因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

因幡屋6月の覚え書き

2011-06-30 | お知らせ

 今月心に残った舞台に風琴工房の『Hgリーディング』を挙げます。この国を揺るがしている原発事故、放射能被害を予見するかのような作品を、リーディングという、より言葉が直接こちらに伝わってくる手法で提示したこと。一夜かぎりの公演は満席でした。この舞台がもつ祈りと願いが被災地に届きますように。
 もうひとつは六月大歌舞伎における片岡仁左衛門、千之助共演の『連獅子』。観劇をぜひにと勧めてくれた友人に感謝です。役者が「演じたい」と願い、「演じてほしい」とこちらも願っていた舞台に出会える至福を体験しました。

【本】
*チェーホフ 『かもめ』 神西清、松下裕、小田島雄志(マイケル・フレインの英訳から)、沼野充義、そして堀江新二とさまざまな翻訳のものをひたすら。
*吉田修一 『悪人』 昨年の映画の印象は微塵もゆるがず、上下巻を一気読み。祐一とつかのま触れ合うファッションヘルス嬢は映画には出てこないが、演じるとしたら誰がいいかしら。
【映画】
*『ブラックスワン』 『プリンセス・トヨトミ』 『マイ・バック・ページ』 
えびす組劇場見聞録ツイッターに短くつぶやいておりますので、よろしかったらこちらもどうぞ。

  最近ようやく美術展に行くゆとりが出てきました。無為の時間を自分に許せるようになったというところでしょうか。
 NHK・Eテレの『日曜美術館』は毎週録画し、BSの『たけし☆アートビート』も欠かせません。どの画家もアーティストも評論家も知らない方々ばかりで、自分がこちら方面にいかに無知であったかがわかります。それだけに新鮮で、演劇をみるときのように「これにはどんな意図があるのか、何を暗示しているのか」などとがつがつ考えないで(あまりに無知だからやろうにもできない・・・)、無心になれるのです。
 考えてみると自分には趣味がない。観劇を趣味というには入れ込みすぎですし、旅行がしたいとも何かを集めたいとも思いません。この程度で「絵画鑑賞が趣味です」とはとても言えませんが、少なくとも目の前の絵画に対して素直に向き合う時間、あれこれ考えず、ただみることが単純に嬉しいのです。
 山種美術館の「百花繚乱」展、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの印象派絵画の数々、いずれにも目と心の滋養を与えられました。これを劇評に活かそう!などと考えず(とても無理)、いわば「別腹」的楽しみとして大切にしてゆきたいと思います。

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劇団D.K HOLLY WOOD『The Joker 』

2011-06-29 | インポート

*越川大介 作・演出 公式サイトはこちら シアターサンモール 7月3日まで
 もと「ちびっこギャング」の越川大介が主宰する劇団で、今回が初見である。自らを「B級小劇団」と称し、目指すは「スタイリッシュ・サスペンス・ミステリー・コメディ」とのこと。
 嵐の夜、山奥の別荘である企業の新社長に就任したばかりの男性が殺され、彼が過去に関わった女たち、複雑な立場にある社員たち、まだ19歳の新妻まですべてが疑わしい。地元県警や警視庁の刑事たちはどうも頼りなく、果たして真犯人は逮捕できるのか。

 作・演出が出演も兼ねる場合、出番が少なめのことが珍しくないが、越川大介は警視庁日暮刑事としてバリバリ出演もこなす。11人の登場人物の配役、造形は、俳優の個性を的確に表現するものであり、俳優も自分の持ち場をきちんと理解して力を尽くしていることがわかる。「3秒に1度襲い来る笑い」というキャッチフレーズは、「個人差あり」とことわってあるがあながち誇張ではなく、台詞のひとこと、動作のひとつにこれでもかというくらい入念に笑いが仕込まれている。自分は山梨県警の小嶋刑事の一挙手一投足にさんざん笑わせていただいた。ほんとうに使えない刑事。よくぞここまで・・・!
 上演は休憩なしの2時間15分くらいであったろうか。客席の反応もよく、企業の協賛によるドリンクのサービスや食事券のプレゼントなど興業的な盛り上げ方も手なれた印象で、初日の手ごたえはじゅうぶん、上々のすべりだしとみた。

 先日ある舞台に対して、「こういうお芝居をやりたいんだったら、どうぞ。私はみないけど」と一撃している短評を読み、「酷いいい回しになって、ほんとに申しわけない」とことわってはあるものの、「そういう言い方はあんまりではないか」と関係者でもないのに頭に血が昇りそうになった。少し時間をおいて読み返してみると、ここまできつい表現に至る批評の視点が理解できた。
 今回の『The Joker 』は、もしかするとある方面から同じような評価をされかねないのではないかと、若干取り越し苦労的な危惧を抱くのである。

 劇団のキャリアは長く、新人、中堅、ベテランも含めて舞台に安定感があり、すでに少なからぬ固定客や熱烈なファンがしっかりと劇団を支えている印象をもった。客層の需要に対して的確な供給がなされていればその舞台は成立するが、数はもちろん、質においても新しい観客を呼び入れようとする場合、前述のような痛烈批判に晒される可能性も覚悟しなければならないだろう。
 演劇に何を求めるかは、作り手受け手ともにそれぞれ違いがあって、何が正しい、どちらが適切と解答の得られるものではない。
 ならばそれぞれ自分の好きなところで、自分の好みに合うものだけを楽しんでいればいいのだろうか。作り手も受けても含めてその人の能力には限りがあり、適性を変えたり向上させるのは、努力ではいかんともしがたい面がある。
 
 自分の好みや能力や適性をわかった上で、少しハードルを高くする、あるいはハードルの種類を変えてみるのも一興である。作り手は少なからず傷つくであろうし、受け手は激しく消耗するかもしれない。そこでやめるか、もう一度挑戦するか。少々重い課題である。

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新国立劇場『おどくみ』

2011-06-29 | 舞台

*青木豪作 宮田慶子演出 公式サイトはこちら 新国立劇場小劇場 7月18日まで
 これまでみた青木豪作品の記事はこちら→(1,2,3,4,5,6 7,8,9,10
 横須賀郊外にある総菜屋の厨房と自宅の居間が舞台である。切り盛りするのは妻の美枝とパートの酒田で、あるじの幸広はのらりくらり。しょっちゅうやってきて小金をせびりとる弟の次郎に手を焼きながら半ばあきらめ、妻の苦労も見て見ぬふり、老いた母親にも頭があがらない。子どもたちは母親に同情し、血のつながった叔父に対してきつい態度をとり、煮え切らない父親や甘やかしてばかりの祖母に反抗する。

 どこの家庭にも困った親戚のひとりふたりはいるものだ。長年に渡って家庭を浸食し蝕み、そのたびに家族が諍う様相はユーモラスというより醜悪で、ちょっとした地獄である。

 これまでみた青木豪の作品は、家族という小さな社会において、そのなかのひとりが死ぬこと、それが残された人々に深い傷や後悔を色濃く及ぼす様相を丁寧に、あるときは容赦なく描いているものが多い。すでにこの世にいない息子や弟や妻が、今生きている自分を悲しませ、苦しめる。しかしやがてそのいない家族によって、生きている家族が救われ、生かされていく。
 今回登場人物にさまざまな影響を及ぼすのは、「天皇」であり、「皇室」である。想像しえなかった題材にやや身構えながら劇の進行を見守った。

 井上ひさしでもなく、坂手洋二でもない、青木豪が考える天皇観をもっとみたかったと思う。すべてを詳らかにするのが演劇ではないけれども、庶民の立場から決して直接に交わることのない天皇を崇拝するもの、テレビや雑誌で見聞きしてはいてもあまりに遠い存在であり、しかし日本に生きている自分に、何らかの形で影響を与え、まったく関わりはないと言い切れない。それが「天皇」なのだ。
 あまり正面を切って描かれる題材ではないし、持ってくるとしたら相当な覚悟が必要と思われるが、青木豪の本作は実に自然に、天皇に対する一般庶民の生活感覚を示してある。しかし叔父をめぐる家族の確執や、息子の友だちが母を亡くした痛ましい過去、そして天皇に対するあれこれが絡み合ってぶつかりあうさまをみたかったのだが、どれも中途半端なまま拡散しており、劇中に挿入される鳩の映像が何を狙っているかもわからない。
 下北沢のスズナリや新宿のシアタートップス(現在は閉館)での青木作品を見慣れた目には、両袖、高さともにたっぷりある今回の劇場の構造を活かしきれておらず、残念に思った。

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ドラマツルギ2011 May マダン劇『碧(アオ)に咲く母の花』

2011-06-25 | 舞台

 フェスティバル公式サイトはこちら タイニイアリス 26日まで
*金哲義(May) 作・演出 (1,2,3)
 開演前の客入れからすでに主宰の金哲義が舞台に立ち、観客の誘導、自己紹介、マダン劇とは何か等々を熱く語り、出演メンバーもいっしょに賑やかな空気を作っている。ステージ上にもいくつか客席が設置されていたり、金氏の声かけに合わせて「○○!」(もう忘れてしまった・・・)と一斉に叫んだり、開演前からここまで盛り上げる劇団は珍しのではないか。基本的に前説、前振り、客いじりは苦手だが、金氏のしゃべり(トークとは違うと思う)は不思議に、うっとおしくないし押しつけがましくもない。本拠地の大阪の劇場なら、客席のノリももっといいだろうが、今夜のタイニイアリスのお客さまもなかなかだぞ。

 1948年の済州島四・三事件がベースにあり、悲惨な体験をひとことも語らない母と日本で生まれ育ち、朝鮮語を解さない娘が、この世では話せなかった、聞けなかった祖国への思いを歌いあげる作品である。

 「在日」であることの違和感や、自分を朝鮮人であるという自覚に行き着いている人とそれがしにくい人との距離感を言葉で表現することはむずかしく、また互いにじゅうぶんな理解をもつことも困難であると察する。同じ在日どうしだが、主人公の晴美は日本人の学校に通ったため、朝鮮学校を卒業した友だちとは共有できない感覚がある。四・三事件のことを話してほしいと訪れた青年を、母は激怒して追い返し、その心情を慮る父も口をつぐむ。晴美は朝鮮語の「アボジ」が「お父さん」であることすら知らなかった。家庭では祖国のことがまったくといっていいほど伏せられていたこと、母親の心の傷が深く複雑であることが示される。

 舞台両サイドに楽器が置かれ、踊りの音楽だけでなく劇中のさまざまな生活音を表現する。青く澄んだ海や、そこで働く生き生きした海女たち、晴美の母が幼いころ、父母と過ごした幸せな日々が民族どうしの凄惨な殺し合いに一変、海に逃げた母は助けられて日本で家庭を持ち、一人娘の晴美をもうけた。歳月が流れ、祖国についてひとことも語らないまま逝った母の遺骨を持って、晴美は生まれてはじめて済州島の地に立つ。朝鮮語はまったくわからないし料理も口にあわないと故郷への違和感を露わにする晴美が、在日の友だちと地元の海女たちに促されて母への思いを必死で歌おうとするシーンは物語の白眉である。

 金哲義の舞台はこれで4本めになるが、「パターンだ」とは感じない。前説か劇の前半であったか既に記憶があいまいだが、俳優が口ずさむメロディを観客にも歌うように促すところがあり、後半になってこのメロディが劇を盛り上げていくことがわかる。このときに自分は作劇のテクニカルな面ではなく、この歌を知ってほしい、歌う人の心に近づいてほしいという作者の願いのほうをより強く感じとった。金哲義をカテゴライズすれば、いわゆる「ウェルメイド」の劇作家に入るだろう。しかしなぜそのように作るか、話の運びをそのようにするかは、「よくできた作品を見せるため」、「作品をよりよく見せるため」ではなく(この部分を全く否定するわけではないが)、火を吹くようにぶつけられてくるのは、「伝えたいことがあるから舞台を作っているのだ」という心意気だ。

 おもしろかった、楽しかったとひとことで片づけるには重苦しく、まして理解できた、共感したなどと言えるはずもない。晴美が友人たちや両親に対して感じる違和感や距離感とは別の場所で、自分もまた違うこと、距離があることをいよいよ強く意識させられるのだ。
 作・演出の金哲義にとって、在日朝鮮人であることを前面に出した舞台を作ることの必然性をがっちりと受けとめるには、自分の立ち位置や意識は弱すぎ、もろすぎる。しかしいろいろな書籍や資料にあたったり、関連の映画やドラマをみて知識を増やしたら強くなるというものではなく、みるたびに互いの距離や自分のもろいことを思い知らされることを繰り返すのではないか。けれどそこで落ち込んであきらめず、またMayの舞台に会いたい。あの活きのいい舞台から元気をもらい、同時に自分の無知や無理解を自覚するために。

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演劇集団円『未だ定まらず』

2011-06-23 | 舞台

*前田司郎作・演出 公式サイトはこちら ステージ円 7月3日まで
 これまでみた前田作品の記事→1,2 相性はいまひとつですね(苦笑)。
 舞台中央と両脇にそれぞれ小さなテーブルと椅子が数脚。舞台後方には階段が作られ、ぜんたいにシンプルで抽象的な作りだ。

 

 当日リーフレットに平田満が寄稿しており、客席から自分が感じたことと、演じる平田さんの気持ちが微妙に重なっていたり、そうでなかったりすることがわかって興味深かった。

 チケットの予約をして劇団にお金を振り込んだ時点で金額のことは忘れていたが、帰宅後半券をみてびっくりした。4500円。1時間35分の上演でこの金額。いや時間と金額はそう単純に比例するものではないが、この手ごたえでこの金額は高すぎはしないか。『家の内臓』のときも、「お金のことを言うのははしたないと思うが」と前置きして、やはり「割高だ」と不満を記している。進歩がないと苦笑しながら、これは偽りのない実感である。ならばもっと安価なら納得したかというと決してそうではない。

・・・とここまでを観劇後かろうじて記した。いまは観劇してからすでに一週間以上経過している。物語の構造や流れも書こうとすれば書けるけれども、記憶を掘り起こしてみても実のあることが書けそうもない。当日リーフレットに前田司郎が書いているように、前田が主宰する五反田団と演劇集団円の芝居には大きな違いがある。円の俳優さんは、おそらく大変な困惑と苦闘があったと察するが、あまり違和感なく、もしかしたら互いの違いを楽しみながら作っていらっしゃるのかもしれない。若い劇作家や演出家と老舗の劇団が交わる様相は、みているこちらにとっても新鮮で興味深い。これからもどんどん企画していただきたいと思う。
 ただ自分の印象としては、あの五反田団の前田司郎氏の芝居を、あの円の俳優さんたちが律儀に演じていらっしゃるなぁと感じ入る以上のものをつかめなかったということだ。

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