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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

橋爪功ひとり語り

2025-03-26 | 舞台
*公式サイトはこちら 26日のみ 武蔵野公会堂 
 橋爪功出演の観劇記録はこちら→新国立劇場『ゴドーを待ちながら』(2011年4月)、橋爪功×シーラッハ『犯罪|罪悪』(2013年12月)、第5回したまち演劇祭in台東 したまちばなしー物語が生まれるところー『おとこのはなし』(2014年9月)、演劇集団円トライアルリーディング公演『虫たちの日』(2020年9月)、1月の筒井康隆
 武蔵野公会堂はかなり年季の入った建物で、客席の椅子が小さく、前席とのあいだも狭いものの、床の勾配は案配良く、両サイドに中二階風の席があるなど、温かみのあるホールだ。

 1本めは新美南吉『花のき村と盗人たち』。軽快なジャズピアノの音楽とともに橋爪功が登場。物語のあたまは大事な「つかみ」部分であるが、ピアノの音量の加減がやや大きいまま始まり、肝心の語りが聞きづらかったのが残念だ。マイクの音質もあとひと息、洗練がほしい。

 盗賊のかしらと4人の弟子たちが花のき村へやってきた。かしらはこれまで数々の盗みを重ねてきたプロだが、弟子たちは盗人になりたての素人である。下見を命じられると、大工や鋳物師、角兵衛獅子など、以前の仕事の感覚のまま、壊れ鍋の修理を引き受けたり、老人の笛の音に聞き入ったりなど頓珍漢をやらかす。呆れるかしらのところに、1頭の子牛を連れた男の子がやってきた。

 人間の善なることを楽しく温かく描いた物語で、橋爪はかしらはじめ、年齢も気性も異なる4人の弟子たちを自在に語りわけ、目の前にその人がいるかのように生き生きと聴かせる。台本のページをめくりすぎてヒヤッとさせられたが、にっこり笑って指をぺろぺろと舐めて元のページに戻るという愛嬌溢れる仕草に観客は安堵し、最後まで聴き入った。

 2本めは芥川龍之介『桃太郎』。桃太郎が犬と猿と雉をお供に鬼ヶ島へ鬼退治に行くという基本的な筋はそのままに、何ともダークなおとぎ話である。桃太郎一行は平和な鬼ヶ島への侵略者であり、老若男女の鬼たちを大量虐殺し、宝物を略奪する。残虐行為を例えて「獣のような」と言われるが、猿が女の鬼たちにしたことは人間と同じだ。獣よりも人間の方が酷いと思われることであった(ここの場面の橋爪の語りがぞくぞくするほど良い)。

 太宰治の『カチカチ山』を想起させ、誰もが知っている、あの『桃太郎』の裏側、人間の残虐性を抉り出す恐ろしいお伽話である。橋爪はカーテンコールで、「子どものお客さんを想定していたが、随分昔のお子さんたちが多くて」と笑わせたが、いや、やはりこれを子どもに聞かせるには躊躇いがある。

 橋爪功はどんな物語のどんな人物、いや動物や植物、森羅万象も自由自在、軽やかに茶目っ気たっぷり、飄々と語る。滑舌が少々あやういところもあるのだが、前述のアクシデントのように、それすら味わいに転化してしまう。新劇の大御所、語りの大家といった威圧感や敷居の高さがないのが魅力である。あの物語も語ってほしい、橋爪功ならあの童話をどう聴かせるのか等々夢は尽きず、この春からも続けて足を運びたい。
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