いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

そんたくのすすめ

2016-12-14 13:44:59 | せんせいとよばれて
当たり前のことながら、
「どんな子供に育つのが良いか」にも
「どんな親になるのが良いか」にも、正解はない。
ただ、安易に比較して優劣を競うのだけは間違いで、
そればかりを親が神経質に
(でも一方では不思議なくらい無神経に)
追い求めるところから大概の歪みは生まれる。
「イイ子」なんてのは単に、
「誰かにとって都合の」が抜けている、極めて身勝手な尺度だからだ。

子供だって馬鹿じゃないから、あるとき、
「ああこう演じれば大人は満足するんだな」ということを覚える。
それが小さい内はかわいくもありいじらしくもあり、
親にとっては大満足だからご褒美だって奮発しちゃうだろう。

でもそれが長じると、

・ご褒美がないと動かない人間
・親の顔色ばかり窺う人間
・親の前とそれ以外の二面性のある人間

になっていく可能性だってある。

特に、共働きなどで、子供ときちんと向き合える時間が少ないと、
断片的な情報で子供を一方的に評価してしまったり、
構ってやれない時間をお金やゲームで代替してしまったりということにもなる。
すると、「親の前で演じればいい」傾向は強くなる。
いきおい、他の大人、監督者に対してもそうなるかもしれない。

例の、避難者へのイジメ問題って、
実はそんな構造もひとつの背景としてあるのかもしれないと感じる。
学校や教育委員会は何をしていたんだと言うけれど、
おそらく彼らには何の問題もない生徒だと映っていたのでは。
先生といっても所詮は公務員だし、
狭い範囲で自分の管理の都合に反しないかどうかだけを
きわめて表面的に監視しているだけに過ぎない。
子供達のメンタリティまで入り込んでいける人材は希有だろう。
要は親は学校のせいに、学校は親のせいにしたいだけなのだ。

正解はない、のだけれど、
僕はひとつのコツとして「何でも擬人化を習慣にする」ことを勧めたい。

「まだ使えるのに捨てちゃったらかわいそう」
「あんなところに独りぼっちで置き去りにされたら寂しいだろうね」

みたいなやつね。
しかも言うだけじゃなくて、
親も一緒にちゃんとその世界に入り込んであげるのだ。
じゃないと嘘くさくなるから。

すると、物を大切に扱うところから始まって、
ひいては周りの人間の心情についても思いをいたすようになる。
自分のエゴをいったん措いて、人の気持ちを想像し、心を感じ取れるようになれば
少なくとも人を騙したり傷つけたりして平気、という人間にはならない。
それだけでもオーライだと思う。
高学歴でも、有名企業でも、有名人やお金持ちでも、
心が貧しかったらどこかで破綻する。

いまに限らないことだろうけど、実に身勝手な世の中だと思う。
その中で負けずに身勝手にふるまうタフさを身につける教育もあるかもしれないが、
それじゃあいつまで経っても世の中良くならない。
世の中変えるなんて理想に過ぎるかもしれないけれど、
それくらいの気持ちで子供に向き合っていないと、教育なんて成り立たない。
Comment (1)
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