因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

2011年因幡屋演劇賞

2011-12-31 | お知らせ

 あっというまの1年、しかもこれまでに味わったことのない恐怖や不安、困惑や怒り、無力感に襲われた特別な年でした。そして安心して劇場の客席に身を置けることの幸せを噛みしめる年でもありました。感謝と喜びをもって、2011年の因幡屋演劇賞は以下の皆さまに贈ります。

1,ミナモザ公演 瀬戸山美咲作・演出『エモーショナルレイバー』
 シアタートラムでのネクスト・ジェネレーションvol.3における再演。
 今年になって、ますます巧妙な手口の振り込め詐欺が増えている由。彼らのすがたはみえないけれども、どこかに必ず存在する彼らにこの舞台をみてほしい。
 2,劇団Mayの活動
 金哲義作・演出『晴天長短』『夜にだって月はあるから』『ビリー・ウェスト』
 春先にその存在を知ってからというもの、怒涛の勢いで芝居をうちつづけるMayは自分にとってなくてはならない存在になった。来年は今年ほど東京公演はないそうで、ならば自分から大阪に行くしか。
3,明治大学演劇集団声を出すと気持ちいいの会の活動
 山本タカ脚本・演出『被告人ハムレット』『黒猫』(再演)
 舞台の完成度なら断然『黒猫』であるが、どちらか1本と言われれば『被告人ハムレット』を推す。シェイクスピアの『ハムレット』を、臆せず大胆な切り口で力強く読み解いた舞台から新鮮な刺激を受けた。来春は同じシェイクスピアの『真夏の夜の夢』に挑む。大阪・一心寺シアター倶楽での公演もあり、来年の活動をもっとも期待する劇団のひとつだ。
 
4,劇団フライングステージ公演『ハッピー・ジャーニー』
 以前も書いたことがあるが、高校時代の恩師から聞いた「何をいかに言うかは、何をいかに言わないかである」ということばは、演劇をみるとき、自分が文章を書くとき、常に心の奥にある。この舞台をみて改めて心に刻みつけた。来年の夏がきたとき、1年前の夏をどんな気持ちで思い出すのだろうか。
5,学生版『日本の問題』(A,B)
 「日本の問題」という大きな課題が与えられること、上演時間が短いこと、劇場が狭いこと、3劇団ずつ連続上演すること。どれも低くはないハードルだ。それに全身で立ち向かうもの、逆手にとって自分たちが思いきり楽しむものと、カラーもさまざま。いくつかの舞台は、もっと長いバージョンでみたい、その先の物語を知りたくなった。これは描写が不十分であるということではなく、もっと深く遠いところへ到達する可能性があるということだ。逆にもっと削ぎ落としたほうが、客席にメッセージが明確に伝わるのではという舞台もある。
 すでに手にしているものをさらに活かすか、足らないところを得ようとするか、そのままで走るかはそれぞれの自由だ。こちらも負けずに。

 上記劇団に最初に出会ったのは、もっとも早いミナモザとフライングステージで6年前、コエキモは1年前、Mayにいたっては9カ月前、『日本の問題』に参加した学生劇団のなかには今回がはじめてのところもあります。
 いずれもすでに何本も上演をみている知り合いから「よかったらぜひ」と勧められたり、自分の通信やブログを読んでくださった関係者からご案内をいただいたりしたものばかり。
 つまり完全に自力でたどりついたものは皆無ということで、自分ひとりで得られる情報がいかに少なく、偏りがあるかに気づかされ、それまで何をみていたのかと愕然としました。
 まさに「昔はものを思わざりけり」で、劇団に出会って以来まるで新しい恋に落ちたかのように、豊かで幸せな時間が続いているのです。
 
 さまざまな舞台との新鮮で豊かな出会いを与えてくださった方々に感謝します。
 3.11の震災をさかいに、変えなければならないものと変えてはならないものを、これまで以上に考え、実行しなければならないでしょう。
 来年も因幡屋通信、因幡屋ぶろぐを、どうかよろしくお願いいたします。
 みなさま、よいお年を!

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wonderland 振り返るわたしの2011年

2011-12-29 | 舞台番外編

 劇評サイトwonderland年末恒例の回顧アンケート「振り返るわたしの2011年」に参加いたしました。今年1年で心に残った公演を3本に、コメント300字です。
 参加者は40名!選ばれた3本をざっと拝見したところ、因幡屋と重複している演目は・・・ありませんでした。これは初めてかもしれません。
 逆に複数のかたが選んでいるものが、因幡屋には手も足もでなかった演目があったり、開幕してから上々の評判だったにもかかわらず、どうしてもみにいくアクションを起こせなかった公演もあります。
 今年の観劇本数は、おそらくこれまでで最多になりました。少し多すぎたかなと反省しております。新しい分野へは臆せず積極的に、しかしそれがどうしてもみたい芝居か、どうしてもみなければばらない芝居かを、もっと冷静に考える必要があるでしょう。

 こちらも年末恒例の「因幡屋演劇賞」は、上記の3本にもう少し肉づけたものを改めて発表いたします。お楽しみに!

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劇団May vol.30『ビリー・ウェスト』

2011-12-23 | 舞台

*May+劇団タルオルム連続公演/Alice Festival参加公演 金哲義作・演出 公式サイトはこちら 新宿タイニイアリス 25日まで』(1,2,3,4,5)
 春先にはじめて出会った劇団Mayの舞台はクリスマスシーズンで6本を数えることになった。
 知り合いから教えてもらうまで、Mayのことをまったく知らなかったのだ。
 知り合いもまた演劇の作り手の方である。考えてみると、作り手自身から同業者の芝居を熱心に勧められることはあまりないのではないか。作り手の方々の心象は想像するしかないのだが、自分とはまったく違う作風の人や、はるかに素晴らしいと認めざるを得ないものに出会ったとき、それを素直に受けとめ、周囲にも勧めるということは、なかなかできないことではないだろうか。
 知り合いは自分がMayを出会って衝撃を受けたことを飾らないことばで語ってくれた。同じ作り手として敬意をはらうと同時に、ひとりの観客として楽しんだことが伝わってきて、自分も観劇を決めたのである。
 おかげで自分はもちろん、家族や友人たちもみごとに嵌りました(笑)。
 Sさん、感謝いたします。

 朝鮮学校の高校生テセンが主人公だ。日本人の高校生に喧嘩を売られては一方的に殴られるばかり。家庭は少し複雑だ。母は再婚で、うちには血のつながらない姉たちがいる。もの静かな父はテセンを心から大切にしている。ある日母が「アボジが自分の姓をおまえに継いでもらいたかっている」と言いだす。幼いころに別れたきりの、血を分けたほんとうのアボジ=父にテセンは会いに行く。

 

 これまで見慣れていた笑いと涙にあふれるエネルギッシュな舞台とは様相が違い、笑える箇所はほとんどない。ほんとうのアボジが、心を通わせていた3人のいとこたちと、互いの思想や事情によって違う場所で生きるために別れたこと、彼らのひとりの出国を手伝ったために逮捕され、愛娘を犯罪人の子にしたくないと籍から抜いたこと。その娘の幻影にいまも悩まされていること。

 3人のいとこたちの思想や主張、事情の違いすら、正直なところよく理解できなかった。
 生きにくい場所で、必死に「朝鮮人になろう」と努力してきた父、しかし息子は「朝鮮人をやめたい」と言う。同胞がいがみ合い、血を流して傷つけあう。「金持ちになるには、どこかにものすごい貧乏人を作ることだ」というある種の経済原理は、机上の経済学などぶっとばす。
 その一方で、「誰かを憎んだり恨んだりするのは煙草と同じで自分が擦り減っていくだけ。赦さないと」と語る母のことばは、似たことはこれまでも聞いたことはあるが、生身の肉声としてこちらに届く。

『ビリー・ウェスト』。このタイトルは象徴的である。チャップリンのものまねをやりつづけた俳優に、テセンは父や自分を重ねる。

 スローモーションの動きやみえない鏡を使って、小さなステージに長い年月と遠く離れた国をみせる手法は鮮やかだ。

 だんだん記述が先細りになってきましたね(苦笑)。
 投げかけられたものがとても重たいためだろう、筆も重くなるのである。
 Mayの舞台をみていつも思うのは、劇世界に対して自分の人生やことばが追いついてゆかないもどかしさである。
 在日朝鮮人である作者の金哲義には朝鮮半島の北に会えないまま亡くなった伯父が、南にはいまだに会えない伯父がいる。伯父たちが歩こうとしてできなかった道を、金哲義は舞台をつくることを通して歩こうとしているのだ。

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学生版『日本の問題』Bチーム

2011-12-21 | 舞台

Aチームに続いてBチームを観劇した。途中休憩なしの90分。
 上演順に
1,桜美林大学/思出横丁 岩渕幸弘作・演出『鼻曲がりの残像』
 恋しい人の手紙を待ち焦がれて死んだ、いや死に切れない3人の娘たち。
2,早稲田大学/荒川チョモランマ(1) 
  長田莉奈作・演出『独り、だなんて言わせない』
 女子会のクリスマスパーティ。なぜか『若草物語』の四姉妹の名をもつ彼女たちはおおいに盛り上がるが、実はそれぞれの本音があり、ひとりの男性が絡んでいた。
3,青山学院大学/劇団けったマシーン(1) 白井洋平作 鳥越永士郎演出『喫茶しののめ』
 不法滞在の外国人労働者が多い町。兄と妹がよい香りのコーヒーとおいしいケーキを出す喫茶店をいとなむ。

 こちらもAチームに負けない仕上がり。凝った舞台美術や小道具類が少なくないが、スタッフのすばやい対応ですっきりと鮮やかに進行する。
 A,Bどちらか片方でももちろん、両方みればより楽しめるだろう。
 ここから先の記述はご注意のほど。
 

 思出横丁 岩渕幸弘作・演出『鼻曲がりの残像』
 演目のなかではもっとも大掛かりな?舞台美術が施されている。白装束に白塗りの3人の美しい娘たち。棺桶のなかには折りたたんだ手紙がいっぱいだ。しかし彼女たちが待ち焦がれているあの人からの便りは来ない。
 久びさに全編絶叫調のアングラ風の芝居に触れて少々驚いた。3人はべつの人格のようで、もしかするとひとりの娘の分裂した様相かもしれず。観念的な台詞のなかに俗なものも入り混じりる。
 これが劇団初見の舞台であり、ひとつみただけでは判断できない。
  次回を待つことにしよう。

 荒川チョモランマ 長田莉奈作・演出『独り、だなんて言わせない』
 30分弱の小品であるが、もう少し先を知りたい、終わってしまうのが惜しいと思わせる。
 劇作家の作劇、俳優の演技は呼吸がよく合っていて、達者な手さばきはほんとうにお見事だ。俳優のキャラのおもしろさやギャグの場面を小出しにしながら話を引っ張ってゆくのではなく、自分の言いたいこと、みせたいことが演劇でどう表現できるかを懸命に考え、仲間たちと力を合わせている印象だ。
 頑張り屋の演劇女子たち。そのなかでひとり気を吐くローリー役のたこ魔女さんが気になる。

 劇団けったマシーン 白井洋平作 鳥越永士郎演出『喫茶しののめ』
 6劇団のなかで唯一作者と演出家が異なる作品だ。不法滞在の外国人労働者を排除するか、共生を試みるか。行政の施策の前に個々人の家族や友人の濃厚な交わりがあって、一筋縄ではゆかない。劇団の次回作は「社会派二本立て」と銘打ってあることからも、作り手が社会のさまざまな問題をどう舞台にするかを創造の核としていることが窺われる。
 30分のなかでみせるために、台詞に情報的な面が出てしまうのはいたしかたないが、説明台詞を聞いている感覚はない。舞台下手奥の階段?や通路を巧みに使いながら、いなくなった人の存在を自然にみせる。あざとくないのが好ましい。
 話の運びにやや強引なところがあって多少とまどうが、これも荒川チョモランマ同様に、もっと先を知りたい、終わるのが惜しいと思わせた。上演時間をたっぷりとって台詞や場面を増やすのではなく、同じ30分の枠でもっと研ぎ澄ました対話を通して、もっと遠く、深い地点へ到達する可能性を秘めた作品だ。

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学生版『日本の問題』Aチーム

2011-12-21 | 舞台

 小劇場版(1,2)に続いて今度は学生劇団6つが腕を競い合う。公式サイトはこちら 渋谷ルデコ 25日まで 途中休憩なしの80分。
*Aチーム 上演順に、
1,慶應義塾大学/ミームの心臓(1) 酒井一途作・演出 『vital signs』
 ある施設から脱走してきた青年が駆け込んだ避難区域にある家。そこに幼なじみがいた。
2,日本大学芸術学部/四次元ボックス 菊地史恩作・演出『あんのーん』
 勤め先から解雇され、絶望した青年のところにいろいろなものがやってくる。
3,明治大学/演劇集団声を出すと気持ちいいの会(1,2,3) 山本タカ脚本・演出『役者乞食』
 実家では祖父が農業をいとなみ、孫の自分は東京の大学で芝居を作っている。山本タカ初のオリジナル作品にして、ドキュメンタリー演劇。

 本日初日をむかえた公演のため詳細は書けない。
 すでに観劇予定が入っている方の興味を削がず、なおかつ「どうしようかな」と考え中の方の興味を掻き立て、みない方まで「ならば行ってみよう」というアクションを引き出すにはどうすればよいのか。そもそもそんなことができるのか。
 非常に迷い、悩みながら先を書き進めるものとする。

 ミームの心臓 酒井一途作・演出 『vital signs』 
 原発事故の避難区域にある家という設定が現在の社会状況を反映しているが、描かれているのは「なぜ生きるのか」という激しい問いかけと、それに対して誠実で有効な答を出そうと苦しむ人の姿である。作り手の真剣そのものの姿勢が一瞬の緩みもなく登場人物の台詞になって発せられる。観客に受けよう、笑わせようという作為やおもねりが微塵もないのはほんとうに立派だ。そういう舞台に対してこんな感想をもつのは野暮かもしれないのだが、もう少し肩の力を抜いてみたら・・・と思う。

 四次元ボックス 菊地史恩作・演出『あんのーん』
 演劇的仕掛けの奇抜なおもしろさでは、この舞台がだんとつだ。
 絶望した人に対して、「あなたの命はあなただけのものではないのですよ」と言って思いとどまらせようとして、「じゃあ誰のものなのか」と問い返されたときに、「親御さんやきょうだいや、あなたのことを心配している友だちや恋人が」と答えるであろう。ごもっとも、そのとおりである。
 しかし心から納得できるのだろうか。
 本作は「命は誰のものか」をまさかの仕掛けでみせる。作者の発想が着実に具現化、顕在化している舞台で、俳優陣の台詞やダンスも切れがよく、客席を沸かせる。
 新約聖書の「コリントの信徒への手紙1」の「体(からだ)は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように」以降の一文を思い出した。「体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています」、「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」等々のことばを読むと、今夜の舞台が思い浮かんで「そうなのか」と納得する。違うのかもしれないが。

 声を出すと気持ちいいの会 山本タカ脚本・演出『役者乞食』
 こちらの劇団についてはつい贔屓めになってしまうところがあり、それはより高く、より深い作品をみたいと願うためである。
 既にある小説や戯曲や楽曲をベースにした山本タカ脚本・演出で着実な歩みをみせてきたコエキモがオリジナル作品に挑んだ。それも自分じしんを舞台の題材として取り上げるドキュメンタリー演劇である。

 作者のやろうとしていることは自分なりに理解し、把握したつもりである。
 舞台に描かれていることの、どこからどこまでが現実かということは、もはや問題ではないだろう。当日リーフレットに作者が書いているように、本作には山本タカの虚構も少なからず含まれており、芝居と嘘の関係や、そこに潜む作り手の悪意も意識しながら、人はいっときの舞台をみるのである。
 人間の生を根本から支える「食」を担う祖父を愛しながら、家族をあとまわしにして芝居を続ける罪悪感や、食べなければ生きてゆけないことの悲しみ。「ドキュメンタリー演劇」と言いながら、実は観客も巧妙にだましてゆく、劇作家の業。
 このあたりをもっと丁寧に掬いあげて練り上げれば劇作家としての軸足が定まり、戯曲の核心がはっきりして、作者の意図をもっとあざやかに示せたのではないだろうか。
 「劇作家山本タカ」の可能性に期待している。
 

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