因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

因幡屋6月の観劇と句会

2014-05-31 | お知らせ

 気温がぐんぐんあがり、もうそろそろ扇風機を出さねばならない。暑いのは閉口だが、洗濯ものがよく乾くのは気持ちがいい。
 句会の兼題は、演劇人の会がジェイムス・ジョイスがらみで?英国演劇ご専門の大学の先生から、「ビール」(意味がよくわかっていない)、5月の句会で最高得点句を出した能がご専門の、こちらも大学の先生からの「単衣」(ひとえ)の出題。困ったな。
 金星句会は「羽抜鶏」と「梅雨寒」で、非常にマニアックなのとそうでないのとが極端だ。そしてその前に、一泊二日の合宿鍛練句会が待っている。困っている場合ではない、事前投句10句の締切はもうすぐです。
六月大歌舞伎
 右肩の手術でおやすみしていた十五代目片岡仁左衛門が舞踊劇「お祭り」で復帰する。そう考えただけで憂鬱な梅雨空もさわやかな青空に変わる。ほんとうに嬉しい。
加藤健一事務所 vol.89『請願~核なき世界~』(1,2,3,4,5,6
 本作は新国立劇場小劇場で鈴木瑞穂、草笛光子版をみたが、あまり記憶には・・・。今回は三田和代が共演する。
*梅田芸術劇場主催公演 デヴィッド・ルヴォー演出 『昔の日々』 ルヴォー演出舞台の記事(1,2
 ルヴォー演出のハロルド・ピンター作品をみるのは、1993年の『背信』以来か。翻訳は谷賢一。日生劇場という大きな劇場でのピンターというのに不安も。
劇団チョコレートケーキ第24回公演『サラエヴォの黒い手』(1,2,3,4,5
 昨年あたりから注目度が急激に高くなった「劇チョコ」の最新作だ。5/29朝日新聞夕刊に掲載の記事によれば、劇団結成10年めの2009年に、それまで作・演出を担当していた劇団員が退団したためにあわや解散の危機に。窮余の一作で俳優の古川健が脚本を書いたのだそうだ。自分が劇チョコをみるようになったのは、その翌年2010年秋からだ。
鵺的第八回公演『毒婦二景』(1,2,3,4,5,6,7,8
 昭和の毒婦といえば阿部定。公演チラシに「誰モ見タコトナイ『阿部定』ガ二人」とある通り、岡田あがさとハマカワフミエがそれぞれ定を演じる長編2本が交互上演される。
*劇団民藝公演『白い夜の宴 1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12
 演出の丹野郁弓さん(1,2)から、「タイトルの通り、夜にみていただきたい」とアドバイスあり、素直に従います。
ミナモザ第15回公演『WILCO』 (1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20)
 タイトルは「Will comply」の略で、「了解、命令を実行します」という軍事無線用語とのことだ。憲法改正や集団的自衛権をめぐって、日本が戦争のできる国に近づきつつあるいま、瀬戸山美咲が描く“「戦争」を「本能」まで引きずり下ろす「物語」”(公演チラシより)。

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最近のことなど

2014-05-30 | お知らせ

 これまで楽天やAmazonなどのリンクを貼ることもまったくしてこなかったのですが、考えるところありまして、最近演劇と無関係の市場調査や情報提供の記事を数本掲載いたしました。何の前触れもなく結婚指輪や一戸建て物件の内容だったため、さすがに違和感があったのでしょう、「第三者にアカウントを乗っ取られたのでは?!」というご心配のコメントをいただきまして、大変恐縮しております。

 ブログの運営にはいろいろな方法があります。アフィリエイトなどの広告をさりげなく掲載したり、PRのページがあったり、関連サイトをどんどんリンクしたりなど、皆さん工夫をしていらっしゃいます。外部の広告をリンクするだけのやり方も検討しましたが、今回はあくまで因幡屋ぶろぐの宮本が書くという形で市場調査の記事を掲載してみました。『閑話休題』のカテゴリーがそれです。

「宮本さんが書いたとは思えない」というご指摘があり、それは記事の内容が日ごろの劇評とあまりにかけ離れており、表現にもいつもの調子がまったく影をひそめていたからだと思われます。自分をすべて消して書く方法もありますし、多少でも演劇と関連づけて書くやり方もあるでしょう。そのあたりはまだ試行錯誤中です。また「いったい何をしている!」というお叱りの気持ちがあったのかもしれません。

 2005年初夏に因幡屋ぶろぐをはじめて10年近くが経ちました。おかげさまでみる芝居の範囲がぐんと広がっただけでなく、多くの出会いが与えられました。ブログにお越し下さった方々、読んでくださっている方々に心より感謝申し上げます。
 演劇をみて考え、その印象、考えたことを的確に豊かに書き記す。その一瞬で消えてしまう演劇を、何らかのかたちでことばにして残したいというスタンスに変わりはありません。それを忘れず、これからも励んでまいります。

 ご意見などありましたら、この記事にコメントや、直接こちらへメールいただけますと幸いです。このたびはお騒がせしまして申しわけありませんでした。

 どうか今後とも因幡屋通信、因幡屋ぶろぐをよろしくお願いいたします。

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風琴工房春公演『proof』

2014-05-29 | 舞台

*デヴィッド・オーバーン作 詩森ろば翻訳・演出 SHIBAURA HOUSE5階 6月1日まで(1,2,3,4,5,6,7,89,10,11,12,13,14,15,16
 主宰の詩森ろばがはじめての翻訳に挑戦し、デヴィッド・オーバーンの戯曲に挑んだ。本作は2001年に鵜山仁演出、寺島しのぶ主演の舞台を皮切りに、なぜかこれまで数回みたことがある→1,2,3 
 サンモールスタジオで上演中の谷賢一翻訳・演出版はどうするか、悩ましい。

 数学者が登場する物語なのだが、数学についての具体的な話がまったく出てこないので理数系が苦手でもだいじょうぶ。ならば数学ではなく物理学や生物学などほかの学問でもよいかと言うと、やはり数学でなくてはこの作品は成立しないのだと思う。数字が好き、算数が得意という人の感覚が、自分にはまったくわからないのだが、数学という学問、その世界に魅せられた人々、数学にも神が存在するなら、まちがいなく彼らは数学の神から選ばれ、愛された子たちなのだろう。

 会場のSHIBAURA HOUSEはさまざまなイベントを行うスペースで、演劇専用の建物ではない。しかしJR田町駅からの道のりは明るく開放感があり、エレベーターが小さいのとロビースペースがほとんどないこと、トイレが1階しかないのは不便だが、渋谷や下北沢とちがう雰囲気に気持ちも新鮮になって楽しい。昼と夜とでは、町の様子も舞台の印象もがらりと変わると想像され、自分は夜にもう一度みたくなった。

 さて詩森ろば翻訳・演出による『proof』である。

 天井がかなり高く、カーテンが閉まっているので昼間なのに薄暗い。四角い空間の奥側に 数学者の家のテラスがつくられており、客席は二方向からそこをみるつくりになっている。日ごろ劇場として使われていない空間というのは、入った瞬間に背筋がスースーするのだが、これは肌寒いくらいにエアコンが効いているせいばかりではないだろう。客席に座っても、何となく落ち着かない。

 9月4日深夜、この家の次女キャサリンの誕生日に物語がはじまる。テラスのテーブルにひとりたたずむキャサリンのところに父のローバートが登場し、誕生祝いのシャンパンを手渡す。いっしょに飲もうとする娘のことばを数回にわたってやんわりと断る父には事情があった。彼はこのとき、すでにこの世の人ではないのである。キャサリンだけがその姿をみて、話をすることができる。これはある意味で数学者版『父と暮らせば』なのだった。

 一場が終わったとき、左右のカーテンがするすると開けられ、ガラス張りの大きな窓から芝浦の町が一望できる仕掛け。右手にはモノレールが走り、空にはヘリコプターが飛んでいたり、ニューヨーク摩天楼とは言えないまでも、一種の「借景」的効果であろう。
 これには長短あって、よくも悪くも昼間の芝浦の町は明るく、あまりに日常的であり、自分には眼前のシカゴ郊外のテラスで数学をめぐる議論をしている人々の物語とギャップのほうが強く感じられた。またその後はカーテンはずっと開きっぱなしで強い日差しが入り、舞台に設置された照明がほとんど効果を失ってしまった。
 本作はキャサリンと父のやりとりに、姉のクレアや父の弟子でありキャサリンに思いを寄せるハルなどが絡んだり、過去の場面が挿入されていたり、一杯道具の舞台でさまざまに交錯するのである。この場面の変容を客席に示すとき、照明の効果は大きいと思われる。太陽の明るい日差しのなかで大半が行われるとき、ややぎくしゃくした印象になったことは否めない。 これが夜の公演であればどんな雰囲気になったのか。
 もうひとつ気になったのが音響である。場面転換のときにかかる音楽にびっくりした。自分には音量が大きすぎると感じられたためである。天井が高く、劇場専用ではない空間では響きが変わるのだろうか。できれば一考されたい。

 あらためて戯曲の圧倒的な力を思わされる。それに臆さず果敢にぶつかった詩森ろばと俳優陣、公演に関わった方々の健闘が清々しい舞台であった。数学の心得のある人は、物語で語られている「証明」がどんなものなのかを知りたいのではなかろうか。自分は理数音痴なのでまったく気にならなかったが、終幕でハルが言うところのかつてのロバートの「優雅な証明」というものを少し知りたい。

 数字は数字なのだが、「数学」にはそこに関わった人々の生身の存在があり、息づかいがある。『proof』に登場する人々は、数学の証明をしながら、みずからの人生の存在証明を行っているのだと思う。だから日々の暮らし、家族や恋人とのふれあいもまた数学の証明と密接に関わっているのである。

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閑話休題:ひとり住まいをもっと素敵に

2014-05-28 | 閑話休題

 つづけて住まいのお話です。
 ひとり暮らしのあなた、衣食住の「住」にどれくらい思い入れがありますか?仕事もプライベートも忙しい方なら「帰って寝るだけだから、駅に近ければそれでOK」かもしれませんし、自宅でお仕事をされる方なら住環境=職場環境ということになり、地域に根づいて生活することを望んでおられるなら、近隣の雰囲気や利便性なども含めて、じっくりと吟味なさりたいことでしょう。 家探しはまさに自分探し。納得できるまで選びたいですね。(参考サイトはこちら
 そのほかにも愛するペットと暮らしたい、お料理やお菓子作りを楽しむために広いキッチンを、ベランダでガーデニングをしたいなど、ひとり住まいについてのあなたの夢や希望をぜひお聞かせください。本記事「ひとり住まいをもっと素敵に」までコメントいただけると嬉しいです。

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『THE BIG FELLAH ビッグ・フェラー』

2014-05-28 | 舞台

*リチャード・ビーン作 小田島恒志翻訳 森新太郎演出 公式サイトはこちら 世田谷パブリックシアター 6月8日まで 
 その後兵庫、新潟、豊橋、滋賀を巡演 
 森新太郎演出舞台の記事はこちら→(1,1',2,3,3',4,5,5',6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19
 2012年本邦初演となった『ハーベスト』に続いて、森新太郎がリチャード・ビーンに挑む。今回はアメリカ・ニューヨークを舞台に、イギリスから北アイルランドの分離を求めるカトリック系過激派IRAの男たちの30年を描いたものだ。『ハーベスト』の養豚農家の物語は100年だったので、今度はその3分の1だから少しは楽かと思いきや、これがなかなかハードなのである。

 タイトルロールのビッグ・フェラーことIRAニューヨーク支部長コステロを演じる内野聖陽は、「20年に一度の作品」と惚れ込み(朝日新聞より)、本格的な稽古がはじまる前から翻訳の小田島恒志、演出の森新太郎、共演者とともに戯曲の原文にあたりながら、本作に描かれた国家や宗教、人種問題について勉強を重ねたという。その熱い意気込みが客席に向かって弾丸のごとくぶつかってくるような舞台であった。

 1972年3月17日、セント・パトリックス・デイ(Wikipedia)にはじまる物語は、年月の刻みが一定ではなく、10年近く経過したそのあとの幕が同じ年だったり、1年後であったりする。舞台右の壁にその場面の年号が映写されるものの、人物のやりとりや様子に集中することが求められる。

 服装や髪形、ことばづかいなどで年月の経過はわかるが、そこにくるまでこの人物に何が起こり、彼の内部にどのような変化があったのかは、前述のようにことばの裏にあるもの、表情や動きなどから読みとることが必要だ。それは演じ手にとっても同じで、表面的な変化をつけるだけでは不十分で、人物の内面をより深く知った上で決してあざとくならず、技巧を抑制した表現が求められるだろう。

 アイルランドという国の特殊性や民族性、IRA組織や世界情勢についての知識や、それに基づく自分なりの考察があれば、本作はいよいよ強く深く迫ってくるだろう。しかしそうでなければ味わえないことは決してなく、観劇をきっかけに興味がわくこともあるだろうし、周辺知識を抜きにして男たちの熱い物語を堪能することも可能だ。

 翻訳劇の上演ということについて少し考えた。外国の作品をそのまま(少し幼稚な表現です)演じるのは演劇の特徴である。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を日本人俳優が日本語で演じる映画・・・を想像するとそうとうにユニークであり、何か特別の意図があるものと思われる。しかし舞台なら肌や髪の色はそのままに、日本語で演じることに違和感はなく、客席も「そういうものだ」と受けとめる。そこに演劇ならではのリアリティがある。ただし無理や不自然生じるのはいたしかたない。ロミオ、ジュリエットと呼び合っていても、目の前にいるのは自分と同じ肌の色をして日本語で話す俳優なのだから。

 しかしもしかしたらそこにこそ、演劇だけの特別な効果があるのではないだろうか。

 『ビッグ・フェラー』が欧米人俳優によって演じられる舞台や映像を想像してみよう。日本人が演じる舞台の違和感は払拭され、リアルなものとして受けとめられるはず。だがかの国のリアルを自分の住む国や自分の心象に引き寄せて感じとることができるだろうか。むしろ日本人が日本語で演じる外国の物語から感じる違和感や無理や不自然から、作品のもつ普遍性や自分たちとの共通点を探ろうとする気持ちが掻きたてられるのではないだろうか。

 今回はどういうわけか心身が舞台についていかないところがあった。もっと集中度を高めて『ビッグ・フェラー』にぜひ再会したい。

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