因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

追悼 奈良岡朋子さん

2023-03-30 | 舞台番外編
 俳優・奈良岡朋子さんが3月23日(木)逝去された由、代表を務めていた劇団民藝より発表がありました。93歳。天寿を全うされたのですね。しかしわたしはまだまだ奈良岡さんの舞台を観て、考え、学んで書かなければならなかった。俳優・奈良岡朋子と客席の自分との物語は未完のままです。不勉強な者からの追悼として「えびす組劇場見聞録」第42号(2013年12月)を転載いたします。奈良岡さん出演の舞台観劇記録はこちら→1,2,3,4,5,6,7

『物語がはじまった~奈良岡朋子のこれまでとこれから~』 
 俳優と観客とのかかわりは不思議だ。自分の意志とは関係なく出会いがおとずれ、いつのまにか自分とその人と、ふたりだけの物語を綴ってゆく。
 奈良岡朋子。昨年12月1日に83歳の誕生日を迎えた。大滝秀治亡きあと劇団民藝代表として200名近い大所帯を率いる、まさに大御所だ。舞台、映画、テレビと多くの作品で名女優の誉れ高いが、自分の「奈良岡朋子物語」第一章は、1985年秋に放送されたTBSのテレビドラマ、山田太一作『東京の秋』である。
 若い男女(沖田浩之、古手川祐子)が出会う。女性は東京のサラリーマン家庭の娘、男性の家は所沢の元農家で、農地を売って豪邸に住む土地成金だ。畑仕事をこよなく愛する寡黙な父親が佐藤慶、気楽な暮らしを素直に喜んでいる母親が奈良岡朋子である。息子に恋人ができたと知った母は勇み立ち、相手の両親に挨拶にゆく。帰宅するやあきれ顔の息子を前に、対面の次第を嬉々として再現してみせる。和服を着ていかにも上品な奥さま風にめかしこみ、「〇〇(息子の名。名。たしかホシバセイジ)の母でございます」と恭しくお辞儀をして次の瞬間、あーやれやれとかつらをむしり取り、おやつをぱくつく。
 ドラマの後半、両家は顔合わせの席をもち、そこで息子たちの結婚話が両親たちの話に急展開してしまう。奈良岡の妻は機嫌よく暮らす一方で寂しさを抱えていたのだろう、「いつも畑に行ったきりで私とは口もきいてくれない。畑がいい畑が好きだって」と夫をなじる。するとあの佐藤慶が重い口を開き、「お前も好きだ」とひと言。「お前も好きぃ?」と仰天する妻に「だから、何とかすべえと思っている」。精いっぱいの愛の不器用な告白だ。子どもたちの前できまり悪いやら嬉しいやら、妻は「そんなことはじめて言われた」と泣きだし、ぎくしゃくした空気が一変、ふたつの家族を温かく包む(ストーリーや台詞は筆者の記憶によるもの)。
 いっぽう舞台ではたしか『放浪記』で林芙美子のライバル日夏京子役をみたのが最初で、つぎは翻訳もの、『十二月-下宿屋四丁目ハウス-』の再演が久びさであった。その後も『カミサマの恋』(畑澤聖悟作 丹野郁弓演出)を見のがして、ようやく2012年、ふたたび畑澤、丹野コンビの『満天の桜』に、江戸時代初期の津軽藩の姫君の女中頭役で主演する舞台をみることができた。
 残念ながら本作は戯曲と演出のバランスの不安定な箇所が散見していたためにじゅうぶん味わえず、かといって「何はともあれ、奈良岡朋子はすばらしい」とまとめるのが本稿の目的ではない。
 生身の俳優が「いま、ここ」で行っていることを、同じく生身の観客がみる。演劇最大の特質だ。しかし演劇にはもう一歩別の旨み、楽しみ方があるのではないか。
 それは「かつてあそこで、いつかどこかで」という視点である。
 想像力のありったけを駆使して、いまの俳優の立ちすがたから、みることのできなかったその人のこれまでを考えるのだ。舞台だけでなく、戯曲や演劇評論などもいっそう深く読みこまねばならないだろう。
 たとえば菊田一夫は随想集『落穂の籠』において、1969年民藝公演、宇野重吉演出の『かもめ』でマーシャを演じた奈良岡を「なんといういい女優なんだろう」と絶賛している。「誠実な、つまり、裏表のない演技だった」。具体的なことは記されていない。
 しかし奈良岡の魅力をずばり言い当てていて、みていないにも関わらず、「わが意を得たり」と思わせるのだ。その手ごたえを頼りに『かもめ』の戯曲を読みかえし、心のなかで奈良岡のマーシャを動かしてみる。
 となるとつづいて宇野重吉の演出論「チェーホフの『桜の園について』」を開かざるを得ない。1974年の民藝公演『桜の園』で、奈良岡は家庭教師のシャルロッタを演じた。宇野は演出メモにシャルロッタのことを、「なんとも奇妙な女だ」「まことにわかりにくい役だ」と書き残している。自分はこの役に注意して『桜の園』をみたことがない。しかしこれまでの『桜の園』観劇体験におけるシャルロッタを思い起こし、本役を演じる奈良岡を想像することによって、この役への視点だけでなく、これから出会う『桜の園』そのものが未知の顔をみせる可能性もあるのではないか。戯曲や批評からその俳優の存在が匂い立ち、新しい劇世界が生まれる瞬間が体験できたら。想像しただけでぞくぞくする。
 奈良岡朋子の『東京の秋』における地方色まる出しのおばさんぶりと素朴な可愛らしさは衝撃的であった。非常に地味なつくりのドラマであり、代表作という視点からはやや離れた位置づけになるが、奈良岡を考えるとき、消すことはできない。自分の「女優・奈良岡朋子物語」にとって必要なページなのである。
 物語はまだはじまったばかりだ。
 みることのかなわなかったマーシャやシャルロッタを蘇らせることができるだろうか。そしてこれから先のまっ白なページには、どんな物語が記されることになるのか。
 新しいページが加わる過程において、かつらをかぶった所沢の農家のお母さんは何かと言っては顔を出すにちがいない。だいじょうぶ、あなたを忘れてはいません。心して向き合い、物語を綴ってゆきます。 
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