いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

笑えない

2015-02-26 13:02:54 | 超・いぶたろう日記
笑いが幼児化してるなあ、と思う。
あるいは、僕の感性がオヤジ化してるかのどちらかだけど。
ここでいう「幼児化」とは、

・深く考えなくていい
・意味なんかなくていい
・語感が良ければいい

ということに加え、

・何回でも同じことやってもらってキャッキャ言ってる
・飽きたら捨てる

ということだ。
二歳半の甥っ子とこないだ遊んだのだが、まさにそのレベル。
こんな感覚が、それこそいい歳した大人に至るまで共有されているという点で見逃せない。

「ラッスンゴレライ」とか、「あったかいんだから〜」とか、
学生の宴会芸レベルなのは明らか。
一発面白いこと思いついて、その場でウケたらOK、
また次考えよう、という程度のものだろう。

ただ、芸人をこき下ろしたいのではなくて、
その程度のものを爆発的大ヒットに仕立て上げてしまう業界の構造と、
それをまんま受け入れる幼稚なお笑い消費者、という構図に、
情けないな〜という感想を禁じ得ないのだ。

子供が一時的に飛びつく程度のものを、
あれだけの勢いでヘビロテして消費し尽くしたら、
そりゃあ芸人だって勘違いもするし、消耗もする。
育つわけがない。

お笑いでも音楽でも、いわゆる「一発屋」の多いこと。
一発屋自体は昔からいたけれど、いまはそればっか。
人気や実力にはあまり関係なく、
生き延びているのは業界でコネクションを作れたものだけ。
何もかもが使い捨てで、文化に昇華できるものが何も残らない。
これは送り手側だけの問題ではなく、
まんま文化的民度の低さに置き換えられるのではないか。

…なんてことを思うのはやっぱりオヤジ化した証拠だなあと十二分に自嘲しつつも、
どうもこの「その場だけ」の刹那的消費感覚の横行が、
まんま「幼児化した大人」の横行とイコールに感じられて、
暗鬱な気持ちになってしまう。
そりゃあ、安部みたいのが好き放題やれるわけだ。

お笑いなんて色々あっていいと思う、だけど、
見てて不安になるようなお笑いは、果たしてお笑いと呼べるのか。
お笑いにも最低限の責任というか誇りみたいなものがあるべきではないのか。
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