いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

ライブ。

2000-07-16 23:30:28 | Rebirth歴史資料館
自信たっぷりにやっているよーに見えるかもしれないけど、
俺はいっつもライブ前後には決まって同じ不安を抱く。
本番前には、
「今回ものすごくすべったらどーしよう?」
「今回が最後になってしまったらどうしよう?」
本番後には、
「みんな楽しんでくれただろうか?」
「期待はずれに終わってしまってないだろうか?」
だ。

他のメンバーに比べると、俺はどうもバンドをやっている動機が、
いわゆるアーティスト的でないなあと感じることがある。
おそらくはみんなほどには俺の中では「音楽」が絶対的ではないのだ。
確かに音楽が大好きではあるのだが、
もしバンドで音楽以外のことはしてはいけないと言われたら、俺は半年と続かずやめてしまうだろう。
俺の動機は「人前に立ってみんなを沸かせる」ことにある。
みんなを楽しませたい、驚かせたい、大笑いさせてやりたい、感動させてやりたい、
そういった多くの人々の「心を震わせる」ことがやりたくて俺はバンドをやっている。
だから音楽だけがやりたくて、その延長にみんながいるのではなく、
エンターテイメントがやりたくて、その手段の一つとして音楽がある、という方が近いのだ。
ミュージシャンというより「芸人」である。

だからたまにMCやライブの企画演出なんかをめぐってバンド内外から、
「バンドっぽくない」「お笑いじゃないんだから」と言うような批判や反論を受けることがあるが、
まあ、みんな欲がないのだなあ、と思うことしきりである。
当然、俺のやりたいことばかりを押しつけても、
他のメンバーの「バンドをやるモチベーション」を損なってしまいかねないので、
大概は「バンドっぽい」と一般に認知されやすい方向へと修正する。
俺はこれを「妥協」ととらえてはいないけれど、
理想としてはもっとどん欲にみんなが面白がる要素を取り入れたいと思う。

俺は音楽的に理想を追求しようという欲求があんまり強くない。
なくはないのだけど、そればかりではつまらないと思ってしまう。
エンタテイメントとアートの境目。
そこで俺はいつも立ち止まり思索する。

すべてのエンターテイメント(=芸)は、
オーディエンス(観衆・聴衆)のことを考えて作られていくべきだ。
お金を払って見に来てくれる人のために、彼らが一番楽しめるものを考えようとするのが芸人である。
もちろん、オーディエンスの言いなりになるのではなく、
自分なりのやり方でそれを追求するのが一流のエンターティナーだ。

すべてのアート(芸術)は、徹底的に自己満足を極めるべきだ。
誰が何と言おうが、自分で一番良いと思うものを突き詰めていくのが芸術家である。
彼らにとってはそれが人に認知されるかどうかは二の次の問題だ。
認知されないことを苦に、世評に阿っていくのは三流の芸術家だと思う。
(【阿る】おもねる:自分の説を曲げて世の中の支配的な論調に同調すること)

ではロックバンドとはどちらであるべきか?

「音楽」は芸術であり、権威的なものがはびこる世界である。
こうでなきゃいけないとか、そんなもんは音楽じゃないとか、
未だにそういう馬鹿げたことを臆面もなく言える「エラい人」がいっぱいいるのだ。
"ROCK"というものは、それらを壊すために生まれた。
すべての権威を否定する。
何でもあり、言いたいことは言う、やりたいことをやる。
かっこいいものはいい、という実力主義的な考え方だったのだ。
こんなにかっこいいモノの考え方があるだろうか。
しかし、これを貫くには想像以上の精神力とバイタリティが要る。
やがてROCKがそういう「思想」でなくなり、
単なる音楽ジャンルの一つを表す名前として落ち着いた頃、
「商業ROCK」という言葉が生まれ、「ROCKは死んだ」という言い方がなされた。
(注:その後、Rebirthは俺の独断により自虐的に「商業ROCK」を名乗るようになり、それが代名詞と化していく)

俺に言わせて貰えば、「ROCKはこうでなきゃいけない」「そんなものはROCKじゃない」
という考え方をしている時点で既に自らROCKを放棄しているのだ。
なんでも良いから自分のかっこいいと思うことやればいーじゃねえか。
「商業ROCK」という言葉は聞こえは悪いが、
自己満足に過ぎなかったROCKが他者をも巻き込むエンターテイメントと融合して生まれた、進化形だと解釈している。
ROCKであるかどうかなんて、本人が名乗るかどうかだし、それもまた本人のプライド次第ではないだろうか。

ふとそんなことを思ったのは「自分たちのやりたい音楽をやりたい」ハズなのに、
「動員を増やしてメジャーを目指したい」という、バンドの抱える根本的な自己矛盾について、
最近現実的に考える機会が増えたからだ。
しかし、俺はここで気づいてしまったのだ。
俺はいつでも、「自分たちと客が同様に楽しむためには何が必要か」を考えている。
欲張りなのだ。とても。
従って、俺に関して言えばまったく矛盾などしていないのだ。
MCの内容・長さ、ファンとの接し方、色々とたまに批判的な意見も耳にするが、
それについて感情論でない、きちんと筋の通った論理を構成できている人に、
俺はついぞ出会ったことがない。
本当にきちんとものを考えた上でこいつは俺にこんな偉そうなことを言ってるのかな、と疑問に思うこと甚だしい。

言わせて貰うが、MCなんかしないでだまってカッコつけてる方が、
ファンなんか相手にしないでカリスマ気取ってる方が、よっぽどラクだしカンタンなのだ。
「出来ない」のと「しない」のとは違うしね。
俺は「出来る」し、「やりたい」し、なによりそっちの方がバンドやってて楽しいから、
見に来るみんなも楽しんでくれるから、やる。

それの何が気にくわないのだろうか。
これでも俺が間違っているというのなら、誰か俺が納得できるような反論を用意してもらいたいものだ。
いつでも受けて立とうじゃないか。


※2005年追記
いやまったく、5年も前から同じようなこと言ってるんだね俺は(笑)。
確かこのときも、当時付き合いのあった業界との関わり方についてジュンイチと口論して、
怒りの余りここに書いたんだっけな。
あとでブーブー言われた気がするな(笑)。
結局この後、メンバーチェンジと事務所の登場によって、
ますますRebirthは俺の望まない方向へシフトしていくのだが。
この日記を書いたぴったり5年後に解散してるってのも、なんだか象徴的だな。
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