因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

因幡屋5月の課題

2009-04-27 | お知らせ
 またしてもお花見をしないうちに桜が散ってしまった。KAKUTAの「朗読の夜」をみにスズナリへ行く途中に大きな桜の木があったのには驚いた。これまで数えきれないくらい歩いた通りなのに気づかなかったとは。今は新緑が目に眩しい。5月は後半から忙しくなりそうです。
日本語を読む その2 昨年(1,2,3,4,5)に続く第2弾。1本しか行けそうもないが、『さらば映画よ』で松重豊と吉見一豊の競演が楽しみ。
しずくまち♭『しびれものがたり』本作は2007年秋に初演され、2008年の劇作家協会新人戯曲賞を受賞した。初演をみたのは麻布die pratze。今回は日暮里d-倉庫で。町の雰囲気も劇場の様子も大きく異なる場所だ。
風琴工房『無頼茫々』春はやっぱりスズナリで風琴の新作。
演劇集団円『初夜と蓮根』
*新国立劇場 同時代シリーズ『タトゥー』
スタジオソルト『天気のいい日はボラを釣る』椎名泉水の外部演出も含め、これまでの劇評はこちら→1,2,3,4,5,6,6`,7,8,9
shelf『ちいさなエイヨルフ』昨年夏の初演は、まさに夏の夜の夢のように、詩情の漂う幻想的な舞台であった。その後富山県利賀村の野外劇場や七ツ寺共同スタジオでの上演を経て、5月再び初演の空間に戻っての凱旋公演となった。上演時間もキャストも異なるバージョンだそう。
*二騎の会『一月三日、木村家の人々』多田淳之介の演出について(1,2)もっと考えたいと
思う。
*東京乾電池月末劇場 3月の『驟雨』はよかったな。早くも病みつきになりそうで、さきほど4月公演の予約をしたばかりです。5月は12日から14日に(これだと中旬劇場ですが)渡辺統の『野球の謎』。月末には劇団東京乾電池公演として、竹内銃一郎の『伝染』があります。演出は麻生絵里子。『驟雨』で妹を演じた方ですね。出演もなさるそう。HPに動画のCMあり。
 今はえびす組劇場見聞録と因幡屋通信の原稿を提出して一息ついたところ。これから校正が始まり、何度も細かいやりとりがあって落ち着かない日々なのだが、「今は書かなくても大丈夫なんだわ」と怠け心が出てきてしまうのである。雑誌や新聞の整理、滞っているブログ記事の作成、買ったまま手つかずの本。『劇作家サルトル』、『ドラマ脚本の書き方』などなど既に書棚のインテリアと化している…。5月の課題は「気を抜かない」。衣替えもサッサカ済ませましょう。
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ミズノオト・シアターカンパニーPLUS『枝わかれの青い庭で』

2009-04-17 | 舞台
*平松れい子作・演出 引用;ボルヘス著『トレーン、ウクバール、オルビス、テルティウス』 公式サイトはこちら 横浜美術館レクチャールーム 19日まで

 みなとみらい線を降りて地上に上がり、広場を通って横浜美術館のエントランスに着く。贅沢な広さである。今回の会場がなぜ「レクチャールーム」なのか、開演してその理由がわかる。
 自分は初日前日になって電話予約したのだが、当日会場につくと受付はまだだという。開場時刻と同時に受付開始になったが、「予約済み」のリストに自分の名はなかった。「当日精算」だったので、となりの「当日券」の窓口にいけばよかったのだろうか。そのあたりがよくわからない。チケットは無事出してもらえたが、何となくすっきりしない受付であった。滞りなく速やかに進む受付に慣れているせいか、芝居をみる前からやや気が削がれてしまう。

 さて舞台本編である。芝居を上演することだけを目的に作られたスペースではないことが、劇の構造上活かされた場面もあったが、客席にいる身には終始居心地の悪さがつきまとった。冒頭に出演俳優のひとりである下総源太朗と作・演出家の平松れい子の対談(というか前振り)があることに始まり、この作品に向き合う自分の在り方、立ち位置が決められないのである。当日リーフレットによれば、作者は「障害の概念そのものを再提示するような作品づくりを目指し、俳優だけでなくADHD、発達障害、アスペルガー症候群といった方々の対話や共同作業が稽古の基本になっている」とのことだ。普通にみる物語、お芝居とは創作意欲の方向、目指す地点が違うものと思われた。冒頭の前降りから唐突に劇世界に入ることもひとつの試みなのだろうが、充分な効果を上げていたとは思えない。

 正直に言ってしまうと、今回のお目当ては下総源太朗であった。劇作家の筆や翻訳の出来や演出家の腕がまだ充分に発揮されていない作品であっても、下総氏ならかなりのところまで「芝居」として作り上げる力をお持ちである。その様子がみたくて下総氏自身の俳優としての魅力プラス、俳優が戯曲に力を与えて見応えのある舞台を作り上げるところをみたかったのである。だが今回は非常に難しかった。

 作者の目指すところは演劇の枠に留まらず、コミュニケーションに悩みながらもいろいろな人々が共に生きることを探っている。その志と心意気を演劇として提示するにはどうすればよいかをもっと考える必要があるのではないか。舞台は作り手と見る側が同じ時間と空間を共有するものだ。身内や業界の知り合い客やコアな演劇ファンだけでなく、より多くの人々と舞台の世界を共有したいと願うのならば。それは決して「もっと単純でわかりやすい表現にする」ということではない。

 終演後おもてに出ると、雨に煙る暗い広場の向こうに明かりのついた高層ビルが見える。静かで無機的な空気はほかでは見られないシチュエーションであり、通常の劇場のような賑々しさとは違う雰囲気に、今回の作品は合っていると思われる。それだけに残念だ。
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ユニット・トラージ『アチャコ』

2009-04-09 | 舞台
*北村想作 小林正和演出 公式サイトはこちら こまばアゴラ劇場 12日まで
 北村想の作品、プロジェクト・ナビの舞台にせっせと通っていたのは、もう20年以上前のことだ。自分は『ザ・シェルター』や『想稿 銀河鉄道の夜』が特に好きであった。素朴でとぼけた味わい、ファンタジックな雰囲気のなかに、人が生きるために何が大切かをさりげなく描いていて、見終わったあと優しく温かな気持ちになれる。いつのまにか足が遠のき、久しぶりにみた北村想の舞台は、言われなければ誰の作品かわからないほどであった。や、これはいったいどう表現すればいいのか。
 アダルト小説家・大河内伝三郎先生(土居辰男/ジャブジャブサーキット)が、一番弟子(渡山博崇/星の女子さん)の沸かすドラム缶風呂にゆったり浸かっているところに、新作を読んで欲しいと二番弟子(空沢しんか)がやってくる。先生は入浴中で読めないため、二番弟子は小説のリーディングを始める。その内容が大変アダルトなのだが、空沢しんかの口調は静かで抑制が効いており、まったく下品に聴こえない。本人が言うとおり純文学の香りすら漂わせる。そこにやってくる女性編集者(斉藤やよい/B級遊撃隊)は、一見知的で上品な美人だが大河内先生の担当だけにものすごいことをさらっと言ったりする。さらに弟子入り志願の女性(ジル豆田/てんぷくプロ)もやってきて、ときどき黒子のように演出の小林正和も顔を出し…台詞だけを取り出すと下品、猥褻、悪のり、意味不明、支離滅裂とマイナスイメージが次々に沸いてくるが、目の前の舞台はえも言われぬ格調が(ほんとうです)感じられて、具体的にどういうことかと考えると、それを的確に言い表す言葉を今夜の自分は持ち合わせていないのだった。

 いったい北村想に何が起こったのか。

 若い劇団の舞台をみていて、「俳優やスタッフは、自分たちの作っている作品がどういうものかわかっているのだろうか」と疑問を抱くことがある。今回の『アチャコ』に対して、その印象はなかった。俳優の演技は隙がなく台詞、立ち回り(少し)、踊りや歌含め北村想の戯曲をきちんと受け止め、何とか形にしたいという熱意と努力の跡が感じられた。演出の小林正和の苦労が偲ばれ、何とか多くの人にみてもらいたいと思う反面、万人受けする内容、表現ではなく、うっかり勧められないことも確かである。困った。しかし困ってあれこれ考えるのが案外楽しいのである。『アチャコ』効果なり。

 
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KAKUTA 朗読×演劇、二作品同時上演

2009-04-05 | 舞台
 桑原裕子の処女戯曲を改訂した『さとがえり』と4人の小説家の短編を緩やかに繋いだ朗読劇『帰れない夜』を交互上演する試み。公式サイトはこちら ザ・スズナリ 12日まで
『さとがえり』はストレートプレイ、『帰れない夜』は小説の朗読形式で、前者がありえない設定とはいえドタバタのほのぼの家族劇であるのに比べると、後者はがらりと雰囲気が違う。どちらも「帰る」ことがキーワードになっていて、家族や親戚、古くからの友達のいる懐かしい場所へ帰ることのささやかな幸せをみせる『さとがえり』に対して、愛を求めながら愛に縛られること、過去に帰れないことの身を裂かれるような悲しみ、失った愛がもたらした取り返しのつかない不測の事態が描かれる。こちらは相当に怖い。ホラーである。自分は後者が好み。
『帰れない夜』については、取り上げた短編をどれも読んでいなかったことが幸いして、ほんとうに恐ろしい思いもし、またしんみりと考えさせられたり、久々に客席で泣いたりもした。どれも重く深い作品である。この公演が「リーディング」ではなく、「朗読」とうたってあることを改めて考えた。地の文を語る俳優がいて、台詞部分を俳優が演じるという手法は、2007年の『神様の夜』で堪能しており、今回もその形をとる。小説を読むというひとりで行う閉じられた行為が、舞台で俳優が読まれるのを聞き、俳優が動き、話す様子を観客がみることによって、その場にいた人々が作品の世界を共有することができる。違う作家による4編の小説を、オリジナル部分『帰れない夜』が緩く繋いでいく手法にも改めて感じ入った。題材を選ぶセンス、それらを無理なく繋いでひとつの舞台に構成する桑原裕子の力、この手法をほぼ完全に自分のものにしており、俳優やスタッフもそれに充分に応えていることが感じられる。

『帰れない夜』の4つの物語に共通するのは、喪失感であろうか。愛の喪失、絆の喪失である。愛が強いあまり、自分を愛さない相手をも死に陥れる話、愛する家族を失った辛さに耐えられない話、自分に愛がなかったことを悔やんで、ひたすら愛を求める話。誰もが逃れられない死に対する諦念を知る辛さ。これらをつなぐオリジナル部分はできれば愛を信じて終わるものであってほしいと願い、そうなりそうだったが果たしてぞっとするような終幕であった。この終わり方をどう捉えるか、まだ心は迷っている。

 やはり二作品とも体験できたことを幸せに思う。帰ることのできる喜びを、帰れない絶望が覆す。またその逆もあって、まるごと人生なのだから。
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因幡屋4月の課題

2009-04-01 | お知らせ
 因幡屋通信、えびす組劇場見聞録の次号準備のため、4月の課題は「書き始める」です。未確定も含めて予定は次の通りですが、因幡屋が2人いなければどうにも無理なものもあって、実に悩ましい桜の季節なのでした。
「アリスフェスティバルの26年」劇評サイトwonderland主宰の特別セミナー。新宿のタイニイアリス支配人であり、アリスフェスティバルのプロデューサーである西村博子さんが3日間に渡って劇場の歩みを語るもの。
石神井童貞少年團 豪女っぱり企画公演『その女、しゃらくせぇ。~励ましやの褒め殺し女現る~』(1,2)この劇団との出会いが渋谷ルデコとの出会いであった。
KAKUTA『帰れない夜/さとがえり』朗読×演劇、二作品同時上演の試み。2007年の『神様の夜』はほんとうに楽しく、前半は一人で、後半は家族や友人も誘って楽しさを共有できた。さて今回は?
アロッタファジャイナ『偽伝、ジャンヌ・ダルク』(1,2,3)
庭劇団ペニノ『苛々する大人の絵本』はこぶね(劇団アトリエ)に行くのは、これが初めてになる。
*同時代シリーズ『シュート・ザ・クロウ』番外リーディングの『最後の炎』にも行きたし。
ミズノオト・シアターカンパニーPLUS『枝わかれの青い庭で』惹かれたのは下総源太朗の出演だが、公演チラシからは幻想的な雰囲気が感じられる。
劇団昴『親の顔が見たい』初演を見逃したので、とても楽しみである。が同時に大変きつい話であるだろうと覚悟して。
*東京乾電池月末劇場 (1) 4月は岸田國士の『命を弄ぶ男ふたり』と、竹内銃一郎の『フーミンアイス』の2本立て。
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