因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

因幡屋8月の課題

2009-07-31 | お知らせ

 今年も帰省しない夏休みだが、代わりに家族が遊びに来る。一緒に歌舞伎座へ行くのは久しぶり。暑い盛りでも紅白お餅入りの鯛焼きは是非食べよう。
United`Habitation『カスパー彷徨』風琴工房の詩森ろばのユニット公演。
鵺的第1回公演『暗黒地帯』
ミナモザ#10『エモーショナルレイバー』(1,2,3,4,5,6,7,8
*シス・カンパニー『怪談牡丹燈籠』
八月納涼歌舞伎
コマツ企画『新釈 ヴェニスの呆人』
『ブラックバード』に嵌まっている。陥っていると言ってもよい。先日観劇の舞台がどうにも納得いかないためだ。数年前にみたデイヴィッド・ハロワー『雌鶏の中のナイフ』リーディング公演の記憶やら何やらを引っ張り出して収拾がつかない状態。困ったことになった。グレン・グールド演奏のブラームスの間奏曲変ホ長調を聴いては戯曲を読むのが楽しくてならない。なぜかこの曲がハロワーの戯曲に「合う」のである。楽譜にはスコットランド民謡に基づく詩が引用されているのだそう。これは偶然、それとも何かの導きか?因幡屋8月の課題は「ハロワーさんを探そう」。

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アロッタファジャイナ第12回公演『溺れる家族』

2009-07-26 | インポート
*松枝佳紀作・演出 公式サイトはこちら 新宿タイニイアリス 27日まで
 アロッタファジャイナが「家族」の話をやると知って、少し意外な気がした。これまでみたものは実在の人物の評伝風や時空間を自在に行き来する壮大な群衆劇で、「家族」というこぢんまりした、それだけにどこまでも深く踏み込めるテーマをどのように描くのだろうか。松枝佳紀のアリスインタビューを大変おもしろく読む。演劇にたどりつくまでに、そしてたどりついてからもいろいろなことがあったのですね…。
 ただでさえ小さなタイニイアリスの場内が対面式の客席に作られている。7つの家族、合計13人の登場人物が少しずつ絡み合いながら物語が進む。登場人物は皆白いペンキで汚されたような衣裳を身につけており、現代の話ではあるが、ベタなホームドラマとは異なる空気を作っている。四角い箱が椅子やテーブルになる以外は道具もなく、舞台袖に飲み物や食器類が少しだけあって、場面に応じて「ほんもの」が出てくる。まったくの無対象演技よりも実感がでて、この使い方は成功している。物語の設定に近い、年配の俳優さんが出演していることも珍しい。

 昨年の大河ドラマ『篤姫』の決め台詞は「そなたはわたしたちの家族じゃ」であった。血縁はないが、かけがえのない大切な存在であることを象徴する「家族」の一言に、みるものはぐらっとする。それは一方で血のつながりがあり、一緒に暮らしてきた者同士であっても支えきれないことがあり得る現実を示す。いったい「家族」って何?

 正直に言えば、もう少し人物を絞ってもよかったかと思う。秋葉原無差別殺傷事件の話が出てくるのも、いささか取って付けたようである。アリスの空間で休憩なし2時間15分の上演時間はかなり長く感じられ、場面が変るたびに暗転するのも致し方ないとはいえ、時折集中を欠きそうになる。しかしこれは「できるだけ多くの劇団員にこの作品に触れて、俳優として人間として家族について考えてほしい」、「できるだけ多くの観客に、登場人物の誰かを通して劇世界を実感してほしい」という作者の気持ちの表われかもしれない。当日リーフレット掲載のキャスト紹介には、たったひとりの人物であっても「村山家」「霧島家」と家族の名前がいっしょに記されている。舞台にでてくるのはひとりでも、その人の背後には両親やきょうだいはじめ、いろいろな人が存在し、関わっていることを感じてほしい願いがあるからではないだろうか。

 溺れかけた家族は、すんでのことで難を免れた。新しく家族を作ろうと出発した幾組かの男女がいる。悩みつつひとりで歩き続ける若者もいる。いろいろな生き方があるが、ひとり切りで生きている人はいない。アロッタの新作はそのことを控えめに教えてくれる。この控えめなところが、既成の「家族もの」の舞台にはない、地味な新鮮さを感じさせる。
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世界名作小劇場『-初恋』

2009-07-25 | 舞台
*土田英生作 黒澤世莉演出 公式サイトはこちら 下北沢 シアター711 20日で終了
『-初恋』を初めてみたのは2005年12月、ハイリンドの旗揚げ公演であった。同じ年にみた映画『メゾン・ド・ヒミコ』や、劇団フライングステージの『Four Seasons~四季~』と設定が似ていることや、このころから小劇場系の舞台にのめり込み始めていたこともあって印象深く心に残っている(因幡屋通信22号に劇評掲載)。
 
 今回の上演をみて、手堅い作りの戯曲であることを実感した。登場人物の中でも女性ふたりは非常に難しい役どころであると思うが、アパートの管理人・小百合役の津留崎夏子は辛抱強い質実な作りが、終盤にみせる短い激情の吐露をより悲しく感じさせる。牛乳配達人役のこいけけいこ(リュカ.)は暴走気味の演技で出番のたびに客席の笑いをかっさらっていくのだが、後半まさかの展開のあとに「はい」という台詞を繰り返すごとに柔らかく優しく変化する様子がとても可愛らしい。ハイリンド版とは女優のタイプは大きく異なるが、違和感なく楽しめた。さまざまなキャスティングや演出の変化を力強く受け止め、作り手の頑張りに応えてくれる。『-初恋』にはそんな魅力があるのだろう。
 女性ふたりだけでなく、出演俳優はみな稽古がしっかり入っていることを感じさせる熱演で、特に酒巻誉洋(elePHANTMoon)には驚いた。メイクがしっかり入っているので最初誰だかわからず、最前列のお客さんをいじりながらのぶっとばすような大熱演には笑い止まらず。

 けれども。と考えるのである。(おそらく)ストレートの男性俳優がゲイのふりをする、それもずっとオネエ言葉で話すことはじめ、ステレオタイプのゲイである。こういうお芝居に、たとえばフライングステージに関わる俳優さんたちは違和感を持つのではないか。ゲイを描いた既成の演劇に納得がいかなくて、自分たちで芝居を作ろうとしたのではないか?と想像するのである。

 例えば住人のリーダー的存在の笹川(窪田道聡/イキウメ)は、女装趣味のあるゲイを猛烈批判する。女性の下着を身につけたり、それを売り物にする仕事は笹川にとって「誇りを失ったこと」になるというのである。したくないのにビジネスとして女装するのは辛いが、そうしたくてするのはよいのではないか。それを裏切り者のごとく非難するのは、同じセクシュアリティの中でも差別が存在することであり、基本的に同じであっても表現のしかたが違うものを許容できないことにおいて、ストレートがゲイを差別するよりももっと難しい問題になるのではないか。こうした疑問に対して本作は踏み込まず、答を示していない。その点が物足りなく思われるのである。ないものねだりなのだろうか。

 世界名作小劇場は今回の公演をもって活動を休止するそうだ。カーテンコールで全員で一礼のあと、窪田と津留崎のふたりが残り、もう一度客席に一礼する。ハイツ結城の住人たちは皆出て行くことになった。お別れである。しかしそれぞれの場所で元気に暮らしてほしい。世界名作小劇場の舞台にもまたいつか会えるのではないか。舞台の終幕とカンパニーのことがだぶって寂しさもあるが、再会を楽しみに待ちたいと思う。

 
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劇団フライングステージ第34回公演『プライベート・アイズ』

2009-07-22 | 舞台

*関根信一作・演出 公式サイトはこちら 下北沢OFF・OFF劇場 20日で終了
 以前にも書いたことだが、この4年間で自分の演劇趣味は激変した。それまでは自他ともに認める保守系の新劇派だったのが、2005年夏に発行された「ユリイカ」の特集*この小劇場を観よ!を手に取ったのがまさに運の尽き。ユリイカを教科書代わりにみたことのない劇団の公演にひとつひとつ足を運んだ。その皮切りが劇団フライングステージで、以来自分の演劇生活に欠かせないカンパニーになったのである。名前も知らなかった劇団や俳優さんが次第に、あるいはあっという間に親しく大切な存在に変化する体験は、実に不思議で幸せなことである。

 最新作は2006年夏上演の『ムーンリバー』の続編で、中学生だった高橋大地少年がの高校生活を描いたものだ。

 

 建て直しが決まった高校の講堂に、かつての演劇部員たちが集まる。顧問の先生と思い出を語るうち、場面は25年前の高校時代に戻る。小さな木製の椅子が10脚くらいあり、それを動かすだけで舞台は大地の自宅リビング、荒川の河川敷、新宿2丁目のジャズバーと自在に変化していく。2時間のあいだにここまでいろいろな要素をよく盛り込んだものだ。自分の観劇日は客席の反応も上々で、たとえば高校生の大地が「中島みゆきのアルバムをYOU&Iで借りる」という台詞に、ため息まじりで「懐かしい!」という声があがり、上演中にしゃべるのは基本的にNGなのだが、このときばかりは「よくぞ言ってくださいました、懐かしいです私も」と心の中で思わず感謝してしまう。演劇部に特別指導にやってきたアングラ劇団の座長(加藤裕)と女優(西田夏奈子)のやりたい放題は抱腹絶倒もの。

 俳優はほとんどが複数の人物を演じ継ぐが、そのなかでは遠藤祐生が演じたジャズパーの客が印象に残った。興味津々で新宿2丁目に通う大地少年に、おそらくそれまで数々の辛い経験があっただろうことを微かに感じさせながら、少年を優しく突き放す。これまでどちらかというと「押される」ポジションが多かった遠藤が、哀感漂うゲイを複雑な味わいで演じていた。短い触れ合いしかなかったが、自分の人生に確実に影を落として通り過ぎて行った大人。演技のテクニックではなく、もっと深いものを感じさせる。もう一人は本作の進行役ともいえる桜井電器店の店員岡ちゃん役の岸本啓孝である。彼は物語が始まったらすぐに「岡ちゃんが死んじゃった」という会話で登場する人物である。成仏せずに?大地少年の心の鏡のような役割で時々顔を出し、場面転換では無言で椅子を移動させ、しばし舞台に佇んで姿を消す。この世に命があるときには心を許せる相手を得られなかった。しかし誰かの心の中にしっかり住み込んで静かに見守ってくれる存在だ。

『プライベート・アイズ』は、みる人の立場や年代によって、いろいろなことを考えさせられるだろう。「懐かしいな」だけで終わらない苦さや悲しみも併せ持つ。今日という日は今日しかなく、どんどん過去になっていき、気がつけば10年、20年が過ぎていく。そのときの自分がそのときのフライングステージの舞台にどんなふうに会えるのか、とても楽しみである。

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『ブラックバード』

2009-07-21 | 舞台
*デビッド・ハロワー作 小田島恒志訳 栗山民也演出 公式サイトはこちら 世田谷パブリックシアター 8月9日まで その後富山、名古屋、北九州、大阪を巡演

 黒を基調とした背景で周りには何もなく、意味ありげに寄り添う男女。『ブラックバード』の公演チラシやポスターは「これはいったいどんな作品か?」「ブラックバードとは何かの象徴か?」と見る者を惹きつける強烈な力を持つ。掲載されているストーリーを読むと尚更だ。初日が開けて間もない劇場は、開演前の賑々しさよりも張りつめたものが漂い、恐れにも似た期待が高まる。
 オフィスの休憩室だろうか、テーブルや椅子、ごみ箱にロッカー、床にはごみが散乱して、蛍光灯の明かりがそれらを皓々と照らしている。自分はまずここで躓いた。想像していたのと随分違う。では何を想像していたのかというと、これが明確に言えないのだが少なくとももっと抽象的か、あるいはほとんど何もない空間を考えていたのである。この具体的なモノのあっけないこと、無機的で観客の思惑を拒否するかのような冷たさは何だろうか?

 この違和感はとうとう最後までなくならず、疑問や戸惑いの多く残る観劇となった。謎は必ずしもすべて解明されなくてもよいし、結論をみる者に委ねることも構わないと思う。しかし今回の舞台は物語じたいより、作り方、舞台美術に対する困惑が強過ぎて正直なところ拍子抜けしてしまったのだ。期待しすぎてすべるのは自分の悪い癖であるが、実際のところ、あの舞台美術にはどんな演出意図があったのだろうか?

 本作の捉え方がわからない。「悲劇喜劇8月号」に戯曲が掲載されている。ひとまずは戯曲に戻ろう。

 
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