因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『ファイル/残置物処理班』

2008-01-31 | 舞台
*世の中と演劇するオフィスプロジェクトM 丸尾聡作・演出 公式サイトはこちら サンモールスタジオ 東京公演は2月3日まで そのあと横浜(相鉄本多劇場)、長野(ネオンホール)、松本(ピカデリーホール)公演と続く。

 タイトルの「残置物」という耳慣れない言葉にまず心が惹きつけられる。チラシやHPによれば失踪や自殺、孤独死などで世を去った人が「残し置いた物」のことを指す。家財道具や手紙や写真、その人がそこで過ごした痕跡だ。誰にも看取られずに亡くなった人の品々を処理し、部屋の清掃に従事する「残置物処理班」の人々を描いたのが本作である。

 仕事に甘いものはない。それによってお金を得るのだから厳しいのは当たり前である。だからこそ誇りを持ちたい。達成感や喜びを感じたい。自分の仕事が社会の役に立っていることを、それによって喜ぶ人がいることを確かに感じ取りたい。それは給与や待遇で得られる満足とは違う手応えである。

《ここから少し詳しい記述になります。未見の方はご注意くださいませ。》

 本作の特徴は、残置物処理をする側と、孤独死せざるを得ない状況に追いやられた側の両方を描いた点にある。前者にはベテランも新人もいる。辛く楽しくない仕事であることを承知の上で、関わる人の背景はひとりひとり違う。後者の背景も実に重たい。長いこと音信不通だった父親が孤独死した娘たちや親戚の心情は簡単に想像できるものではないだろう。作者はそのどちらの心も大事に思ったことが察せられる。それが舞台ぜんたいとして少し散漫になった印象がある。また扱う題材を舞台においてどこまでリアルに表現するか、どのような形で提示するかは難しいところであろう。今回は舞台に一段高い台を置き、残置物処理班の人々や遺族たちはその周囲を歩きながら、部屋にたどりつく。台の上には亡くなった人の家財道具がこまごまと置かれている。抽象的な部分と具体的な部分とが、もう一息解け合っていたら、舞台ならではの効果的な見せ方ができたのではないだろうか。もうひとつ気になったのは、俳優の演技がいささか戸惑うほどのハイテンションだった点である。

 現実にあることを舞台で表現する方法にはいろいろあって、日常をそのまま切り取ったように淡々と、まさに「舞台にそのまま置く」かのような演出もあるし、歌やダンスを加えたり、抽象的な描き方をする場合もある。そのあたりのバランスの取り方は難しいだろう。前述のように、残置物処理という仕事、孤独死する人とその遺族の心情のどちらも重要で、両方を充分に描ききることは難しかったと思われる。もちろんひとつの舞台ですべてを描くことが必要なのではないが、それだけにもっと凝縮した描写があれば…

「残置物処理」という仕事を舞台で描くことには、業務内容の特殊性と携わる人の複雑な心情という点において、作り手側の意欲を大いに掻き立てる面があるだろう。しかしそれらが重たいだけに描き方は難しい。遺族も登場させるなら尚更であろう。と、同じことを繰り返す煮え切らない自分の記述に苛立つ。それだけ客席の自分も重たいものを受け取ったということだ。本作が自分の心に「残」し「置」いた「物」は何か。喜びや誇りを感じることが難しい仕事の辛さ、一人で死んでいく人がいるという社会状況、その人に関わる家族たちのやりきれない思い。その両者を繋ぐ何か。これらすべてのようでもあり、もしかしたら全く違う何かかもしれない。捨てたり破砕したりできない何か。厄介だがそれこそがこの舞台をもっと深く考える鍵であると思われる。

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wonderlandクロスレビュー『ロミオORジュリエット』

2008-01-29 | お知らせ
 劇評サイトwonderlandの1月クロスレビューに参加させていただきました。あるひとつの舞台に対して複数の書き手が字数300字のレビューと★数による評価を示すという試みです。今回のお題はニブロールの『ロミオORジュリエット』です。結成10周年を迎えたカンパニーですが自分は今回が初見、しかもこれまでほとんどご縁のなかったコンテンポラリーダンスとあって、大変戸惑いました。自分の視点や好みだけですと選ぶ舞台もだんだん似通ってくるので、今回のように多少「強いられる」状況での観劇や劇評の執筆は自分にとって、貴重な経験になりました。感謝です。問題はそれを人様に読んでいただける「線」まで持っていけるかどうかでして、更に励んで精進する以外ないのであります。

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青年団プロジェクト公演『隣にいても一人』盛岡編

2008-01-27 | 舞台
 先週の広島編に続いて、盛岡編を観劇した。公演は本日にて終了。広島編に比べると、キャストの年齢が少し上に設定されており、伊武雅刀を彷彿とさせる面構えの兄(くらもちひろゆき/架空の劇団)と、これまた大変立派な体格の姉(高橋縁/青年団)が舞台を大いに盛り上げる。互いの短所をあげつらったり過去のいざこざを持ち出したりするものの、二人のやり取りは(月並みな表現だが)漫才のようで、妹が指摘するように結構仲がいいように見える。しかし別れることについてはゆるぎないのである。姉が自分に言い聞かせるように、別れても仲良くする、娘はいるし小さな町だし…と言う場面から、この部屋で見せる顔が夫婦のすべてではないことを伺わせる。『隣にいても一人』というタイトルのヒヤリとするような寂寥感が、兄姉夫婦のここでは見せない姿とともに伝わってくる。

 姉の言う通り、夫婦は人それぞれで、100人いれば100通りの夫婦がいる。第三者からみれば信じられないくらい不幸な夫婦もあれば、夢のように幸せな夫婦もいるだろう。そのどちらもほんとうで、現実にはありえないが朝目が覚めたら夫婦になっていたという昇平(臼井康一郎/ブラシーボ)とすみえ(角舘玲奈/青年団)も、「ご縁」というか、不思議な巡り合わせで夫婦になり、試行錯誤しながらどうにか歩き出そうとしている点においてほんとうだと思うし、丁々発止の息の合ったやりとりをしつつも別れることを決めた兄姉たちにも真実を感じる。二組の夫婦は対極にあるが、単純に幸せか不幸かと言い切れない、たくさんの小さな日常の積み重ねが感じられて、ゆるやかに繋がっている。

 終幕、兄姉夫婦が帰ったあと、すみえは「歯を磨く」と歯ぶらしを探しはじめ、昇平は「パジャマに着替えてくる」と隣室に行く。二人の生活がこれからほんとうに現実として始まるのだ。甘さの中に、身の引き締まるような思いになった。その思いを抱えて、底冷えのする駒場の町を駅に向かって歩いた。

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如月の予定

2008-01-26 | お知らせ
 少し早いのですが、週末に開幕する舞台もありますのでお知らせいたします。
『チェーホフ短編集』池袋のあうるすぽっとで、俳優山崎清介によるチェーホフシリーズが始まる。今回はその第一作目となる。チラシには山崎清介がチェーホフに扮して、なかなか素敵な雰囲気である。しかし山崎氏は演出に専念されるようで(?)出演はないらしい。少し残念である。「子供のためのシェイクスピアシリーズ」で大人も子供も楽しめる生き生きした舞台を作り出した山崎が、いよいよチェーホフに挑む。
飛ぶ劇場創立20周年記念公演『あーさんと動物の話』北九州市を本拠地に全国で公演をしている劇団。ひとくちに20年といっても、月並みな表現だが、生まれた子供が成人式を迎えるのだ。自分はこれが初見となる。
クロカミショウネン18『NINPU 妊×××婦 SANJŌ』こちらも今回が初見。9月に上演予定の公演にも連動する作品だそうである。
*文学座+青年団自主企画交流シリーズ『パイドラの愛』サラ・ケインの作品を、文学座の女優添田園子(昨年文学座アトリエの『かどで』の添田さんはよかった)が翻訳し、サンプルの松井周が演出する。文学座と青年団の気鋭が結集した印象。
E-Pro 中野成樹誤意訳・演出による『よくないこと』ベースはW・サローヤンの『おーい、救けてくれ』。文学座の中村彰男、山本郁子が共演する。江古田ストアハウスにて。
*劇読み!番外公演『戯曲はまだ眠っている』ワークショップ発表会にはじまり、現在ではほとんどなくなった、役者による読み合わせの前に劇作家による「本読み」復活の試みや、リーディングの可能性を探るシンポジウムなど、盛りだくさんの企画である。
リージョナルシアター・シリーズ創作・育成プログラム部門より『着座するコブ』作・演出の山岡徳貴子は京都を拠点に活動する。チラシに山岡の作品について岩松了が文章を寄せている。それに惹かれて。
*演劇企画集団 楽天団プロデュース公演『ゲアリーズ・ハウス』

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三田村組『天井』

2008-01-22 | 舞台
*三田村組第13回公演(マーク義理人情提携公演)蓬莱竜太作・演出 公式サイトはこちら 中野 ザ・ポケット 27日まで
 今回が三田村組初見となる。HPをみると若い気鋭の劇作家の作品を次々に上演し、特に本作の蓬莱竜太(モダンスイマーズ)とは3度めのタッグだという。おもしろいのは、当日チラシの左半分に三田村、左半分に蓬莱の挨拶文がそれぞれ掲載されているのだが、両者の熱さがいささかずれているというか、ちぐはぐなのである。三田村は情熱に溢れ、蓬莱が「『常に三田村さんの遺作のつもりで書いている』そうなので、あと20本くらい書いてもらうつもりで頑張ります」との決意表明。対して蓬莱は「これで最後にしようということだったが、三田村さんはどんどん元気になっている。それはそれで嬉しいのだけど」と困惑気味である。しかし世代の違いを越えて演劇という化け物に果敢にぶつかろうとする三田村と、それを柔軟に受け止め、三田村のために味わい深い作品を生み出す若い劇作家との交わりは微笑ましく、刺激的である。さらに今回はマーク義理人情との提携公演であるという。それが具体的にどういう意味をもつのかはよくわからないが、プロデュース公演多しと言えども、こんな熱い雰囲気はなかなか味わえない。

《上演期間真っ最中です。ここから先はご注意ください。》

 廃屋のような部屋に老人(三田村)が1人で暮らしている。寝たきりで認知症の症状もあるようだ。子供たちは寄りつかず、心を許せるのはヘルパーの晴美(麻丘めぐみ。ほんとうに出演していた!)と時々やってくる青年(高橋康則/マーク義理人情)だけである。ところがある出来事をきっかけに老人はどんどん元気になっていく。

 家族から大切にされない老人がどのようなことになるかという面からみると、三田村老人の姿はほんとうに悲惨でとても笑えない。実にリアルな現代劇風である。しかし老人が元気になってしまうというありえない展開や、時々やってくる青年が実はどういう存在であるかという演劇的な仕掛けによって平板な写実に留まらず、複雑で余韻のある舞台になっていた。警官二人組(古屋治男、竜沢孝和/マーク義理人情)の設定や造形にやや疑問が残る。新聞やテレビの報道をみれば、世間にはとんでもない教師や警察官や政治家がたくさんいることはわかるのだが、人物の描き方に「この程度の嫌な警官ならいるだろうな」と「こんな警官、いるはずがない!」との混じり具合がもう一息、何か欲しかったと思う。

 ともあれ俳優三田村周三63歳、まだまだバリバリである。もっとおもしろい舞台を作るぞ。幕開けからカーテンコールまで、熱意と気合いに満ちあふれており、とどまるところを知らない。若い演劇人の方々よ、ここに元気のありままった熟年俳優がいらっしゃいます。多少痛い思いをするかもしれないが、きっと熱い演劇体験ができるでしょう。

 

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