因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

シンクロ少女『めくるめくセックス 発酵版』

2013-01-31 | 舞台

*名嘉友美脚本・演出 公式サイトはこちら 王子小劇場(1,2,3,4,5
 みた舞台に何かを掻きたてられ、まとまるかまとまらないはともかく、すぐに書きたいと前のめりになれるときは幸運である。劇場の帰り道でつぎつぎにことばがわき出る。ときには舞台をみる前からことばがわいてくることもあって、それは舞台と自分とが不思議な力でつながっているのだろう。反対にどうとらえてよいかわからないときは、どうしても動きが鈍る。単純に書きにくいなぁという感覚である。どのあたりでどうやって切り替え、自分の心と舞台に向き合うか。ことばの「落としどころ」がみつかれば何とかなる。そこへ自然にたどりつければ観劇直後はすっきりしない気分が晴れるが、どう考えても無理やりの場合は苦手な宿題をする子どものごとく心は重く、後ろめたい。

 じつはこの舞台、観劇したのは2週間も前だ。できるかぎり早めのアップを心がけているのにどうしても「書く」アクションにとりかかれなかった。その理由をきちんと考えることからはじめる方法もあるが、あまり建設的ではないだろう。

 本作はシンクロ少女が7回めの公演で初演された。今回の再演はおそらくぐっとバージョンアップし、「発酵版」である。初演は未見のため、比較はできない。

 ステージの空間が3分割されており、登場人物はそれらを行き来しながら複数の話が同時進行する。劇作の手並みはあいかわらず鮮やかで、配役は心にくいまでの好配置であり、小劇場界で活躍する若手俳優たちが大胆、細心、巧妙、水を得た魚のように2時間を越える舞台を飽きさせない。まさにシンクロ少女カラー満載といったところであろうか。

 タイトルが示すとおり、本作はセックスがテーマになっている。登場人物は誰もセックスについて問題を抱えており、未婚や既婚それぞれの屈託、ゆきすぎの純情、ほとんど暴力的な身勝手など、一人ひとりのキャラクターや背景の設定、俳優の造形は前述のとおり、これでもかというくらいみごとなものである。

 大胆な性描写についてはみるひとによって好みがわかれるだろう。今回は延々とつづく男女のレスリング?もあって、千秋楽まで怪我人がでなかっただろうか。ここまで熱演するならもう天晴れというべきかとも思うが、続くほどに気持ちが引いていった。
 
 劇作家は自分の書きたいことを書き、演出家はそれを自由に描いてよいと思う。それが何なのか、どう描きたいのか。性的なこと、性そのものを書く。舞台で表現するとき、どこに「リアル」をつくりだすか。

 向田邦子の『阿修羅のごとく』を演出した和田勉が、作者の向田と話し合ったときのことを回想している。向田はこう言った。「一組の男女が、コップいっぱいの水を分け合って飲むこともセックスだし、蜘蛛が口から糸を吐き出して自分の巣を作っていく、あれもセックスなのよね」

 『めくるめくセックス』について考えれば、たとえば一度も女性とつきあったことのない童貞氏(横手慎太郎)や、夫とは没交渉、しかし敢えてほかで満たすことをしない女性(坊薗初菜)にもう少し肉薄した構成も可能なのではないか。

 向田邦子とシンクロ少女がつながりませんね(苦笑)。野暮を承知でいえば、執拗なまでの性行為の描写でない、ちがう方法での「性」の描き方があるのではないかな、ということである。どうにも歯切れのわるい記事になりました。          

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因幡屋2月のおしばい

2013-01-31 | お知らせ

 気がつけばどんどん本数が増えてゆく。心身整えて、ひとつひとつを大切に。
猫の会その6『漂着種子』(1
 「漂着種子1984/2013」と、ふたつの年号を冠にした2本立ての公演となる。下北沢演劇祭参加。主宰の北村耕治が戯曲を書き、「1984」を北澤秀人、「2013」を三谷麻里子が演出を担う。これはなに折りというのか、チラシも素敵です。
劇団ロ字ック第六回本公演『タイトル、拒絶』
 前回公演の当方はこのような感じでして(汗)、互いにリベンジの気合いで。
劇団民藝公演『真夜中の太陽』 1,2,3,4
 谷山浩子の歌、太平洋戦争中の女生徒たち、ひとり生き残った女性。過去の思い出と現在がゆるやかに溶けあう。
声を出すと気持ちいいの会『コエキモ×名作文学』 (1,2,3,4,5,6,7
 4人の俳優が文学作品を1本ずつ演劇として上演する試みとのこと。俳優一人ひとりが劇作、演出、そして主演。総合演出は主宰の山本タカ。
沢井正棋プロデュース『ハイエナ』
 劇団May1,2,3,4,5,6,7)の金哲義の作品を、鄭光誠が演出する。
*その金哲義は劇団タルオルム1)主宰の金民樹とのUnit航路-ハンロ1)・釜山民芸総合同公演『韓紅の音(カラクレナイノオト)』を新宿タイニイアリスで行う。
*シアタートラム 韓国現代戯曲ドラマリーディングvol.6
 韓国人劇作家による戯曲3本をリーディングで紹介する公演。演出は鈴木アツト(1,2,3,4 5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15)、明神慈、広田淳一。
風琴工房20周年記念公演第2弾『国語の時間』(1,2,3,4,5,6,7,89,10,11,12,13,14
 劇作家小里清が戯曲の執筆に3年以上、今回の上演までそれから2年、足掛け5年の歳月を要した作品は、上演時間最長で3時間とのこと。久びさに会う友人といっしょに。
鵺的(ぬえてき)第六回公演『幻戯』(1,2,3,4,5,6
文学座公演『セールスマンの死』
 本作は劇団昴公演でジョン・ディロン演出、久米明主演の舞台を何度もみて、「これが定番」の感覚がある。それを大切にしつつ、柔軟に文学座版を受けとめられるように。

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因幡屋通信43号完成

2013-01-28 | お知らせ

 劇評かわら版最新号が完成し、先週末設置先の劇場やギャラリーに発送いたしました。今回もほんとうにほんとうに、おかげさまで!お題は以下のとおり。
【因幡屋通信43号 】 モナカと走ろう~人生の伴走者~
 みきかせプロジェクトvol.4「大吟醸マテリアル」より、ミナモザの瀬戸山美咲作・演出『ファミリアー』(1
 そのほか9月から12月のトピックとして世田谷パブリックシアター『浮標』、モナカ興業『旅程』、新国立劇場『るつぼ』、燐光群『星の息子』、文学座アトリエ公演『海の眼鏡』、山本タカ地獄のコント企画『イッパツ!!!』を取り上げさせていただきました。
えびす組劇場見聞録42号】 物語がはじまった~奈良岡朋子のこれまでとこれから~
 今回のテーマは「女優」です。ほかのメンバーは栗田桃子、片桐はいり、杏、すみれと豪華絢爛?!
 また今号より上野ストアハウスさま、三重県文化会館さまに設置していただけることになりました。ご理解、ご協力に改めて感謝いたします。ありがとうございました。
 劇場やギャラリーのロビー、チラシラックでクリームイエローの因幡屋、若草色のえびす組が並んでいるのをご覧になったら、是非ぜひお手にとってみてくださいませ。

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Quaras企画『阿修羅のごとく』

2013-01-25 | 舞台

*向田邦子原作 瀬戸山美咲上演台本 松本祐子演出 公式サイトはこちら ル・テアトル銀座 29日まで その後大阪、名古屋を巡演
 1979年、翌年にパート2が和田勉演出で放映されたテレビドラマはいまでも鮮明な記憶として残っており、自分にとっては単なる思い出ではなく、51歳の若さで飛行機事故死した向田邦子そのもののように存在する大切なものだ。台詞のひとことが、シーンのひとつひとつ、俳優の表情や声、いっしょにみていた家族のようすなど、内容が内容だけに楽しく心温まるとは言えないものの、いやそれだけに家族ではじめてみた「男と女」「性」のドラマの印象は強烈で、ことばでは言い尽くせないほど大切なものなのだ。
 それが舞台化される。手ばなしで喜べなかった。あのドラマをどうやって板に乗せるのか。楽しみよりは不安、ずばり言えば不信がわきおこる。

 舞台化はこれがはじめてではないそうだが、今回は上演台本に若手の社会派女性劇作家として注目度の高い瀬戸山美咲を起用し、演出にも松本祐子という女性のつくりてに委ねることになった。パートⅠが3話、パートⅡが4話のあわせて7話にわたる物語が、休憩をはさんでおよそ2時間15分の舞台になった。中央の座敷が四姉妹の実家、下手に長女綱子の家、その上に次女巻子のリビング、下手なかほどに四女咲子のアパート、下手ぎりぎりに三女滝子のアパートのドアというつくり。5つに分割された空間は独立しているが、ときにはただの通路になったり別空間に変化したりする。中央に電信柱があり、ゆるやかな坂道がつづく。登場人物は複数の空間を動きながら、テンポよく物語をすすめてゆく。

 瀬戸山美咲の上演台本についていえば、シーンのたくさんあるテレビドラマを2時間15分の舞台にまとめあげた手腕はみごとなものである。公演パンフレットにおいて、瀬戸山は「一文字一文字写しながら、向田さんのリズムをからだに刻みました」、「立ち止まったときは原作を隅から隅まで読みかえしました」と記しており、まさに心血を注ぐ作業であったと想像する。
 ドラマにあった小さな場面、ほんのひとことだが向田邦子の世界のエッセンスを感じさせることばをここぞという場面に使っていたり(すき焼きの「じゃがいも」)、向田邦子の作品への素直な敬愛とともに、劇作家としての経験値を活かした心にくい場面が随所に見受けられる。
 父親役の林隆三も「感嘆した」とパンフレットのインタヴューで上演台本を称賛しており、出演者の信頼が得られたことがわかる。ほんとうによかった。

 とすれば問題は演出、それを体現する俳優の演技である。「テンポよくすすめてゆく」と書いたものの、スピーディな展開はいささか慌ただしく、総じて声を大きく張り上げる台詞にはふくらみや陰影が乏しい。
 ささやき声では台詞が聞こえず、細かい表情の変化はみえない。大きな劇場で上演するときにむずかしい点である。しかしそれらのデメリットを克服するための方法として、声を大きくしたり、演技を大仰にすることが有効なのだろうか。それを象徴するのが長女綱子役の浅野温子の演技で、立ち振る舞いのなかに生け花の師匠らしいものが感じられなかった。デメリットをメリットに転化する方法があるはず。
 総じて旗色のわるい男性陣のなかで、次女巻子の夫役の大高洋夫はいわば「もうけ役」で、妻をふくめ四姉妹たちのあいだを泳ぎながら、自分の足元を決して見失わない。欲をいえば妻たちの留守に義父とふたり焚火にあたりながら、「火のないところに煙が立ってるんじゃないですか」の名台詞を聞きたかったが。
 反面、少し気の毒だったのが林隆三演じる父親である。出番が少ないのはいたしかたないのだが、しどころがないというのか。たとえば四女咲子が植物状態になった夫と病室で同衾しようとし、検温の看護婦を父親が阻む場面、あそこまで腰を低くさせなくてもよいのではないか。

 新聞の投書記事を四姉妹がそれぞれの家で割り台詞ののち、群唱する場面は、舞台のための工夫がうまくなされていて(林隆三も指摘している)、とてもおもしろい。このような舞台ならではのつくりを前面に出すことはむずかしかったのだろうか。
 終幕、みながにぎやかに白菜漬けをする場面で、男たちが「女は阿修羅だ」と話し、女たちが「何か言った?」と聞くところ。いや、もっとぞくぞくほど魅力的なシーンが可能なのではないか。

 しかし今回の舞台は、テレビドラマ作品の舞台化におけるさまざまな可能性や魅力を感じさせた。原作者の妹であるエッセイストの向田和子さんが「昭和のオリジナルにしばられることなく、今の平成のみなさんの感性で演じていただきたい」とパンフレットで語ったように、原作の魅力をじゅうぶんに活かしながら、劇作家や演出家、俳優の個性を大胆に展開、あるいは巧妙にすべりこませ、これは舞台でなければ味わえない!と観客を魅了する作品が生まれることを願っている。

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新春浅草歌舞伎

2013-01-15 | 舞台

*公式サイトはこちら 浅草公会堂 27日まで
 市川海老蔵が座頭をつとめ、午前午後ともにすべての演目に出演して口上も述べる。午後の部を観劇した。

 海老蔵が『勧進帳』の弁慶を初めて演じたのが14年まえ、1999年の浅草歌舞伎、当時はまだ新之助であった。自分はこの初日をみている。歌舞伎をみはじめてまだ日が浅い時期だったが、この『勧進帳』には背筋がぞくぞくした。 
 あとになって、前の晩に新之助がお弟子さんと大喧嘩をしたかでうちを飛びだし、市川家は大騒動になったこと、父の團十郎は「せがれが戻らなかったら自分が弁慶をつとめ、せがれには役者を辞めさせる」とまで決めていたこと、お家の芸を初役でつとめることへのプレッシャーが想像を絶するものであったことなどを、雑誌の記事などで知った。
 自分がよく覚えているのは、最後の最後、弁慶が花道で客席に向き直り、さあいよいよ飛び六法がはじまろうとしたとき、大向こうから「たっぷりやれ」と声がかかったことだ。
 「たっぷり」が普通のかけ方であり、しかも少しぶっきらぼうな口調であった。
 これはあくまで想像だが、さぞかし見巧者であろうこの方は、おそらく團十郎はじめ多くの名優による弁慶を何度もご覧になったにちがいない。それにくらべれば新之助初役の弁慶はいかにも未熟で、みていて楽しむにはほどとおいものであったのではないか。
 しかしあの日の「たっぷりやれ」には、力いっぱいやれ、これから精進してどんどん巧くなれ、もっといい役者になれ、自分はそれを待っているぞ・・・とでもいうような励ましと期待、歌舞伎を長年見つづけている方の懐の深さが感じられたのだ。
 あのひとことが舞台と客席をひとつにした。いまでもそう思っている。

 それから14年後の弁慶がどうなのか、実を言うと自分はよくわからない(苦笑)。
 1月10日の朝日新聞に演劇評論家・天野道映氏が、海老蔵に対して非常に厳しい評価を下しておられ、これまでも「舞台行儀が悪い」「自己中心的」「人気と素質と実力が一致するのはいつのことか」等々、まことに辛辣である。
 日ごろの彼の発言や行状をみていると、といっても筆者が知るのは極めてワイドショー的、週刊誌的なレベルではあるが、あの暴力事件を起こしたあとであってもまだまだ不遜な印象はぬぐえない。その印象から想像すると、天野氏の指摘ももっともかとも思う。
 しかし映画『一命』などをみると、素行に問題はあるにせよ、やはりこの人はぜったい必要な役者なのだと確信するのである。

 何度みても『勧進帳』はいいものだ。途中は多少眠くても(!)最後の飛び六法ではこちらまで気合いがはいる。関守の富樫左衛門(片岡愛之助)の情けでここは切り抜けた。向かう奥州で待ち受けているのは滅びである。死への旅路。けれど弁慶は先に行かせたあるじ義経に追いつこうと必死で花道を駆け抜ける。まことに芸のない言い方だが、「しびれる」のである。

 

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