因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

長月の予定

2008-08-30 | インポート
 先週から降り続く雨。おそらく今年最後になりそうな水瓜を買いました。夏の名残を味わいつつ。
劇団印象『枕闇(まくらやみ)』(1,2,3,4)。
クロカミショウネン『祝/弔』
*デヴィッド・ルヴォー演出『人形の家』
オペラシアターこんにゃく座『そしてみんなうそをついた』(1)
らくだ工務店『めぐみのいろは』(1)
*中野成樹+オオカミ男、の短々とした仕事その4『ちょっとした夢の話』
*アル・カンパニー(1)『ゆすり』青木豪が新作を書き下ろし、演出する。平田満、井上加奈子、大谷亮介の出演。
*現代能楽集Ⅳ『The Diver』
8月の観劇で記事の書けていない舞台が何本かあります。順次掲載いたしますので、しばしお待ちを。

NHK朝の連続テレビ小説『瞳』。瞳はいろいろなことがきっかけで、中学生やお年寄りにダンスを教えるようになり、より多くの人に「ダンスの力を伝えること」をしようと決意する。ドラマの放送はあとひと月、最終コーナーを回ったところで、何と瞳の父親が登場した。両親は瞳が幼い頃に離婚しており、ドラマでは話の中でしか出てこなかった。非常に影の薄い存在で、どんな人かイメージがまったく描けなかったのだが、土曜日の放送をみてびっくり。勝村政信が父親役とは!来週から俄然力が入りそうである。

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ミナモザ『八月のバス停の悪魔』

2008-08-26 | 舞台

*瀬戸山美咲作・演出 サンモールスタジオ 公式サイトはこちら 公演は24日で終了 これまでのミナモザ劇評はこちら(1,2,3,4,5,6,7
 開幕して相当長い時間不安だった。いったいこの舞台はどこに何をどう持っていこうとしているのか。キミ(木村キリコ/木村桐子改め)が自分の書いた小説を圧倒的な迫力で読み始めるところから、意識が覚醒して心が燃え立つ感覚になってきた。

 現実に頻発する信じがたい事件の数々、60年以上もたって、いまだ癒えることのない戦争の傷跡。
 溢れるばかりの「材料」を、瀬戸山美咲は一人の女性の妄想に、(おそらく)自分自身の願いや焦燥、苦悩を投影し、しかし安易な自分探しに落とさずに描き出した。作品の完成度からすれば一昨年の『夜の花嫁』のほうが優ると思うが、事件や現実に対して、近未来やSF仕立て、劇中劇などの設定やテクニックを敢えて使わず、丸腰の徒手空拳で闘いを挑んだ劇作家の姿勢を大切に思いたいのである。
 
 急激に気温が下がり、冷たい雨が降り続いたこの2日間、みた芝居に対して言葉が出ず、もどかしい思いで疲労困憊の果てのミナモザ観劇であったが、少し元気が出たようだ。帰りの電車で、今夜の『篤姫』をみるのはおやすみにしよう、と思った。逃げずにもっと考えよう。自分の言葉を紡ぎだすために。

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サスペンデッズ『MOTION&CONTROL』

2008-08-25 | 舞台
*早船聡作・演出 下北沢OFF・OFFシアター 公式サイトはこちら 公演は24日で終了
 小さな舞台で時間と空間が自在に行き来する。友人の葬儀に向かう列車の座席、大学の映画研究会の部室、映画撮影をする公園、どこかの町の喫茶店。いまだに疼く恋の痛手や、生活のため家族のために諦めた夢など、誰にも身に覚えのある感覚だろう。これからいろいろなことができる、無限の可能性があると思われた大学時代は、案外と何もできずに過ぎてしまうものだ。志を得て夢を実現させられる人は僅かである。自分にはいろいろな面でそれほど能力がないことを認めざるを得なくなる。平凡な選択をし、普通の中年になっていく。

 当日チラシに作・演出の早船聡が、ある演出家から「いい加減自分の事を書きなさいよ」と言われて本作の執筆、上演になった経緯を書き記している。結果は「自分の事なのか、そうでないのかよくわからない作品になりました」とのことだ。過去を振り返り、自分の人生を見つめ直すことは悪くない。しかし個人的な体験や思い出を投影した場合、それらがほんとうに劇作家自身の体験なのかどうかはさておき、舞台上にその劇作家自身がいることが濃厚に、というかベタに感じられる作品は少々引く。いや、上演前にこの挨拶文を読まなければよかったのかしら。

 本作を青春へのノスタルジーに収めてしまうのは惜しい。劇作家は戯曲を書く、舞台を作るという志を得た人だ。もっと深くもっと強いものがほしい。早船聡が今回が初見の劇作家である。12月に他カンパニーへの書き下ろしを控え、サスペンデッズは年明けシアタートラムに進出する。見逃すまじ。

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アロッタファジャイナ『ルドンの黙示』

2008-08-24 | 舞台
*松枝佳紀作・演出 新国立劇場小劇場 公式サイトはこちら 公演は24日で終了 これまでの劇評はこちら(1,2)
 劇場にはそれぞれ特有の空気、温度がある。それが訪れる者にとって心地よいかそうでないかが、足を踏み入れた瞬間にわかってしまうことがある。あるいは終始しっくりせず、居心地の悪い中途半端な気持ちのまま劇場を後にすることもある。自分がこの劇場に馴染めないのか、それとも中でかかっている芝居に溶け込めないのか、もっと単純に自分は今回の客層の中で浮いているのか。

 アロッタファジャイナの公演でいつも感じるのは、作・演出である主宰の松枝佳紀の圧倒的なリーダーシップのもと、大勢の若い俳優たちが全力で舞台を作り上げていることである。今回も出演者は何と36人。客席を対面式にし、通路もふんだんに使い、琴の生演奏や歌も取り入れ、趣向が凝らしてある。テロリストたちの戦争が続く近未来、そこからさらに先と思われる終末と、時間と空間がめまぐるしく交錯するばかりでなく、強者と弱者が激しく入り交じり、力関係が変化していくが、およそ2時間20分を笑いの要素をほとんど入れずに、緊張感漲るままに走りきる。

 終演後のポストパフォーマンストークでは、松枝佳紀が司会で、出演俳優数人が舞台に上がるのだが、誰ひとりペットボトルの飲み物を持っていなかった点はよかったと思う。常々、客席には「トークのあいだも飲み物厳禁、キャンディ、ガムなどすべて禁止」と言い渡して(ご遠慮くださいなんてものではなく!)、さっきまで舞台で演じていた俳優さんはまだ許せても、司会者はじめ、演出家や評論家、皆悠々と水を飲んでいることに甚だしく違和感を覚えていた。しかもグラスに入れた水ならまだしも、ペットボトルの口のみは…。こういうことを気にする自分がおかしいのだろうか。さておき、あれだけの熱演のあとでも、全員がペットボトルを持たずにきちんとトークを終えたことは立派である。

 しかし驚いたのはトークのあいだ、客席から「頑張って」「かっこよかったよ」と次々に声援が飛び、質問にもどんどん手が挙がることだ。劇場は次第に出演者とファンの交流会の様相を呈してくる…。

 この違和感は何だろう。この気持ちをきちんと検証し、言葉にしていかないと、舞台をちゃんとみたことにならないと思う。戯曲の構成や演出、俳優さんの演技がということよりも、もっと根本的なところを考えなくてはならないのではないか。しかしどこからどう入っていけばいいのだろう。とてつもなく大きな課題が与えられたことに茫然としたまま劇場をあとにした。

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グリング第16回公演『ピース』

2008-08-15 | インポート
*青木豪作・演出 下北沢ザ・スズナリ 公式サイトはこちら 11日で終了 外部への書き下ろしを含め、青木豪作品の劇評はこちら→1,2,3,4,5,6
 劇場に入って驚いた。舞台は壁も床も白っぽいグレーで統一されており、ベンチと椅子と吸い殻入れくらい。いつものグリング公演で舞台いっぱいの家具や小物を見慣れている目には一瞬違う劇団かと思うほどであった。外部に書き下ろした旧作と新作合わせて6つの話がオムニバス形式で描かれる。サブタイトルに「短編集のような…」とある通り、小説ならまさに短編集の趣きだ。題名の「ピース」は文字通り「かけら」を指すのだろう。自分は幸か不幸か旧作を見逃しており、既視感なく舞台に臨んだ。

 青木豪の作品には物語の過去に起こったある人の死が、現在を生きている登場人物の人生に影を落としていることが描かれているものがいくつかある。それは子どもだったり妻だったり弟だったりするのだが、ある人がこの世からいなくなることが、その人に関わる人たちひとつひとつの人生にどれだけ深い傷を残してしまうか、自分ひとりではなく、周囲の人たちとの交わりを含めてその人の人生なのだが、悲しみやわだかまりを乗り越えて和解することの難しさが伝わる。しかしテンポのよい会話には笑いも多く、ほとんどの場合温かい心持ちで劇場を後にすることができた。

 今回はこれまでに比べると笑いが少なく、温かみや希望もあるのだがやはり辛かった。題名が「かけら」だけでなく、「平和」と「ピースサイン」の意味をもつことが苦く感じられる。自分にとって最も辛かったのは、舞台上で人を殺す場面があったことだ。舞台の上では何でもアリだし、長塚圭史やマーティン・マクドナーの作品なら殺人も含めて暴力行為は珍しくない。しかし『ピース』でのあの場面は堪えた。多発する無差別殺人、「誰でもよかった」という、少なくとも殺される側には理由がまったくない理不尽な事件の数々が心をよぎったからだろうか。想像を越える事件が次々に起こっている現在、演劇にできることはなにか。心に浮かぶさまざまな「ピース」を掻きあつめ、考えている。
 

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