の持ち味のひとつであろう。

『あしかび』生田みゆき演出(1,2
 生き方の定まらなかった寿司屋のせがれが、淡い恋や父親の死を体験して一人前になるまでを彼本人が問わず語りする物語である。小説というより語りものであろうか。これを舞台にどう乗せるのか。

 新進気鋭の演出家生田みゆきは、これを登場人物全員が主人公の父や母や友だちや幼なじみの娘などそれぞれの役を演じつつ、主人公の語り部分も受け持つという形で構築した。形式としては苦労も多かったであろうし、健闘されていると思われる。しかしながら俳優が楽器を演奏して流行歌を歌ったり、拍子木を打って見得を切ったり、コミカルな味つけがバラエティ番組の寸劇のように思われ、最後まで気持ちが沿わなかった。せめて重い病に臥せった人を見舞う場面は、もっとしんみりしてよいのではないか。

 舞台用に書かれた戯曲ではない。だからこそ、そのドラマ性をどうすれば活かせるか、作り手の腕の見せどころであり、生田さんの感性と文学座の俳優の方々の経験値をもってすれば、もっとちがう形が可能ではないだろうか。久保田万太郎作品であるからこのようにという決まりはなく、「こういうものだ」という思い込みに陥らぬようにと心している。
 大胆で斬新な切り口の新演出、大いに喜ばしい。しかしそうしたなら、それまで見えなかった作品の魅力や肝の部分が伝わることがより強く求められる。わたしの知らなかった久保田万太郎、登場人物が語られなかった心の奥底を、ぜひ感じさせてほしいのである。

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『Sheakespeare's R&J~シェイクスピアのロミオとジュリエット』 

2018-01-23 | 舞台

*ウィリアム・シェイクスピア原作 ジョー・カラルコ脚色 松岡和子翻訳 田中麻衣子演出 トライストーン・エンタテイメント主催、世田谷パブリックシアター提携公演 公式サイトはこちら シアタートラム 2月4日まで 2月7~8日兵庫県立芸術文化センター阪急ホールでも上演
 
厳格なカソリックの全寮制寄宿学校の男子高校生たちが、禁断の書である『ロミオとジュリエット』を真夜中にリーディングを始める。数百年に渡って演じ続けられ、読み継がれてきたシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』をジョー・カラルコが脚色した作品である。2003年、ロンドンで初演され、日本は2005年の冬、首藤康之、佐藤隆太、小林高鹿、浦井健治の座組でカラルコ自身が演出し、パルコ劇場で上演された(わたしは未見)。

 前述の舞台設定に加え、まだ幼さの残る若者たちが愁いを含んだ眼差しでこちらを見つめる写真が掲載された公演チラシをみると、少女漫画やBL風の妄想が否応なく広がる。また高校生である彼らの現実、つまりどんな家庭のどんな両親のもとで育ったのか、何が好きなのか、夢は何かといったことや、4人の関係性の変容などと、『ロミオとジュリエット』を劇中劇仕立てにして、ふたつの劇世界が絡み合う構成ではないかと予想した。

 上演中の舞台ゆえ、詳細は書けないが、上記の予想はいずれも清々しく裏切られた。つまりシェイクスピアの台詞、物語そのままで、『ロミオとジュリエット』をきっちりと見せながら、演じている高校生たちはみずからのことをまったく語らず、仄めかしもしない。観客にも「彼はたぶんこんな男の子なのかな」程度の想像すら退ける。ほんとうに、彼ら自身のことがまるで描かれず、わからないのである。この潔さ。

 矢崎広、柳下大、小川ゲン、佐野岳は最初から最後まで学生1,2,3,4であり、名前も背景も持たない存在として『ロミオとジュリエット』を演じ切る。語られないこと、知らされないことがあまりに多い。それは舞台において、自分の言葉ではなく、劇作家が書いた台詞を発する存在である俳優という生業の宿命、悲しみまでをも描こうとしたのではないだろうか。

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文学座有志による自主企画公演 シアターX特別提携公演『この道はいつか来た道』

2018-01-21 | 舞台

*別役実作 藤原新平演出 公式サイトはこちら シアターX 21日で終了
 老夫婦の会話劇と言えば、同じ別役実の『虫たちの日』(中村伸郎、平木久子共演)が思い出されるが、本作はより幻想的な枯淡の味わいである。別役劇の既成概念をゆるやかに変える佳品だ。

 何より驚いたのは、本山可久子の台詞である。決して声を張ることなく、淡々と自然なのだ。別役実作品の台詞は、俳優に必要な発声や滑舌、台詞回しといったさまざまなテクニックでは到達できないところがあり、では何が必要かというと自分にもよくわからない。中村伸郎は言うなれば老境の佇まいによって、ただ舞台を横切るだけでおもしろく、椅子に腰かけて紅茶を飲む場面ですら芝居がかっていないのに、まちがいなく別役劇の世界の匂いを感じさせたことを思い出す。

 さらにどこまでがほんとうかそうでないのか、とりとめのないようで緻密に構築された台詞は、俳優の熱演が「力み」になり、いかにも「別役劇の台詞を言っています」風になるのである。それを自分のことばとして発するのは並大抵のことではないと想像する。

 冒頭、女は「この道はいつか来た道~」と歌いながら登場する。「この道はいつか来た道」という語り掛けに対し、「ああ、そうだよ」と懐かしく確かに応えることによって、歌の中の人(という言い方をしてみる)の思い出をより優しく、温かく包み込む名曲であるが、女ははたと歌うのをやめ、「そうだったかしら?」とつぶやく。そこからはじまる男との会話は、過去や現在、未来までもが行きつ戻りつしながら、ほんとうのことを明示しないまま、あたかもこの男女の死出の道行のように幕を閉じる。

 この道はいつか来た道。単によく知られた歌曲の題名にとどまらない。老いた男と女が座り込んでいるあの道は、例外なく誰もがいつか行く、老いの道なのである。

 倉本聰原作・脚本のテレビドラマに『幻の町』という作品がある(1976年北海道放送制作)。樺太からの引揚者である笠智衆と田中絹代の老夫婦は、戦前に住んでいた町の地図の作成を生きがいにしている。しかし夫婦はいくつかの町の記憶を混同していた。「あの町は幻だったのか」。老夫婦の地上の人生が終わるのはそう先ではないと予感させながら、どこか夢の物語のような幻想的な味わいのあるドラマであった。

 自分は2013年の夏にこの舞台を一度観劇した。わかったつもりでいたが、まだまだであった。今回の公演チラシには「純粋な愛を求めて、人生最後の道行き イツカキタミチ」「あの感動をも一度!!!」との惹句が躍る。この作品の「感動」は、いわゆる「感動」とは違う色合いを持つ。寂寥感というものが、これほどまでに薫り高く、柔らかなものを同時に持ちうることを身をもって知った。そして高い完成度でありながら、なお観客に新たな舞台について想像させ、期待させるのである。

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梅田芸術劇場主催公演『黒蜥蜴』

2018-01-19 | 舞台

江戸川乱歩原作 三島由紀夫脚本 デヴィッド・ルヴォー演出 公式サイトはこちら 
 日生劇場公演は1月28日で終了 梅田芸術劇場メインホール 2月1日~5日まで
 
立派な劇場で外国人演出家によるスタイリッシュな演出、美しい女優、豪華な衣装でめくるめくような物語。ゴージャスとはこういうことなのだと嘆息した。
 緑川夫人こと女盗賊・黒蜥蜴を堂々と演じた中谷美紀は、一分の隙もない美しさと貫禄で劇場を制圧し、明智小五郎役の井上芳雄も引けを取らない。一応ストレートプレイなので(という言い方は妙だが)歌う場面はないものの、ミュージカルでの身のこなし、客席への見せ方など、通ずるものは多いと思われる。

 宝石商役のたかお鷹が、成り上がりのねじくれたプライドや、娘への溺愛ぶりなど情けなく嫌なところを惜しげもみせながら、決してステレオタイプに見えないのはやはりベテランの力量である。前半では酔っぱらって醜態をさらしながら、黒蜥蜴に勝利した終盤では堂々たる貫禄のふるまいを見せる。

 その愛娘役で相楽樹という女優をはじめて舞台で見た。NHK朝の連続テレビ小説『とと姉ちゃん』で、主軸の三姉妹のまんなかを演じた女優である。上背があり、上品な顔立ちのおっとりした風情で、とくに強い印象は持たなかった。今回も前半こそお金持ちの苦労知らずのお嬢さん風の演技であったが、黒蜥蜴に捕らえられ、「実は替え玉なの」と告白するあたりからぐいぐいと力を発揮しはじめる。むろんこれは、彼女のお見合い相手で、実は黒蜥蜴に恋慕する部下の雨宮を演じた成河が、巧みで力強い演技によって相楽の力を引き出したのであろう。このように脇に配された俳優の安定感や意外性によって、舞台に弾みと奥行きが生まれた。

 この程度ではすぐわかるに決まっているだろう的な変装や、素人である観客にもわかるのに…といったどんでん返しもある。しかしそれも含めて時代がかった大芝居を楽しむものなのだろう。

 しかしながら、これが90年代に鮮烈な印象を与えた、あのデヴィッド・ルヴォーの演出なのか。あの小さな空間で緊密な台詞のやりとり、俳優の息づかいが伝わる舞台を思い出すと、違和感は否めない。何よりマイクを通した台詞であったことが残念だ。敵対関係にありながら最大の理解者であり、魂の底で惹かれあい、愛し合っているという黒蜥蜴と明智の特殊な愛のありようを、大劇場ならではの舞台装置や豪華な衣裳ではなく、俳優の肉体と声だけで感じ取ることはできないだろうか。
 決して過去をなつかしんだり、安易に比較するのではないけれども、せめて、同じルヴォーの演出(門井均共同演出)で、2006年冬の麻実れいが黒蜥蜴、明智を千葉哲也が演じたベニサンピットでの舞台を見ておきたかったと思うのである。

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劇団ロ字ック第12回公演『滅びの国』

2018-01-18 | 舞台

*山田佳奈作・演出 公式サイトは こちら『滅びの国』1,2,3,4,5,6,7,8下北沢・本多劇場 21日終了
 
結成8年にして、ロ字ックが下北沢・本多劇場に進出した。何不自由ない暮らしをしながら、心の通い合わない夫の言動に傷つき、「ハムの人」と呼ぶ主婦に代表される心を開けないご近所と折り合いをつけることに疲れた主婦透子(吉本菜穂子)が、金で若い男・祥示(三津屋亮)を買った。細身でハンサム、女の扱いを心得たサービス上手の彼との逢瀬を重ね、夢中になっていく。彼は父親から金の無心をされるという厄介な事情を抱えている。彼が暮らすシェアハウスには、そこを根城とする男女のやさぐれた関係があり、そこにやってくる正体不明のやや年の多い女や、貧困と家庭不和の故郷を捨て、微かな希望を抱いて日本にやってきた中国人女性が絡む。2時間30分休憩なしとのアナウンスにやや怖気づいたが、まったくの杞憂であった。

 舞台に複数の空間を設定するのは、ロ字ックの特徴のひとつである。空間それぞれに物語があり、登場人物はそのあいだを激しく動きながらひとつの物語にが展開していくのである。人物が舞台を横に動く場面が多いのも特徴だ。
 そしてロ字ックに独特なのは、剥き出しの自己、赤裸々な表現、えげつないといってもいいほどの激烈な人々の心の様相であり、その表出である。それらは魅力的でもあり、いささか強すぎて食傷することもあった。しかし今回は劇場の広さ(客席の広さも含めて)が幸いし、こちらも余裕をもって受け止めることができた。

 物語後半において、主人公が夫の部下(山田佳奈)に不倫の事実を突きつけ、部下が逆切れする場面がある。部下の口調や態度は非常にふてぶてしく、可愛げがない。山田佳奈が表情から台詞の言い方から、心憎いほど巧みに演じて、気持ちが良いくらいである。従来のロ字ックなら、このあたりをこれでもかというほど強調していたが、あんがいあっさりと部下が引き下がった印象だ…いや待てよ。そうではなくて主人公が変容したからではないか。

 当日リーフレットに作・演出の劇団主宰山田佳奈が、劇団結成から8年のあいだにさまざまな人との出会いがあったこと、そして「誰かを受け入れる、他者を許せるようになりました」と記している。

 頑なでありながら流されるところ、周囲の評価で自分が決まると思い込んでいるところ、自虐的でありながら人一倍プライドが高いところなど、ロ字ックの作品には心を拗らせた厄介な人物が多い。今回も主人公はもちろん、シェアハウスに住む若者たちの様相に色濃く表現されているが、気弱で自信がなく、夫の顔色を窺い、強引なご近所さんに遠慮していた以前の主人公から、終盤に進むに従って、自分の足で立ち、したたかに生きる女性に成長した。そして金で割り切ろうとした祥示との関係にも、もしかしたらささやかな新しい物語が生まれそうな予感もある。このあたりに山田佳奈のこの8年の感慨が反映されているのだろう。柔らかで清々しい終幕であった。

 主人公の吉本菜穂子の声や台詞の発し方がもつ個性を、抑制した造形にすることは、吉本の力量からすれば可能であると思われるし、「ハムの人」役の黒沢あすかはいささか戯画めいており、こちらももう少し複雑な性質を持たせると、たぶんもっと嫌な人物になるであろうが、舞台の旨みが増したと想像される。また大鶴美仁音が演じる中国から来日した女性は、無気力に見える祥示の心の奥底を見抜き、純な愛情を伝えるが、その行く末をもっと知りたい。

  ともあれ、ご縁があってここ数年の公演に続けて足を運ぶ者として、本多劇場の広さや歴史に負けず、相当のプレッシャーがあったであろうがそれに打ち勝ったロ字ックの健闘を客席から喜びたい。

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