因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

龍馬伝第5回『黒船と剣』

2010-01-31 | テレビドラマ

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 アメリカからペリー率いる黒船がやってきた。長州藩士桂小五郎(谷原章介)とともに黒船を間近にみた龍馬はその大きさに仰天、驚愕。「あの船に比べれば剣など縫い針同然だ」と道場での稽古に身が入らない。

 自分はどのあたりの龍馬から知っているのだろうと考えてみると、これまでみた大河ドラマはじめいろいろな時代劇では、西郷隆盛や勝海舟、新撰組の近藤勇や土方歳三などと互角にわたりあう、既に堂々たる風格をそなえた龍馬であったことに気づく。
 今回の『龍馬伝』では、ごく普通の若者が時代の波にもまれて成長していく様子を描く点に特徴がある。広い世の中を知りたい、剣の腕を磨きたいと希望に溢れた若者が、異国の船のあまりの巨大なることに恐れおののき、「自分は何をすればいいのか」と思い悩む。
 

 剣術修行に疑問を抱き、佐那(貫地谷しほり)に諌められても、迷いを師匠(里見浩太朗)に見抜かれて「何のために修行をしているのかわからない」と本音を叫んでしまう。道場から出て、家族の期待を一身に受けて故郷を旅立つときのことを思い出して、自責の涙にくれるさまは、のちに薩長同盟や海援隊の設立などを成し遂げた人とは思えないほどだ。さきを知っているとはいえ、心配になってくる。福山の演技は意識的なのかどうかはわからないがぜんたい的にまだ時代劇に不慣れで不安定なところが感じられ、それがいまの若い龍馬には合っていると思う。

 向田邦子の随筆集『父の詫び状』のなかに「お軽勘平」という一編があり、 次のような一節がある。「『人間はその個性に合った事件に出逢うものだ』という意味のことをおっしゃったのは、たしか小林秀雄という方と思う。さすがにうまいことをおっしゃるものだと感心をした。私は出逢った事件が、個性というかその人間をつくり上げてゆくものだと思っていたが、そうではないのである。事件の方が、人間を選ぶのである。」

 黒船来航という前代未聞の大事件が(しかし徳川幕府250年の太平の歳月を経て、来るべくして来たものであるとも考えられる)、まだ海のものとも山のものともわからぬ坂本龍馬をいう若者を選んだのだ。襲ったといってもよい。黒船をみてショックを受けるというのは当時多くの人共通のリアクションであろう。しかし自分ひとりが悩んでもいたしかたないことと流さずに、今回の龍馬にしても桂小五郎にしても、あの巨大な黒船=外国とどう戦うか、あるいはつきあうかにまで考えを及ばせ、その場合自分はどうしたらよいのかを必死で考える人は案外少ないのではないか。やはり「事件の方が、人間を選ぶ」のかもしれない。さあ次週はいよいよ吉田松陰との出会いという事件が龍馬を待っている。

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はえぎわ第21回公演『春々』

2010-01-31 | 舞台

*ノゾエ征爾作・演出 公式サイトはこちら 下北沢ザ・スズナリ 2月3日まで
 題名は「はるばる」と読み、「ハスムカイのシャレ」のサブタイトルが付いている。公演チラシによれば、家族の話らしい。舞台上手奥には夥しい数の木の椅子が天井高く積み上げられており、下手手前にカウンターのようなテーブルと椅子が数脚。父親と母親、息子が2人(しかし片方は女優が演じている)登場し、弟がひとりだけ遅れて食事をし終わって「ごちそうさま」のあいさつをしたところに、妙な英語なまりで「そこの台詞はもっとこんな風に」とダメだしの声が聞こえる。

 ダメだしの主は徳仁(ノゾエ征爾)で、ホームドラマや映画の撮影という設定かと思ったが、徳仁の後輩である小金井武蔵(町田水城)たち一家が、よりよい家族らしくなるために指導をしているらしい。徳仁の家族もときおり登場し、彼自身も家族との関わりに悩んでいる。
・・・という核がひとつあり、椅子の山に閉じ込められた女と、彼女を助け出そうとする男のやりとり、ヤクザから逃亡するキャンペーンガール、それらを離れたところからみている道化などが並行して描かれる。舞台奥の壁をうまく使って、違う空間が次々に現れる様子をおもしろくみせる。

 誰にも理想の家族像があり、幸せになりたいと願っている。しかし想定外のアクシデントや不運なめぐり合わせによって、人生は思うようにはならず、どれほど人智を尽くしても理想そのままの家族を作りだすことはできない・・・ということを見せたいのだろうかと思ったが、家族という主筋に対して副筋の描写のボリュームが多く、はっきりしたぜんたいのイメージをつかみきれないまま、2時間強を過ごすのは少々辛かった。特に後半終わりそうでなかなか終わらず、舞台のリズム、緩急にこちらの身を合わせることが最後までできなかったのが残念である。

 人物の中では、小金井家と徳仁のメッセーンジャーのような役割を果たしているようなそうでないような近所のおばちゃん(川上友里)と、ヤクザの親分(富川一人)が夢に出てきそうな印象で心に残った。

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東京乾電池1月月末劇場『眠レ、巴里』

2010-01-30 | 舞台

*竹内銃一郎作 嶋田健太演出 公式サイトはこちら 新宿ゴールデン街劇場 31日まで
「新宿夢舞台編」と題された本作は、東京乾電池創成期に在籍していた田根楽子を迎えて、角替和枝、若手の吉橋航也が共演するもの。演出の嶋田健太は27日まで本公演の『TVロード』の舞台に俳優として出演していた。制作の沖中千英乃も同様で、劇団のフットワークの強さ、創作意欲の旺盛なことには驚く。田根楽子は帝劇の舞台に出演しながらの稽古と本番だというから、これはもう感嘆である。

 舞台には白い布がぐしゃぐしゃと敷き詰められており、暗転すると暗闇から女ふたりの声が聞こえる。ホテルの部屋にいること、誰かに追われて身を隠していること、そのホテルがなぜかパリであること、2人の女は姉のノゾミ(田根楽子)と妹のアキラ(角替和枝)であることがわかってくる。なぜ追われているのかわからないが、ともかく姉妹はパリにいて、姉はあちこちへ出かけようとガイドブックを楽しそうに読むが、妹は眠くてたまらない。もう決して若くはない姉妹が些細なことで言い争う。パリまで来たというのに。

 暗転すると同じ部屋にちゃぶ台があり、姉妹はご飯とみそ汁の食事をとっている。パリまで炊飯器を持ち込んで?次に暗転すると、今度は姉妹で千羽鶴を折っているのである。しかも尻取り歌に負けると折り作業のノルマが増えていく。正面壁には窓枠を表す白い四角の枠がぶら下がり、エッフェル塔の絵が描かれている。姉妹は「あそこに昇って、この部屋に向かって手を振ろう」と狂喜する。ほんとうにここはパリなのか?

 次に暗転すると、そこには眉毛の鋭い若者がいて姉妹の末路を語る。
 ああ、そうだったのか。場所や時間の設定がつかめない前半から一転、現実的な話になるわけだが、語る若者も相当に奇妙であり、物語の構成を説明的に示しているようには見えなかった。嫁がず、子もなさず、理由はわからないが借金をして、借金取りから逃れてアパートに引きこもりながらパリへの妄想を抱き続けた姉妹の話には、心が薄ら寒くなる。
 前半姉妹が喧嘩のとき、妹が「私は眠いの、死にたいくらいに」と言うと、姉は「じゃあ死ねば?」と言い返し、妹は「化けて出てやる」と捨て台詞を吐く。しかし終幕ミラーボールが輝くなか、着飾って現れた姉妹の姿をみるとき、前半のやりとりが尋常でない状況で行われたかもしれないことを感じる。
 『眠レ、巴里』という素敵な題名に、もの悲しく残酷な意味が秘められていることに気づくのである。

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『龍馬伝』第4回「江戸の鬼小町」

2010-01-29 | テレビドラマ

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 龍馬は江戸に到着、名門千葉道場に入門する。全国から集まった猛者たちの中で、最初に龍馬を叩きのめしたのは、道場主千葉定吉(里見浩太朗)の娘・佐那(貫地谷しほり)のすさまじい剣さばきであった。佐那こそ「千葉の鬼小町」とよ呼ばれる、女剣士であったのだ。

 貫地谷しほりをしっかりみるのは、『ちりとてちん』以来になる。自分に自信がもてず、失敗ばかり繰り返す落語家徒然亭若狭とはまるで別人。にこりともせず自分より遥かに長身の龍馬を散々に打ちのめす。あれは吹き替え、まさか貫地谷さんご本人?!しかし剣一筋に生きてきた佐那が、父から女の身で剣を究めることに限界があると言い渡され、また暗に龍馬への恋心を指摘されて混乱し、龍馬に立合いを挑む。

 朝稽古に励む町人たちは明るく生き生きして、龍馬も「優しい剣術のお兄さん」の風情である。なし崩し的に佐那も稽古をつけることになってしまうのだが、憧れのまなざしで自分をみつめる大勢の子どもたちに囲まれ、龍馬と太鼓を叩いてともに稽古をする佐那は初めて娘らしい笑顔を見せる。道場の子どもたちの様子がとても楽しそうで、演出があってのこととは思えないほどだ。みているこちらまで何だか嬉しくなった。

 鬼小町の佐那も、剣を取り上げられればあっという間に男に組み伏せられる。「わたしはなぜ女に生まれてきてしまったの」と涙する佐那を、龍馬は最大級の、それも単なる美辞麗句ではない、作りものでない心からの言葉で讃える。

 この場面の龍馬と佐那のやりとりを聞いて、龍馬という人は(今回の大河ドラマの、福山雅治が演じている龍馬、ということである)、相手をまるごと受け止める、肯定する人だなという印象をもった。それも「あなたには、他の誰にもないものを持っている」という言い方をする。その人1人ひとりが持っている賜物を尊重し、その素晴らしさに気づかせてくれるのだ。

 いまのところ龍馬はまだ土佐から出てきたばかりの普通の若者だ。姉の乙女(寺島しのぶ)に「世の中を知りたいという志はどうした」と叱りつけられても、剣の修行で頭がいっぱいである。しかし次週は黒船の来航を目の当たりにし、人生観が大きく変化する兆しがみられそうである。最初からすごい人だったわけではない。けれど何か違うもの、光るものを持った人のようだ。その何かが動きはじめる、光りはじめる兆しが。

 

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Wonderlandに劇評掲載『ブロークン・セッション』

2010-01-27 | お知らせ

 劇評サイトWonderland拙稿掲載されました(週刊マガジン・ワンダーランド175号)
 昨年11月に上演されたelePHANTMoon『ブロークン・セッション』について書かせていただきました。自分にしては珍しく、みおわって一週間後にひといきで第一稿をあげたのですが、因幡屋通信、えびす組劇場見聞録の原稿が押し寄せて年内に仕上げられず。締切前日、観劇2本の空き時間に手直しをしていたら、書きかえたいところが出るわ出るわ、提出の2時間前まで迷い続けました。あの舞台のことを伝えるための言葉が足らない、言葉が違う。これまでは入稿する時点で「書けた」というある程度の満足感があったのですが、昨年の夏あたりから「これで良し、終わりだ」というさっぱりした気持ちになれず、もっと書き方があったのではないか、もしかしたら自分は全然違う感じ方をしていたのではないかとぐずぐずと未練がましく考え込むようになりました。

 

 永井愛作・演出の『ら抜きの殺意』に主演した安原義人が、NHK衛星放送で同作が放映されたときのインタビューにおいて、稽古中に永井愛から「いま自分が言っているダメ出しは、この芝居だけのことだと思わず、もっと長いスパンで捉えてほしい」と言われたことを語っていたのを思い出します。自分は広い視野や深い思想をもって論考することができず、いま目の前の舞台にかかりきりになってしまうタイプです。けれどずっと以前にみた別の舞台や、これから出会うであろう新しい舞台に繋がっていく可能性がある、そう思いながらひとつひとつの文章をもっと大切に記していきたいと思っています。

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