因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

演劇ユニット鵺的 第18回公演『おまえの血は汚れているか』

2024-10-18 | 舞台
*高木登作 寺十吾演出 公式サイトはこちら 下北沢/ザ・スズナリ 27日まで 鵺的、高木登関連→(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21α,22,23,24,25,26)『荒野1/7』(2012年夏)をベースに新たに書き下ろされた作品(blog記事α)。あれから12年も経ったのか。

 『荒野1/7』(以後前作)は非常に特殊な事情を抱えた7人のきょうだいが再会し、自分たちの親について、家族について話し合う物語であった。微かに希望を感じさせる終幕ですら痛ましいほどであったが、「この7人には別れたきりになってほしくない」と思い、彼等が自分の心のなかで生きはじめる実感があった。今夜はあの7人に再会するのか、それとも?

 『おまえの血は汚れているか』は、前作とはまったく別の、新しい物語であった。再会をはるかに超えた、新しい出会いである。

 前作観劇後から案じていたのは、「このきょうだいたちは、このあとどんな人と出会うのか、誰かと新しい家族を作ることができるのか」ということであった。今回の作品は、それに対するひとつの答である。

 舞台には古びた日本家屋の居間が作られている。上手奥には段ボール箱が積み上げられ、玄関入口前にはブルーシートに包まれ、紐がかかったものや、使われていない手水鉢らしきものが雑然と置かれてあったりなど、やや荒れた様子が早くも不穏な雰囲気を漂わせている。
 
 きょうだいは5人になっており、前作とはまったく別の家族の話である。結婚したものもあり、それぞれの連れ合いが登場するのが大きな特徴だ。長男匡志(浜谷康幸/ゴツプロ!/ふくふくや)の妻・美津世(tsumazuki no ishi)とその兄・義文(谷仲恵輔/JACROW)、次男芳夫(西原誠吾)の妻・忍(演劇ユニット鵺的)。この3人が重要な役割を果たす。二人の妻は、辛い幼少期を送った夫を、その過去も含めて受け入れ、理解し、愛している。夫を守ろうと攻撃的になる場面もあるが(例えば美津世は兄の義文に激しい暴力をふるう)、それくらい捨て身の愛情を抱いているのだ。芳夫の妻・忍は前半こそ高慢な印象だが、座る位置が話し合いの場に少しずつ近づいているところなど(おそらく本人は無意識)、情の厚い女性なのであろう。座を辞するときの静かだがきっぱりとした言葉など、べたついた言い方をしないだけに、夫への確かな愛情が伝わる。

 登場人物のなかで異彩を放つのが義文だ。物語をすんなりと展開させず、むしろ妨げ、邪魔だてをする厄介な人物である。妹を大切に思う兄の愛情が強いためだろうが、無職、独り身の自分の居場所である家へのこだわりや、傾いた家業の立て直しに懸命な義弟への嫉妬、集まったきょうだいたちへの振る舞いなど、いささか度を越している。救いが必要なのはむしろ義文である。血の繋がった実の両親のもとで育ちながら、ここまでひねくれて、共感や同情を抱かせない大人になってしまった彼は、血の繋がりに苦しむ5人きょうだいの方が余程真っ当な大人であることを示す鏡のような存在である。この義文の存在と造形については、自分のなかでまだ咀嚼できない部分が多い。

 強硬な態度をなかなか崩さない次男の憲司(杉木隆幸)は妻子があるが、その関係はむずかしいものとなっており、そのすぐ下の弟・志郎(今井勝法/theater 045 syndicate)は義文と同じく無職、独り身、末っ子の登志子(杉本有美)は最後に重大な告白をする。

 家族が離散してからの日々は台詞で語られるのみだが、説明に陥らない。バラバラに育ってきた5人が、それでも紛れもない「きょうだい」に見えてくるのは劇作家の力であり、戯曲を立体化させる演出家、それらを受けて立つ俳優陣の力であろう。前作『荒野1/7』に加えて、血の繋がりに悩みながら生きようとする5人のきょうだいとその新しい家族が自分の心のなかで生きはじめた。高木登は観客を甘やかさない劇作家であるから、安易な続編は期待しない。けれど、時を経て再び、いや、新たな出会いの物語が生まれることを願っている。
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