因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

名取事務所公演 現代韓国演劇 2作品上演

2024-10-13 | 舞台
*公式サイトはこちら 20日まで 下北沢小劇場B1 観劇順に記載
 
1,『少年Bが棲む家』
 イ・ボラム作 シム・ヂヨン翻訳・ドラマトゥルク 
 宋英徳演出
 本作は同事務所で2020年に上演され、多くの演劇賞を受賞した(眞鍋卓嗣演出)。自分は今回が初見で、観劇日は翻訳・ドラマトゥルクのシム・ヂヨンによる「プレ・トーク」があり、劇作家が本作を執筆したきっかけ(日本、韓国、アメリカで起こった少年による凶悪犯罪)や上演歴などが語られた。タイトルが「少年A」ではなく、「少年B」であることの理由を聞き、改めて当日リーフレット記載の配役表を見ると、主人公と思しきデファンの他に「少年B」が登場する。これはどういうことなのか。

 デファンの父役の横山祥二、母役の鬼頭典子が誠実で丁寧な演技で、舞台に安定感をもたらす。食事の際は、まず父親が一口食べ、何か言葉を発してから母と息子が匙を取るといった儒教的、家父長的な習慣を守る家庭の雰囲気、息子の背中を押したい父と、心配のあまり、過去の子育てについて自責し苦悩する母がことあるごとに対立する様子、しかし服装や髪が「おかしくない?」と尋ねる妻に、大丈夫だと夫は優しい笑顔を見せたりもする。人の心模様はさまざまであること、この家族の複雑で微妙な空気が伝わる。

 公演チラシに記された本作のあらすじを読んで、少年犯罪加害者の家族の苦悩を描いた土屋理敬の傑作『そして、飯島君しかいなくなった』を即座に思い起こす(九十九ジャンクション公演のblog記事→『そして、飯島くんしかいなくなった』/2015年)、続編『赤い金魚と鈴木さん~そして飯島くんはいなくなった』/2017年)。

 安易な比較は慎むべきであり、本作について考える際に「飯島くん」を用いることが果たして適切なのかという迷いもあるが、「飯島くん」の鮮烈な描写や登場する人々の深い絶望を思うと、今回の『少年B~』は人物の存在やその思いがさまざまに提示され、鋭い切り口やひやりとする展開(少年Bの存在はそのひとつ)を見せながら、作り手の意図が客席にしっかりと届く帰結に至らなかったのではないか。やや唐突にまとまってしまった印象で、物語として余白(余韻ではない)があり、これは観る側としては物足りない。あともう少し掘り下げがほしい。

2,『最後の面会―オウム真理教事件―』
 キム・ミンジョン作 シム・ヂヨン翻訳・ドラマトゥルク 
 桐山知也演出
 1995年3月のオウム真理教教団による地下鉄サリン事件に端を発した大混乱から、じきに30年が経とうとしている。しかしいまだに総毛立つような恐怖と嫌悪の感覚が蘇る。教祖の麻原彰晃はじめ、幹部信者の死刑が執行されたのは2018年であり、ついこのあいだのことである。事件の背景や闇、現在に至る影響など解明されていない部分が多い。生々しい現実のこと。それがオウム真理教にまつわる自分の感覚だ。

 この舞台では、「ハヤシヤスオ」死刑囚(山口眞司)が実名で登場する。さらにその娘と称するナオコ(佐藤あかり)が登場し、拘置所の面会室において、両者がアクリル板を挟んだやりとりを中心に展開する。サブタイトルの通り、「オウム真理教」や教祖も、その名のまま台詞として発語される。これは戯曲に指定されているのか、演出なのかは不明だが、劇場の壁には林泰男その人の顔や、地下鉄サリン事件の報道映像がたびたび映写されるという作りである。

 面会室を舞台の中央に据え、ハヤシとナオコの位置が入れ替わることによって、両者の表情や声、力関係の変容が伝わる。高井康行が演じるハヤシの父、奥田一平が演じる若き日のハヤシが面会室の周辺で演じ、過去と現在が交錯する趣向である。
 
 実名を出すこと、実際の事件映像を使用すること。そこにフィクションの存在である「ナオコ」を絡ませること。これが本作の特徴であり、作り手が演劇的効果を狙った点であろうが、自分には困惑や躓きとなった。

 「ドキュメンタリー演劇」は、現実の社会で起こった出来事を劇的形式を用いて舞台で取り上げる演劇である。劇作家の狙いはここにあるのか?しかし「ナオコ」という架空の存在を登場させた意図や、その効果がいまひとつ伝わらない。またしても例に挙げるのが適切であるか心許ないが、井上ひさしや長田育恵の評伝劇は、実在の人物と史実にフィクションの人物や劇作家の創作を絡ませて、新たな劇世界を構築するものだ。ここが狙いかと思い直したが、実映像の使用が劇的感興を削ぎ、観客の視点を迷走させていることに躓くのである。現実の人名や教団名などの実名を入れない作劇も可能ではないだろうか。

 高学歴の若者たちが洗脳され、テロ事件を起こすまでに至らせたカルト宗教と、林泰男が在日コリアン3世であり、差別や自身のアイデンティティに対する苦悩を舞台で描く難題に取り組んだ作品であるだけに、今ひとつ確かな手応えが得られなかったことが残念だ。
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