因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

霜月の予定

2008-10-19 | お知らせ
 ダウンしてしまった。そんなに疲れているとは思わなかったのに、午前中起き上がれず。曇り空の休日、うちにいるのは不思議な気分だ。来月は忙しいですぞ。今月末駆込みの舞台も含めて。
ノアノオモチャバコ『人形の家』デヴィッド・ルボー演出の『人形の家』の興奮いまだ覚めやらないが、「立体的なアルバムをめくっているようだ」と評される当劇団の舞台に興味が募る。
演劇集団円『孤独から一番遠い場所』先月の予定にも記載しましたが、改めて。
岡崎藝術座『リズム三兄妹』昨年の今頃『オセロー』をみたものの1行も書けず。いったん苦手意識を持ってしまうと次の足も鈍り、川崎市アートセンターで上演された『三月の5日間』にも行かなかった。必要以上に無理をして芝居をみることにあまり意味はないが、自分が何をみたいか、舞台に何を求めているかという軸がしっかりしていれば、それほど消耗することもなく、予想外の収穫もあるかと思う。
中野成樹多田淳之介+フランケンズ『トランス』翻訳劇でないフランケンズ。本作は内野聖陽、三宅弘城、(たしか)奥山佳恵が出演した東京グローブ座の舞台をみた記憶あり。
『友達』安部公房の作品を岡田利規が演出。や、どちらも苦手科目だぞ。本作は2004年冬に青年座の舞台をみたのが初めてである。老舗劇団の結束力と温かみが伝わる舞台だった。今回は出演者がいろいろな意味ですごすぎて予想ができず。
パラドックス定数『怪人21面相』月初めにみた『三億円事件』が大変刺激的だった。勢いにのって。
スタジオソルト『中嶋正人』第10回記念公演となる本作は、第2回公演『蟷螂~かまきり~』を全面改訂し、キャストも一新した舞台になる。スタジオソルトとの出会いは自分にとって大きな転機となった。旗揚げからみていないことは悔やまれるが、その分気持ちを新たに。
燐光群『戦争と市民』晩秋から初冬のスズナリは燐光群の季節。渡辺美佐子と佐古真弓の共演が楽しみである。
あいだに浜田真理子のライブもあり、映画『容疑者Xの献身』にも行きたく、書きかけの文章、読みさしの本や雑誌は積もり積もるばかり。

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渡辺源四郎商店第8回公演『どんとゆけ』

2008-10-18 | 舞台
*畑澤聖悟作・演出 公式サイトはこちら こまばアゴラ劇場 19日まで

 青森県津軽地方に「ゴニンカン」というトランプゲームがあるそうだ。本作は死刑制度にゴニンカン、更に『巨人の星』をトッピングした舞台だという。タイトルの「どんとゆけ」は『巨人の星』のテーマソング「ゆけゆけ飛雄馬、どんとゆけ」から来ているらしいのだが、それが死刑制度とどう繋がるのか。

☆裁判員制度や死刑制度の是非の議論が熱い今、時を得た作品かもしれません。設定が非常に特殊なので、ここからご注意くださいませ☆

 とは言ったものの、この舞台のどこをどう書けばよいのだろうか。「死刑員制度」という架空の設定のもとに進行する話である。これから被害者遺族の手によって死刑が執行されるのだという。のんびりとした青森言葉でそのことが知らされたとき、一瞬「冗談だろう」と思った。架空の設定、近未来の話とするには登場人物の会話や服装、家具調度類はごく普通で、そんな調子でこの民家で死刑が行われるというのは受け入れるのが難しい。当然のことながら被害者家族の心情は筆舌に尽くしがたく、また死刑囚の家族が離散したことも痛ましい。どちらも絶望的に救われないのである。

 和室の一部屋が床から浮き上がっているように舞台が作られており、周囲には夥しい食器や電化製品などの日用品が置かれている。正面の壁は黒く、白い絵の具で窓から見える風景が描かれていたように記憶する。日常的な場所であるとみせて、現実から浮遊した空間を作り、死をもって罪を償うことは可能かという大変に重苦しい問いかけを提示している。殺された家族を元通りに生き返らせない限り、被害者は加害者を赦さない。それは不可能だ。被害者も加害者も歩み寄れないまま、また加害者の家族も言葉にしがたい苦痛を抱えて生きていかねばならない。

 夫と可愛い盛りの息子2人を殺された妻と、死刑囚と獄中結婚した女性が対峙する。どちらにも微妙にざらついた嫌な印象を持った。自分はどちらの立場も経験がない。しかし、想像しないと。

 10月18日朝日新聞に「悩みのレッスン」というコーナーがあり、今日は20歳の女性が「自殺した妹を救えなかった、償いたい」と悩みを寄せていた。創作家明川哲也の答は実に思慮深く温かいもので、何度も読み返している。『どんとゆけ』と繋げるのは無理があるが、どう書いてよいかわからない今夜の自分にとって、ひとつの救いである。

 購入してそのままにしていた森達也の『死刑』(朝日出版社)をようやく手に取った。来月はスタジオソルト公演『中嶋正人』が控えている。ともかく考えよう。

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JAM SESSION 『東海道四谷怪談』

2008-10-14 | インポート
*鶴屋南北原作 西沢栄治演出 公式サイトはこちら 赤坂レッドシアター 12日で終了

「演劇は役に立つ」。第6回公演『罪と罰』に寄せた西沢栄治のひとことは、以来ずっと自分が演劇に関わる上でのひとつの指針になっていると思う。自分が食べること、相手に勝つことが第一の社会にあって、演劇はどんな力を持ちうるのか。迷い悩む人を救えるのか?加えて信じがたい凶悪事件が続発する今、演劇が何を提示できるのだろうか?ぐじぐじと筆の進まない自分に、西沢は「この世の不条理に、この狂った世界に異議を申し立てたいと思う」とぶつかってくるのである(今回公演パンフレットより)。受けて立ちたい。

 『東海道四谷怪談』は歌舞伎で何度かみているので、物語の筋などだいたいのことはわかる。しかし小さな劇場で繰り広げられる西沢版四谷怪談は躍動感に溢れている。中でも主演の2人、民谷伊右衛門の伊原農(ハイリンド)とお岩の斉藤範子(Theatre劇団子)に目が引きつけられる。伊原は色悪の魅力に満ち、あれならお岩や伊藤喜兵衛の孫娘がぞっこん惚れ込むのも無理はない。斉藤は硬質で聡明。時代劇でも翻訳劇でも演技の軸がずれない安定感がある。冒頭、群集の中に互いを認め、ひしを抱き合う伊右衛門とお岩の姿。そうだ、この2人は愛し合っていたのだ。なのに、どうしてこんなことに。
 
 「四谷怪談」というと即「お岩さんのお話ね」とオカルトやホラー的な要素だけを考えてしまいがちであるが、八方塞がりの閉塞的な状況にあって必死にもがき苦しむ人々の姿は、抗いようもない運命に対して勝ち目のない戦いを挑んでいるかのようである。世の中が悪い、社会が悪いと言う。じゃあ世の中って、社会って何?政治が悪いのなら、政治家が代われば世の中が良くなるのか?一国の首相が2人続けて政権を投げ出し、金融危機が世界を脅かす。「誰でもよかった」と無差別殺人が続発するこの世にあって、「東海道四谷怪談」の投げかけるものは深く重い。 諦めるな、闘い続けよ。お岩や伊右衛門の壮絶な姿を通して、演劇というお金や権力とは無縁の、しかし最強にして最愛の武器をもって、西沢栄治は観客に檄を飛ばし、走り続けるのである。

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ヒンドゥー五千回×宮沢大地

2008-10-13 | 舞台
*別役実作『眠っちゃいけない子守歌』 岸田國士『命を弄ぶ男ふたり』いずれも扇田拓也演出 公式サイトはこちら 江古田ストアハウス 8日で終了

 別役実の『眠っちゃいけない子守歌』の戯曲を読んだのは、おそらく20年以上前になる。中村伸郎が男1を演じた初演をみることはできず、それからだいぶたって藤井びんが男1を演じた舞台の録画をテレビでみたが、あまり記憶に残っていない。この作品の上演を実際にみたのは2004年3月横浜相鉄本多劇場に於けるトーキョー・バッテリー・ブラザーズ公演、加藤一浩演出の舞台であった。この公演は『小さな家と五人の紳士』との2本立てで、山登敬之との交互演出、しかも演じる俳優陣は2日間、3公演ですべて異なるという企画であった。自分がみる舞台は、この日1日限りのものになるわけである。別役実作品というと、どうしても中村伸郎の姿や声が思い浮かび、男1の「それでなくたって、私は死にそうなんだから」という台詞を聞いただけで「ああ、いかにも中村さん!」と懐かしくももどかしくなる。しかしいつのまにか目の前の舞台に引き寄せられていき、終演後は自分でも不思議なほど心が満たされて帰路に着いたのであった。なぜだろうか。

 今回の『眠っちゃいけない子守歌』は、女1も男性が演じる。野太い男の声のままで「ごめんください」と冒頭の台詞があり、「おかしいわね」と言いながら女装というには衣装も化粧も半端なこしらえで、女1(向後信成)が登場すると客席には笑いが起こる。ここは笑うところではないのだが、と思いつつ、演出家の意図を探る。男1(久我真希人)はまったく死にそうに見えないし、2人は勢いよく(しかしやりとりは噛み合ない)台詞をしゃべり、取っ組み合いまでする。
 
 もう1本の『命を弄ぶ男ふたり』は、年末渋谷ルデコで風琴工房の詩森ろばが演出する舞台をみた。しかも男2人のうち、「包帯」を演じたのがまさに扇田拓也だったのである。だが情けないことにほとんど記憶に残っていない。

 満たされた記憶と、残っていない記憶。そのどちらも新しい舞台をみるときの糧になる。今回の舞台についてはいまだきちんとしたものが書けないのだが、2本とも心身覚醒して舞台に見入ったことは確かである。どちらも偶然2度めの観劇になる。いつの日か3度めの正直があるさと期待するのは怠慢だが、年月を経て如何様な読み方、作り方にも堪えうる戯曲であるという手応えはますます強くなった。

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劇団掘出者第5回公演『ハート』

2008-10-11 | 舞台
*田川啓介作・演出 公式サイトはこちら 王子小劇場 14日まで
 舞台を一緒に作りたいと願い、劇団を結成する。その交わりを維持し、成長させていくのは大変むずかしいことだと思う。演劇が好きだという点では同じでも、それぞれの考えや希望は必ずしも一致せず、衝突や混乱もあるだろう。カリスマ的な主宰が牽引していく方法にも問題があるし、ひとつの集団を維持運営するにはさまざまな雑事も生じる。日大芸術学部演劇学科から誕生した劇団掘出者との出会いは今年の春『チカクニイテトオク』であった。それから7ヶ月、第5回公演の『ハート』は、この劇団が着実に成長している足取りを確信させるものであった。

 ☆今日みたこと、感じたことをたくさん書きたい、伝えたいのですが、むずかしい。お読みになっても意味のわからない箇所がたくさんあると思います。自分の筆の拙さがはがゆくてなりません。これからご覧になる方のために、このあたりからご注意を☆

 白い壁が一面にあり、上手と下手に出入り口のようなものがひとつずつ。他には何もない。極めてシンプルな舞台である。公演チラシにも新作について具体的なことはまったく書かれておらず、観客はほとんど情報のないままに舞台に臨むことになる。女性が登場し、客席に向かってアダム・スミスの「共感」について感想を話す。自分には小学2年生の弟がいる。弟が大好きだ、お母さんも大好きで、自分は弟やお母さんの中に入って、同じようになれると言う。そして彼女の少し奇妙な癖を持つ弟や母親、弟の担任教師、友達や近所の人たちなどが次々に登場する。俳優は複数の役を兼ねるだけでなく、ひとりの人物を入れ替わり立ち替わり違う俳優が演じるのである。

 たとえば眼鏡をかけることで、その俳優は少女になり、ズボンとシャツの裾をまくって少女の弟になり、エコバッグを下げると彼らの母親になる。男女の区別もなく、少年から老人まで。混乱は感じられなかった。目の前にいる人物は特定の誰かであると同時に、他の人物にもなりうるということだろう。

 相手を理解する、相手の気持ちに共感することがどれだけ困難であるか、共感できたと思ってもたちまちそれは誤解であり、ひとりよがりの思い込みであると絶望させられる。しかし人は誰かと繋がっていなければ生きていけない。自分が傷つくのも嫌だが、自分が誰かを傷つけるかもしれないと思うと、もっと恐い。自分が人からどう思われているのかが気になってしかたがない。登場人物の言動はいささか自意識過剰のようではあるが、相手を理解したい、共感しあいたいのに、それができずにもがき苦しむ姿は痛々しい。チラシにある細い釘で形作られたハートは、傷つきやすく、傷つけやすい彼らの心を表わしたものだろう。

 自分が好ましく思うのは、本作の形式が作者の手腕を見せることや、表現の手段や仕掛けに陥っていないところである。演じる俳優がめまぐるしく代わることや、男性が女性役をやったり、いきなり老人になったりするところで結構笑いも多かったが、客席の空気が次第に張りつめてくるのがわかる。この作品はここで終わるものではないと思う。言い換えれば作者の思いはまだ続いている。劇団の名前の通り、自らの思いをさらに掘り出し、さらにみる者の心の奥底からももっと掘り出してほしい。

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